カテゴリー「過去記事」の10件の記事

2011-08-17

【過去記事】Orang Nippon

今は声優さんカテゴリの記事がほとんどを占める当ブログですが、以前は他のカテゴリの記事も書いてました。声優さんのお誕生日記事ですが、次回は8月25日の予定です。それまで何か他のカテゴリの記事も書こうかと思ってます。たまには。

今回は5年前に他のブログで書いた記事を加筆修正して再掲載します。ところで、皆さんは17805ってなんの数字かわかりますか。これは、インドネシアの独立宣言が行われた日付なんですね。皇紀2605年(西暦1945年)8月17日。今日はインドネシアの独立記念日なんです。

ちなみに今日は皇紀2671年8月17日に当たります。この「皇紀」(現在のパソコンではそのまま変換できない)というのは天皇の権威を高める目的で明治時代以後に創作されたフィクションではあるのですが、日本政治史的に興味深いものです。

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2006年8月17日
オラン・ニッポン

だいぶ前のことですが、インドネシアに出張したときに風邪を引いて寝込んだことがありました。そのとき、同行していた隣の課の課長さんにマッサージを勧められたことがあります。

課長(゚∀゚)「風邪引いたときにはマッサージよ。キクぜ~。マジで!!昇天しちゃうぜ!?」(発言内容ほぼそのまま)

なにやら怪しい薬を売りつけられているような気分だったけど、課長のおごりというのでマッサージ(注:風俗ではない)を呼ぶことにしました。課長が呼んだついでだったんだけど。ちなみに経費で落としたらしい。

その時にやってきたマッサージのおじいさんが、おいらを「オラン・ニッポン(Orang Nippon)」と呼びました。「日本人」と言うことらしいです。本来、日本人を指すインドネシア語は「Orang Jepang(オラン・ジュパン)」というのが普通なのですが、おじいさんは親しみを込めて日本人を「オラン・ニッポン」と呼んでいたようです。

インドネシア語が堪能だった課長が後から言うことには、

課長(゚∀゚)「あのじいさん、トボけてるけどよ、俺たちのしゃべってたこと全部わかってたぜ?」

インドネシアは3年半という短い期間ではありましたが、大日本帝国の統治下にあったために年配の人の中には日本語が多少わかる人もいたんですね。それにしてもなぜ「オラン・ジュパン」ではなく「オラン・ニッポン」なのか。おじいさんが発したこの言葉には、戦争に関わるいくつかの歴史的な背景が関係していると考えられます。

「シンカタン」といって、インドネシアには言葉を省略して言う習慣があります。たとえば首都圏のことをDKI(デーカーイー)と略したり、ジャカルタ周辺の地域を、各都市の頭文字をとってJABOTABEK(ジャボタベック)と呼んでみたり。たいがいなんでも略しちゃいます。そして実は、第二次世界大戦の頃には「NIPPON」もそんなシンカタンの一つだったんです。この略語の本当の意味は「Nanti Indonesia Perang Pula Orang Nederland(インドネシアはオランダ人と戦うだろう)」でした。彼らは暗号化された日本の国名に独立への希望を託したのでした。

350年間にわたるオランダ人の支配をわずかな期間で破った日本は、インドネシア人の希望でした。(日本軍統治下のインドネシアでは食糧や人員の過酷な強制徴用などもあって、全国民が日本びいきというわけではなかったのですが。そもそも多民族国家なのでいろんな立場の人がいます。それは今でも変わらないことでしょう)

「17805」。この数字はインドネシアの独立宣言文に記されたインドネシア独立の日付です。皇紀2605年8月17日。インドネシア人は独立宣言に西暦を使わず、当時日本で使われていた暦を使ったんです。イスラム教の国なのだからイスラム暦でもいいような気がするのですが、なぜか皇紀なんですね。はっきりした理由はよく分かりませんが、これはもしかすると彼らの決意表明だったのかもしれません。西欧諸国による植民地支配からの決別への強い意思表示として、わざわざ皇紀を使用したのではないかと思うのです。

インドネシア人は日本人に対しておおむね友好的です。その原因の一つは旧日本軍の兵士がインドネシア人と共に独立戦争を戦ったことにあります。第二次世界大戦終結後、約2000名にのぼる日本人がインドネシアに留まり、独立をかけてオランダ軍と戦いました。日米戦争とほぼ同じ年月を戦い抜き、約1000名が現地で亡くなったようです。大日本帝国は滅びましたが、その代わりにインドネシア共和国が生まれました。敗残者だった旧日本兵は、インドネシアの英雄となったのでした。

「オラン・ニッポン」。おいらをそう呼んだあのおじいさんも、かつて日本人と共に戦ったのかもしれません。

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日本が西欧列強の支配地域に進出した結果として、第二次世界大戦後に多くの国が独立しました。日本人のなかにはこのことについて「よいことをした」と思っている人もいるようです。しかし、以前も書いたことですが、そういう考え方は単純すぎると思います。日米戦争や、それに先立つ日中戦争は外交戦略の失敗によるところが大きいですし、日本が最初からアジアの解放を目指して戦端を開くに至ったというのはフィクションです。

それでも、そういう「戦争の大義」を心から信じて戦いぬき、結果的にアジア諸国の独立に関与した一般の兵士たちがいたことを、私たちは忘れるべきではないと思います。

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2011-08-06

【過去記事】なかのりさん(2006.08.12)

