カテゴリー「読書」の35件の記事

2014-08-22

【声優さん】声優アイドルの源流(アニメ=見世物小屋仮説)

更新がしばらくあいちゃいました。ここのところ暑いせいか、疲れがたまっているみたいです。夕飯食べたらすぐに眠くなります (^-^;A) 今日は、いつもの女性声優さんお誕生日記事じゃありません。こないだお盆休みの間に読んだ本のことです。(次回のお誕生日記事は8月28日の予定です)

こんな本を読みました。

『幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』
笹山敬輔著 彩流社 2014年

現代のアイドルとはちょっと趣が違いますが、アイドル的な人気を博した少女たちは明治時代から存在していたそうです。そして、アイドルおたくも(笑)

おたくの行動って、百年以上経ってもまったく変わらなくて驚きます。オタ芸、コール、MIX、出待ちに追っかけ。そしてアンチまで・・・・・・。ネット掲示板がなかった時代に彼らが利用したのは新聞の投書欄でした。書いてる内容が今とあんまり変わらない。くだらな過ぎて涙が出ますわ 。・゚・(ノ∀`)・゚・。 今風の若者言葉で表現すると「草不可避www」ってとこでしょうか。

アイドルおたくは昔も学生が多かったようですが、実にいろんな人がハマったようです。例えば、「小説の神様」なんて言われることもある志賀直哉。娘義太夫の昇之助にガチハマりしたのが小説家になるきっかけだったとかなんとか(ホントかね)。

夏目漱石に至っては娘義太夫の家を探し出したくらいで、もはや犯罪者一歩手前です。ぶっちゃけストーカー 。・゚・(ノ∀`)・゚・。 その当時、漱石センセーは39歳だったそうです。娘義太夫っていうのは10代前半から後半の少女たちがメインだったし、そーせきてんてー、今だったら「ロリコン乙!」とか言われちゃうんだろうなあ。っていうか、イギリス留学でノイローゼになって帰ってきたわりには楽しそうじゃねーか。新型うつか?(笑)

この本を読んでいて思ったのは、近代アイドルの愛され方や明治~戦前おたくの行状なんかが、現代の声優さんを取り巻く状況にもぴったり当てはまるということ。「声優を顔で判断するな」とか「ちゃんと演技を聞け」みたいな批判が出るところまでが明治以来のお約束。やっぱり、21世紀の声優さんたちは俳優さんよりもアイドルに近いものなんだろうと思います。特に声優さんたちが多く関わることになるアニメ作品は、かつての「見世物小屋」との共通点が多くあります。出し物がバラエティーに富んでいて、人を驚かせるような仕掛けがあったり、時にはちょっとエロかったり。

これまで、いわゆる「肌色多い系」(要するにエロいってこと)の作品に女子高生声優さんを使うのはどうなんだろうなあと思ってましたけど、アニメ作品=見世物小屋仮説で納得がいきました。これは明治時代(あるいはもっと遡って江戸時代)から続く日本の伝統みたいなものなんです。見世物小屋は人の注目を集めてナンボの世界。キワモノです。もちろん芸術といっていいアニメ作品はたくさんありますよ。しかし基本は大衆芸能の流れをくむ、ちょっとダサくて猥雑な、気楽に見られる娯楽なんだろうと思います。劇場で上演されるような本格オペラじゃなくて、「浅草オペラ」なんです。そして、そういう作品に登場する声優さんたちはアーティストなんかではなく、アイドルでなければつとまらないのでしょうね。まぁ、宝塚の少女たちが「役者」と呼ばれて泣いたように、アイドル的に見られて悔しい声優さんもいるのかもしれませんけどね。

おまけ(声優アイドル事例集):

petit milady - 恋はみるくてぃ

ZERO-A Official Channel

ハニワ(笑) 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

おいらの大好きな悠木碧ちゃん と竹達あやのすけ・・・・・・じゃなくて竹達彩奈ちゃん 。娘にしたい声優さん同率1位のふたり。この子たちの場合は「声優さんがアイドルを演じている」という感じです。実は、アイドルとしてはやや年齢が高め。演じきるにはかなりの精神力が必要なのかも。

プチミレのファンは通常「むっちゅ」と呼ばれます。おいら、この子たちは大好きだけど、他にも好きな声優さんは多いのだよね(こういう態度をおたく界隈では「DD」と呼び、忌み嫌われるようです)。ひみたす~ヽ(゚∀。)ノ」とかいのりんは天使!!ヽ(゚∀。)ノ」とか言っているようでは立派なむっちゅになれそうもないので、おいらは「のらむっちゅ」でいることにします(笑)

【ラブライブ!】「Snow halation」ライブ映像(μ's →NEXT LoveLive!2014 〜ENDLESS PARADE〜2月9日公演より)

Lantis Channel

おいらはラブライバーじゃないからよくわからないですが、この子たちのライブは相当盛り上がるみたいですね。

いやいや「この子」じゃないし!!

