カテゴリー「読書」の記事

2009年8月24日 (月曜日)

【大学】第二回科目試験結果

7月に受けた試験の結果が届きました。


日本外交史Ⅰ(4単位)

結果:B   (^-^)


日本外交史Ⅱ(2単位)

結果:B   (^-^)



不可じゃなくてよかった・・・(笑)
これで79単位。夏スクーリングの単位が取れていれば82単位です。
卒業所要単位数まであと42。そのうち8単位が卒業論文、そのほかに4単位をスクーリングでとる必要があるので、テキストでとらなければならない単位は残り30単位です。気合いを入れてやればおそらく1年くらいで取れるんでしょうけど、おいらはゆっくりやります。あと3年くらいかけて(笑)

さて、次のレポートは西洋外交史にする予定だったんですが、予定を変更して産業社会学にしようかと思ってます。教科書は去年読んでますし。それに、最近「ベーシック・インカム」について考えることがあって、この科目にちょっと興味が湧いたんです。

ちょっと前に「ベーシック・インカム」について4本ほど記事を書きましたけど、そのあとに入門書を買って読んでみました。この制度、決して新しく出てきた理論ではなくて、もう200年ほど議論されているものだということを初めて知りました。そして、実にいろいろな面から考察されているものだということも。

ガルブレイス(経済学者)やフロム(社会心理学者)、それにあのキング牧師までもが唱えていたということです。決してトンデモな話じゃないんです。税制を抜本的に改革しなければならないと思いますが、限定された形であれ、日本でも実現は可能なもののような気がします。

しかし、日本ではこの制度に対する否定的な意見が多い現状があるので実現は難しいかもしれませんね。制度的に可能であっても政治的に実現が難しいです。特に新自由主義的な改革を行ってきた自民党政権のもとではまず不可能でしょう。逆に彼らが「ベーシック・インカム」に取り組もうとした場合、その財源は相変わらず借金になるだろうから現状よりさらにひどいことになると思います。妙なことを考えずにおとなしくしていてほしい。

ベーシック・インカム入門 (光文社新書) Book ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

著者:山森亮
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生活保護の「捕捉率」というのがあります。統計によると日本の「捕捉率」は20%程度だそうです。これはどういうことかというと、生活保護を申請して通るのは10人中2人程度ということ。あとの8人は生活保護が必要であったとしても受けられない。極端な場合、おにぎりひとつ食べられずに死ぬことになる。他の先進国、たとえばイギリスなどは捕捉率80%を超えています。あのアメリカでさえ70%は行っている。日本だけが断トツで低い。こういう現状を作ったのは戦後半世紀以上ほどんどの期間にわたって政権を掌握していた自由民主党の責任であると思う。

本書は入門書ということで、これまでベーシック・インカムがどのように論じられてきたかを概説しています。社会運動や経済学、社会思想などさまざまな視点から多角的に紹介されているので、より突っ込んだ話が知りたければもう少し専門的な本を読んだ方がよいと思いますが、とっかかりとしては十分な本だと思います。

わりと硬い感じの本ですが、一か所だけ著者の心情が激しく表れていたところがありました。生活保護に関連した個所なんですが、「私はこうした現状に憤りを覚えざるを得ない。」と書いています。また、あとがきの最後の最後に「生き急いだ友人たちの思い出にこの本を捧げたい。」とも書いています。「ベーシック・インカム」に当初は懐疑的だった筆者がなぜこの制度を支持するようになったのか、おいらはむしろそっちの方に興味があります。


おいらもね、いつになるかわからないし、全然無理かもしれないけど、志なかばで斃れた仲間たちの仇を取ってやりたいと思ってるんだ。大学に入りなおしたのも、きっとそういう気持ちが心のどこかにあるからなんじゃないかと思うんです。

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2009年8月 9日 (日曜日)

【大学】スクーリングまとめ・その1

Photo 7月30日から8月7日まで、慶應義塾大学の夏季スクーリング(Ⅰ期)に出席していました。去年、一昨年と三田キャンパスでスクーリング(Ⅲ期)に出席しましたが、日吉キャンパスに来たのは今年が初めてです。なんだか公園みたいなキャンパスでしたねー。なかなかいい感じです。今回の講義はファンタジーの世界のお話だったんですけど、雰囲気に合っているような(笑)

今回受講したのは懸案だった英語(リーディング)と、哲学でした。哲学の方は文学部配当科目なので、他学部聴講ということになるんですかね。まぁ、法学部のおいらが受講しても卒業に必要な単位には加えられるようです。

英語の講義で読んだのは "The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring" でした。邦題では『指輪物語(旅の仲間)』ですね。映画にもなってますし、世界的に有名な作品です。残念ながら、おいらはこれまで読んだことがなかったんだけど。いやぁ、あらかじめ翻訳読んでおいてよかったですよ。読まなかったら相当つらいことになってたろうなあ。予習も大変だったし・・・。おいら、童話みたいなものも嫌いではなかったんですけど(なにしろ、高校生の頃は童話作家になりたいと思ってたくらいだから)、なんというか「剣と魔法の世界」のお話っていうのがいまひとつ苦手でねー。読む前はちょっとした偏見のようなものがあったんですね。

今回、『指輪物語』とその前の時代のお話である『ホビットの冒険』を読んでみて、多少考え方が変わりました。これらの作品には確かに魔法使いは出てきますけど、実は派手な魔法などほとんど、というかまったく出てきません。これまで自分が想像してきたものとはだいぶ違うお話であるということがわかりました。誤解したまま講義に入らなくてよかったと思いますよホント(笑)

この作品の作者はJ・R・R・トールキン。(John Ronald Reuel Tolkien: Jan. 3 1892 - Sep. 2 1973) オックスフォード大学の文献学者だそうです。本職の作家ではないんですね。もともと学者ということなので、『指輪物語』の設定にも彼が研究していた学問の影響がかなり強く表れています。地名であったりエルフ語であったり、とにかく設定が細かいんですね。エルフ語などは本当に完璧な「人工言語」になっていて、過去から現在(物語の時代)までにどのような歴史を経て音韻が変化してきたかなんていうところまで細かく設定されているようなんです。最近では日本のアニメーション作品でも独特な世界観があったり、ロケーションを行って現実に存在する街を再現してみたりと細かい設定が加えられているものがありますが、トルーキンの作品は間違いなくそういうものの先駆けになっていると思います。彼の作品は、細かくてリアルな設定のお話が大好きな日本人にも受け入れられやすいんじゃないでしょうか。

この作品の一つのテーマになっているのが「死」についてということでしたが、それにはやはりトルーキン自身の体験が大きく関わっているようです。彼は第一次、第二次と二度の世界大戦を経験し、かなり悲惨な経験もしたようです。そのあたりのことは講義の中でも何度か触れられましたし、『ホビットの冒険』の解説にも少しだけ触れられていました。『ホビットの冒険』では竜に湖の町が焼かれる描写が出てきます。その描写について後書きでは「まるで空襲のよう」と述べられていましたが、おいらは「ええ?そうなの?」と思って読んでたんですね。しかし、講義の中でトルーキンがソンム(第一次世界大戦の激戦地)で経験したことを聞いた後では、そういう解釈も自然に納得することができました。また、そういう知識を持って『指輪物語』を読んでいくと、このお話に登場する魔法の指輪というものが、おいらにも何か核兵器のように思えてきたんですね。強力な力を持ちながらも絶対に使うことのできない指輪。そしてその指輪をめぐる人たちの、極めて人間臭い物語。ファンタジーというのは決して子供たちだけに与えられる物語ではないというのを改めて実感した講義でした。ちなみに、この作品が大きなブームになったのは1960年代、ベトナム戦争の頃のアメリカ西海岸だったそうです。

で、英語の方ですが、これはホントにつらかった 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
本当に「精読」だったので、1ページ予習するのに30分くらいかかったりするんですよねぇ・・・。最初のうちは講義の進度が把握できなかったから5ページくらい読んでたし。日曜日なんか丸1日潰れたし。翻訳本も最後の巻(全部で4巻ある)が未読だったので気合で読みましたよ。2時間半で。おいらは本を読むのが早い方じゃないので当然新記録でしたよ・・・。 英語の予習が大変だったもんだから、哲学の予習復習がほとんどできませんでしたよ・・・。よく試験であれだけ書けたと思うよ。おいら、よく頑張った。今回だけは本当にそう言える(笑)

おまけに、おいら、何を勘違いしたのか初日に教科書を用意してなかったんですね(笑) 何か他の講義と間違えてた。必要なレジメは当日配るという形式の講義も結構あるんでね。初日にむちゃくちゃ美人のお姉さんが教科書貸してくれるっていうんで「ああ、それもいいかなぁ (*´∀`)」なんて思いましたけど、買って正解でした。自分の教科書がなきゃ絶対無理!!

・・・でも、ちょっとだけ惜しかったかなーw

それはともかく、『指輪物語』、かなり面白いですね。講義では第一部しか読みませんでしたけど、そのうちに続きが読みたいですね。ガンダルフが本当に死んでしまったのか、バラバラになった仲間がどうなってしまうのかとても気になるので(笑)

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2009年7月22日 (水曜日)

【普通の日記】日食と児童文学

うちのあたりではあいにくの天気だったので、日食は見られませんでした。それでも、太陽が一番欠けた時間帯には何となく薄暗くなった感じがしました。おいらは硫黄島からの中継をネットで見たんですけど、実際に見たら神秘的な光景だったんでしょうね。

日食っていうと、おいらは子供の頃に読んだ児童文学を思い出します。叔母さんに買ってもらった『ぽっぺん先生と笑うカモメ号』というお話でした。この作品の中で主人公のぽっぺん先生は、日食の日に嵐の海へホテルの部屋ごと投げ出されてしまいます。実は先生が部屋だと思っていたのは船だったんですけど、先生はそのまま海の彼方にあるという「アルカ・ナイカ」に不思議な力で導かれるというお話でした。太平洋のどこかにある未知の島「アルカ・ナイカ」への道は、日食の日にしか開かれないのです。

おいらは海の近くで育ったせいか、船の出てくるお話が大好きでした。この本も何回も読みましたっけ。それで、おいらも日食の日にどこか知らない世界に旅に出たいなあなんてことをぼんやりと想像したものでした。高校生になっても学校サボって海を見てたりしてましたっけ(笑) おいらは今、やっぱり海の近くで働いていて、今日も海を見ていたらそんなことを懐かしく思い出してしまったんです。

次に日本で見られる皆既日食は26年後だそうですね。おいらは・・・もうこの世界にはいないのかもしれないなあ。

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僕は知る
稲妻が二つに裂いた大空を
また竜巻を
逆潮を 潮道を

僕は知る
海に燃える夕映えを
小鳩の群がひと息に
飛び立つような暁を

そして
人が見た気でいたものを
僕はこの目でしかと見た


アルチュール・ランボオ「酔いどれ船」の一節。
訳詩:福永武彦


ランボオの詩を初めて知ったのは、この本でした。高校生の頃に読んでいたのは堀口大學先生の訳詩で、そちらも格調が高くて好きでしたね。長い詩でしたが、大学生の頃は全文暗唱できたんですよ。今はもうほとんど覚えていないんですけど・・・。

我は知れり、稲妻に砕くる天を、竜巻を、
海嘯を、潮流を、また黄昏を、
群れて立たんず鳩にも似たる、昂揚の曙を。
時にまた我は見たり、人のよく見難きものを。


訳詩:堀口大學
『ランボー詩集』 新潮文庫 昭和26年 80頁より引用


ランボオの詩はこのほかにも小林秀雄や中原中也といったような人たちが翻訳していて、それぞれ訳し方が全く違います。比べてみると面白いかもしれませんね。

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2009年5月28日 (木曜日)

【読書】働き方革命

この前の土曜日に、東京に行った帰りに買った本。

駒崎弘樹 『働き方革命-あなたが今日から日本を変える方法』
ちくま新書 2009年


確かに仕事っていうのは生活のためにするものではあるんだけど、すべて自分(または家族)のためということではなくて、どこかで社会とつながってないとまずいと思うんですよね。ちょっと前にも似たようなエントリーを書きましたけど、仕事というのは自分の周りの人を幸せにするためにするものなんでしょう、きっと。

おいら、こういう話を読むたびに、昔の上司や友達のことを思い出すんです。おいらが電話工事の仕事をしていた頃の師匠の口癖は、「どないしたら喜んでもらえるやろか」でした。常に仕事の完成度を気にしていました。彼が考えていた完成度の高い仕事とは、見た目の美しさばかりではなく、その仕事を見てお客さんが満足するかどうかが基準になっていました。仕事がちゃんとできるのは当たり前の話で、それ以上に人を満足させることを、おいらたちにも求めました。仕事を通じて人を幸せにするということにこだわっていたのかもしれません。考え方としてはとても正しかったと思います。

しかしあまりにも完璧を追求してしまったためか、師匠は過労死してしまった。奥さんと子供を残して。30代後半で。お客さんを喜ばせようと必死だったのはよくわかるんですが、結局、自分の最も身近な人たちを幸せにすることはできなかったんです。バランスが悪かったんですね。そうやって亡くなってしまった人を、おいらは何人も知っています。「働く」というのが一体どういうことなのか、おいらもたまによくわからなくなります。

こういう、「働き方を変えよう」という話が出ると、必ず「それは理想論である」という批判が出てきます。本書の終章でも、著者と友人との間で意見がすれ違ってしまっている場面が出てきますが、現段階では著者の友人の感覚の方が一般的だと思います。昨日もニコニコ動画の生放送で共産党の志位さんが「サービス残業根絶法案」を提案しているというようなことを述べていましたが、一般の人はやはり「理想論」と捉えているんじゃないでしょうか。

しかし、それでも変わろうとする思いは必要なんだと思いますよ。おいらは天皇制存続派なので共産党支持ではありませんが、変える必要のあるところは変えなきゃならんと思っています。本書でも触れられていますが、人間は自分が思った通りの人間になるんです。思考は現実化するっていってね。その人間が寄り集まった社会もまた同じ。今が暮らしにくい世の中になってるとすれば、それは多くの人間がそういう社会を望んだからに他ならないんです。