今日は広島の原爆記念日です。毎年この時期になると戦争関連の話題が増えますね。今年は第二次世界大戦が終結してから66年目。戦争を直接知っている人たちは年々減っていくでしょう。今後は戦争の記憶をどのように伝達していくかが大きな課題になります。

やむを得ず戦争せざるを得ない状況というのはあるのかもしれませんが、戦争は数ある選択肢の中でも最後の手段。最悪の選択です。そいうことを忘れないためにも、戦争の記憶は何度でも、いつまででも語られる必要があるように思います。

うちのブログ、今は声優さん関連の記事がほとんどを占めてますけど、以前は他のカテゴリの記事も書いてました。今日は、すでに閉鎖したもう一つのブログの中から5年前の記事を加筆修正して再掲します。

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2006年8月12日
なかのりさん

ちょうどお盆の時期と終戦記念日が重なっているので、この時期になるとTVや雑誌でも第二次世界大戦の話題が多くなります。自分は実際に戦争体験があるわけではないので今ひとつピンとこないところもありますが、第二次世界大戦はそんなに遠い昔の話ではありません。父は東京大空襲をかいくぐって生き延びています。グラマン(F6Fヘルキャット、アメリカ軍艦載機)の機銃掃射に追いかけまわされたこともあるらしい。母は戦中に田舎で生まれているのでアメリカ軍の爆撃の記憶はありませんが、戦後に上京してきた東京の荒れ果てた風景を知っています。

自分が生まれた頃には街はすっかり綺麗になっていて、日本は先進国に復帰していました。しかし、戦争の傷跡がすべて消えてしまうほどの時間は経っていなかったようです。小さい頃、家族で銀座に行ったときに日劇の近くの数寄屋橋(現在のマリオンの前あたり。マリオンのある場所には「日本劇場」という劇場がありました)で不思議な人を見たことがあります。小さかったのではっきり覚えてはいないのですが、その人は何か制服のようなものを着てハモニカを吹いていました。片足がなかった。明らかに奇妙な風貌で、子供だった自分は衝撃を受けました。後から父に尋ねてみると、その人物は「傷痍軍人」だということでした。戦争で負傷し、障害者となり、街角で寄付を募っている人たちだったんです。どうやら偽物も多かったようですが、まだそういう姿で街角に立つことが通行人に対する一種のアピールになる時代でした。

戦争の傷跡が見られたのは都会だけではありませんでした。「傷痍軍人」を街で見かけてからしばらくして、父親の仕事の都合で東京を離れて田舎の小学校に通うことになりました。小学生の頃、学校の近くには零戦を隠しておくための掩体壕(えんたいごう)や防空壕がいくつか残っていて、子供の遊び場になっていました。(酸欠の危険があるから本当は行っちゃいけないところだったんだけど)

その当時、学校の校庭に現れる正体不明のおじさんがいました。何をするでもなく、たまにふらりと現れては子供たちにからかわれていました。破れた帽子にボロボロの服。カーキ色のズボンは緩くて、いつも半分くらい尻が見えていた。校庭の隅で野グソをするおじさん。今で言うホームレスのような雰囲気で、臭かった。うちの小学校は荒んでいたし、おじさんはちょっと精神の方に障害があったようなので、よく悪ガキどもにいじめられていました。皆からは「なかのりさん」と呼ばれていた。小汚いしよくわからない人なので怖かったんですが(ウンコの付いた棒を持って追っかけてくるし・・・・・・)、小学校の卒業が間近に迫った頃に彼の秘密を少しだけ知ることができました。この人は戦争に行っていたことがあるということ。精神に異常をきたしたのも戦争体験が原因なんだろうという話でした。

普通に暮らしていたなかのりさんの所にも、ある日赤紙(召集令状)がやってきました。

なかのりさんは、どこか南方の激戦地に送られたんだそうです。ビルマの山奥か、ニューギニアのジャングルか、硫黄島か、それがどこかは分かりません。しかし、とにかくどこかの戦場で必死に戦っていたのは間違いなさそうです。彼は、多くの仲間が斃れていくなか、命からがら復員してきました。奇跡的に。しかし、精神は完全に崩壊してしまった。日本に戻ってきた後は、何かわけのわからないことをつぶやきながら毎日町内をさまよい、子供に石で追われる人になってしまいました。一体、戦地で何を見てきたのだろう。なかのりさんは確かに気持ち悪くて怖かったけど、戦争の話を聞いた後には彼個人に対する恐怖とは違った種類の恐怖を感じるようになりました。ある日突然、自分の意志とは関係なく地獄のようなところに放り込まれるというのはどういうことだろう。戦争になったときに自分は外国人を殺せるのか。そんなことを考えると恐ろしかった。テロリストにあこがれていたくせに、やっぱり根は純真な子供だったんでしょうか。(もちろん今はテロリストなんか冗談じゃないと思ってますよ本当に)

小学校を卒業すると、今度はそれまで住んでいた町から20Kmほど離れた、さらに田舎の隣村に引っ越しました。中学生になってしばらくたったある日、村内の国道を自転車で北上するなかのりさんを偶然見かけたことがあります。彼の行動範囲は意外なほど広く、郡内の各所で目撃されていたようです。高校生になってさらに遠い町まで通うようになっても、なかのりさんの目撃情報をたまに聞くことがありました。自分は高校を卒業すると東京へ出て行ってしまったので、彼がその後どうなったのかはわかりません。ある時期を境に姿が見えなくなったようです。年齢を考えれば、もうこの世にはいないのかもしれない。