みんな若く見えるけど、この中に10代は一人もいません。こないだもうちのブログで記事にしたんだけど、そのあとに思わず声優雑誌を買ってしまった(笑) この手の雑誌を手に取るのは何年ぶりだったろう・・・・・・・。

彼女たち、アイドルとしてはかなり年齢が高いです。実に驚異的。普通のアイドルには不可能なことも、「声優アイドル」の彼女たちなら可能です。見た目も若いんだけど、声だけ聞くとまるで女子高生。いや、リアル女子高生よりもかわいらしい声です。声優さんのこういうところが面白いと思うんです。まさに見世物小屋です。ちなみに、「見世物」っていうと現代では悪いニュアンスを含むことが多いですが、もともとは大衆娯楽のひとつなわけだし、ここで言う「見世物」には悪い意味は含んでいません。

i☆Ris / Make it!

avexnetwork  

これまでは「声優アイドル」というと、「声優さんがアイドル風の活動をする」という解釈だったと思います。しかし、2010年代に入って状況が変わってきました。この子たちの場合は声優でありながらアイドルです。もう最初からアイドル。ナチュラル・ボーン・アイドルなのですわ。革命的です。マキシ様(芹澤優さん)なんて見事にアイドルの顔してるもんね。アイドル的なあざとかわいい感じがたまらない(褒めてます)。明治時代の若い男が娘義太夫の竹本綾之助の目線にやられたように、この子たちの目線にやられる平成男も多いんだろうなきっと。

声優でアイドルなんて古いアニメファンや声優ファンには許し難い存在なのかもしれませんが、時代は変わっていくものです。それに、何より彼女たちはアニメ=見世物小屋仮説からは自然に導き出される存在です。声優さんのあり方として正しい。歴史的必然ってやつでしょうか。i☆ris大正義みたいな(笑) 一応書いとくけどステマじゃないよ。ホントに気に入ってるよ。 "Make it!"聞いてるよ。iTunes で買った。演技はまだまだなところはあるけど、歌は結構イケてると思うよ。ネットで『プリパラ』 制作発表会かなんかの映像見たけど、生歌もそれほど悪くなかったな。少なくとも口パクしなくていいくらいのレベルだと思います。

Petit Rabbit's「Daydream café」MV -short ver.-(TVアニメ「ご注文はうさぎですか?」OPテーマ)


こころぴょんぴょんしますわ~ ヽ(゚∀。)ノ

いのりんマジ天使!!(笑)

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2010-04-21

【読書】女装と日本人

最近はなんだか調子が悪くてブログの更新も滞りがちですけど、なんとか生きてます。ブログを更新しない代わりに本を読んでいたりして。

この前、他のカテゴリで「一般職男子」の記事を書きました。今はちょうど社会政策という科目を勉強している途中なんですが、「男性差別問題」というのに興味がわいてきました。卒業論文のネタにも十分なり得る問題です。日本の労働環境というのがいかに硬直しているか、こういう問題によく現れていると思うんですよね。

こういう問題を考えると、どうしてもジェンダー論なども視野に入れないといけないわけですが、そもそも「男らしさ」とはなんだろうかというようなことも考える必要が出てきます。今回はそういう流れの中でこんな本を読みました。

三橋順子著 『女装と日本人』 講談社現代新書 2008年

前半の方は女装の歴史的な背景に関する記述が充実しています。そういえば、ヤマトタケルって女性に化けてクマソの王を討ち取ったんでしたっけね。『火の鳥 ヤマト編』(手塚治虫著)でこの話が出てきたっけなあ。日本人の女装の歴史は相当長いわけです。なにしろ神話の時代からですから。

おいらが住んでる茨城県鹿嶋市には鹿島神宮があります。(伝説では神話の時代に創建されたという)毎年3月には「祭頭祭」という祭りがありまして、祭りの参加者(囃人)は派手に着飾ります。男の子が化粧をしたりします。最近は少子化で参加者が少なくなったせいか、女の子も参加するみたいですけど。女装とはちょっと違うような気もしますが、祭りの時に男の子が化粧をするような風習というのは、鹿島神宮に限らず他の地域の祭りでもかなり昔からあるようです。本の中では「双性性」という用語が出てきますが、男でも女でもないものに神性を認めるというようなことがあったのかもしれません。

近代以前の日本では女装がそれほど珍しいものではなかったようですが、明治以降は状況が大きく変わりました。近代社会を構築するにあたって、知識と一緒に西洋的な価値観も導入した結果、それまでの日本では問題にならなかったようなことが犯罪になってしまうんです。(実は今でも同じようなことが起きていますけどね。先月書いた東京都のエロ漫画規制の話とか) 通説では日本の産業革命は明治維新(1868AD)以後とされているようですが、「男らしさ」「女らしさ」という考え方が形成されていったのはどうやらこのあたりからなのでしょう。「富国強兵」「殖産興業」のような国策の中で、あるいは日清・日露戦争のような対外戦争の中から、男は「男らしく」あらねばならないという価値観が作られていったのだろうと思われます。そして、女性の恰好をした男性は「変態」ということになりました。ナチス・ドイツではガス室送り。