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書) Book 働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)

著者:駒崎 弘樹
販売元:筑摩書房
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「働く」という言葉の意味は、「傍を楽にする」つまり自分の周囲の人を楽にするということらしいです。

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2009年5月26日 (火曜日)

【読書】アニメ文化外交

土曜日に東京に行った帰り、高速バスの中で読みました。

櫻井孝昌 『アニメ文化外交』 ちくま新書 2009年

TAF(東京国際アニメフェア)の記事にもちょっとだけ書きましたけど、日本文化が世界に広まってくれると日本の安全保障に役立つんです。3月21日の記事参照

世界各国の若い人たちを中心に日本に対する関心がかつてないほどに高まっていますが、日本に好意を持ってくれる人たちが増えるということは、それだけ外交がやりやすくなるということなんです。日本人が安全に海外へ出ていくことができるようにもなるし、逆に多くの外国のゲストを日本に呼ぶこともできます。

それにしても、ビルマの女の子が「やおい」を知っているとは・・・。予想以上の状況になってます。こんな座談会が開かれちゃうわけだ(笑)

"ボーイズラブ"文化は国境を越えた! - 「日米腐女子座談会」が開催
2009/05/24 マイコミジャーナル


今回読んだ本にも書かれていたことですが、日本アニメの世界への浸透具合というのは日本ではまだあまり知られていません。世界各地でアニメフェスティバルのようなものも開かれていますが、そういうものはあまり日本では報道されませんからね。大きなものになると数万人規模のイベントになるようです。

実際に日本のアニメがどの程度浸透しているものなのか、下の動画を見ればよくわかるでしょう。(ニコニコ動画の視聴にはアカウントが必要です。が、同じ画像はYouTubeにもあります(笑)



アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のテーマ曲に合わせて踊る海外のアニメファンの様子ですね。元のアニメ映像でもメインキャラクターが踊っているんですが、非常に滑らかな動きで、おいらも初めてみた時には驚きました。きっと彼らも同じように感じたんでしょうね。
ちなみに中東・アフリカ地域の映像はありませんが、この作品はそれらの地域の人たちも知っているはずです。


海外のアニメファンは「アニメリテラシー」の高い人も多いようで、たとえばボローニャ大学の学生さんなんかは「日本のアニメは暴力的であるという論調に対してどう思うか」という質問に対してこんな意見を述べています。

「アニメは暴力的ではない。一場面を取り出せばそう見えるシーンもあるかもしれないが、全体として多くのアニメは平和を訴えている」
(67-68頁より引用)


日本では『獣の奏者エリン』(NHK教育)で放送された処刑シーンに対してNHKに抗議した人もいたようですが、そういう人たちは作品の意図、というよりもそれ以前に「ものごとの本質」がよくわかっていないのかもしれません。


ところで、本書の中でアニメだけではなく声優さんについても触れられていた箇所がありました。実は、海外のファンの皆さんは「吹き替え」よりも「字幕付き」を好むんだそうですよ。吹き替えだと作品が台無しになっちゃうことがあるんですね。おいらもロシア版『GUNSLINGER GIRL』を見たことがありましたが、それはもう残念なことになってまして・・・。・゚・(ノ∀`)・゚・。 その気持ちはよくわかる(笑) 以前は海外の人がなぜ日本の声優さんのことを知っているんだろうと不思議に思っていたこともありましたが、よく考えればそんなに不思議なことでもないんですね。しかし、子供にも日本アニメを見てもらうということになると、海外でもちゃんとした吹き替えができる体制を作る必要はあるんじゃないかなとは思います。

そうするためには「日本人声優さんに英語を勉強してもらうか」「外国の人に声優さんとしての技術力を磨いてもらうか」の選択になるわけですが、これはやっぱり後者の方がいいんだろうと、おいらもそう思います。沢城みゆきさんみたいにきれいな発音の英語を話せる人はいいんですが、そういう人ばかりではないですからね。ただ、声優さんというのは世界的に見ても特殊な職業なので、これを世界に広めるとなるとかなり大変だろうと思います。官民学が連携して支援する必要がありそうですね。

ちなみに下の映像は北米版『コードギアス 反逆のルルーシュR2』の予告編です。各キャラクターはアメリカ人声優さんが演じているわけですが、日本の声優さんの雰囲気にかなり近いものになっています。



とにかく、アニメ、特にインターネットと結びついたアニメというのは今や世界的に無視できない影響力を持っているコンテンツです。これをうまく生かせれば日本外交に有利に働くのは間違いないでしょう。せっかくアニメを通じて日本を好きだと言ってくれる人が増えてきているんですから、アニメなどのポップカルチャーを世界戦略の一つとして組み込むのもありなんじゃないかと思ってます。かつてベルリンの壁は、東西の経済と文化の交流によって破られました。もしかするとアニメとインターネットにもそういう力があるかもしれない。

・・・卒論、アニメ外交にしちゃおうかなあ(笑)


おまけ:

第5弾くらいまであるシリーズなんだけど、かなり笑える(笑)
どんだけ日本アニメに詳しいんだろうね、この人たちw

アニメ文化外交 (ちくま新書) Book アニメ文化外交 (ちくま新書)

著者:櫻井 孝昌
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2009年5月 8日 (金曜日)

【読書】ザ・ディベート

ゴールデンウィークの間に読んだ本です。去年買ったんだけど、そのまま忘れていた本なんですけど。そういう本がまだ何冊もあるんですよね・・・。

『ザ・ディベート-自己責任時代の思考・表現技術』
茂木 秀昭 ちくま新書 2001年


おいら、人と議論するっていうのがものすごく苦手なんですよね。今はもうそういう機会もないんだけど、大学生の頃は本当に苦労しました。何を話していいかわからなくて、頭の中が真っ白になって固まっちゃうんです。今でも夢でうなされることがあります。おいらはおそらく発達障害であろうと思われるので、こちら方面の能力を磨くのはもともと難しいのかもしれません。「であろう」というのはどういうことかというと、おいらくらい年齢がいってしまうと正しい診断がほぼ不可能になってしまうので、推定するしかなくなってしまうんですね。まぁ、蛇足なんですけど。

おいらが通っていた早稲田大学というのはもともと弁論が盛んな学校だったせいか、ゼミ対抗ディベート大会みたいなものもありました。そこで見たディベートの印象もあって、ディベートというのは「相手を議論でねじ伏せる弁論術」だとおいらも思っていたんですけど、今回この本を読んでみて、どうやらディベートというのはそういうものではないということをようやく理解しました。おいらは人とうまく会話がかみ合わないところがあったので、議論そのものがトラウマになってたんですね。バイアスがかかっていたわけです。

それと、もうひとつ改めて理解したことがあります。議論を戦わせるには下準備が欠かせないということ。ディベートをするにはまずテーマを決めて、肯定側はそのテーマ(たとえば「死刑は廃止するべきである」など)を肯定するための資料を集めないといけません。それと同時に反論に対する対策も練らないといけない。もちろん否定側は否定側で同様の作業を行います。おいら、今は慶應義塾の通信制でレポートを書く機会がありますが、これはレポートを書くときの準備作業とほぼ同じなんですね。ということは、ディベートの技法をレポートや卒業論文作成に応用できるではないですか(笑)

著者も

「私の大学時代には、ディベート未経験の学生が卒論を書くのに一年かかるところ、ディベートの経験者なら半年で書けるとよく言われたものです。」(89頁より引用)

と述べています。おそらくそういうものなのでしょう。
ちなみに著者の出身大学は慶應義塾大学です。先輩でしたか(笑)

まぁ議論の方はともかく、おいらもディベートの技法をレポートなどに生かしていきたいと思いますよ。いい本読んでよかったなあ。

ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術 (ちくま新書) Book ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術 (ちくま新書)

著者:茂木 秀昭
販売元:筑摩書房
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2009年5月 5日 (火曜日)

【過去記事】人口減少社会

今日は、こんな記事を読みました。

28年連続で減少=子どもの数、1714万人-総務省
5月4日17時26分配信 時事通信
記事へのリンクはすぐに切れると思います。


おいらはココログに引っ越してくる前にLovelog (DION) の方でブログを書いていたんですが、引っ越してくるときにデータをうまく移行できませんでした。こっちに引っ越してきてすぐの頃は少しずつ記事を移動させようとしていたこともあったんですが、面倒くさくてやめてしまいました。今回は久しぶりの移植記事です。

少子化については引越し前のブログの【読書】カテゴリで何回か記事にしたことがあったのを思い出したので、少し長いですが加筆・修正しながら移植してみます。

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今日は平成19年12月26日、水曜日。

前に読んだ『人口減少社会の設計』と一緒に買った本です。

『論争・少子化日本』 川本敏 編 中公新書ラクレ 2001年

少子化に関する論文を集めたものです。肯定派・否定派両方の論文が掲載されています。ただ、ちょっとデーターが古いんですけどね。現在の日本の合計特殊出生率は1.32です。(2007年6月6日発表。ちなみに1999年の合計特殊出生率は1.34でした)これでも6年ぶりに上昇した数値ということですから、かなり急激に少子化が進行しています。
(2008年発表の合計特殊出生率は1.34を回復していたようです。これは団塊ジュニア世代の出産が一時的に影響していたようで、今後は再び低下に転ずると思われます。平成21年5月5日加筆。)

おいらは地球の人口は多すぎると思っているので、少子化の進行には反対ではありません。しかし短期的に見れば労働力の減少による経済活動の停滞などの問題が出てくるので、小人口安定社会を構築する前にこういった問題を何とかしなければならないとは思っています。

地球上の資源は有限ですから、世界経済が右肩上がりで発展していくことは残念ながらありません。最近ではアニメーション作品にも登場する話題ですが『機動戦士ガンダム00』、平成21年5月5日加筆)どこかの時点で必ず資源の奪い合いに発展します。そういう紛争を避けるために、世界人口は少なくしていく方向に誘導する必要があるだろうと思うんです。経済を最低限維持できる人口を確保しながら、ソフトランディングを目指すわけです。「適正な人口」というのがあるはずなんですね。

しかしながら、これまで人口減少に関する文章をいくつか読んでみて気がついたのですが、その多くは人口を増やす方向でのみ語られています。そして人口を増やすにしてもどの程度の人口まで増やせば適当なのかということについて語られていません。このあたりが不満に感じるところなんです。まぁ、おいらはむしろ減らさなきゃならないと思う派なんですけどね。では、日本の適正な人口っていうのは一体いくらくらいなのでしょうか。

今回読んだいくつかの論文の中で、食糧自給の観点からみて日本の適正人口はおよそ3000万人であるというものがありました。(「少子化ニッポンは「農園都市国家」をめざせ」高橋秀之日本大学教授)幕末の総人口がだいたいこのくらいですね。ただし、これは食料完全自給の場合ですから、実際にはもう少し多くても大丈夫なのではないかと思います。

この前読んだ『逆説の軍隊』の中で、「戦争のラチェット効果」という用語が出てきました。国家財政の規模は戦争のたびに大きくなり、戦争が終わっても元に戻らないという説です。そしてこの説は人口についてもあてはまるのではないかということでした。幕末に3000万ほどだった日本の人口は、日清・日露戦争を経て大正元年(1912年)には5000万を超えています。45年で7割増しです。かなり急激な変化ですね。

昭和20年(1945年)、日本の総人口は約7000万人でした。それが3年後の昭和23年(1948年)に8000万人、11年後の昭和31年(1956年)には9000万人を超えています。海外からの引揚者の流入という特殊事情を考慮したとしても異常な人口増加です。そして敗戦から22年目の昭和42年(1967年)、日本の人口は1億人を超えました。この年は大正元年から55年目にあたりますが、約半世紀で人口が倍になったわけです。ラチェット効果の発動かどうかはともかく、かなり不自然な増加のような気がします。これでは食料自給率の増加が人口増に追いつくわけがありません。

現在の日本の人口は近代化の過程で短期間に急増したものですから、急激に減少することもまたありえます。平均寿命を考えれば、ある時期に大量に生まれた人口は、ある時期に大量に減少することも予想されます。現代の日本は、戦争遂行と敗戦後の復興のために無理矢理かさ上げされた人口を、適正な人口に戻す時期に来ているのかもしれません。個人的な意見を言えば、5000万人~6000万人くらい(つまり大東亜戦争以前のレベル)の人口が適当なのではないかと思います。 食料自給率50%程度ですね。

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最後の「食料自給率50%」の部分には、実は根拠がありませんでした。幕末の時点での総人口3000万人を100として、6000万人ならば50であろうと単純に書いてしまいました。しかし、その数値にはその後の農業生産性の上昇というものが考慮されていないので、実際にはもう少し食糧自給率は高くなるはずです。

冒頭に出した時事通信の記事にはユーザーのコメントがつけられるようになっているんですが、まさにおいらと同じようなことを考えている人もいるようです。政府は人口を増やせというが、どれだけ増やせば適正なのか。政府はその数値を国民に示すべきだと考えます。少なくともわが国に国家戦略が存在するならば、日本政府が我々国民の問いに答えることは難しいことではないはずです。

ちなみにソースは忘れましたが、昭和13年(1938AD)に厚生省が設置された際、昭和30年(1955AD)の日本の総人口を1億人と計画していました。満州、朝鮮などの支配地域を含む日本の国土を防衛するために、最低限それくらいの人員が必要であろうという試算です。厚生省というのはもともと計画的に人口を増やすための機関だったんですね。それもひとつの国家戦略だったんです。現在の厚生労働省は旧厚生省の持っていた戦略の内容をすっかり忘れてしまっていながらも、形だけは守り続けているのではないかと危惧します。時代が変われば戦略も変わるんですから、これまでとは違う選択肢も考えてもらいたいと思うんですね。

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2009年3月24日 (火曜日)

【大学】日本外交史Ⅱ

今はレポートを書くために参考文献を読んでいる段階です。
とりあえず今日までに2冊読了。
かなり飛ばし気味に読んでいるので、レポート書くときにもう一回読まないといけませんが。