車で国道を走っていると、今でもたまに彼のことを思い出すことがあるんです。なかのりさんは、あの虚ろな目で何を思いながら自転車のペダルを踏んでいたんだろうって。

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我が国の政治家のなかには戦争を軽く考えている人もいるようですが、ひとたび戦争が起これば多くの人の運命は激しく変わります。以前も書いたことがありますけど、結果的に自分も運命を変えられた人間のひとりでした。戦後生まれにもかかわらず、自分もまた第二次世界大戦の影からは逃れられないんです。戦争は無くなってほしい。自衛のための戦争まで否定するつもりはありませんが、どこかのトンチキ政治家のように核武装なんてお気軽に言えることではないんです。やはり前にも書いたことですが、戦争を回避するにはハード面だけではなくソフト面(外交など)も同時に充実させる必要があります。むしろそちらの方が主であるべきだと思う。

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2010-11-24

【過去記事】月の自転

先日、引っ越し前のブログを閉鎖しました。
そちらの方から記事を移植してこようと思ったんですが、
あまりいい記事は書いていなかったなぁ・・・。

今回は月の自転のお話です。
ちょうど4年ほど前に書いた記事ですね。
今日、仕事から帰ってくるときに月が奇麗だったんで移植してみました(笑)

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2006年12月29日
元のタイトル:「月の自転」


何日か前に、月の自転について書きました。
月の自転周期と公転周期は一致していています。
この場合、地球からは月の裏側を見ることが出来ないという話です。
ちょっとイメージが涌きにくくて説明が難しかったんですが、
絵を描いてみたらもうちょっとわかりやすくなると思います。
自分でもなんか気持ち悪くて、気になっていたんですわ。

詳しい説明の前に、まずは「自転って何?」っていうことから見ていきます。
自転の定義は次のようになっています。

自転 (じてん) とは自ら回転すること、及びその状態。
( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)


さて、月が地球の周囲を公転する様子を絵で示すと、次のようになります。

月の自転_1(クリックで拡大)

月の公転周期はおよそ27.32日ですが、
話をわかりやすくするために28日ということにしてあります。

赤い点に注目してみましょう。
7日ごとに90度回転していることがわかりますね。



次にこれを時系列で直線的に並べてみます。

月の自転_2(クリックで拡大)

回転の様子がわかるでしょうか。

もしも月が回転(自転)していないならば、赤い点の位置は変わらないはずです。
しかしながら、実際には絵のように28日で赤い点は360度回転しているわけです。
そしてこの回転は、月が地球の周囲を回る公転周期とぴったり一致しています。
これが自転周期と公転周期が一致している状態です。

絵から読み解くことができるように、
地球から月の裏側を見るためには月が自転していないか、
または月の自転周期と公転周期がずれている必要があるのです。
もしくは自転の方向が公転の方向と逆である場合。
地球と月の間には強い潮汐力が働いているのでどの条件も成立しませんが。

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おいらはまったくの文系で天文学の心得もないんですけど、宇宙って好きです。
月はいつもウサギがいる面しか見えないので自転していないと思われがちですが、
実はちゃんと回転してるんですよね。

変わらぬように見えるものこそ、本当は変化が激しかったりするのかもしれません。
なんだか哲学的だなぁ・・・(笑)

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2010-08-15

【戦争】九人の乙女の悲劇

大学の夏スクーリングから帰ってきました。

スクーリング期間中に日曜日があったので、その時に渋谷で映画を見てきました。
『氷雪の門』というタイトルです。

1945年(昭和20年)8月20日、当時日本領だった樺太の真岡町にソ連軍が上陸しました。町の郵便局には電話交換業務を担当していた若い女性たちがいたのですが、彼女たちはソ連兵が来るまで交換台を離れず職務を全うし、最後は青酸カリで自殺しました。

「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……」

この最後の通信内容は、稚内公園にある「九人の乙女の碑」に記されています。

実は4年前に他のブログでこの記事を書いたことがあって、その時から『氷雪の門』は一度見てみたいと思っていました。今から三十数年前の映画で、その当時は上映禁止だったようです。ソ連への「配慮」があったんでしょうか、理由はよくわかりません。現在の日本社会は悪くなりつつあると言われることもありますが、表現については当時よりもいくらか自由になったのかなと思います。

低予算だったのか映画の作りそのものはチープな感じが否めません。しかし、映画の中で語られる史実には胸が締め付けられる思いがします。今日もテレビで戦争関連の特別番組を見ましたが、戦争は起しちゃいかんなあと思います。


今から15年ほど前、通信設備工事の仕事で3カ月ほど稚内にいました。自分はその時に「九人の乙女の碑」を実際に見ています。亡くなった女性たちは電話交換手でした。職種は違うけれども、電話に関わる人間としては大先輩に当たるわけですね。それだけに何か感慨深いものがありました。

ついでに言えば、映画の中で撃沈されたという報告があった小笠原丸ですが、この船は日本初の国産海底ケーブル敷設船でした。日本の通信の基礎を作った船だったんです。不思議な因縁を感じます。

ただし、一つ補足をしておくと、小笠原丸が撃沈されたのは昭和20年8月22日で、「乙女の悲劇」の二日後でした。映画では撃沈の報告が真岡の交換台に入っていましたが、実際には彼女らがその報告を聞くことはなかったはずです(小笠原丸を撃沈した潜水艦は現在でも「国籍不明」ということになっていますが、ソ連軍のものというのはほぼ間違いないようです)。

こういった映画というのは実写で作るのはなかなか難しいでしょうし、もしかすると今はアニメーションで作った方がいいのかもしれません。今回も映画館での客層は比較的若い人が多かったようですが、日本でも海外でも、アニメの方が訴求力があるような気がします。

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2009-05-05

【過去記事】日本の適正人口はどのくらい?