日本は第二次世界大戦に敗れて民主国家に生まれ変わりましたが、戦後は経済による世界進出を目指す中で「男らしさ」「女らしさ」という価値観がそのまま維持されました。高度成長の社会では男女の役割分担がはっきりしていた方が生産効率がいいですからね。ところが、経済が発展して国民の生活が豊かになると価値観が多様化するわけですよ。例えば、女性でも「総合職」に挑戦したい人が出てくるわけです。その一方で「一般職」を希望する男性も出てきます。みんなが同じようなライフスタイルを希望する時代ではなくなった以上、こういった問題を避けて通ることはできません。しかし、日本の社会、とくに企業はいまだにそういう状況に十分適応できていないのが現実です。

読んだ本の内容とは全然違うことを書いているようですが、実は深いところでいろんな問題が結び付いているように思うんですね。近代以前、日本には現代とは違う価値観がありました。封建社会に生きた人たちには近代人がもっているような「自由」はありませんでしたが、そこには現代よりも多様で豊かな文化があったようです。多様性というよりはカオスと言った方がいいような気もしますが、もしかするとそれが本来の日本社会の姿なのかもしれません。「一般職男子」現象というのも、本来の日本社会の姿に戻ろうとする動きの一つなのかもしれないと思うわけです。かつて「女装」に対して許容度の高かった日本社会は、現代でも「一般職男子」を受け入れる文化的な余裕をもっている可能性があるのではないかと思います。

女装と日本人 (講談社現代新書) Book 女装と日本人 (講談社現代新書)

著者:三橋 順子
販売元:講談社
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火の鳥 3・ヤマト編、宇宙編 Book 火の鳥 3・ヤマト編、宇宙編

著者:手塚 治虫
販売元:朝日新聞出版
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2009-08-24

【大学・読書】2009年第二回科目試験結果と最近読んだ本

7月に受けた試験の結果が届きました。

日本外交史Ⅰ(4単位)

結果:B   (^-^)

日本外交史Ⅱ(2単位)

結果:B   (^-^)

不可じゃなくてよかった・・・(笑)

これで79単位。夏スクーリングの単位が取れていれば82単位です。
卒業所要単位数まであと42。そのうち8単位が卒業論文、そのほかに4単位をスクーリングでとる必要があるので、テキストでとらなければならない単位は残り30単位です。気合いを入れてやればおそらく1年くらいで取れるんでしょうけど、おいらはゆっくりやります。あと3年くらいかけて(笑)

さて、次のレポートは西洋外交史にする予定だったんですが、予定を変更して産業社会学にしようかと思ってます。教科書は去年読んでますし。それに、最近「ベーシック・インカム」について考えることがあって、この科目にちょっと興味が湧いたんです。

ちょっと前に「ベーシック・インカム」について4本ほど記事を書きましたけど、そのあとに入門書を買って読んでみました。この制度、決して新しく出てきた理論ではなくて、もう200年ほど議論されているものだということを初めて知りました。そして、実にいろいろな面から考察されているものだということも。

ガルブレイス(経済学者)やフロム(社会心理学者)、それにあのキング牧師までもが唱えていたということです。決してトンデモな話じゃないんです。税制を抜本的に改革しなければならないと思いますが、限定された形であれ、日本でも実現は可能なもののような気がします。

しかし、日本ではこの制度に対する否定的な意見が多い現状があるので実現は難しいかもしれませんね。制度的に可能であっても政治的に実現が難しいです。特に新自由主義的な改革を行ってきた自民党政権のもとではまず不可能でしょう。逆に彼らが「ベーシック・インカム」に取り組もうとした場合、その財源は相変わらず借金になるだろうから現状よりさらにひどいことになると思います。妙なことを考えずにおとなしくしていてほしい。

ベーシック・インカム入門 (光文社新書) Book ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

著者:山森亮
販売元:光文社
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生活保護の「捕捉率」というのがあります。統計によると日本の「捕捉率」は20%程度だそうです。これはどういうことかというと、生活保護を申請して通るのは10人中2人程度ということ。あとの8人は生活保護が必要であったとしても受けられない。極端な場合、おにぎりひとつ食べられずに死ぬことになる。他の先進国、たとえばイギリスなどは捕捉率80%を超えています。あのアメリカでさえ70%は行っている。日本だけが断トツで低い。こういう現状を作ったのは戦後半世紀以上ほどんどの期間にわたって政権を掌握していた自由民主党の責任であると思う。