入江 昭 『新・日本の外交 地球化時代の日本の選択』 
中公新書 1991年

添谷 芳秀 『日本の「ミドルパワー」外交-戦後日本の選択と構想』
ちくま新書 2005年


今回のレポートでは1960年代の日本外交について考察するわけですが、戦後日本外交には構造的な歪みがあってわかりにくい部分があります。まだちょっと頭の整理がついていないような感じですね。

明日からはもう一冊読みはじめます。本当は概説書を先に読むべきなんですけど、順序が逆になってしまいました。

五百旗頭 真(編) 『戦後日本外交史』 有斐閣アルマ 1999年

他にも読まなきゃならない本が何冊かあるんですが、それは大学図書館で探した方がいいかもしれないなぁ。


この前東京へ行った時、久しぶりに早稲田の古書街を歩きました。そこで日清戦争当時の外務大臣だった陸奥宗光が著した『蹇蹇録』(けんけんろく)の文庫本を入手しました。先週書いた外交史Ⅰのレポートの補足として使いたいと思います。

今回買った岩波の文庫本は発行が1983年なんですけど、見た感じがいかにも「古本」って感じなんですよね。全体的に赤茶けてて、ものすごく古そうに見えるんです。1983年といえば26年前。考えてみれば、四分の一世紀越えてるんですよねえ・・・。
実際古本なんだろうけど、なんだかちょっとショックでした (ノ∀`)

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2009年2月 1日 (日曜日)

【読書】回復力

数日前に読んだネットの記事で経済学の中谷巖先生が懺悔してらっしゃいましたが、そのインタビューのなかで「日本は米国についで貧困者に冷たい国」と述べられていました。しかしながら、アメリカの破産法などは日本に比べると遥かに緩やかな内容のものですし、実力主義のアメリカ社会においてさえ敗者を必要以上に追い込まない仕組みが存在します。そう考えると先生のご認識は残念ながら甘いといわざるを得ず、日本は事実上、「世界で最も敗者に厳しい国」というのが妥当だと思われます。

『回復力 失敗からの復活』 畑村洋太郎著 講談社現代新書 2009年

畑村先生といえば「失敗学」。失敗とどう向き合うかというお話です。おいらは近代日本政治史で卒論を書こうと考えているので帝国日本の失敗について考えるのは避けて通れないわけですが、参考になりそうな本でした。

失敗した人っていうのは、すぐには立ち直れません。どんなに強い人でも動転して間違った判断や行動をしたりするというのはよくわかります。そういう状態の時に無理に力を出そうとするのが如何に危険かということも。

おいらもしばらく立ち直れなかったことがあります。何とか命だけは失わなかったけれども、社会的に死んだも同然でした。再び何とか歩き出せるまでには10ヶ月の時間が必要だった。その間、おいらは雨戸を閉め切った部屋で、昼も夜もわからない暗闇の中で過ごしました。

以前書いていた他のブログで、たまにいじめ自殺などに関する記事を書いたことがありましたが、おいらはそのたびに「つらかったら逃げてしまえ、携帯なんか捨ててしまえ」と書いてきました。おいらは間違ったことは書いていないと確信していましたが、それでも心のどこかで「そんなことを書いていいのだろうか」という思いもあったんです。しかし、同じようなことを考えてくれている人がいて本当によかった。苦しんでいる子どもたちに対して「逃げるなイジメと戦え」なんていうのは、「死ね」と言っているようなものだとおいらは思っているんです。

確かにハードルを乗り越えることは大事なことだと思いますが、あまりにも高いハードルは乗り越えることができない。そして、乗り越えられるハードルの高さは人によって違うんです。人に対して「頑張れ」というのは悪いことではない。しかし、その言葉は「手伝ってあげるから一緒に乗り越えてみないか」という意味か「人に頼るな、自分で何とかしろ」という意味かで内容が大きく変わってきてしまいます。その言葉は、人の命を奪うのに十分な言葉なんです。

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書) Book 回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)

著者:畑村 洋太郎
販売元:講談社
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2009年1月27日 (火曜日)

【読書】アベンジャー型犯罪

去年は100冊読書の目標を達成できませんでしたが、本自体は今も読んでます。
記事にする時間はなかなかありませんが。

『アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する』 
岡田尊司著 文春新書 2009年

「アベンジャー」とは復讐者のことです。社会から阻害された者が、その孤独や怒りを社会に転嫁し、無差別的な犯罪に向かうということ。今年はなるべく暗い話を書くまいと思っていたんですが、どうやらそうもいかないようで。

こういう犯罪は、その犯罪を犯す本人の個人的な資質によるところも大きいんですが、本書で述べられている通り周囲の環境による影響も無視できないものだと思います。ゲーム等バーチャルな世界が特に若い世代に対してどのような影響を与えているかはまだよくわからないところも多いですし、さらに研究の余地はあろうかと思いますが、おいらも概ね著者と同じような意見です。「共感力の崩壊」という点については、おいらもブログで何回か記事にしたことがありました。

本書を読んで何よりショックだったことは、おいら自身がこういったアベンジャー型犯罪者と共通する要素を持ち合わせているということでした。人と通じ合うことが少なく孤独な少年。アベンジャー型の犯罪者に共通するいくつかの資質的な条件や環境的な条件が挙げられていましたが、おいらにも当てはまる部分がかなりあるんです。

しかし、おいらは人を殺さなかった。辛うじて自ら死ぬこともありませんでした。若干壊れてしまってはいるけれども。彼らとおいらの一体何が違うのか、はっきりとはわかりません。ネットやゲームのない世界に生まれて育ったというのも、ひとつの要因だったのかもしれない。おいらたちが子供だった頃、日本はまだ今ほど過酷な市場原理の働く社会ではなかったということもあるのかもしれない。

以前、このブログでも市場原理主義の社会を「持続不可能社会」と表現したことがありましたが、この本の著者も同じようなことを考えているようです。ただ、現在の日本の状況を変える方法として著者は国産品の積極的な購入を推奨されていますが、その点については実現がかなり難しいと考えます。例えばパソコンでも家電でも、ちょっと中身をのぞいてみればわかりますが、もう部品単位で外国製品が流れ込んでいるんですね。自分は国産品を買ったと思っていても中身は外国製品で構成されていたなんていうことは、今では当たり前のことになってしまっているんです。コンビニ弁当もそう。国産の食材なんてほとんど入っていないのが現実です。国産品を買いたくても、我々には選ぶことができないんです。国内製品を守るために海外製品に高い関税をかけることも、現状では非常に難しいと言わざるを得ません。そんなことをすればたちまち世界から孤立し、まさに鎖国状態になってしまいます。

それでも、アメリカで行われているような地域コミュニティ復活などの取り組みはやらなければならないという部分についてはおいらも賛同します。デストラクティヴ・イノベーションというやつです。些細なことでも何か始めなければ、我が国は本当に崩壊してしまう。

皆さん、タロットカードの「悪魔」のカードをご覧になったことはあるでしょうか。悪魔の姿とともに人間の男女が鎖でつながれている様を描いているのが、このカードの一般的な図案です。我々には、この悪魔の鎖から解き放たれる術は本当に残されていないのでしょうか。

Book アベンジャー型犯罪―秋葉原事件は警告する (文春新書)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
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2008年12月30日 (火曜日)

【読書】封建制の文明史観 (35/100)

やっとこさ35冊目。今年はもう無理(笑)

『封建制の文明史観』 今谷明著 PHP新書 2008年

ちょっと前に日本政治史(中世)のレポートを書いてたんですよ。この本を読んだのはレポートを提出した後だったんですけど、いろいろと興味が出てきたので読んでみました。1月に教場試験もあるし、何かの参考になるかもしれないしね。

日本はアジアの中にありながら、アジアの他の国とは文化的にかなり違う部分があります。むしろヨーロッパに似ている。その理由についてはいろいろな考え方があるわけですが、そのひとつとして日本と西ヨーロッパはともに封建制の時代を経験しているということがあげられます。日本の社会システムはもともとヨーロッパに近いので、そのおかげで他のアジア諸国に先駆けて近代化に成功したと言えるかもしれません。

かつて早稲田の学部学生だった頃、レポートを書くのに参考文献として梅棹忠夫先生の『文明の生態史観』(中公文庫)を読んだことがありました。そこにもやはり同じようなことが書かれていたのを思い出します。その時に、日本は「ファーイースト」ではなくて「ファーウェスト」なのかもしれないなと思いました。ヨーロッパを中心に世界を見た場合、日本はヨーロッパの最西端に当たると。対馬海峡の向こうとこちらは別の文明圏なんだろうなと。別にそれがいいとか悪いとかの話ではなくてね。

戦後の日本の歴史研究というのはちょっと歪んでいた時期があって、封建制についてもこれまで正しい評価がされてきたとはいえない状況です。もちろん新しい社会を作っていく過程でそれ以前の体制が否定されるというのは当然起こりうることなんですが、それが特定のイデオロギーと結びついてしまうと科学的な分析が難しくなってしまいます。近現代の日本社会は旧体制である封建制の上に成立しているものだと思いますし、現代日本の成り立ちを理解するには中世・近世をイデオロギー抜きで再検討する必要があると思います。

封建制の文明史観 (PHP新書) Book 封建制の文明史観 (PHP新書)

著者:今谷 明
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【読書】思考の補助線(34/100)

今年読んだ本の記事、34本目。
100冊読むっていっても、結構難しいですね。今年の正月は余裕だと思ってたんだけど。5月から6月にかけての繁忙期がネックだった。

それにどうしても社会科学系の新書に偏りがちで、小説みたいなものって読まなかったっけなあ。来年はそっち方面も読んでみようかと思ってます。

『思考の補助線』 茂木健一郎著 ちくま新書 2008年

この人の書いたものは雑誌ではたまに見かけてたんですけど、本で読むのは初めてです。脳と心の関係を研究されているとか。

思えば、人間の心って不思議ですよね。人間の脳を構成する物質というのは、化学的に分析が可能です。素粒子レベルまで解析してみても、ちゃんと物理的な法則に従っている。しかし、脳の組成は把握できても、その脳のどこに心が宿るのかわかりません。化学的に人間の脳とまったく同じ組成の人工脳を作ってみても、その脳に心が宿るとは思えない。宇宙の法則に極めて忠実に作られている器に、曖昧で、どう考えても不条理なものが入っているんです。

そんな不条理な人間の心だから、どんな考え方もありなんじゃないかと思うんですよね。一見何のつながりも無さそうなことを、敢えて結び付けて考えてみるのも時には必要なのかなと思います。そのためにはいろんなところにアンテナを張ってないといけない。大変なことなんですけどね。選択肢は一つではないということを、これからも常に頭においておきたいと思います。

思考の補助線 (ちくま新書) Book 思考の補助線 (ちくま新書)

著者:茂木 健一郎
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2008年12月 3日 (水曜日)

【読書】不機嫌な職場(33/100)

大学で産業社会学という科目があるんですけど、そのレポートに使えそうかなと思って読んだ本。今年読んだ本33冊目。

『不機嫌な職場』 高橋克徳+河合太介+永田稔+渡辺幹 共著
講談社現代新書 2008年


確かにね、職場での人のつながりが薄れているっていうのはあると思いますね。
実は今、おいらは自分の会社を離れて他の会社に派遣されているんだけれども、そこなんか極端でね。その事業所にはその会社の正社員が一人もいません。複数の会社から人が寄り集まっていて、雇用形態もバラバラだったりします。勤務の形態も賃金も一様ではないからやりにくいことはありますね。指揮命令系統が混乱したりしてね。今いるところはそれほど忙しくもなく、おいらにとってもあまりストレスがたまらない職場なんですが、これが周囲を顧みる余裕もないほど忙しい職場だったとしたら間違いなく人間関係が崩壊するでしょう。

かつておいらが心と体を蝕まれて再起不能寸前まで追い込まれた職場がそうでした。そこもやっぱりいろいろな会社から人間が寄り集まってできていて、お互いのことなどほとんど何も知らないような職場だった。だから隣の人がどんな人かあまりよくわからなくて。しかも機密性の高い情報を扱っていたのでなおさらでした。仕事も忙しかった。環境自体も非常に悪くてね。機密情報を扱う部署だから窓がなくて時間もよくわからない。昼なのか、夜なのか・・・。職場にたどり着くにはいくつかの生体認証もくぐらなければならなかった。(体重が変わると厳重に注意された)おいらは、人間ではありませんでした。機械ですらなかった。パーツだった。

程度の差はあるにしても、今はどこも職場に余裕がないようですね。(おいらは暇だけど。っていうか、もうあんまり働けない。)現代の日本のような状況だと労働者は孤立しがちになってしまうんでしょう。日本は先進国の中でも労働生産性が極めて低いですが、労働者が分解された機械のパーツのようになってしまっているところに問題があるんでしょうね。今回読んだこの本の中では「協力」というキーワードが出てきますが、パーツを組み立てなおす努力を早急に行うことが求められているように思います。

組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
(201頁より引用。)


おいらが慶應義塾の通信制に入学する時に書いた論述の内容は「共通体験」に関わることでした。インターネットの発達した社会では多くの情報がありすぎて、むしろユーザーは自分の興味がある情報しか選択しなくなるという。情報が多ければ多いほど、人間の視野が狭くなるジレンマがあるんですね。多くの人が同じ情報を共有しにくくなるんです。そういう状況を回避するには「共通体験」が必要であるという、アメリカの憲法学者の説があります。

誤解のないように書いておきますが、世の中をひとつの価値観で縛ってしまおうということではないんです。どう考えたって隣にいる人は自分とは違うんです。まず、そこをはっきりと認識しないといけない。その上で、その隣にいる人のことをもっとよく知って、その人の価値を認めないといけません。そして他人にも自分にも、その社会の中で与えられた重要な役割があるんだということも認めないといけない。機械のパーツからパズルのピースへ、ということです。

そういえば、おいらがよく訪れるブログにも最近、多様性に関する記事がありました。

社会を強くするもの (サステナ・ラボ)

多様な価値を認めることがこの国の労働生産性を高め、持続可能な社会を構築することを可能にすると、おいらは信じています。

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書) Book 不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)

著者:河合 太介,高橋 克徳,永田 稔
販売元:講談社
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2008年12月 1日 (月曜日)