今日はこんな記事を読みました。

28年連続で減少=子どもの数、1714万人-総務省
5月4日17時26分配信 時事通信

ココログに引っ越してくる前にLovelog (DION) の方でブログを書いていたんですが、引っ越してくるときにデータをうまく移行できませんでした。こっちに引っ越してきてすぐの頃は少しずつ記事を移動させようとしていたこともあったんですが、面倒くさくてやめてしまいました。今回は久しぶりの移植記事です。

少子化については引越し前のブログの【読書】カテゴリで何回か記事にしたことがあったのを思い出したので、少し長いですが加筆・修正しながら移植してみます。

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今日は平成19年12月26日、水曜日。

前に読んだ『人口減少社会の設計』と一緒に買った本です。

『論争・少子化日本』
川本敏 編 中公新書ラクレ 2001年

少子化に関する論文を集めたものです。肯定派・否定派両方の論文が掲載されています。ただ、ちょっとデーターが古いですけどね。現在の日本の合計特殊出生率は1.32です。(2007年6月6日発表。ちなみに1999年の合計特殊出生率は1.34でした)

これでも6年ぶりに上昇した数値ということですから、かなり急激に少子化が進行しています。(2008年発表の合計特殊出生率は1.34を回復していたようです。これは団塊ジュニア世代の出産が一時的に影響していたようで、今後は再び低下に転ずると思われます。平成21年5月5日加筆。)

自分は地球の人口は多すぎると思っているので、少子化の進行には反対ではありません。しかし短期的に見れば労働力の減少による経済活動の停滞などの問題が出てくるので、小人口安定社会を構築する前にこういった問題を何とかしなければならないとは思っています。 地球上の資源は有限ですから、世界経済が右肩上がりで発展していくことは残念ながらありません。最近ではアニメーション作品にも登場する話題ですが(『機動戦士ガンダム00』、平成21年5月5日加筆)、どこかの時点で必ず資源の奪い合いに発展します。そういう紛争を避けるために、世界人口は少なくしていく方向に誘導する必要があるだろうと思うんです。経済を最低限維持できる人口を確保しながら、ソフトランディングを目指すわけです。「適正な人口」というのがあるはずなんですね。

しかしながら、これまで人口減少に関する文章をいくつか読んでみて気がついたのですが、その考察の多くは人口を増やす方向でのみ語られています。そして人口を増やすにしてもどの程度の人口まで増やせば適当なのかということについて語られていません。このあたりが不満に感じるところなんです。

では、日本の適正な人口っていうのは一体いくらくらいなのでしょうか。 今回読んだいくつかの論文の中で、食糧自給の観点からみて日本の適正人口はおよそ3000万人であるというものがありました。(「少子化ニッポンは「農園都市国家」をめざせ」 高橋秀之 日本大学教授) 幕末の総人口がだいたいこのくらいです。ただし、これは食料完全自給の場合ですから、実際にはもう少し多くても大丈夫なのではないかと思います。

この前読んだ『逆説の軍隊』の中で、「戦争のラチェット効果」という用語が出てきました。国家財政の規模は戦争のたびに大きくなり、戦争が終わっても元に戻らないという説です。そしてこの説は人口についてもあてはまるのではないかということでした。

幕末に3000万ほどだった日本の人口は、日清・日露戦争を経て大正元年(1912年)には5000万を超えています。45年で7割増しです。かなり急激な変化ですね。

昭和20年(1945年)、日本の総人口は約7000万人でした。それが3年後の昭和23年(1948年)に8000万人、11年後の昭和31年(1956年)には9000万人を超えています。海外からの引揚者の流入という特殊事情を考慮したとしても異常な人口増加です。

そして敗戦から22年目の昭和42年(1967年)、日本の人口は1億人を超えました。この年は大正元年から55年目にあたりますが、約半世紀で人口が倍になったわけです。ラチェット効果の発動かどうかはともかく、かなり不自然な増加のような気がします。これでは食料自給率の増加が人口増に追いつくわけがありません。

現在の日本の人口は近代化の過程で短期間に急増したものですから、急激に減少することもまたありえます。平均寿命から考えれば、ある時期に大量に生まれた人口は、ある時期に大量に減少することも予想されます。現代の日本は、戦争遂行と敗戦後の復興のために無理矢理かさ上げされた人口を適正な数値に戻す時期に来ているのかもしれません。個人的な意見を言えば、5000万人~6000万人くらい(つまり大東亜戦争以前のレベル)の人口が適当なのではないかと思います。 食料自給率50%程度ですね。

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最後の「食料自給率50%」の部分には、実は根拠がありませんでした。幕末の時点での総人口3000万人を100として、6000万人ならば50であろうと単純に書いてしまいました。しかし、その数値にはその後の農業生産性の上昇というものが考慮されていないので、実際にはもう少し食糧自給率は高くなるはずです。