本書は入門書ということで、これまでベーシック・インカムがどのように論じられてきたかを概説しています。社会運動や経済学、社会思想などさまざまな視点から多角的に紹介されているので、より突っ込んだ話が知りたければもう少し専門的な本を読んだ方がよいと思いますが、とっかかりとしては十分な本だと思います。

わりと硬い感じの本ですが、一か所だけ著者の心情が激しく表れていたところがありました。生活保護に関連した個所なんですが、「私はこうした現状に憤りを覚えざるを得ない。」と書いています。また、あとがきの最後の最後に「生き急いだ友人たちの思い出にこの本を捧げたい。」とも書いています。「ベーシック・インカム」に当初は懐疑的だった筆者がなぜこの制度を支持するようになったのか、自分はむしろそちらの方に興味があります。

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2009-08-09

【大学】夏スクーリングまとめ

Photo 7月30日から8月7日まで、慶應義塾大学の夏季スクーリング(Ⅰ期)に出席していました。去年、一昨年と三田キャンパスでスクーリング(Ⅲ期)に出席しましたが、日吉キャンパスに来たのは今年が初めてです。なんだか公園みたいなキャンパスでしたねー。なかなかいい感じです。今回の講義はファンタジーの世界のお話だったんですけど、雰囲気に合っているような(笑)

今回受講したのは懸案だった英語(リーディング)と、哲学でした。哲学の方は文学部配当科目なので、他学部聴講ということになるんですかね。まぁ、法学部の自分が受講しても卒業に必要な単位には加えられるようです。

英語の講義で読んだのは "The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring" でした。邦題では『指輪物語(旅の仲間)』です。映画にもなってますし、世界的に有名な作品です。残念ながら、これまで読んだことがなかったんだけど。

あらかじめ翻訳読んでおいてよかったですよ。読まなかったら相当つらいことになってたろうなあ。予習も大変だったし・・・。童話みたいなものも嫌いではなかったんですけど(なにしろ、高校生の頃は童話作家になりたいと思ってたくらいだから)、なんというか「剣と魔法の世界」のお話っていうのがいまひとつ苦手でねー。読む前はちょっとした偏見のようなものがあったんですね。

今回、『指輪物語』とその前の時代のお話である『ホビットの冒険』を読んでみて、多少考え方が変わりました。これらの作品には確かに魔法使いは出てきますけど、実は派手な魔法などほとんど、というかまったく出てきません。これまで自分が想像してきたものとはだいぶ違うお話であるということがわかりました。誤解したまま講義に入らなくてよかったと思いますよホント(笑)

この作品の作者はJ・R・R・トールキン。(John Ronald Reuel Tolkien: Jan. 3 1892 - Sep. 2 1973) オックスフォード大学の文献学者だそうです。本職の作家ではないんですね。もともと学者ということなので、『指輪物語』の設定にも彼が研究していた学問の影響がかなり強く表れています。地名であったりエルフ語であったり、とにかく設定が細かいんですね。エルフ語などは本当に完璧な「人工言語」になっていて、過去から現在(物語の時代)までにどのような歴史を経て音韻が変化してきたかなんていうところまで細かく設定されているようなんです。

最近では日本のアニメーション作品でも独特な世界観があったり、ロケーションを行って現実に存在する街を再現してみたりと細かい設定が加えられているものがありますが、トールキンの作品は間違いなくそういうものの先駆けになっていると思います。彼の作品は、細かくてリアルな設定のお話が大好きな日本人にも受け入れられやすいんじゃないでしょうか。

この作品の一つのテーマになっているのが「死」についてということでしたが、それにはやはりトールキン自身の体験が大きく関わっているようです。彼は第一次、第二次と二度の世界大戦を経験し、かなり悲惨な経験もしたようです。そのあたりのことは講義の中でも何度か触れられましたし、『ホビットの冒険』の解説にも少しだけ触れられていました。

『ホビットの冒険』では竜に湖の町が焼かれる描写が出てきます。その描写について後書きでは「まるで空襲のよう」と述べられていましたが、自分は「ええ?そうなの?」と思って読んでたんですね。しかし、講義の中でトールキンがソンム(第一次世界大戦の激戦地)で経験したことを聞いた後では、そういう解釈も自然に納得することができました。

また、そういう知識を持って『指輪物語』を読んでいくと、このお話に登場する魔法の指輪というものが、自分にも何か核兵器のように思えてきたんですね。強力な力を持ちながらも絶対に使うことのできない指輪。そしてその指輪をめぐる人たちの、極めて人間臭い物語。ファンタジーというのは決して子供たちだけに与えられる物語ではないというのを改めて実感した講義でした。ちなみに、この作品が大きなブームになったのは1960年代、ベトナム戦争の頃のアメリカ西海岸だったそうです。

