ここは女性声優さんのお誕生日をお祝いする目的のブログですが、かつては時事問題などについても書くことが多かったんです。今日は久しぶりに政治社会カテゴリーの記事です。
今日はネットでこんな記事を読みました。
日本国憲法の前文は、どんな人が読んでも感動すると思うよ
BLOGOS 投稿者:永江一石2015年07月23日 08:41更新
日本国憲法の前文は格調高い文章で書かれています。この記事の筆者は、特に
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
この部分(第3段落)に感動したようです。そして、こう書かれているからこそ日本は積極的に海外へ派兵し、専制と隷従に苦しむ諸国を救援するべきであると思っているようです。そうでなければ憲法違反であると。本当にそうなんでしょうか。
まず、日本国憲法の前文がどのようなものであるか全文を見てみましょう。中学校の公民の時間に暗記させられた人も多いと思いますが、おさらいです。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
参考:wikipedia
と、このような文章になっています。確かに第3段落だけ見れば日本の海外派兵は正義にも見えるし、この文章をもって「安保法制は憲法違反ではない」といえるのかもしれません。しかし、第1段落には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあります。矛盾ですね。
安保法制賛成派の人たちはよく「自分たちのことだけ考えていていいのか。日本も国際平和のために血を流さなければ」と言いますし、まさにこの憲法前文の第3段落を持ち出して国際貢献を語ります。確かに国際貢献は必要だとは自分も思いますが、それを海外派兵でということになると、これは拡大解釈と言わざるを得ません。
それに、この第3段落目、読んでいて何かおかしいとは思いませんか。改憲派(現行憲法はアメリカの押しつけだから変えたいよ派)の人たちがよく指摘することですが、文法的にややおかしいところがあります。非常に意味がとりにくい。これは元の原稿が英文なので、翻訳ミスなのではないかとも言われていますね。
まず、主語の問題。4段落のうち、1、2、4段落は主語が「日本国民は」で始まります。しかし、第3段落だけは「われらは」で始まります。この「われら」というのは一体誰なのか。文章の主語を考える前に、文章を見てみましょう。
元の英文を見ると、「政治道徳の法則は、普遍的なものであり (but that laws of political morality are universal)」と「この法則に従ふことは (and that obedience to such laws)」の間にセミコロン(;)があります。この前後の文章は等しい重みをもっており、日本語に訳す場合はふたつの文に分けるべきところなんです(実際、憲法草案の段階ではふたつの文章でした)。元の英文を挙げておきましょう。
"We hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples."
参考:wikipedia
これが第3段落の原文です。まずセミコロンの前の文章ですが、ここは「人民は自国のことのみに責任を負うものではない (no people is responsible to itself alone)」という文に「政治道徳の法則は万国不変である (but that laws of political morality are universal)」という文が対置されています。ここでいう政治道徳がどのようなものか不明ですが、憲法前文の流れから推測すると、第2段落に書かれている内容に相当するのではないかと思われます。そう考えると、この文章を安保法制の根拠にするのは難しいのではないかと思います。
セミコロン以下は「政治道徳の法則に従うことは各国の責務 (obedience to such laws is incumbent upon all peoples)」であると述べており、国際協調主義を表明した前半部分を強調する形になっています。
それで、このような思想を「確信(hold)」しているのが誰かなんですが、それは日本人ではありません。おそらくアメリカ、もっと狭く言えばGHQです。それはこの段落が「日本国民 (We, the Japanese People)」ではなく、たんなる「われら (We)」で始まっていることからも明らかです。
この第3段落はアメリカ人の思いを表現している部分と考えられます。憲法前文のこの部分は蛇足です。政治道徳の普遍性については前の段落で語られていますから、本来はわざわざ第3段落で繰り返す必要がないんです。
保守派はアメリカに押し付けられた憲法を改正して自主憲法をと言う人が多いですが、そういう人たちが安保法制の根拠に憲法前文のこの文言を持ち出すのは不思議です。やはり、安保法制を整備したいのであれば憲法改正は避けて通れないと思うんです。
憲法前文は第2段落もよく問題になりますが、その部分については別の記事で書きたいと思います。