冒頭に出した時事通信の記事にはユーザーのコメントがつけられるようになっているんですが、まさに自分と同じようなことを考えている人もいるようです。政府は人口を増やせというが、どれだけ増やせば適正なのか。政府はその数値を国民に示すべきだと考えます。日本に国家戦略というものが存在するならば、日本政府が我々国民の問いに答えることは難しいことではないはずですから。

ちなみにソースは忘れましたが、昭和13年(1938年)に厚生省が設置された際、昭和30年(1955年)の日本の総人口を1億人と計画していたようです。満州、朝鮮などの支配地域を含む日本の国土を防衛するために、最低限それくらいの人員が必要であろうという試算です。厚生省というのはもともと計画的に人口を増やすための機関でもあったんですね。それもひとつの国家戦略だったんです。

現在の厚生労働省は旧厚生省の持っていた戦略の内容をすっかり忘れてしまっていながらも、形だけは守り続けているのではないでしょうか。時代が変われば戦略も変わるんですから、これまでとは違う選択肢も考えてもらいたいと思います。

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2008-04-10

【過去記事】やさしくない国

ネットでニュースを見ていたら、こんな記事を見つけました。

<引きこもり>平均年齢30歳超す 「親の会」331人調査
4月10日15時1分配信 毎日新聞

自分が勤める会社でも、たまに職歴のない人が応募してくることがありました。要するにそれまで引きこもっていたわけです。それが若い人ではなくて30を超えているような人も今は少なくないんですね。

去年、そんな引きこもりの人が自分の職場にやってきて、そのことをブログの記事にしたことがありました。職歴のない人や、長く引きこもっていた人が仕事に就くのは本当に難しいと思います。何よりもまず偏見と戦わなければならないですからね。

確かに引きこもりというのはあまりよいことではないと思いますが、そういう状態に陥るまでには、きっといろいろなことがあったんだと思いますよ。みんな、引きこもるために生まれてきたわけじゃないんだから。いわゆる「普通の人」には理解しがたい部分もあるのかもしれませんが、それぞれの人に引きこもらざるを得ない「理由」があるんだと思います。

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2007年3月19日
元のタイトル:「職場のレ・ミゼラブル」

何日か前に、新人さんが入社した。

新人さんといっても30歳を超えていたようなので、若くはない。大学を出てから一度も働いたことがない、いわゆる「ニート」の人だった。おいらは不規則勤務だし職場も違うので、その彼の顔は結局数回しか見なかった。

昨日会社に行ってみると、既に彼の名前は勤務表から消えていた。

週末の朝に会社に行ったとき、確かになにやら妙な雰囲気だった。彼は座る場所もなく、ただボーっと突っ立っているし、周りの先輩や上司は完全無視。おいらは職場が違うし、そもそも遅刻寸前だったので(^-^;A)、妙な雰囲気を感じつつも、その件については特に何も言わなかった。ただ、「あ~、あいつ辞めなきゃいいけどなー。」とは思った。

彼が「ニート」だっていうのは、実は彼が来る何週間も前からみんなが知っていた。そして、その時点で彼の処遇は決まっていたようなものだった。彼は最初からみんなの仲間になることを拒否されていた。「ニート」や「フリーター」の人は面接の時点で落とされることが多いのだが、その関門を突破しても、実際に働く現場で拒絶されてしまう。悲しいことだが、これが現実だ。

自分にも似たような経験がある。早稲田大学出身で工事現場で働こうとすると、まず大抵は胡散臭がられる。まあ、それはある程度しょうがないとは思うけど。おいらの場合と「ニート」の彼の場合と、何が違ったかというと、おいらの場合は実際に「職人技」を見せ付けて、周囲を黙らせることができたということ。今回の件で、昔おいらがどう思われていたのかを、今さらながらはっきりと理解することができた。

確かに仕事ができない人が職場にやってくると、とても負担になるというのは間違いない。慈善事業やってるわけじゃないしね。でも、最初からすべてを拒否してしまうのはどうだろうか。しかも上司(監督者)に当たるような人がそういう態度なのはどうなのか(本人たちに「上司」の自覚はまったくないようですが・・・)。何の計画性もなく「人が足りないし、誰でもいいから突っ込んどけ」っていう会社の姿勢はもちろん論外だと思う。だが、それでも人が配置されてきたからには、その人材をどう動かすかについて監督者は責任を負っているはずだ。人を指導できない人は、上司とは言えません。

やはり、「ニート」の人や業務経験の少ない人が職場に入っていくことは難しいのかもしれない。自分の会社に限らず他の会社でも、今は人を教育すること自体非常に難しくなっている。まず、先輩に当たる人たちが仕事できません。例えば、自分達が扱っている機械の基本的な動作すらほとんど理解していない。それで後輩を指導することなど、到底無理な話である。今までの経験上、あからさまに指摘するとかえって仕事がしにくくなるので、よほど危険なことがない限り何も言いませんけどね。

そんなことより、心配なのは辞めていった「ニート」の彼です。いつまでも「ニート」でいるわけにもいかないだろうし、仕事が見つからなければ生きていくことができないでしょう。もしもおいらが同じ立場だったとしたら、おいらは迷わず経歴を詐称します。そうしなければスタートラインにすら立つことができないだろうし、立てたとしてもマイナスからのスタートにならざるを得ないからです。座して死を待つくらいならそうします。