で、講義の方ですが、
これはホントにつらかった 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

本当に「精読」だったので、1ページ予習するのに30分くらいかかったりするんですよねぇ・・・。最初のうちは講義の進度が把握できなかったから5ページくらい読んでたし。日曜日なんか丸1日潰れたし。翻訳本も最後の巻(全部で4巻ある)が未読だったので気合で読みましたよ。2時間半で。本を読むのが早い方じゃないので当然新記録でしたよ・・・。 英語の予習が大変だったもんだから、哲学の予習復習がほとんどできませんでしたよ・・・。よく試験であれだけ書けたと思うよ。おいら、よく頑張った。今回だけは本当にそう言える(笑)

おまけに、何を勘違いしたのか、初日に教科書を用意してませんでした(笑) 何か他の講義と間違えてた。必要なレジュメは当日配るという形式の講義も結構あるんでね。初日にむちゃくちゃ美人のお姉さんが教科書貸してくれるっていうんで「ああ、それもいいかなぁ (*´∀`)」なんて思いましたけど、買って正解でした。自分の教科書がなきゃ絶対無理!!

・・・でも、ちょっとだけ惜しかったかなーw

それはともかく、『指輪物語』、かなり面白いですね。講義では第一部しか読みませんでしたけど、そのうちに続きが読みたいですね。ガンダルフが本当に死んでしまったのか、バラバラになった仲間がどうなってしまうのかとても気になるので。

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2009-07-22

【普通の日記】日食と児童文学

うちのあたりではあいにくの天気だったので、日食は見られませんでした。それでも、太陽が一番欠けた時間帯には何となく薄暗くなった感じがしました。おいらは硫黄島からの中継をネットで見たんですけど、実際に見たら神秘的な光景だったんでしょうね。

日食っていうと、おいらは子供の頃に読んだ児童文学を思い出します。叔母さんに買ってもらった『ぽっぺん先生と笑うカモメ号』というお話でした。この作品の中で主人公のぽっぺん先生は、日食の日に嵐の海へホテルの部屋ごと投げ出されてしまいます。実は先生が部屋だと思っていたのは船だったんですけど、先生はそのまま海の彼方にあるという「アルカ・ナイカ」に不思議な力で導かれるというお話でした。太平洋のどこかにある未知の島「アルカ・ナイカ」への道は、日食の日にしか開かれないのです。

おいらは海の近くで育ったせいか、船の出てくるお話が大好きでした。この本も何回も読みましたっけ。それで、おいらも日食の日にどこか知らない世界に旅に出たいなあなんてことをぼんやりと想像したものでした。高校生になっても学校サボって海を見てたりしてましたっけ(笑) おいらは今、やっぱり海の近くで働いていて、今日も海を見ていたらそんなことを懐かしく思い出してしまったんです。

次に日本で見られる皆既日食は26年後だそうですね。おいらは・・・もうこの世界にはいないのかもしれないなあ。

ぽっぺん先生と笑うカモメ号 (岩波少年文庫 (100)) Book ぽっぺん先生と笑うカモメ号 (岩波少年文庫 (100))

著者:舟崎 克彦
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


僕は知る
稲妻が二つに裂いた大空を
また竜巻を
逆潮を 潮道を

僕は知る
海に燃える夕映えを
小鳩の群がひと息に
飛び立つような暁を

そして
人が見た気でいたものを
僕はこの目でしかと見た


アルチュール・ランボオ「酔いどれ船」の一節。
訳詩:福永武彦


ランボオの詩を初めて知ったのは、この本でした。高校生の頃に読んでいたのは堀口大學先生の訳詩で、そちらも格調が高くて好きでしたね。長い詩でしたが、大学生の頃は全文暗唱できたんですよ。今はもうほとんど覚えていないんですけど・・・。

我は知れり、稲妻に砕くる天を、竜巻を、
海嘯を、潮流を、また黄昏を、
群れて立たんず鳩にも似たる、昂揚の曙を。
時にまた我は見たり、人のよく見難きものを。


訳詩:堀口大學
『ランボー詩集』 新潮文庫 昭和26年 80頁より引用


ランボオの詩はこのほかにも小林秀雄や中原中也といったような人たちが翻訳していて、それぞれ訳し方が全く違います。比べてみると面白いかもしれませんね。

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2009-05-28

【読書】働き方革命

この前の土曜日に、東京に行った帰りに買った本。

駒崎弘樹 『働き方革命-あなたが今日から日本を変える方法』
ちくま新書 2009年

確かに仕事っていうのは生活のためにするものではあるんだけど、すべて自分(または家族)のためということではなくて、どこかで社会とつながってないとまずいと思うんですよね。ちょっと前にも似たようなエントリーを書きましたけど、仕事というのは自分の周りの人を幸せにするためにするものなんでしょう、きっと。

こういう話を読むたびに、昔の上司や友達のことを思い出すんです。電話工事の仕事をしていた頃の師匠の口癖は、「どないしたら喜んでもらえるやろか」でした。常に仕事の完成度を気にしていました。彼が考えていた完成度の高い仕事とは、見た目の美しさばかりではなく、その仕事を見てお客さんが満足するかどうかが基準になっていました。仕事がちゃんとできるのは当たり前の話で、それ以上に人を満足させることを、自分たちにも求めました。仕事を通じて人を幸せにするということにこだわっていたのかもしれません。考え方としてはとても正しかったと思います。