【読書】負ける組織と日本人(32/100)

今年読んだ本32冊目。(大学の参考図書を除く)
まぁ、今年中に100冊はもうムリだなあ(笑)

『陸海軍戦史に学ぶ 負ける組織と日本人』 藤井非三四著 集英社新書 2008年

おいらは一応政治学科だし、しかも専攻を日本政治史にしようとしているから、この前の田母神論文の件から大東亜戦争のことが気になってるんですよね。一体、その当時どんなことが起こったのか。この本はそういう興味から手に取った本です。

まぁなんていうか、早い話が旧日本軍っていうのは戦争する体制になっていないんですよ。軍人を戦功で評価しないとかね。そういうところは現代の「日本風実力主義」にも非常に大きな影響を与えているような気もしますがね。

そもそも、陸海軍の連携が致命的にとれていませんでした。結局それが原因で緒戦に破れ、共倒れになってしまいました。それから陸海軍の中でも分裂していてですね、それもまた問題でした。陸軍は軍政を所管する陸軍省と軍令を所管する参謀本部に、海軍は海軍省と軍令部に分かれていてそれぞれ別組織であるというように、複雑なシステムになっています。東条英機は独裁者だと思っている人がいるかもしれませんが、彼でさえ最後まで海軍をコントロールすることができませんでした。なんというか、現場が勝手に戦争やってる感じです。
(東条英機ですら独裁者になれなかったんですから、一部の左翼が言うような「昭和天皇は独裁者だった」なんてことはまったくありえない話です。)

こういう戦前の教訓から、自衛隊では陸海空軍を一元的に運用する試みが始まっているようですが、統合幕僚監部が設置されたのは平成18年(2006年)のことでした。つまり、ほんの2年前ということです。驚くべき対応の遅さですね。この状態で戦争なんか勝てるわけがありません。そもそも勝つ気がないとしか思えない。日本には憲法9条があって正解だったと思います。今後も改正しないに越したことはないでしょう。

今回本書で興味を引かれたのは徴兵のシステムについてでした。日本の軍隊はあまり一般社会の階級というものが意識されず、ある意味「民主的」な組織だったということです。大地主の子供も小作人の子供も、軍隊に入れば同じ二等兵となって同じように古参の兵士に殴られるという。一方で海外、特にヨーロッパの場合は軍隊の中にも一般社会の階級が持ち込まれます。身分の高い人が戦争に行く時は大体士官クラスで行きます。しかも身分の高い人ほど率先して志願する。これは今でもそのようで、イギリスの王子様が志願してイラクの治安維持活動に行ったなんていうニュースもありましたね、確か。まぁ最前線に行ったかどうかは知りませんが、ともかくヨーロッパで身分の高い人たちは軍務に付くのは貴族として当然の義務だと思っているようです。人間にはそれぞれ与えられた役割があって、それを全うしなければならないという考え方。

おいらは身分制度にはどちらかというと否定的なんですが、それを共同体を作るうえで人々に与えられる正当な役割と捉えた場合は肯定できる部分もあるんじゃないかと思っています。まぁ、身分を根拠に公然と差別が行われるということになると非常に問題なんですが、だからといって階級をなくせば差別がなくなるかといえば、残念ながらそんなこともないと思いますよ。また新たな階級ができるだけ。それも、純粋に差別のための階級ができるだけだと思います。

ある意味「民主的」だったがゆえに暴力的になって破綻した旧日本軍ですが、そういう体質は現代まで継続しているような気がします。特に戦後の教育に形を変えて現れました。少なくともおいらたちの世代までは「みんな平等でなければならない」なんていう、極端な思想の下で育っている人が多いと思います。勉強のできる子の足を引っ張り、できない子は「努力が足りない」なんて罵倒する。最近ではやり口が以前よりもマイルドになっているらしく、小学校の徒競走ではみんなでおててつないでゴールするらしいじゃないですか。「みんな平等」っていうところは変わってないみたいですけど。

そういう教育が戦後の日本人にどういう影響を与えたんでしょうかね。個人的にはあまりよい影響は与えてこなかったように思います。日本は二度敗戦する。


余談。
おいらは共産党の主張にはわりと共感できるんですが、どうしても本格的に共産党を支持することができません。天皇制廃止を主張する政党は支持できない。そのあたりのことはまたいつか書きます。多分(笑)


陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人 (集英社新書 457D) (集英社新書) Book 陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人 (集英社新書 457D) (集英社新書)

著者:藤井 非三四
販売元:集英社
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2008年11月27日 (木曜日)

【読書】あの戦争は何だったのか(31/100)

今年読んだ本31冊目。
本当はもっと読んでるんだけど、大学のレポートに使う参考文献はあまりカウントしていないのでこの数字です。
(ココログへは2月の終わりに引っ越してきたので、それ以前に読んだ何冊かについては記事がありません。)

『あの戦争は何だったのか』 保阪正康著 新潮新書 2007年

この人の名前だけは知っていましたが、著作を読んだのは今回が初めてでした。
おいらの考え方にわりと近いと感じました。

あの戦争、大東亜戦争は一方的に日本が悪かったわけでも、一方的に日本が正義だったわけでもなかったと思います。しかし、戦前の日本は外交戦略で重大な失敗を犯したのは事実です。そして帝国を滅ぼし、300万の同胞を死に追いやった責任者が間違いなく存在する。戦後、我々日本人が本当にしなくてはならなかったのはただひたすら懺悔することでも自分勝手な正義を主張することでもなく、冷静に分析することだったはずなんです。

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書) Book あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)

著者:保阪 正康
販売元:新潮社

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2008年9月23日 (火曜日)

【読書】プロ弁護士の思考術 (30/100)

日曜日、試験の帰りに電車の中で読んだ本。
鈍行列車で行ったので、間が持たないかなあと思って駅の本屋で買いました。

『プロ弁護士の思考術』 矢部正秋著 PHP新書 2007年

おいらが現在在籍している政治学科っていうのはとても立場が曖昧な学科です。
例えば、早稲田大学では経済学科と一緒になっていて「政治経済学部政治学科」という構成になっていますが、慶應義塾大学では法学科と一緒になっていて、「法学部政治学科」という構成になっています。他の大学ではもしかすると人文科学系のカテゴリに入っている例もあるかもしれません。「法文学部」なんていう学部もあるみたいだしね。

政治学科に在籍しているといっても、慶應では法学部の一部として扱われているので法律の勉強もちょっとはしないといけません。まぁ、必修は憲法だけなので別にいいっちゃいいんだけど、卒業したときに「法学士」になるわけだから全然やらないってわけにもいかないような気がする。常々そう思っているので、自然と法律関係の本にも目が行くようになってます。それで今回は「法律の実務に携わっている人はどういうことを考えているんだろう」ということで、この本を手に取ってみたわけです。

大学の講義を受けると、たいがい言われるのは「自分の頭で考えろ、自分の意見を持て」ということ。これは早稲田でも慶應でも変わりがありません。もちろんその他の大学でもそう。ところが、この自分の頭で考える、オリジナルの視点を持つというのはそう簡単にできるもんじゃありません。おいらもこれから卒論を書かなきゃならないんですが、その数十、数百ページに及ぶ論文の中で、たった一行でも自分のオリジナルの意見を書くことができたなら、その卒論は成功であると言われています。自分の意見を持つというのはそれほどまでにつらく苦しいことなんです。普段書いているレポートだって、そう。

本書に書かれていたことですが、弁護士というのは「判断力を売る仕事」だそうです。人間相手の仕事だから、状況は刻一刻と変わります。同じ状況は二度と現れない。教科書的な知識や対応では太刀打ちできない世界です。常識に囚われない、本当にオリジナルな思考をを要求される仕事なんですね。その厳しさを今回あらためて認識しました。ただ誤解してはいけないのは、その「判断力」は単純に白か黒かっていう二項対立に対してのものではなくて、時には決断しない勇気も含めての判断力ということなんですけどね。「ナマクラ思考」もありなんです。

それと、この本では福澤先生の独立自尊の精神が引き合いに出されていたり、以前ブログで書いた事のあるハインリッヒの法則が出てきたりと、何か不思議な縁を感じましたね(笑) この前ちょっとだけ読み直した『零戦の秘術』にも通じるところがあったりします。仕事や経験が違っても、みんな結局行き着くところはひとつなのかもしれません。

プロ弁護士の思考術 (PHP新書 438) Book プロ弁護士の思考術 (PHP新書 438)

著者:矢部 正秋
販売元:PHP研究所
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2008年9月15日 (月曜日)

【独白】不器用な人間。

一つ前の記事で、ちょっと弱気とも取れるようなことを書きました。
多分、今からでも詰め込み式でガンガンやれば試験には受かると思います。
でも、どうしてもやる気が起きない。

二つ前の記事で『ストライク・ウィッチーズ』というアニメーション作品の記事を書くに当たって、『零戦の秘術』という本をちょっとだけ読み直しました。これは、おいらが電話工事の仕事を始めてすぐ、技能をあげるために必死になって練習を重ねていた頃に読んだ本だったんです。

その頃のことを、なんとなく思い出してしまったんです。

坂井三郎さんの書かれた本で『大空のサムライ』というのがあります。今は手元にありませんが、大学を卒業してすぐの頃にその本もちょっとだけ読んだことがありました。インドネシアに出張していたときに、駐在事務所に置いてあった本です。坂井さんの哲学というか思想に大きな感銘を受けました。

その当時、おいらは国際協力に関係する仕事に就いていました。海外営業部という、花形の部署にいました。以前、他のブログでその仕事を辞めた理由について面白おかしく書いたことがありましたが、ついに核心には触れませんでした。一般社会には守秘義務というものがあるからです。もちろん力量不足で仕事についていけなかったというのが主な理由でしたが、もうひとつ大きな理由がありました。

最近も発展途上国への開発援助で現地の役人に賄賂を贈った会社がありました。残念ながら、よくあることなんです。そうしないと仕事が取れないというのも事実です。おいらも、そういう現場に立ち会ったことがあるからわかる。

インドネシアに出張した時のこと。ある日、おいらは駐在事務所長に紙袋を手渡されました。現地の契約担当者に渡す「お土産」です。首都から90Kmほど離れたリゾート地に滞在している契約担当者にその「お土産」渡してくる仕事がおいらに回ってきたんです。

中身は50万ルピアの札束でした。賄賂としては少なめですが、それでも現地の人が半年くらい余裕で生活できる額だったと思います。その当時、ジャカルタの一般庶民の昼食代は300ルピアもあれば十分だった。残念ですが、海外での仕事はそれが当たり前なんです。

でも、おいらはどうしても納得がいかなかった。若かったっていうのもあるんだろうけど、みんなが当たり前と思うことを、おいらはどうしても当たり前のことだとは思えなかった。そんな時に、坂井さんの本に触れたんです。なんとなく、少し救われた気がしました。

それからしばらくして、おいらはその会社を辞めることになりました。辞めた当時はどうするか決めてなかったけれど、技能を磨いてできる仕事につきたいと、おぼろげながら考えていました。その後、その会社は海外事業から撤退したようです。ある国で行っていた贈賄がばれて、指名停止になったという記事を新聞で読みました。おいらの入社試験のときに面接で出てきた技師は、その事件で懲戒免職になったようです。

おいらはどちらかというと卑怯な人間の部類に入るんだろうと思います。
しかし、そんなおいらでも、心の中にどうしても譲れない部分っていうのが、あるんです。

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2008年9月 7日 (日曜日)

【読書】海の帝国(29/100)

これも大学の参考図書なんですけどね (^-^;A)
先月、甲子園へ行く途中の高速バスと新幹線のなかで読んだ本。

『海の帝国』 白石隆著 中公新書 2006年

おいら、早稲田の社会科学部では東南アジアについてちょっとだけ勉強していたことがあります。おいらが在籍していた当時、早稲田の社学っていうのは自分の専門は自分で見つけるシステムだったから、特にそういうカリキュラムがあったわけじゃなくて個人的に勉強していたということ。ゼミ(「演習」といって、講義とは違う発表形式の授業のこと)での発表は発展途上国問題や人口問題なんかをテーマにしました。だから、今回の夏スクーリングで受講してきた国際政治論(東南アジア)はとても懐かしかったんです。

一口に「東南アジア」といっても、とらえどころがないです。その中にある国はそれぞれ文化も違うし、歴史も違うし、政治体制も違うし、東南アジア全体に詳しい人っていうのはいないはずです。この本を読むと、この地域の多様性をあらためて考えさせられます。そんな多様な文化の集合地域なわけですが、それじゃあ「東南アジア」を学ぶ意味っていうのは一体どこら辺にあるんだろうかなんて思うんですよね。

本書の中でも、また講義の中でも出てきた言葉ですが「日本とアジア」、「アジアの中の日本」という二つの概念があります。従来の日本っていうのは「日本とアジア」という立場です。客観化、相対化されたものの見方で、つまり自分たちはアジアの一員だと思っていないということ。「わたし援助する人、あなた援助される人」。「あなたとは違うんです」みたいな(笑) どこか一歩引いている部分があるんです。それに対して最近急成長している中国はどうかというと、こちらは「アジアの中の中国」という立場です。これを日本は脅威と捉えている。恐らく中国は日本とはまったく違った価値観で東南アジア地域と関係を持とうとしているんですが、日本にはその価値基準というものがよくわからないので脅威に感じるというわけです。まぁ、思い込みだけじゃなくて本当に脅威な部分もあると思いますが。(それにしても、どこら辺が脅威でどこら辺が脅威じゃないのかすらよくわからないのは、とてもまずい。)

東南アジア研究というのはまだまだ歴史の浅い分野なんですが、今後は日本にとっても重要な研究分野になっていくはずです。それも、域内にある個々の国の歴史や体制を研究するんではなくて(それも大事なんですが)、「東南アジア」というシステムそのものを研究する方向でです。

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書) 海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)

著者:白石 隆
販売元:中央公論新社
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【読書】女になりたがる男たち(28/100)

この前、東京から帰ってくるときに高速バスで読んだ本。
わりとインパクトのある書名ですよね(笑)

