【過去記事】Orang Nippon
今は声優さんカテゴリの記事がほとんどを占める当ブログですが、以前は他のカテゴリの記事も書いてました。声優さんのお誕生日記事ですが、次回は8月25日の予定です。それまで何か他のカテゴリの記事も書こうかと思ってます。たまには。
今回は5年前に他のブログで書いた記事を加筆修正して再掲載します。ところで、皆さんは17805ってなんの数字かわかりますか。これは、インドネシアの独立宣言が行われた日付なんですね。皇紀2605年(西暦1945年)8月17日。今日はインドネシアの独立記念日なんです。
ちなみに今日は皇紀2671年8月17日に当たります。この「皇紀」(現在のパソコンではそのまま変換できない)というのは天皇の権威を高める目的で明治時代以後に創作されたフィクションではあるのですが、日本政治史的に興味深いものです。
**************************************************
2006年8月17日
オラン・ニッポン
だいぶ前のことですが、インドネシアに出張したときに風邪を引いて寝込んだことがありました。そのとき、同行していた隣の課の課長さんにマッサージを勧められたことがあります。
課長(゚∀゚)「風邪引いたときにはマッサージよ。キクぜ~。マジで!!昇天しちゃうぜ!?」(発言内容ほぼそのまま)
なにやら怪しい薬を売りつけられているような気分だったけど、課長のおごりというのでマッサージ(注:風俗ではない)を呼ぶことにしました。課長が呼んだついでだったんだけど。ちなみに経費で落としたらしい。
その時にやってきたマッサージのおじいさんが、おいらを「オラン・ニッポン(Orang Nippon)」と呼びました。「日本人」と言うことらしいです。本来、日本人を指すインドネシア語は「Orang Jepang(オラン・ジュパン)」というのが普通なのですが、おじいさんは親しみを込めて日本人を「オラン・ニッポン」と呼んでいたようです。
インドネシア語が堪能だった課長が後から言うことには、
課長(゚∀゚)「あのじいさん、トボけてるけどよ、俺たちのしゃべってたこと全部わかってたぜ?」
インドネシアは3年半という短い期間ではありましたが、大日本帝国の統治下にあったために年配の人の中には日本語が多少わかる人もいたんですね。それにしてもなぜ「オラン・ジュパン」ではなく「オラン・ニッポン」なのか。おじいさんが発したこの言葉には、戦争に関わるいくつかの歴史的な背景が関係していると考えられます。
「シンカタン」といって、インドネシアには言葉を省略して言う習慣があります。たとえば首都圏のことをDKI(デーカーイー)と略したり、ジャカルタ周辺の地域を、各都市の頭文字をとってJABOTABEK(ジャボタベック)と呼んでみたり。たいがいなんでも略しちゃいます。そして実は、第二次世界大戦の頃には「NIPPON」もそんなシンカタンの一つだったんです。この略語の本当の意味は「Nanti Indonesia Perang Pula Orang Nederland(インドネシアはオランダ人と戦うだろう)」でした。彼らは暗号化された日本の国名に独立への希望を託したのでした。
350年間にわたるオランダ人の支配をわずかな期間で破った日本は、インドネシア人の希望でした。(日本軍統治下のインドネシアでは食糧や人員の過酷な強制徴用などもあって、全国民が日本びいきというわけではなかったのですが。そもそも多民族国家なのでいろんな立場の人がいます。それは今でも変わらないことでしょう)
「17805」。この数字はインドネシアの独立宣言文に記されたインドネシア独立の日付です。皇紀2605年8月17日。インドネシア人は独立宣言に西暦を使わず、当時日本で使われていた暦を使ったんです。イスラム教の国なのだからイスラム暦でもいいような気がするのですが、なぜか皇紀なんですね。はっきりした理由はよく分かりませんが、これはもしかすると彼らの決意表明だったのかもしれません。西欧諸国による植民地支配からの決別への強い意思表示として、わざわざ皇紀を使用したのではないかと思うのです。
インドネシア人は日本人に対しておおむね友好的です。その原因の一つは旧日本軍の兵士がインドネシア人と共に独立戦争を戦ったことにあります。第二次世界大戦終結後、約2000名にのぼる日本人がインドネシアに留まり、独立をかけてオランダ軍と戦いました。日米戦争とほぼ同じ年月を戦い抜き、約1000名が現地で亡くなったようです。大日本帝国は滅びましたが、その代わりにインドネシア共和国が生まれました。敗残者だった旧日本兵は、インドネシアの英雄となったのでした。
「オラン・ニッポン」。おいらをそう呼んだあのおじいさんも、かつて日本人と共に戦ったのかもしれません。
**************************************************
日本が西欧列強の支配地域に進出した結果として、第二次世界大戦後に多くの国が独立しました。日本人のなかにはこのことについて「よいことをした」と思っている人もいるようです。しかし、以前も書いたことですが、そういう考え方は単純すぎると思います。日米戦争や、それに先立つ日中戦争は外交戦略の失敗によるところが大きいですし、日本が最初からアジアの解放を目指して戦端を開くに至ったというのはフィクションです。
それでも、そういう「戦争の大義」を心から信じて戦いぬき、結果的にアジア諸国の独立に関与した一般の兵士たちがいたことを、私たちは忘れるべきではないと思います。
| 固定リンク
| トラックバック (0)