しかしあまりにも完璧を追求してしまったためか、師匠は過労死してしまった。奥さんと子供を残して。30代後半で。お客さんを喜ばせようと必死だったのはよくわかるんですが、結局、自分の最も身近な人たちを幸せにすることはできなかったんです。バランスが悪かったんですね。そうやって亡くなってしまった人を、何人も知っています。「働く」というのが一体どういうことなのか、自分もたまによくわからなくなります。

こういう、「働き方を変えよう」という話が出ると、必ず「それは理想論である」という批判が出てきます。本書の終章でも、著者と友人との間で意見がすれ違ってしまっている場面が出てきますが、現段階では著者の友人の感覚の方が一般的だと思います。昨日もニコニコ動画の生放送で共産党の志位さんが「サービス残業根絶法案」を提案しているというようなことを述べていましたが、一般の人はやはり「理想論」と捉えているんじゃないでしょうか。

しかし、それでも変わろうとする思いは必要なんだと思いますよ。自分自身は天皇制存続派なので共産党支持ではありませんが、変える必要のあるところは変えなきゃならんと思っています。本書でも触れられていますが、人間は自分が思った通りの人間になるんです。思考は現実化するっていってね。その人間が寄り集まった社会もまた同じ。今が暮らしにくい世の中になってるとすれば、それは多くの人間がそういう社会を望んだからに他ならないんです。

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書) Book 働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)

著者:駒崎 弘樹
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「働く」という言葉の本来的な意味は「傍(はた)を楽にする」、つまり自分の周囲の人を楽にするということらしいです。

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2009-05-08

【読書】ザ・ディベート

ゴールデンウィークの間に読んだ本です。去年買ったんだけど、そのまま忘れていた本なんですけど。そういう本がまだ何冊もあるんですよね・・・。

『ザ・ディベート-自己責任時代の思考・表現技術』
茂木 秀昭 ちくま新書 2001年


おいら、人と議論するっていうのがものすごく苦手なんですよね。今はもうそういう機会もないんだけど、大学生の頃は本当に苦労しました。何を話していいかわからなくて、頭の中が真っ白になって固まっちゃうんです。今でも夢でうなされることがあります。おいらはおそらく発達障害であろうと思われるので、こちら方面の能力を磨くのはもともと難しいのかもしれません。「であろう」というのはどういうことかというと、おいらくらい年齢がいってしまうと正しい診断がほぼ不可能になってしまうので、推定するしかなくなってしまうんですね。まぁ、蛇足なんですけど。

おいらが通っていた早稲田大学というのはもともと弁論が盛んな学校だったせいか、ゼミ対抗ディベート大会みたいなものもありました。そこで見たディベートの印象もあって、ディベートというのは「相手を議論でねじ伏せる弁論術」だとおいらも思っていたんですけど、今回この本を読んでみて、どうやらディベートというのはそういうものではないということをようやく理解しました。おいらは人とうまく会話がかみ合わないところがあったので、議論そのものがトラウマになってたんですね。バイアスがかかっていたわけです。

それと、もうひとつ改めて理解したことがあります。議論を戦わせるには下準備が欠かせないということ。ディベートをするにはまずテーマを決めて、肯定側はそのテーマ(たとえば「死刑は廃止するべきである」など)を肯定するための資料を集めないといけません。それと同時に反論に対する対策も練らないといけない。もちろん否定側は否定側で同様の作業を行います。おいら、今は慶應義塾の通信制でレポートを書く機会がありますが、これはレポートを書くときの準備作業とほぼ同じなんですね。ということは、ディベートの技法をレポートや卒業論文作成に応用できるではないですか(笑)

著者も

「私の大学時代には、ディベート未経験の学生が卒論を書くのに一年かかるところ、ディベートの経験者なら半年で書けるとよく言われたものです。」(89頁より引用)

と述べています。おそらくそういうものなのでしょう。
ちなみに著者の出身大学は慶應義塾大学です。先輩でしたか(笑)

まぁ議論の方はともかく、おいらもディベートの技法をレポートなどに生かしていきたいと思いますよ。いい本読んでよかったなあ。

ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術 (ちくま新書) Book ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術 (ちくま新書)

著者:茂木 秀昭
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009-05-05

【過去記事】日本の適正人口はどのくらい?