『女になりたがる男たち』 エリック・ゼムール著 夏目幸子訳
新潮新書 2008年

おいらはフランスの政治にはまったく詳しくないんですが、現代はどこの国でも日本と同じような問題を抱えているんだなあということがおぼろげにわかります。

最近は女性の社会進出が進んでいますが、実は男の方が権力を放り出した結果だとしたら。そんな話も出てきます。物事を別の面から見るということではなかなか面白い本だと思います。流し読みしたから細かいところは覚えてないんだけど(笑)

本書の中で最後の方に著作者インタビューが載ってるんですが、なかなか面白いことが書いてありました。

これは私の説で、フェミニストが聞いたら怒ると思いますが、資本主義が女性を労働力として受け入れたのは、男性の給料を下げるためです。しかも資本主義は女性が働き、かつ消費することを要請する。働き、消費するには時間が必要です。どこからその時間を捻出したかというと、子供の教育を犠牲にしたのです。今日の学力低下の問題や若者による暴力の原因のひとつはここにあると思います。

172頁から引用。

これはフランスの話なんですが、80年代後半以降の日本にも当てはまる説だと思います。
男女平等社会の理念そのものは労働力強化という点でよいものだとは思いますが、どうも上手く歯車がかみ合っていないような気がしますね。小池百合子自民党総裁候補も何かの番組で言っていたと思いますが、女性は一度仕事を離れると元の仕事に戻るのが非常に難しい。その時点で平等社会とは程遠いわけですが、問題はそればかりではなく少子化の直接的な原因のひとつになっていることです。おいらはある程度人口が減るのには肯定的な意見ですが、急激に減るのはやはり問題があると思います。

とはいえ80年代以前のように男性が外で働き女性は専業主婦が当たり前のような時代にはもう戻れないと思いますし、労働力維持の観点からもそうあってはならないと思います。であれば、やはり男性も多少は女性の負担、例えば子供の教育なんかにもっと参加する必要があるのかなと思いますね。おいらの意見としては、男性の女性化、あるいは両性の中性化は避けられないものだと考えています。そういう状況を踏まえて社会を再構築する必要がある。現代はそういう時代なんだと思うんです。

つーか、おいらもマッチョ苦手だし(笑)

今度の自民党総裁選、もしも小池さんが総裁になったら、本当に「男が放りだした権力を女が拾う」ような構図になるなあ。

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2008年9月 6日 (土曜日)

【読書】逆説の日本史8 中世混沌編 (27/100)

大学の「日本政治史Ⅱ(中世)」のレポートの課題が応仁の乱の政治史的意義についてなんで、参考になるかなと思って読んだ本。

「逆説の日本史8 中世混沌編」 井沢元彦著 小学館文庫 2007年

昨日の近代史に続いて、学校で勉強してないシリーズ(笑)
確か高校3年の冬休み直前くらいだと思うんだけど、歴史の教師に「この辺、自分で読んどいて」って言われた。間に合わなかったんだね・・・。
っていうか、通信制かよ!!w (ノ∀`)

だから、おいらは室町時代のことってあまりよく知らなかったんです。乱世だし、人間関係が複雑だから特によくわからない時代だっていうのもある。この時代の研究自体も、実はあまり進んでいないらしいですね。乱世なので歴史的な資料が焼けちゃったりしてるんです。残念ながら。まぁ、京都丸焼けだしなぁ。そういう事情もあるので、あの歴史の先生もこの時代のことを教える自信がなかったのかもしれません。大学院まで行っている、わりと優秀な先生だったんだけどね。

それにしても室町時代、ホントにむちゃくちゃです。特にこの本に出てくる第8代将軍足利義政なんていう人は、政治家としては最悪なんで。まったくやる気なしでね、早く引退したいから弟を無理矢理に世継ぎ候補にするんだけれども、間が悪くて正室の日野富子が子供を生んでしまいます。そこで世継ぎをどうするかについてはっきりしなかったもんだから、結局、日本中を巻き込んだ内戦状態になってしまいました。応仁・文明の乱と呼ばれる戦乱です。で、この男、京都が焼け野原になっているときに何をしていたかというと、歌会に酒宴です。まったくもってやる気無し(笑)

遊び人の足利義政と比べるとちょっとかわいそうな気もしますが、安倍さんや福田さんの辞任を見ていると、今の日本は室町時代以来の乱世なのかもしれないなあと思います。ところでこの足利義政、遊び人なので(笑)、日本文化に対する貢献度に関しては評価が高いです。銀閣を造ったのもこの人ですね。「書院造」ってやつです。床の間の原型。それから、能楽の発展にも大きな貢献をしています。

現代に受け継がれている「日本文化」と呼ばれるものの源流は室町時代に求められることが多いようですね。生け花、茶の湯、それから将棋なんかもそうなんだそうです。本の中でひとつ興味深かったのは「将棋は戦争ゲームではなく、モノポリーのようなマネーゲームである」っていうあたり。確かにそう考えると、取った駒を再び使えるルールをすんなり理解できるんですよね。室町時代っていうのは貨幣経済が急速に発達した時代でもありましたし、そういう歴史的背景も影響しているのかもしれません。

室町時代、ちょっと面白くなって参りました(笑)



逆説の日本史〈8〉中世混沌編―室町文化と一揆の謎 (小学館文庫) 逆説の日本史〈8〉中世混沌編―室町文化と一揆の謎 (小学館文庫)

著者:井沢 元彦
販売元:小学館
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2008年9月 5日 (金曜日)

【読書】日本の近代(26/100)

いや、大学の参考図書なんですけどね(笑)
放送大学の教科書だそうです。こういうのもカウントしないと年間100冊読むのは・・・
多分もう無理なんだけどね (^-^;A)

日本の近代―国民国家の形成・発展と挫折 (放送大学教材)
鳥海靖著 財団法人放送大学教育振興会 2005年

おいらはamazonで買ったけど、一般の書店では手に入りにくい本かもしれません。
内容はとてもわかりやすいです。日本の近代史に興味がある方にはお薦めです。

おいらの高校だけだったのかもしれないけど、おいら、日本史ってちゃんと勉強してないんです。高校3年のときの配当科目だったんだけど、結局カリキュラムが消化できませんでした。江戸時代の後半ぐらいで終わりだった。黒船、来なかったし(笑) だから、実は近代史ってあまりよく知らなかったんですね。

だからこれまで知らなかったことや意外な事実が結構出てきます。例えば、「無産政党は戦時体制に反対していた」なんていう話。ウソです。まぁ、共産党は非合法だったのでそれ以外の社会主義を目指していた政党なんですが、彼らは戦時体制に協力しました。1938年(昭和13年)に成立した「国家総動員法」を、社会大衆党は支持したんです。

なぜか。
戦時体制っていうのは統制経済の社会ですよね。社会主義に近いわけです。国民の自由が制限されることは、社会主義への道を開く。彼らはそう考えたわけです。そして、この「国家総動員法」を立案した企画院には、転向した元社会主義者が多く所属していました。この法律は、社会主義者が作ったんです。そして結局、彼らの「革命」の成果は、大日本帝国の崩壊という形で現れたわけです。

おいらたちが教科書で教えられた(っていうか、高校で日本近代史なんてやらなかったわけだけど)歴史というのは、実はあまり正確ではないということがよくわかります。

それにしても、現代でも何を考えてるのかよくわからない政党ってありますよね。与党にくっついてるあの党とか。まぁ、言ってることは正しいこともあるんだけど、どうもイマイチ信用ができません。

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2008年8月 3日 (日曜日)

【読書】なぜ、働くのか(25/100)

先週は停電でルータが再起不能状態になったので、ネットにつながりませんでした。あらためて感じましたけど、インターネットがないと時間がとても長く感じます。

そんなわけで、平行して何冊か本を読んでいました。今回読んだこの本は字が大きかったので(笑)、平行して読んだ中では一番速く読み終わった本です。40分くらい。水曜日の朝、仕事に行く前に読みました。

『なぜ、働くのか』 田坂広志著 PHP文庫 2007年

何かの講演会の内容を文章に起こしたもので、とても読みやすいです。恐らく経営者向けの講演会だったのだろうと思われます。そういう人たちが仕事をするときの心構えについて語られているんですが、本書で語られていることの多くは他の立場の人たちにとっても当てはまることなんだろうと思います。ただ、「日本は他の国に比べて幸せ」といっている部分については多少違和感がありました。そもそも幸せなんて、他の国と比べようもないものだと思うんです。他の国と比べてみて幸せそうに見えたとしても、この国には「自分たちは幸せではない」と思う人が大勢いるのが現実です。「そう思ってはいけない」ということなんでしょうが、自分たちが幸せとは思えない何かがこの国には確かにある。そうでなければ年間3万人を超える自殺者が出たり、「街頭テロリスト」が大量に出たりはしないでしょう。そういう「幸せを妨げている何か」を取り除くには精神論だけではとても無理で、具体的な対応策をなんとか考え出す必要があるんだと思います。

ちょっと前に、「何のために勉強するのか」っていうような記事をいくつか書きました。あるアニメーション作品に関する記事が最初でした。ひとつには「自分の夢を叶えるため」、ひとつには「自分の身を守るため」、ひとつには「自分の大切な人を守るため」。しかし、これらを実現するにはその前の段階が必要なんです。「覚悟を決める」という前段階が。勉強をする最初にして最後の目的は、この「覚悟を決めるため」ということなのかもしれません。そこで「生と死について考える」ということになるわけです。

おいらは子供の頃、いじめられっ子で、ある事情からあまり他人の気持ちがよくわからない孤独な少年でした。現在の日本で凶悪犯罪を起こす少年少女たちにかなり近いと思う。しかし、おいらは他人を殺しませんでした。自分で死を選ぶことも、辛うじてありませんでした。おいらと彼らの違いについてよく考えることがあるんですが、最大の違いは生死感にあるんじゃないかと思います。

おいらの親の世代は第2次世界大戦を知っている世代です。親父なんか、東京の下町に住んでたから何度も死にかけてる。人間の命がいかに儚いものかっていうのを、両親からことあるごとに聞かされて育ちました。一度だけですが、おいら自身人が死ぬところを間近で見たこともあります。祖父を、見送りました。それから、友人の何人かは、もうこの世界にはいません。人間は、死ぬんです。極めて当たり前のことですが、そういう意識をもっているかいないかで行動が変わってくることはあるだろうと思うんです。

「もしもあと一日の命だったら」。それはおいらもたまに考えます。おいらは工事現場にいることが多いので、明日はこの世界にいないっていうことも十分ありえるから。通信の仕事をしている時は、感電の危険が常にありました。実際、何ヶ月かに1回は必ず事故速報がまわってきていました。人間なんてね、1Aの電流で即死です。その他にも墜落や酸欠、交通事故。おいらのまわりは危険がいっぱい(笑) 仕事で何十メートルも高いところへ登ることもありますけど、まぁ、落ちたら普通に死にますよね。人やものが上から落ちてきて巻き込まれるってこともある。それはもう、予測が難しいからしょうがないんだけど。

自分も、自分の大切な人も、明日はもうそこにいないかもしれない。

まぁ、おいらの場合はどう頑張っても死ぬ時に悔いが残るだろうから、特に頑張って何かをやるっていうことはないと思う。淡々と、普通に一日を過ごします。「ああ、今日のうちにあれやっときゃよかったなあ」なんて、考えないことにしてる。明日はもうできなくなっているのかもしれないけど、それでも明日やろうと思ってる。
五体満足な状態で帰ってきて布団に入ることができれば、それで十分です。志は低いのかもしれないけどね。


なぜ、働くのか―生死を見据えた「仕事の思想」 (PHP文庫 た 51-3) なぜ、働くのか―生死を見据えた「仕事の思想」 (PHP文庫 た 51-3)

著者:田坂 広志
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2008年7月27日 (日曜日)

【読書】蟹工船・党生活者(24/100)

(24/100)はダブルカウントなんですが、昨日読書カテゴリを見直してみたら同じ本の記事を二度書いてました(笑)

この間、大学のレポートに使えそうな本を書庫で漁っていたら見つけました。確か高校生の時に読んだんだと思います。この本、最近売れてるみたいですね。

『蟹工船・党生活者』 小林多喜二著 新潮文庫 昭和60年(六十八刷)

去年、勤めていた会社で「労働争議」が起きました。全然人が足りなくてね、給料は上がらないのに夜勤ばかりが増えていきました。1ヶ月の半分くらいが宿直だった。「通し」という、24時間勤務です。そんな状況に我慢ができなくなった人が、会社に対して交渉を持ちかけたんですね。その時、総務部長がその人を評してこういいました。

「共産党」

「共産党」というのは、21世紀の現代でも何か恐ろしく不気味なものの代名詞なんですね。会社に逆らって問題を起こす人は全て「共産党」(笑) 田舎では特にそうです。まったく時代遅れとしかいいようがありませんが。そういうおいらも、子供の頃はそういう感覚でした。共産党にはなにかとても胡散臭くて危険なイメージがありました。

おいらは子供の頃はいじめられっ子だったし、他の地域から流れ込んできたよそ者だったこともあって孤立していました。最近わかったことですが、おいらはどうやら発達障害児童であったのだろうと思われます。自分から友達を作ることも非常に難しかった。最近は若者による凶悪な犯罪が増えていて、その根底には漠然とした不安や孤独があるのではないかといわれています。人を殺すということについてはまったく理解できませんが、孤独でどうにもならないという部分については、おいらはなんとなくわかるんです。

小学生くらいの時はいくら学校をサボってもたいしたことにはならないんですが、高校くらいになるとそうは行きません。出席日数が足りないと退学になっちゃう。ある程度の日数は行かざるを得ない。(当時は大検なんて知らなかったし) おいらは周りの人が何を考えているのかよくわからない子供だったので、とてもつらかった。なんだかわけのわからない集団の中でストレスを溜めていったおいらは、

「みんな、ぶっ壊れてしまえ」

という暗い感情を抱えるに至ったのでした。

そこで共産主義ですよ。
危険思想の代名詞。今考えると本当に頭の悪い子供だと思いますが(笑)
この本を手に取った背景には、そういう気持ちがあったんですね。読んでいるうちにすっかり毒気を抜かれてしまいましたけどね。この本に描かれていた現実は、おいらの想像を遥かに超えていました。荒れ狂うオホーツク海で奴隷のように働かされる労働者。夢に出てきてうなされました。