一番偉いのは、最後まで生きていた奴だ。

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「どんなに汚い手を使ってでも最後まで生き延びろ」というのは、実はうちの家訓です。家格は低いといっても武士の端くれだったはずの家ですが、これが戦争の現実です。あまり褒められた家訓ではありませんが、この家訓がなければ自分だってもうこの世にいなかったかもしれません。経歴詐称っていうのは最後の手段に近いんでしょうが、それでもやらなきゃならないこともあるだろうと思いますよ。死にたくなければ。

ちなみに、一つ前に勤めていた会社の記録は「雇用保険被保険者証」でわかってしまうことが多いですが、それ以前の記録については調べるのが難しいです。最近は「個人情報保護法」が整備されたお陰で、企業が人物の照会に応じない傾向があります。これは企業の規模が大きくなるほど(つまり総務・人事がしっかりした会社ほど)そういう傾向が強いようです。大体、人物調査っていうのは金がかかりますからね。やらないところが多いんじゃないでしょうか。

それから、年金手帳。ここにも就業記録が残りますが、「失くしたから新しいやつちょうだい」って言えば、新しいのがもらえます。年金加入者の照会が進まない原因のひとつには「一人で何度も手帳を取る人がいた」ということもあるんですね。確かにいいことじゃないですよ。でもね、何が何でも仕事が欲しいっていうのなら、生きたいと思うなら、そういうことをしたとしても一概に責めることはできないと思います。セーフティネットが脆弱な日本ではなおさら。

座して死を待つくらいならやるしかないだろう。

生きて、戦え。

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2008-03-30

【過去記事】本当の戦争

引越し前のブログでこの記事を書いた直後、かなりアクセス数が多くなったような感じでした。それだけいじめや自殺の問題に対する関心が高いということなんでしょう。

今はなるべくこういう記事を書くのは避けているんですが、それでも書きたいと思うことがたまにあります。その結果、世の中に対して大きな影響を与えてしまうことになる可能性がまったく無いとはいえないのですが、それでも・・・・・・・

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2007年09月18日
(元のタイトル:「【時事問題】搾取された少年」)

高3男子自殺  「あいつは収入源」 同級生ら言いふらす
9月18日16時37分配信 産経新聞

日本の場合、「いじめ」というと「いじめられている方にも問題があるのではないか」という意見が必ず出てきていじめの犯罪性・反社会性が薄められる傾向がありますが、今回の場合は伊吹文部科学大臣がいうように正真正銘、間違いなく犯罪です。逮捕された者が高校生だろうがなんだろうが、厳しく処分するべきだと思います。

そういえば、去年も今頃の時期から年末にかけて子供たちの自殺が相次いだように記憶しています。自分も何本か記事にしたような記憶がある。そのときにも書いたと思いますが、本当に危機的な状況になったら、学校なんか行ってる場合ではありません。いよいよとなったら辞めてしまうことも考えた方がいいと思う。

最近ではいじめもハイテク化していて、メールやBBSを使用する事例も増えているようですね。今回亡くなった少年もメールで脅迫されていたようです。そういうのの対処法として最も有効な方法。

捨てちまえよ、携帯なんか。

そんなもん、無くても十分暮らせます。パソコンだってそう。捨てないまでも、アクセス制限やフィルタリングを活用することだってできます。自分もわりと頻繁にブログの更新をするほうですが、もしも何か不都合が起きたなら、すぐにでもネットへのアクセスを停止することができます。(自分が曲がりなりにも大人だからできることなのかもしれませんが)

これは大人にも言えることですが、本当にどうしようもなくなったらケツ捲くって逃げちゃうのもありだと思います。日本人ってのは相当真面目だから、「逃げ時」を逸してしまうんですね。おいらなんか不真面目だから死なないけどさ、真面目な性格だったら何度死んでるかわかんねえぜ。

そういうこと言うと、必ずこういうことを言う人が出てくるんです。

「逃げるないじめと戦え」?

バカ言ってんじゃないよ。他に合理的な選択肢があるにも関わらず、敢えて限りなく実現が難しい、または絶対に不可能な目標を選ぶのは愚か者のすることです。そういうのを蛮勇といいます。「爆弾抱えてアメリカの空母に突っ込め」って言ってるようなもの。あるいは「竹槍でB29を落とせ」とか。

実際のところ、日本は今、戦争状態なのかもしれません。過去9年間連続で年間の自殺者が3万人を超えています。単純計算で27万人以上を失いました。これはアメリカ軍の原爆投下による死者数に匹敵します。

現在、日本は地方自治法によって30万人以上の人口がある都市を「中核市」と定義しています。それによると、

北海道函館市 290,756人 (2007年8月末)
山口県下関市 291,948人 (2007年7月末)
*両市とも平成17年(2005年)10月1日に中核市に指定。
参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

となっています。

想像してください。

これ程の規模の町が丸ごと消えてしまったことになるんです。これはあくまで「9年間で27万人以上」という数字のもとでの比較です。実際にはここ十数年の間に、もっと大きな市の人口と同じくらいの人命が失われています。これが戦争でなくてなんなのか。

第2次世界大戦の時には特攻という自殺攻撃を選択した日本人ですが、別の一面もあります。戦後日本に帰国せず、東南アジア地域に残った元兵士たちがいる。その多くはインドネシアやビルマ、あるいはベトナムなどで、現地人と共に独立戦争を戦いました。その戦法は主にゲリラ戦。あのアメリカでさえこれに勝つことはできなかったのです。