今日はこんな記事を読みました。

28年連続で減少=子どもの数、1714万人-総務省
5月4日17時26分配信 時事通信

ココログに引っ越してくる前にLovelog (DION) の方でブログを書いていたんですが、引っ越してくるときにデータをうまく移行できませんでした。こっちに引っ越してきてすぐの頃は少しずつ記事を移動させようとしていたこともあったんですが、面倒くさくてやめてしまいました。今回は久しぶりの移植記事です。

少子化については引越し前のブログの【読書】カテゴリで何回か記事にしたことがあったのを思い出したので、少し長いですが加筆・修正しながら移植してみます。

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今日は平成19年12月26日、水曜日。

前に読んだ『人口減少社会の設計』と一緒に買った本です。

『論争・少子化日本』
川本敏 編 中公新書ラクレ 2001年

少子化に関する論文を集めたものです。肯定派・否定派両方の論文が掲載されています。ただ、ちょっとデーターが古いですけどね。現在の日本の合計特殊出生率は1.32です。(2007年6月6日発表。ちなみに1999年の合計特殊出生率は1.34でした)

これでも6年ぶりに上昇した数値ということですから、かなり急激に少子化が進行しています。(2008年発表の合計特殊出生率は1.34を回復していたようです。これは団塊ジュニア世代の出産が一時的に影響していたようで、今後は再び低下に転ずると思われます。平成21年5月5日加筆。)

自分は地球の人口は多すぎると思っているので、少子化の進行には反対ではありません。しかし短期的に見れば労働力の減少による経済活動の停滞などの問題が出てくるので、小人口安定社会を構築する前にこういった問題を何とかしなければならないとは思っています。 地球上の資源は有限ですから、世界経済が右肩上がりで発展していくことは残念ながらありません。最近ではアニメーション作品にも登場する話題ですが(『機動戦士ガンダム00』、平成21年5月5日加筆)、どこかの時点で必ず資源の奪い合いに発展します。そういう紛争を避けるために、世界人口は少なくしていく方向に誘導する必要があるだろうと思うんです。経済を最低限維持できる人口を確保しながら、ソフトランディングを目指すわけです。「適正な人口」というのがあるはずなんですね。

しかしながら、これまで人口減少に関する文章をいくつか読んでみて気がついたのですが、その考察の多くは人口を増やす方向でのみ語られています。そして人口を増やすにしてもどの程度の人口まで増やせば適当なのかということについて語られていません。このあたりが不満に感じるところなんです。

では、日本の適正な人口っていうのは一体いくらくらいなのでしょうか。 今回読んだいくつかの論文の中で、食糧自給の観点からみて日本の適正人口はおよそ3000万人であるというものがありました。(「少子化ニッポンは「農園都市国家」をめざせ」 高橋秀之 日本大学教授) 幕末の総人口がだいたいこのくらいです。ただし、これは食料完全自給の場合ですから、実際にはもう少し多くても大丈夫なのではないかと思います。

この前読んだ『逆説の軍隊』の中で、「戦争のラチェット効果」という用語が出てきました。国家財政の規模は戦争のたびに大きくなり、戦争が終わっても元に戻らないという説です。そしてこの説は人口についてもあてはまるのではないかということでした。

幕末に3000万ほどだった日本の人口は、日清・日露戦争を経て大正元年(1912年)には5000万を超えています。45年で7割増しです。かなり急激な変化ですね。

昭和20年(1945年)、日本の総人口は約7000万人でした。それが3年後の昭和23年(1948年)に8000万人、11年後の昭和31年(1956年)には9000万人を超えています。海外からの引揚者の流入という特殊事情を考慮したとしても異常な人口増加です。

そして敗戦から22年目の昭和42年(1967年)、日本の人口は1億人を超えました。この年は大正元年から55年目にあたりますが、約半世紀で人口が倍になったわけです。ラチェット効果の発動かどうかはともかく、かなり不自然な増加のような気がします。これでは食料自給率の増加が人口増に追いつくわけがありません。

現在の日本の人口は近代化の過程で短期間に急増したものですから、急激に減少することもまたありえます。平均寿命から考えれば、ある時期に大量に生まれた人口は、ある時期に大量に減少することも予想されます。現代の日本は、戦争遂行と敗戦後の復興のために無理矢理かさ上げされた人口を適正な数値に戻す時期に来ているのかもしれません。個人的な意見を言えば、5000万人~6000万人くらい(つまり大東亜戦争以前のレベル)の人口が適当なのではないかと思います。 食料自給率50%程度ですね。

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最後の「食料自給率50%」の部分には、実は根拠がありませんでした。幕末の時点での総人口3000万人を100として、6000万人ならば50であろうと単純に書いてしまいました。しかし、その数値にはその後の農業生産性の上昇というものが考慮されていないので、実際にはもう少し食糧自給率は高くなるはずです。

冒頭に出した時事通信の記事にはユーザーのコメントがつけられるようになっているんですが、まさに自分と同じようなことを考えている人もいるようです。政府は人口を増やせというが、どれだけ増やせば適正なのか。政府はその数値を国民に示すべきだと考えます。日本に国家戦略というものが存在するならば、日本政府が我々国民の問いに答えることは難しいことではないはずですから。