「・・・彼奴等は、俺たちを殺せば自分たちの方で損するんだ。目的は―本当の目的は、俺たちをウンと働かせて、締木にかけて、ギイギイ絞り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺たちは毎日やられてるんだ。―どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」

『蟹工船』 92頁より引用。


当時はよくわからない漠然とした恐怖を覚えた作品でしたが、あらためて読んでみると現在の日本の状況と妙に重なり合って、恐怖というよりは怒りを覚えます。この作品が書かれたのは昭和4年(1929年)ですよ。79年も昔の話なんです。ところが、そんな昔の作品に自分の置かれた状況を重ね、共感を覚えるという若者たちが多いと聞きます。

この国の80年間は、一体何だったんでしょうか。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫) Book 蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

著者:小林 多喜二
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2008年7月26日 (土曜日)

【読書】仕事に役立つマインドマップ(24/100)

ブログ開設以来200本目の記事です。 \(^O^)/

大学の参考図書以外の本も読みたいなあと思って読んだ本です。昨日は久しぶりに仕事もなかったし、ゆっくり休養ができました。この本の帯に書いてあるキャッチコピーは、「仕事ができる人は、「落書き」がうまい。」です。ほら、うちのブログのタイトルって「落書きノート」じゃないですか。それじゃぁ読まなきゃなー。「落書き」つながりってことで(笑)

ところで、学生時代にノートの取り方を学校で教えてもらった人ってどれくらいいるんでしょうか。残念ながらおいらは教えてもらった記憶がありません。まぁ、不登校気味の子供だったので、おいらがいない時にそういう授業もあったのかもしれませんが(笑)

『仕事に役立つマインドマップ 眠っている脳が目覚めるレッスン』
トニー・ブザン著 神田昌典監修 近田美季子訳 ダイヤモンド社 2008年

簡単に書いちゃうと、絵を描くんですね。絵というか、図。木の枝か根っこのような図で、関連のある単語をつなげていくんですね。直感的にわかるし、確かに問題を整理するのには役に立ちそうです。学校でも教えればいいのに(笑)

そういうノートの取り方っていうのは、実はそんなに珍しいものではありません。おいらが大学生の時に(早稲田のほう)、「先輩」が似たようなノートの取り方をしていました。同じ講義を受けていたときに、横からノートを覗いてみたんです。おいらは罫線からはみ出さないように字を書いていくタイプでしたが、そいつは罫線なんかお構いなしで絵やら記号なんかをノートいっぱいに書いてました。高校から同じクラスで(おいらは1年間遠回りしたので、大学では彼の方が先輩になってしまった)、実はあんまり好きな奴じゃなかったんだけど(笑)、そのノートの取り方は参考にさせてもらいました。
企業の品質管理で使われるフィッシュボーンチャートとか樹状図なんかも、わりと「マインドマップ」に近いですね。

これは結構使えそうです。卒論を書くときに使えそう。日々の予定から受験勉強、事業計画までおおよそあらゆることに応用できそうです。今は日本政治史Ⅱ(中世)の勉強に取り掛かってますが、早速お絵かきしてみたいと思います(笑)

頭の中を整理することの利点のひとつは、考え方がポジティブになることなんですよ。本書の中でもひとつの章を「いじめを克服する」というテーマに割いています。直接的な解決につながるかどうかはわかりませんが、心構えを作るという点で「マップ」が役に立つことがあるだろうと思います。

ほとんどの起業家は、最後にようやく成功する前に平均5回は失敗しているそうだ。
(第5章 チームを成功に導く 133頁より引用)

人生は逃げるためでなく、生きるためにある。
(第6章 いじめを克服する 167頁より引用)

今回は2時間弱で流し読みしちゃいましたが、今後も参考にしたいと思います。

ところで、こういう「マインドマップ」みたいなの、DSかなんかで発売したら面白いかも。
一般企業の人だけじゃなくて、学校の先生や学生さんにも使って欲しいですね。
政治家の皆さんなんかもね。

仕事に役立つマインドマップ―眠っている脳が目覚めるレッスン 仕事に役立つマインドマップ―眠っている脳が目覚めるレッスン

著者:トニー・ブザン
販売元:ダイヤモンド社
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【読書】加耶と倭(22/100)

今年読んだ本22冊目。本当はもうちょっと読んでるんですが。
今回の本はこの前書いたレポートの参考図書のうちの1冊なんですが、レポートを書くに当たっては大学図書館で他にも何冊か読んでいるし、そういう本についてはいちいちカウントしません。

『加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学』 朴天秀著 講談社選書メチエ 2007年

ここで自分の意見なんか書いちゃうと学則違反になっちゃうので、詳しいことは書きません。

「加耶」っていうのは朝鮮半島南部にあって、紀元前から日本との交流があった地域です。おいらたちが子供の頃は、そこに「任那日本府」というのがあって植民地的支配を行っていたなんて言われていましたが、それはどうやら違うということが最近の研究では明らかになっているようです。

なぜ政治学科で古代の日本史を勉強しなきゃならんのかということですが、日本の外交スタイルの原型はこの頃に成立したものなのかもしれないということを考えると、古代の外交、特に対朝鮮政策を考えるのは無駄なことではないと思います。

出土品などの考古学資料を見ると、古代の日本と朝鮮諸国の交流というのはこれまで考えられていたよりもずっと多面的であったようです。ヤマトの王権が確立するまでの間、地方の豪族がそれぞれ独自に朝鮮半島諸国と交易していた形跡が残っていたりします。朝鮮半島に倭国各地の豪族が進出していたりもして、そういう人たちを埋葬した前方後円墳も加耶地域には見られるようです。

6世紀には朝鮮半島と独自につながっていた豪族たちが中央政府に対して叛乱を起こしたりもしましたね。筑紫の「磐井の乱」なんていうのもそう。そういう混沌とした状況で、ヤマト政権は朝鮮半島問題に対してどういう政策を取っていったのか・・・と、これ以上書くと学則違反で停学になってしまいます(笑)

本のほうですが、基本的に論文ですから読みやすくはないと思います。どこからどういう遺物が出土して、その結果どういうことが考えられるかという記述が中心になります。今回は時間があまりなかったので読み飛ばした部分も多かったんですが、おいら考古学は好きなので、時間があるときにもう一度読んでみたいと思ってます。なにしろ高校生の時の第一志望は明治大学の考古学専攻だったからね。

加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ 398) Book 加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ 398)

著者:朴 天秀
販売元:講談社
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2008年7月15日 (火曜日)

【大学】参考図書・・・

通信制の大学に在籍していて困ることはですねー、参考図書をどう調達するかなんですよ。図書館に行けばいいんだろうけど、普段結構忙しいからね。土日だって休みにならないことが多いから。

それで、ネットで買うかってことになるんだけど、大学で使うような参考図書って

バカ高いんです・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

古書でも高い。
産業社会学の参考書を買おうと思ったんだけど、高くてやめた(笑)
まぁ、暇を見つけて大学図書館に通うしかないかなあ。
基本的な参考図書だから慶應か早稲田の図書館には必ずあるんだろうし。

参考図書のひとつに指定されている『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(ウェーバー)、ずっと昔、大学に入りたての頃に読んだ記憶があるんだけど、見つからない。買いなおすしかないのか・・・。文庫だからそんなに高くはないんだけど、後から出てきたら嫌だなあ。

本棚をあさっていたら中学生から高校生の頃に読んだ本も何冊か出てきた。
今流行の『蟹工船』(小林多喜二)見つけた(笑) 後で読もうっと。
『赤毛のアン』(モンゴメリ)『十五少年漂流記』(ヴェルヌ)も見つけたので読もう。

早稲田の社学時代、レポートの参考図書として使った『大衆の反逆』(オルテガ)。
また使えるかもw

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2008年6月13日 (金曜日)

【社会】Republic of Nippon

最近、ネパールが王制を廃止して共和制に移行したそうです。
リンクはすぐに切れると思います。


この前、民主主義に関する本を1冊読みました。おいらもこれまでは共和制というのは君主制に対立する概念であると理解していたんですが、どうやらそうでもないようです。共和制だけれども王様がいるというのもありえる話らしい。まぁ、言葉の解釈の問題なんでしょうけどね。ルソーは『社会契約論』のなかでこんなことを書いています。

たとえどのような統治形態の下に置かれていようとも、私は、法によって治められる国家を、全て共和国と呼ぶ。なぜなら、その場合にのみ、公共の利益が指針となり、公共の事物(共和国)が実在の事物になるのである。

ルソーの定義によると、共和国というのは公共の物(みんなのもの)ということで、どんな体制がその理念を実現するかは問題ではないということのようです。

では、天皇制のある日本が共和国になることは果たして可能なんでしょうか。(戦前だったら大問題な発言・・・(笑) 尾崎行雄発言なんていうのもありましたね、そういえば。)
おいらは、理論的には可能なんじゃないかと思います。天皇家の方々も日本人には違いないからです。「みんな」の中に含まれる。一般の日本人と違って政治には関与できませんし、憲法によって権力の保持については厳しい制約が加えられていますが、その代わりに日本国の代表としての役割を与えられていますね。千数百年の歴史を有する一族の長としてふさわしい役割です。世界的なカリスマです。

一方で、天皇制を認めてしまうと日本国憲法の理念の一つである平等の精神を犯すことになりはしないかという懸念がありますね。特定の家系に特別な役割を与えるのは平等原則に反するのではないかということ。しかし、平等というのはどういうことなんでしょうか。人間、ひとりとして同じ人はいませんよね。違う顔、違う才能。生まれた時から不平等です。

人間が自由に競争すると、必ず敗者が出現します。競争だからそれはしょうがない。人より優れた才能を持って生まれ、より多く努力した人が勝つのはまず間違いない。しかし、そこにはひとつ問題があります。参加できる競技が限られているということ。

例えば、運動会。おいらは小さい頃、とても足が遅い子供でした。短距離走でトップになったことは唯の一度もありません。とにかく体が小さくて、まず歩幅で負けてしまう(笑) 残念ながら、走る才能を持って生まれて来ませんでした。しかし、そんなおいらでもひとつ、わりと得意な種目がありました。障害物競走。結局1位になったことはありませんが、2位、3位くらいにはなることができました。体が小さいことが有利に働いたんですね。もしも小学校の運動会に障害物競走がなかったら、おいらは運動会にひとつもいい思い出をもたぬまま大人になったことでしょう。

本当の平等っていうのは、戦った結果の平等ではなく、自分の特性を生かしながら競技に参加する自由を与えられることについての平等をいうのだと思います。ところが、今の日本社会にはそういう自由があまり認められてはいないようです。それじゃあ、自分の居場所は自分で作ればいいじゃないかなんていうことを言う人もいますが、実際にはそれはとても難しい。個人の力の及ぶ範囲を超えてしまうようなことも少なくないんじゃないでしょうか。もう、そういう考え方自体が「新自由主義的」とも言えます。

与えられた環境で自由に競争といっても、最初から弱い立場の人間が勝てるわけがありません。企業と労働者の関係などもそうです。対等ではありません。法律上は労使は対等ということになっていますが、現実には違います。本当に対等なら過労で死ぬ人なんかいないわけです。やはり、まったく自由な競争というのは国民を幸福にしないと思うんです。万人が万人に対して闘争する修羅の世界です。そういう状況を避けるためには、どうしても政府が最低限必要と思われる介入をしなければならない。それが「ソシアル」な社会ということなんでしょう。

天皇陛下に特別な役割が与えられるように、他の日本国民一人ひとりにも特別な役割が与えられ、可能な限り自己の能力が発揮できるような国。日本共和国。そんな国があったらどうかなあと、おいらはたまに想像することがあるんです。
そこは、不平等で、自由な国なんです。

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2008年6月10日 (火曜日)

【読書】民主主義という錯覚(21/100)

おいらは政治学科に在籍しているので、去年から政治学を少しずつ学んでいます。
(慶應義塾大学法学部通信課程乙類)
去年は必修の政治学で「三権分立」についてレポートを書いたり、秋の夜スクーリングで日本政治史を履修したりしましたが、今回読んだ本はよい復習になりました。現在勉強中の「憲法」の参考にもなります。

民主主義という錯覚 薬師院仁志著 PHP研究所 2008年

日本の場合はそもそも明治政府が成立した時点から「ねじれ」があったんですよね。西洋文明を取り入れて近代化を進めようとする政府が王政復古をするという。それは政治的に求心力が乏しかった維新直後の明治政府にとって仕方のないことだったのかもしれませんが、このねじれ現象が結局は大東亜戦争につながっていくんです。そのゆがみを正すわずかなチャンスは、大正時代に民主化の意識が高まった頃にあったと思うんですが、大正デモクラシーはついに「大日本帝国」の枠を超えることができませんでした。

法というのが「みんなの意思」を形にしたものであるならば、君主が定める欽定憲法は法ではありえない。本当にデモクラシーを求めるならば、まずはその憲法を変える方向に運動が進まなければならなかったはずなのに、大正デモクラシーはその憲法を守る方向に進んでしまったという。(「護憲運動」)これもやはり、近代日本政治史の「ねじれ」なんですね。

現代に目を向けてみると、「ねじれ」やら「ゆがみ」はいまだに解消していないようです。本書ではリベラルに対立する概念として「ソシアル」という概念が登場します。日本では自由民主党が一応「リベラル」の代表ということになっています。(「自由民主」だし)
では、自民党に対抗する野党が「ソシアル」かというと、それは必ずしもそうとはいえないような気がします。別にリベラル派に対抗する野党が必ずソシアルである必要もないと思いますが、リベラルな与党に対抗する勢力としては弱い気がします。国民が今の政治をみて「どの党も似たようなもの」と思ってしまうのは、このあたりに原因がありそうです。