どんなに汚い手を使ってでも最後まで生き残り、一人でも多くの敵を倒す。

特攻がゲリラ戦に変わったとき、本当の戦争が始まります。

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昨年も、どうやら自殺者は3万人を越えたようです。10年間で30万人。広島・長崎で消えていった人たちとほぼ同じだけの人数が10年で失われたことになります。東京大空襲で亡くなった人たちの3倍以上です。終戦は遠い。

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【過去記事】9月11日(自己破壊がテロに変わる時)

最近、わけのわからない事件が相次いでいます。
以前はそういう事件などについても思ったことを記事にしていたことがあったんですが、今は意識的に避けています。どうもあまりいい気持ちはしないですし、どういう影響があるかわからないから怖くなったっていうのもあります。

しかしどうしても書きたいこともあるのは事実で、今後はなるべく気をつけながら書きたいと思います。下の記事は2007年の9月11日に書いたものですが、今同じ記事を書くとしたら、ちょっと違う感じになるような気もします。

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2007年09月11日

あのテロ事件から6年が経ったそうです。自分にとっては遠い遠い昔のような気がします。遺族の方にとっては、昨日のことのように感じるかもしれませんが。

あの日は転職活動をしていました。もうなんとなく体も心もおかしくなり始めていて、このままじゃいかんなあと思って将来を模索していた頃でした。

関東地方は台風が通過した直後で風は強かったですが、空がすっきりと晴れていたのを覚えています。東武伊勢崎線から見た夕日が綺麗でした。夜は上野のカプセルホテルに泊っていたんですが、何かのドラマの最終回を見ているときにあの事件の映像が入ってきたように記憶しています。

もうすぐドラマが終わる頃合でCMに入っていて、CMが開けたらあの映像だった。いや、最初はCMだと思った。「新作映画の宣伝かな?」と思っていたんです。しかし、それは現実でした。

あの日から世界は確実に変わったと思います。自分自身はあれから足踏み状態で、ほとんど何も変わっていないような気がしますが・・・・・・。それどころか、退行してたりして(まぁ、アメリカもベトナム戦争の頃と何も変わってないわけですけど)。

「テロとの戦い」といいますが、テロリストと戦うのは非常に難しいと思います。誰でもある日テロリストになる可能性があります。一人ひとり洗脳して思想統制でもする?

本当に追い込まれた人間は自殺するかテロリストになります。テロリストをしらみつぶしに殲滅する作戦の前に、人間を必要以上に追い込まない社会を作る方がよほど効果的だと思うんです。だから、まず武器を置けと言いたい。

年間3万人の自殺者を出す日本社会。日本人は追い込まれると自己破壊に向かう傾向があるようですが、これらの人々がもしも振り子の反対側に振れたとしたらどうでしょうか。9.11事件は対岸の火事ではありません。そしてその兆候は、すでに現れ始めています。

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【過去記事】風の少女エミリー(ウクライナの舞手編)

引越し前のブログで書いた記事を少しずつ移植しています。

『風の少女エミリー』というのは、昨年(2007年)にNHK教育で放送されていたアニメーション作品です。
この作品の記事も何回か書いてるんですけど、なぜかこの記事だけアクセス数が多かったんですね。

NHKで放映されるアニメーションというのは、やっぱりちょっと「啓蒙的」というか、独特の雰囲気がありますね。だから、人によっては「説教臭くて嫌いだ」という人もいるんですけど、おいらはそんなに嫌いじゃないです。
子供の頃に不登校気味だったおいらにとって、NHK、特にNHK教育っていうのは先生代わりでした。
そういう事情も関係しているのかもしれませんね。

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風の少女エミリー NHK教育
("Emily of New Moon", ETV)

エミリー_06エミリー・バード・スター
(CV:川上とも子さん
Emily Byrd Starr
(CV:Tomoko KAWAKAMI)


花を摘もうとして海岸の断崖から落ちかけたエミリーは、ディーン・プリーストに助けられる。

学生時代、エミリーの父と親友だったというディーン。
博学で、エミリーとも気が合う。
エミリーの文才に気付いたディーンは、エミリーに小説家になることを勧めるのだった。

「君自身が妖精なんだよ・・・」

う~ん、おいらが言ったらぶん殴られそうな(笑)

ディーン・プリースト(CV:関俊彦さん
Dean Priest (CV:Toshihiko SEKI)

「ぴったりした言葉って、魔力を持っているんだわ。」

ディーンとの対話に導かれて、新しい言葉を紡ぎだすエミリー。
ギリシャや古代中国の哲学者のようです。
まぁ、舞台になっている島はガチガチのキリスト教コミュニティなわけですが。
いずれにしても、自分を理解してくれる人に出会えるということは本当に素敵なことです。
それが世界でたった一人だったとしてもね。

「私は、ウクライナの舞手のように、弾んだ足取りで歩くの。」

エミリーが得たインスピレーションの中から、こういう言葉が出てきました。
「ウクライナの舞手」。
気になって調べてみたんですが、どうも、宮沢賢治の詩に近いような気もします。

(前略)
曠原(こうげん)の淑女よ
あなたがたはウクライナの
舞手のように見える
・・・風よたのしいおまえのことばを
もっとはっきり
この人たちにきこえるように云ってくれ・・・

曠原淑女(『春と修羅』第二集)1924年5月8日
『新編 宮沢賢治詩集』中村稔編 角川文庫 平成7年
114頁より引用

この作品ではたびたびエミリーにインスピレーションを与える『風のおばさん』が登場しますが、脚本を書いている方はもしかすると宮沢賢治のような日本の詩なども参考にしているのかもしれませんね。
原作に忠実にアニメ作品を作るのも、それはそれでいいと思いますが、アレンジもまた楽しいと思いますよ。