ちなみにソースは忘れましたが、昭和13年(1938年)に厚生省が設置された際、昭和30年(1955年)の日本の総人口を1億人と計画していたようです。満州、朝鮮などの支配地域を含む日本の国土を防衛するために、最低限それくらいの人員が必要であろうという試算です。厚生省というのはもともと計画的に人口を増やすための機関でもあったんですね。それもひとつの国家戦略だったんです。

現在の厚生労働省は旧厚生省の持っていた戦略の内容をすっかり忘れてしまっていながらも、形だけは守り続けているのではないでしょうか。時代が変われば戦略も変わるんですから、これまでとは違う選択肢も考えてもらいたいと思います。

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2009-03-24

【大学】日本外交史Ⅱ

今はレポートを書くために参考文献を読んでいる段階です。
とりあえず今日までに2冊読了。
かなり飛ばし気味に読んでいるので、レポート書くときにもう一回読まないといけませんが。

入江 昭 『新・日本の外交 地球化時代の日本の選択』 
中公新書 1991年

添谷 芳秀 『日本の「ミドルパワー」外交-戦後日本の選択と構想』
ちくま新書 2005年

今回のレポートでは1960年代の日本外交について考察するわけですが、戦後日本外交には構造的な歪みがあってわかりにくい部分があります。まだちょっと頭の整理がついていないような感じですね。

明日からはもう一冊読みはじめます。本当は概説書を先に読むべきなんですけど、順序が逆になってしまいました。

五百旗頭 真(編) 『戦後日本外交史』 有斐閣アルマ 1999年

他にも読まなきゃならない本が何冊かあるんですが、それは大学図書館で探した方がいいかもしれないなぁ。

この前東京へ行った時、久しぶりに早稲田の古書街を歩きました。そこで日清戦争当時の外務大臣だった陸奥宗光が著した『蹇蹇録』(けんけんろく)の文庫本を入手しました。先週書いた外交史Ⅰのレポートの補足として使いたいと思います。

今回買った岩波の文庫本は発行が1983年なんですけど、見た感じがいかにも「古本」って感じなんですよね。全体的に赤茶けてて、ものすごく古そうに見えるんです。1983年といえば26年前。考えてみれば、四分の一世紀越えてるんですよねえ・・・。

実際古本なんだろうけど、ちょっとショックでした (ノ∀`)

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2009-02-01

【読書】回復力

数日前に読んだネットの記事で経済学の中谷巖先生が懺悔してらっしゃいましたが、そのインタビューのなかで「日本は米国についで貧困者に冷たい国」と述べられていました。しかしながら、アメリカの破産法などは日本に比べると遥かに緩やかな内容のものですし、実力主義のアメリカ社会においてさえ敗者を必要以上に追い込まない仕組みが存在します。そう考えると先生のご認識は残念ながら甘いといわざるを得ず、日本は事実上、「世界で最も敗者に厳しい国」というのが妥当だと思われます。

『回復力 失敗からの復活』 畑村洋太郎著 講談社現代新書 2009年

畑村先生といえば「失敗学」。失敗とどう向き合うかというお話です。おいらは近代日本政治史で卒論を書こうと考えているので帝国日本の失敗について考えるのは避けて通れないわけですが、参考になりそうな本でした。

失敗した人っていうのは、すぐには立ち直れません。どんなに強い人でも動転して間違った判断や行動をしたりするというのはよくわかります。そういう状態の時に無理に力を出そうとするのが如何に危険かということも。

おいらもしばらく立ち直れなかったことがあります。何とか命だけは失わなかったけれども、社会的に死んだも同然でした。再び何とか歩き出せるまでには10ヶ月の時間が必要だった。その間、おいらは雨戸を閉め切った部屋で、昼も夜もわからない暗闇の中で過ごしました。

以前書いていた他のブログで、たまにいじめ自殺などに関する記事を書いたことがありましたが、おいらはそのたびに「つらかったら逃げてしまえ、携帯なんか捨ててしまえ」と書いてきました。おいらは間違ったことは書いていないと確信していましたが、それでも心のどこかで「そんなことを書いていいのだろうか」という思いもあったんです。しかし、同じようなことを考えてくれている人がいて本当によかった。苦しんでいる子どもたちに対して「逃げるなイジメと戦え」なんていうのは、「死ね」と言っているようなものだとおいらは思っているんです。

確かにハードルを乗り越えることは大事なことだと思いますが、あまりにも高いハードルは乗り越えることができない。そして、乗り越えられるハードルの高さは人によって違うんです。人に対して「頑張れ」というのは悪いことではない。しかし、その言葉は「手伝ってあげるから一緒に乗り越えてみないか」という意味か「人に頼るな、自分で何とかしろ」という意味かで内容が大きく変わってきてしまいます。その言葉は、人の命を奪うのに十分な言葉なんです。

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書) Book 回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)

著者:畑村 洋太郎
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