もちろん、共産党のようにはっきりと他所とは違う政党もありますが、要するに極端すぎるんですよね。ソシアルの極北ですから(笑) 正直なところ共産主義はちょっと勘弁してほしいところがありますし、強いて言うなら「共和主義」くらいの政党があったらいいのになと思うんですよね。本書にも書かれていましたが、共和制と君主制は両立可能です。共和制というのは、言ってみればメタな考え方なので、実際の体制がどうであっても関係がないんです。まぁ、今の日本人が「みんなのための国」という考え方に共感できるかどうかはわかりませんが・・・。

そういえば、おいらがかつて卒業した早稲田大学社会科学部の大きなテーマは「自由と秩序は両立し得るか」でした。(と、入学直後のオリエンテーションで田村正勝教授が語っておられたような気がする(笑) 本書では日本の民主主義(?)を「水戸黄門的」と表現していますが、それは本当にそうだと思います。おいらが小さい頃から感じていた日本社会に対する違和感というのは、まさにそういう部分だと思うんです。そういう国に暮らしている国民が「自由と秩序」に思いを馳せ、「みんなのための国」を目指すのは容易な事ではないと思います。しかし、そろそろ新しい可能性について考えなければ、本当にこの国は壊れてしまうような気がするんです。

この前の秋葉原事件でも考えたんですが、この国は根っこの部分から歪んでいるような気がしてならないんです。

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2008年5月22日 (木曜日)

【読書】清沢洌 (20/100)

今年読んだ本20冊目。

戦前、一貫して日米協調を説き、最後までその考え方を捨てなかったジャーナリストがいました。

清沢洌―外交評論の運命 (中公新書) 北岡伸一著 2004年

清沢洌(きよさわきよし)。
学問に対して親類が無理解だったことから、この人は正規の高等教育を受けていません。16歳でアメリカ移民となり、以後亡くなるまで独学を続けた人でした。アメリカから一時帰国をして早稲田に合格したこともあったのですが、やはりスポンサーになってくれる人がいなかったために進学は断念せざるを得ませんでした。

清沢は国際問題などについて当時の日本人とは大きくかけ離れた感覚をもっていたようですが、それは移民前に学んでいたキリスト教系の私塾や移民後のアメリカでの生活が基礎になっていたようです。非常にリベラルな感覚を持った人でした。

ただ、彼の書く文章はあまりに理想主義的なところがあったために、右翼からも左翼からも攻撃されることになりました。彼の書く文章は誰にでも伝わるようにという意図から平易な文章で書かれていたことも多かったようで、それもまた彼の評論が軽く見られる原因になったようです。「わかりやすく書く」っていうのは、ジャーナリストの基本なんですけどね。大衆に迎合するというのとは全く別の次元の話です。

「忘れてならない一事は、日本と米国とは、好むと好まざるとにかゝはらず、永遠の昔から、永遠の未来まで、太平洋を隔てゝ、相対して生きねばならぬ運命の下に置かれて居ることである。(中略)隣人の間で、罵しり、怒り、争ふことが相互の幸福でないことを信じる私は、時々に見る米国及び米国人の暴若無人(ママ)の態度に甚だしき不満を覚え乍らも、出来るだけの互譲と諒解によって、両国の関係を善導したいと懸念する一人なのである」
54頁より引用。

現在もアメリカあるいは中国は、時に「傍若無人」の振る舞いをすることがありますし、おいらだって両国には批判的なことが多いんですが、だからといって平和に対する努力を諦めてはいけないと思うんです。北朝鮮に対してだってそうです。それがどれだけ理想主義的で偽善的に見えたとしてもです。理想を語らなければ、日々学んでいる意味がないじゃないですか。たとえどれだけ孤独に苛まれようとも、誰かが理想を語らなければいけないと思うんです。

しかし、清沢の言論活動は失敗に終わります。日本は結局アメリカと戦うことになってしまった。

「僕たちの努力が足りなかったせいだ」

昭和16年(1941年)12月8日、清沢はある自由主義者の会合でそう語ったといいます。戦争なんて、もちろん個人の力で止めようもないものです。しかし、日米協調を唱え続けてきた彼には、自分自身の無力がどうしても許せなかった。人から見ればおかしく見えることなのかもしれませんが、そのハートの熱さに感銘を受けました。

その日米戦争を招いた原因のひとつとして、清沢は「教育の失敗」を考えていたようです。

「教育の失敗だ。理想と、教養なく、ただ『技術』だけを習得した結果だ」
205頁から引用。
(『暗黒日記』 昭和20年2月15日)

そして、清沢はその反省を踏まえて、戦後日本に向けての新たな希望を書き残しています。戦前の言論活動は失敗に終わりましたが、彼は諦めていたわけではなかったんですね。

「日本が、どうぞして健全に進歩するように-それが心から願望される。この国に生れ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿るのだ。いままでのように、蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように-。(中略)僕は文筆的余生を、国民の考え方転換のために捧げるであろう。」
205-206頁より引用。

清沢洌は終戦を見ることなく、昭和20年5月21日、55歳の生涯を閉じました。
彼の最後の希望は、かなえられることなく終わったのでした。どれだけ無念だったことか、想像するに余りあります。彼がもし戦後も生きていたらどんな文章を書いたのか、それがとても気になります。吉田茂をどう評価したのか。日米安保をどう書いたか。ベトナム戦争をどのように切ったのか・・・。とても残念です。

清沢洌が亡くなって63年が経ちましたが、今も日本は内外に様々な問題を抱えています。現代の日本を考える時、彼の考え方が少しでもヒントになりはしないかと思うんです。

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2008年5月19日 (月曜日)

【読書】大正デモクラシー(19/100)

今年読んだ本19冊目。まぁ、記事にしないだけで実際にはもう少しだけ読んでるんですが。

今回もやっぱり大学の勉強で必要な本ですね。今は忙しいから参考図書を読むだけで精一杯なところがあります。

大正デモクラシー (岩波新書 新赤版 1045 シリーズ日本近現代史 4)
成田龍一著 岩波新書 2007年


日露戦争に勝った日本は、中国東北部(満州)の権益を手に入れます。大正期はその後に続く朝鮮半島の領有や第一次世界大戦を通じて、日本人が「民族」「国民」について強く意識するようになった時代でした。そういう意識の高まりが、政党政治の実現や大正14年(1925年)の普通選挙法成立へとつながっていきます。
ただ、当時の民主主義(民本主義)は結局のところ帝国日本の視座を超えることができず、やがて日本は全体主義の時代に進んでいくのでした。

近代日本人が成立したのはまさにこの時代なんだろうと思うので、現在の日本人の行動様式やものの考え方を研究する上で、この「大正デモクラシー」というのは絶対に避けて通れないトピックなんですね。

それにしても、日露戦争から第二次世界大戦までの間の日本外交には失策が多いです。なかでも対華21か条要求は致命的だった。火事場泥棒と言われても仕方がない。そりゃ、自分が中国人だったら怒りますわ。欧米もこの対華21か条要求に対しては強い不信感を抱きました。こういう国際社会での信頼失墜の積み重ねが戦争を呼び込んでしまった。現在の日本は戦前と似ていると言われることがありますが、同じことを繰り返さなきゃいいなと思います。まぁ、最近の日本は信頼失墜以前に影が薄くなっちゃって、国際的な影響力自体が低下しているといいますが。

さて、この「大正デモクラシー」を踏まえて、今読んでるのは『清沢洌』(きよさわきよし)。戦前のジャーナリストのお話です。

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2008年5月 7日 (水曜日)

【読書】「白村江」以後(18/100)

今日はむちゃくちゃ暑かったです。そろそろ屋外の作業がつらくなってくる時期ですねぇ・・・。しかもこれから繁忙期に入るから毎日相当きつくなります。熱中症に気をつけないといけません。

今回読んだのは、「日本政治史Ⅰ(古代)」のレポート対策として選んだ本です。

「白村江」以後 国家危機と東アジア外交』 森公章著 講談社選書メチエ 2005年

663年、百済(百済は660年に滅亡)を救援した倭国が白村江で唐・新羅連合軍に敗れるという、古代日本史ではおなじみのあれです。おいらが小学生の頃に習った時には「はくすきのえ」っていう読み方をしていたはずなんですが、いまは「はくそんこう」と読むらしいです。

当時から日本は外交下手(一国中心主義・個別対応)で、それが現代の日本外交にも少なからず影響を及ぼしているという説が興味深いです。その説を支持するには検討の余地はあろうかと思いますが、古代の日本史をなぜ今学ぶ必要があるのかということを考えると、一つの大きな理由としてあげることができそうです。歴史っていうのは、未来に生かされなければ意味がないですからね。(と、おいらは思います。)

次の科目は「日本政治史Ⅱ(中世)」ですが、その後は外交史も勉強してみるかなあ。
その前にレポート書かないといけませんが。

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2008年4月30日 (水曜日)

【読書】15-17/100

おいら、どちらかといえば肉体労働系の仕事をしてるんだけど、今日のは久しぶりにちょっときつかった。最近、運動不足ぎみだったから、体が固くなっちゃっててね~。

平日は仕事から帰ってくると、この時間(現在午後10時)くらいには眠くなっちゃうので、なかなか読書も進まなかったりします。

今年読んだ本15冊目。

日本の近代 5 政党から軍部へ―1924〜1941 
北岡伸一著 中央公論新社 1999年

1月の科目試験で落とした「日本政治史」の参考図書として選んだ本です。
日本で本格的な政党内閣が成立するのは大正7年(1918年)のことで、原敬内閣が最初でした。この後もう少しすると「護憲三派内閣」なんていうのが成立して、普通選挙が実現します。(大正14年:1925年) 戦前は暗黒の時代というような言われ方をすることもありますが、民主主義が進展した時代でもあったんです。

帝国憲法では天皇に強力な「天皇大権」が備わっていましたが、憲法の規定によれば天皇は権力を行使するに当たって国務大臣の輔弼を必要としていました。天皇が何か権力を行使したとして、それが仮に間違いだったとしたら、天皇はその行為に対して全責任を負わねばなりません。そうなることを避けるために国務大臣が天皇に代わって権力を行使するというような形になっているわけです。
そこで、議会で多数を占める政党が内閣を組織するようなことになれば、国民の代表である議員から選ばれた閣僚が、天皇に代わって権力を行使することができるようになるんですね。絶対的な君主主権の国でありながら民主的な政治を実現することができる。ほんのわずかな間ではありますが、戦前にも民主的な時期があったんです。

今年読んだ本16冊目。

原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政 (中公新書) 
川田稔著 中公新書 2007年


これもまた参考図書。
その政党政治に対する抵抗勢力が藩閥、なかでも長州閥でした。そして、その長州閥の巨魁が山県有朋。山県は立憲政友会(というか原敬)と対立します。いろいろなところで意見の相違があるんですが、なかでも外交戦略の違いが大きかった。政友会(というか原敬)は対米協調路線、対する山県は対露協調路線でした。日露戦争の後、第一次世界大戦までの間、日本はアメリカの中国大陸進出に対抗するためにかつて敵国だったロシアと協商を結んでいたことがあったんですね。第4次協商までありました。

ところが、第一次世界大戦の間に帝政ロシアが滅亡してソビエトになってしまった。藩閥側の路線は頓挫してしまいます。中国大陸での日本の権益を守るためには中国問題(当時中国は内戦中だった)に積極的に介入せざるべからずということで中国政府に援助を行ったりしますが、何しろ状況が混沌としていたので日本が援助した政府は潰れてしまいます。そういう八方塞で戦前の一時期、政党政治の下で国際協調、対米協調路線に外交路線が転換したことがあったんですね。それをそのまま維持できれば、日本は第2次世界大戦であれほどひどい負け方はしなかったのかもしれません。

今年読んだ本17冊目。

大人の見識 (新潮新書 237) 
阿川弘之著 新潮新書 2008年


昨日、寝る前に1時間半くらいで読んでみた。ちょっとずつ本を読むのも速くなっているような気がします。

歴史は、じっくり勉強しないとダメだそうです。よいダシを取るには強火でやっちゃあダメなんです(笑) エドワード・グレイ(イギリスの政治家)が示した「幸福の条件」っていうのが載ってましたけど、確かに「自分の生活の基準となる思想」は必要だと思いますね。


さて、今は「日本政治史(古代)」のレポート対策として古代史の本を読んでます。「白村江の戦い」なんていうのがありましたね。懐かしいなあ。

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2008年4月17日 (木曜日)

[Reading] The Little Entrepreneur

引越し前のブログには今もたくさんのアクセスがあるんですけど、海外の人も多いんですね。ほとんどはアニメカテゴリへのアクセスなんですが、たまに一般の記事にもアクセスしていく人がいます。そんな記事の中で、なぜかこの記事へのアクセスが多いんですよね。

ページタイトル:【読書】小さな起業家
2008年01月14日

アメリカイスラエルからのアクセスが多いです。この本の著者の方がイスラエル人っていうこともあるんでしょうけど。それで、なぜか皆さんweb翻訳を試みているようなんですね。そこでおいらもgoogleでこのページを翻訳してみたんですが、

メタメタでしたw (ノ∀`)

ほら、おいらのブログって、ほとんどの記事が完全口語体じゃん?w
機械翻訳は無理なんだって(笑)

しかし、せっかく遠いところを来ていただいたのにあの翻訳はあんまりだなあと思ったので、今日はちょっと頑張って英訳してみました。ちゃんとした英語になっているか、あまり自信はありませんが。

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Today is Monday on January 14, 2008.
It is Coming-of-Age Day. (Seijin no hi)

Entrepreneur.
I didn't have a particular reason to read this book.
I do not think becoming independent soon, but I might have to step into the direction living for myself without depending on the company organization in future.

When I was younger, it was so hard for me to make up good human relationship with somebody eles because of LD.
Having fallen behind other people who are in same generation in getting social skills, it was difficult for me to work in the office itself.
Now I can manage to live, but unfortunately, I have been forced to put up with economical unstableness led by that delay.
I'm afraid that it would be impossible for me to get married much less have a child as far as I live in Japan.
That is the reasons why I am anxious about future.

Furthermore, Japanese social security system lacks reliability these days.
Even though reaching to the age, we can't be paid a pension.
I must continue to work for the rest of life.
I'm always keeping such a thing in my mind.