ところで、その「ウクライナの踊り」っていうのに興味がわいたので、そちらもちょっと調べてみました。ウクライナというと「コサックダンス」が有名ですけど、その他に「ゴパック」という民族舞踊があるようです。
YouTubeで見てみたんですけど、軽快な踊りですね。
これはバレエの原型のような?
舞踏関係はまったく詳しくないのでよくわかりませんが。

おまけ:
エミリー役の川上とも子さんの最近のキャラクター。

アンバー_01アンバー(CV:川上とも子さん)
Amber
(CV:Tomoko KAWAKAMI)

DARKER THAN BLACK 黒の契約者』 TBS
("Darker than BLACK", TBS)


時間を停止させる能力を持っている「契約者」。

日向冬樹_01日向冬樹(CV:川上とも子さん)
Fuyuki HINATA (CV:Tomoko KAWAKAMI)


ケロロ軍曹』 テレ東
("Sergeant KERORO", TV-Tokyo)

おいら、男の子はあまりキャプらない主義なので(笑)、多分当ブログ初登場の冬樹君。

女性の声優さんで男の子をちゃんと演じられる人は演技がうまいと、個人的に思ったりします。
もちろん声質にもよりますけどね。

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2008-01-06

【過去記事】Yes! プリキュア5(リストラの嵐w)

この記事は過去にLovelogで書いたものの移植版です。

引越し前のブログで一番人気があったのは、アニメーション関連の記事でした。
なかでも特にアクセス数が多かったのがYes!プリキュア5
ところが、たまに本編の内容とはほとんど関係ない記事を書いちゃったりするんですよねw
まぁ、楽しみ方は人それぞれってことで(笑)
ゴメンね小さなお友達w

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Yes! プリキュア5 テレ朝
("Yes! Precure 5", EX; Link to US Animation Database)

バックレちゃえYO!w m9(^Д^)バックレちゃえYO!w m9(^Д^)

ついに辞職か、元・悪の事業部長(笑)ブンビーさんw
ブンビー(CV:高木渉さん
Bunbee (CV:Wataru TAKAGI)

ところで、「解雇」労働法に規定がありますが、労働法っていうのは主に雇用する側が遵守するべき決まりごとを定めたものなので、雇われている側が自分の意思で辞めるときのきまりは民法に定められています。

民法第626条(期間の定めのある雇用の解除)
民法第627条(期間の定めのない雇用の解約申し入れ)

法627条の場合は、申し入れから2週間で契約が解除されます。一般的には「1ヶ月前に申し入れ」と会社の就業規則に規定されている場合も多いと思いますが、民法的には2週間でOKです。規則っていうのは、ある規則よりも上位にある規則が有効ですから、「2週間で辞めたい」と主張することは、とりあえず可能です。

まぁ、相当もめる場合もあるでしょうから止めたほうがいいと思いますが(笑)

さらに強烈なのは、
民法第628条(やむを得ない事由による雇用の解除)
・・・やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。・・・

企業側から見た場合はいわゆる「クビ」ってやつですが、こいつを逆手にとって被雇用者がいきなり辞めることも原理的には可能です。ただし、「雇用の条件が聞いていたものとまったく違う」っていうような「正当な理由」が必要ですけどね。
いわゆる「バックレ」ってやつです(笑)

まぁ、法律的にはよくても倫理的に問題がありそうなので、あまりオススメはできませんがw

・・・っていうか、また本編とはまったく関係ない記事を書いてるし。
ゴメンね、ちいさなお友達(笑)

最凶のブラック企業w 。・゚・(ノ∀`)・゚・。あ~ぁw

悪の監査役(?)カワリーノに「処分」されたブンビーさん 
。・゚・(ノ∀`)・゚・。
これは最凶のブラック企業ですねw
労働環境最悪だよおぉぉ~

日本国憲法の場合、
第11条【基本的人権の享有】
第13条【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】
第18条【奴隷的拘束及び苦役からの自由】
第27条【勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止】

・・・
なんていうものがあるわけなんですけどね。
こういう決まりごとを、主権者である国民が憲法をつくることによって日本国政府に要求しているわけです。(こういうのを公法といいます。)
政府はこういう憲法の理念を実現するために民法や労働法などの私法を整備して、国民の生活を守る義務があるわけですね。そういう義務を果たさない政府は、国民によって覆されるわけです。
革命の理論的根拠ですね。

リストラの嵐w 。・゚・(ノД`)・゚・。カワリーノに「処分」されてしまった悪の顧問(?)ブラッディさん。

リストラされまくり 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

ブラッディ(CV:丸山詠二さん
Bloody (CV:Eiji MARUYAMA)

詰めが甘いよおぉぉw 。・゚・(ノ∀`)・゚・。このお話には「ピンキー」っていう妖精らしきものが登場しますが、それを55匹集めると失われたパルミエ王国を甦らせることができるっていうことだったんですけどね。
コンプリートしたところをあっさりと敵に奪われてしまった、詰めの甘いプリキュアメンバーの皆さん(笑)


ガンバレのぞみタソ!!m9(^Д^)

夢原のぞみ(CV:三瓶由布子さん
Nozomi YUMEHARA (CV:Yuuko SANPEI)

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