So, what can I do?
I'm afraid that the manual labor, such like a construction for telecommunication system which I engaged in several years before, will be getting difficult nowadays.
I need to attempt to get more intellectual work.
Although thinking some choices now, I won't write here.

By the way, the book which I read last time.

The Little Entrepreneur - Happiness I find in my memories
Author: David Levi
Translator: Atsunori Asao
BUNKA-SHA co., Ltd. 2007

Though this is on the business category in the bookstore, this book doesn't simply include the know-how of the business.
(Intentionally, I selected such a book. ^o^ )

There are some small stories in this book the author has gotten inspiration from his experience in childhood.
He extract the lessons of life from the experience, for example, of opening lot shop in the elementary school or doing detective play.
I think this is interesting though I found a few parts of something like sophistry and contradiction.
Because of larger characters and colorful illustrations, this book looks like a picture book rather than the books for business.

優れた商品やサービスの提供を約束することでビジネスの可能性は広がるが、それはその商品が実際に存在し、誠実で信頼性の高いサービスが実際に行われることが前提となる。そうでなければただの詐欺行為であって、遅かれ早かれ非難を受けることになる。

(The possibility of the business will extend by promising to provide a superior article and service.
However, there should be the premise which needs the reality of the products' existence and of being executed high reliable service.
Otherwise it is an only fraud, and sooner or later you must be accused of it.)

Quoted by "MY FIRST RACKETEERING EXPERIENCE"

This is only natural thing, but I'm afraid it may be a difficult to be natural for today's Japanese people.
The stories written down in this book seem extremely natural and basic.
However, I think the author included a big message in this book indirectly by writing such a natural thing with a picture book style.
Is it too penetrative view ?  (^_^)

Same as the "A law of the progress" I wrote the previous blog article, it seems that the attachment to what somebody can do well may be one key of success.
And I think we need looking back on a past, too.
It is not negative action but positive. I have heard it will fix a memories and an arts.

I would like to write blog articles with the memories of my old days again. I might get some good "lesson of the life". (^o^)

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2008年4月13日 (日曜日)

【読書】1960年代の東京(14/100)

写真集なんですけどね(笑)
年間読書100冊っていうのが目標だったんですけど、今年はちょっと達成が難しそうなのでこういうものも含めることにしました。
懐かしいんですが、関東大震災の年を1937年と記載するなどの不備があったりします。恐らく大正12年と昭和12年を間違えて、それをさらに西暦に直したことが原因と思われます。編集のレベルは低いので、写真だけ楽しみました。)

1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶 
池田信(写真) 松山巖(解説) 毎日新聞社 2008年


2年くらい前に、不思議な夢を見たことがあります。
大きな川に橋が架かっているんですが、見覚えがない橋でした。道路の上には路面電車かトローリーバスの架線がかかっていて、なんだか外国の街みたいでした。

今回この写真集を見て、なんとなく記憶が甦りました。
夢の中で見たあの橋は、多分、おいらが小さい頃に住んでいた街の近くにかかっていた相生橋だったんだと思います。おいらがその町に住んでいたのは、1970年代でした。その頃はまだ、今回見た写真集の風景が残っていたんですね。

おいらは、故郷を失った人間です。
今住んでいる土地だって随分子供の頃から住んでいるんですが、どうしても自分の故郷とは思えない。おいらの故郷はやはり小さい頃に住んでいた東京なんですが、それはもう写真でしか見ることができない、その当時その街に住んでいた人たちの記憶の中だけに存在する街です。

おいらが小さい頃、隅田川には大小の船が浮かんでいて、そこに住んでいる人がいたりしました。運河も、今よりもたくさんあったと思う。道路には都電が走っていて、よく母親に連れられて銀座の三越に行きました。写真の中の風景は、今はもう遠い外国のようです。二度とは帰ることができません。面影すら、残っていない。

東京はかつて「東洋のベニス」と呼ばれていました。「ベニス」っていうのは、ヴェネツィアのことですね。例の、水の街です。最近もヴェネツィアが舞台になっているアニメ作品がありましたね。(まぁ、別の惑星の「ヴェネツィア」なんですが) 
東京はといえば、残念ながら水路を埋め立てて道路にしてしまいました。戦後の瓦礫の処理のために仕方がなかったということもあったようです。それはまぁ、しょうがなかったのかもしれません。景観に配慮する余裕はなかったんでしょう。(できれば東京湾の埋め立てに使ってもらいたかったですが。)
しかし、それにしても日本橋の真上に高速道路を通した設計者のセンスを疑う。

おいらは、たまに想像することがあるんです。
戦争が起こらず、瓦礫で埋め立てられることもなかった東京の運河。イタリアのヴェネツィアのように水路が整備され、観光客で賑う東京の姿を。おいらが決して生まれてくることがなかったであろう、その街の姿を。

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2008年4月 9日 (水曜日)

【読書】歴史とはなにか(13/100)

今年読んだ本13冊目。
とはいっても、今も憲法の参考図書を読んだり、日本政治史に関係する本を読んだりしているので、実際にはもっと読んでるんですけどね。
今日は、本の中身のお話じゃなくて、この本を読むことになった背景のお話です。

歴史とはなにか (文春新書) 岡田英弘著 文春新書 平成13年

E.H.カー(イギリスの歴史家)の著作ではありません。そっちはずっと以前、日大の史学科に入る前に読んだこともあるんですが、正直なところよく覚えてません。残念ながら。
それで、タイトル違いのこの本ですが、1年ぶりに読みました。実は、前に一度読んでるんですよ。去年、慶應義塾の通信制に願書を出す前に読んだ本の中の一冊だったんです。

おいら、今は慶應義塾の政治学科(法学部乙類)に在籍していますが、志望学科の選択肢は三つありました。ひとつは法学部乙類(政治学科)、二つ目は文学部Ⅲ類(文学)、そして三つ目が文学部Ⅱ類(歴史学)でした。政治学と国語国文学と歴史学とで、結局は政治学を選択しました。高校生の頃は文学や歴史が好きだったこともあって、そういうものをもう一度勉強してみようかなと思ったんですね。最後まで悩みました。

慶應義塾の通信制は出願の際に本を一冊読んで論評しなければならないという、一種の「入学試験」が課されます。形式的なものではなくて本気で選考の対象になりますから、落ちる人も少なくありません。その選考試験の対策として読んだ本の一冊だったんですね。おいらの場合は第3志望まであったので、それぞれの学科に対応する本を一通り読みました。

おいらが最終的に志望を政治学科に変えたのは、純粋に歴史を学ぶだけではなくて、その先のことを考えてみたいと思ったからでした。史実を知った上で、その史実を新しい時代を作るために生かすということ。それはもう歴史学の範疇を超えていて、むしろ政治学の領域なんですね。

おいら、最近よく思うことがあるんです。
一見正しそうに見える言説でも、それが必ずしも人を幸せにしないということもあるんだっていうことについてです。おいら、思うんです。

人間を幸せにしない知識や学問なんて、存在する価値がないって。



しかし、ここで念を押しておかなければならないことがある。それは、「よい歴史」が、他人に歓迎されるとはかぎらない、ということだ。人にはそれぞれ個人の立場があり、利害関係がある。完全に公平な「よい歴史」ほど、そうした個人の立場と衝突しやすい。これが国家と国家の関係ともなると、「よい歴史」は、それがよければよいほど、どの国家にとってもつごうが悪いことになりがちだ。つまり、「よい歴史」ほど、だれにも喜ばれない。だれにでも憎まれるおそれがある。
『歴史とはなにか』 221頁‐222頁より引用。

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2008年3月29日 (土曜日)

【歴史】会津の誇り

今、近代日本政治史の勉強をしているので、歴史の問題には多少敏感になってます。
それでネットで見つけたこんな記事。

会津若松市、TBSに抗議 戊辰戦争「糞尿たまり開城」
2008年03月28日20時20分 asahi.com

そりゃあ、会津の人たちも怒るでしょうよ。市長さんが抗議文をTBSに送ったようです。

本市の放送見直しの申し入れにもかかわらず、このような歴史を歪曲し視聴者に誤解を与える放送がされたことは、最後まで非戦の道を探りながらも、朝敵として戦わざるを得ない状況に追い込まれ、最後には無念の降伏をせざるを得なかった会津藩を愚弄し、引いては本市の印象を不当に貶め、義を貫く会津武士道に生きた先人と若松城を郷土の誇りとしてきた全ての会津人の心情を踏みにじるものであり、到底受け入れることができるものではありません。

会津若松市長・菅家一郎さんのブログに掲載されている抗議文より引用。

会津の人たちは偉いと思います。
おいらも奥羽列藩同盟や会津戦争のことは小説などで読みかじった程度なので実態については詳しくありませんが、大変に悲惨な戦争だったということは聞いています。戦争に至った事情も降伏に至った事情も、それぞれいろいろな要因があったのでしょうし、一言で語ることができるようなものではないと思います。歴史は、それほど単純なものではありません。全般的に見て、現在のTV局にはそういう認識が欠けているような気がします。

それに、幕末から明治初期に起きた日本の内戦はそれほど遠い昔の話ではありません。当事者は既に亡くなっていますが、その人たちの記憶を継ぐ者が生きています。子供の頃から当時のことをいろいろと聞かされているでしょう。地域社会に対する思い入れが違うんです。それは地方が東京化された現代でもいまだに強く残っています。都会の人にはわかりにくいことだとは思いますが。

おいらにしても会津戦争は決して自分と無縁な事件ではありません。
おいらの高曽祖父は安濃津藩郷士として官軍に従軍していました。官軍の先鋒として東山道を下った。三田の慶應義塾で福沢諭吉先生が経済学の講義を行っていた、まさにちょうど同じ頃、上野の山で彰義隊と戦っていました。祖父が生前語っていたことによると、そこまではほぼ間違いないようです。高曽祖父のその後の足取りははっきりしませんが、安濃津藩はその後、会津から箱館までの戦闘に参加しているので、高曽祖父は若松城攻略戦にも関わったはずです。

安濃津藩は明治2年(1869年)の6月に東京へ凱旋しますが、高曽祖父はそのわずか1年後、明治3年(1870年)旧暦8月15日に亡くなりました。死因についてはよくわかりませんが、もしかすると会津以後の戦闘での負傷が原因だったかのもしれません。命を賭けて戦ったんですから。新政府軍と旧幕府軍の違いはあっても、それは会津の兵も同じこと。そういう先人たちに対して、例の番組のなんと尊敬の念に欠けることでしょうか。

マスコミ(特にTV局)というのは、もともと軽薄なものかもしれません。今朝読み終わった歴史の本にも、こんな一文がありました。

しかし世論は三国同盟を賛美した。『東京朝日新聞』は、「国際史上画期的の出来事として誠に欣快に堪えざるところである」

日本の近代 5 政党から軍部へ―1924〜1941 
北岡伸一著 中央公論新社 1999年
349ページより引用

世界情勢を読む力も権力に対抗する気概も、何もありませんでした。
よくマスコミは「社会の木鐸」なんて言われますが、昔も今も風鈴の如きものと言わざるを得ません。もちろん、今回の件はバラエティ番組の話ですし報道とは関係ないとも言えるのですが、こういう娯楽番組っていうのはその会社のカラーが出たりしますからね。TBS自体が歴史問題にあまり配慮をしない組織なのかもしれません。

そういえば、先日も他のTV局で東京大空襲をネタにしたドラマが放映されていましたが、それを10分だけ見た親父(東京大空襲生存者)の感想は、

「ナメるな。戦争をおもちゃにするんじゃねぇ!!」

でした。

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2008年3月15日 (土曜日)

【読書】明治デモクラシー(12/100)

今年読んだ本12冊目。
ところで、昨日はノートを取りながら本を読んでみました。1時間半、あまり眠気を感じずに勉強できましたね。本を読む時間よりメモ取ってる時間の方が長かったような気がしないでもないですが・・・(笑)
おいら、どちらかと言うと肉体労働系の仕事をしているので夜はどうしても眠くなるなあ。

今回読んだ本は『日本政治史』の勉強のために自分で選んだ参考図書でした。そういうのもアリにしないと、年間100冊読むっていうのはかなり難しいです。

明治デモクラシー (岩波新書) 坂野潤治著 岩波新書 2005年

おいら、高校生の頃は世界史に強かったんですが、日本史の方は残念ながら中学生以上の知識はありませんでした。なにしろ、高校の日本史の授業なんて江戸時代の後半で終わっちゃったしね。時間がなくて。黒船も来なかったなあw 教師に「教科書、自分で読んどいて」って言われた。つーか、通信制かよw (ノ∀`)

そんなわけで、おいらは日本史にあまり詳しくありません。だから今回読んだ本の内容もかなり新鮮でした。福沢諭吉先生が二大政党制論を唱えていたなんてことも知らなかったわけです。
それにしても、そういう先進的な議論があったにも関わらず、その当時から既に100年以上が経過しているというのに日本は本格的な二大政党制というのをいまだに経験しておりません。これはもう、本書にも記されているように日本人は基本的に二大政党制が好きじゃないのかも。なぜ二大政党制が実現しないかにはいろいろと理由があるんでしょうが、ひとつには政治というものが何か自分たちから遠くはなれた違う世界の話だと思っている人が多いからなのかもしれませんね。絶対的なリーダーを求めて、いつでも誰かに引っ張ってもらいたいと思っている。「お上」ではありませんが、どこか強い政党なり組織などに重要な決定を委ねてしまう傾向が強いのかもしれない。民主主義というのは国民の政治参加が前提条件になっているんですが、そういう点から考えると日本は未だ民主的な国家とは言えない部分も多いかもしれません。
それはともかく、なかなか参考になる本なので、あと2、3回は繰り返し読みたいと思います。

それにしても、情報革命をいち早く感知した福沢先生はやはり只者ではありませんでした。

今改進世界の人民が思想通達の利器を得たるは、人体にわかに羽翼を生ずるものに異ならず。(中略)
芋蠋を御するの制度習慣を以って胡蝶を制せんとするは、また難からずや。


38頁より引用。原典は『民情一新』(1879年:明治12年)

福沢先生が現代のインターネット社会を見たら何を感じるんでしょうかね。

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