カテゴリー「政治・社会」の記事

2009年11月 8日 (日曜日)

【アニメ】ブログの裏話的なこと

ひとつ前の記事でアニメーション作品のタイトルの翻訳についてちょっとだけ書きました。それ自体かなり難しい作業で、意訳にならざるを得ない場合もあります。逆に敢えて翻訳しない場合もある。

うちのブログはTVで放送されているアニメーション作品のキャプチャー画像があるせいか、世界各国からアクセスがかかります。そういう人たち向けに作品タイトルを英訳(場合によってはその他の言葉への翻訳)をしているわけです。作品名と同じように、キャラクター名と声優さんの名前もアルファベット表記しています。

人名の表記ですが、今年の春まではオーソドックスに「名前+姓」(例:能登麻美子→Mamiko Noto)の組み合わせにしていたんですけど、今は「姓+名前」(例:能登麻美子→NOTO Mamiko)の表記にしています。もしかすると、こういう書き方には違和感を感じる人がいるかもしれませんね。

しかし、よく考えてみると「名前+姓」の人名表記というのは必ずしも世界的な標準ではないんです。人名というのは非常に多くのバリエーションがあります。アラブ人のようにかなり複雑な構成になっている場合もあるし、逆にジャワ人のように姓を持たない人たちもいます。実に多彩で、それぞれの文化が深く反映されているものなんですね。

東アジアを見てみると、名前をアルファベット表記する場合、もとの名前と同じように「姓+名」のように書く場合が圧倒的に多いですね。例えば毛沢東(Mao Zedong)もそうですし、金日成(Kim Il Sung)もそうです。しかし、日本人だけは日本語表記の場合とアルファベット表記の場合では姓・名の書き方が逆転してしまいます。実のところ、海外ではこれが混乱の原因になることもあるんです。

おいらは学生時代にソ連へ行ったことがありましたが、ホテルで宿泊者名簿に名前を書いた時に名前+姓で記帳しました。それが日本人の名前をアルファベットで書く時の「常識」だと思っていたからです。ところが、そのホテルの従業員の教養が高く、日本人の名前は姓が先に来るということを知っていたせいなのか、はたまたおいらが名簿の記帳の時に間違えたのか、朝食券には名前の方が姓として書かれてしまっていました。その時に、「変な気をまわさずに母国語通りの順序で書いたらいいのかなあ?」と思ったことを覚えています。

今年の春にTAF(東京国際アニメフェア)を見に行ったときに、そんなことをふと思い出してしまってね。それ以来、日本人のアニメキャラクターや声優さんたちの名前をアルファベット表記する場合は「姓+名」の順序で書くようにしているんです。ただ、そのまま書くと姓がどれかわからないかもしれないということで、姓に当たる部分は大文字表記にしているわけです。

日本人の名前をアルファベット表記するときに「名前+姓」の順序にするのも、今では日本人の習慣として定着していることなのかもしれませんが、おいらは「姓+名前」の表記があってもよいと思っています。日本人らしくていいと思いますよ (^-^)

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2009年11月 1日 (日曜日)

【政治・社会・アニメ】漫画・アニメは日本の文化か

ここのところ夜は疲れてすぐ寝てしまうので長文の記事がなかなか書けませんが、今日は日曜日なので更新してみます。

先週はこんな記事を読みました。

明治大学が「東京国際マンガ図書館」 サブカル全般をアーカイブ、世界最大規模に

明治大学が、漫画やアニメ、ゲームなどサブカルチャー関連資料を集めた「東京国際マンガ図書館」(仮称)を2014年度までに設立。漫画本・雑誌、同人誌などに加え、アーケードゲーム基板やフィギュアなどを広く収集。同人誌即売会などを開けるイベントホールも併設する。
2009年10月23日 18時21分 更新 ITmedia News


前の総理大臣がアニメの殿堂を作ろうとしていましたが、明治大学が作ろうとしている博物館の方がよさそうじゃないですか。というか、学芸員になりたい(笑)

最近は日本の漫画・アニメは日本の文化の一つであるというようなことも言われるようになっています。おいらたちが子供の頃には考えられなかったことです。しかし、そういう論調に批判的な人ももちろんいますし、なかには「恥である」と思う人もいるようです。

おいらたちが若い頃、ある程度年齢が行った人が漫画やアニメを見ることというのはあまりありませんでした。そういう人もいるにはいたけれども、本当に少数派でした。まさにサブカルチャー。もっとも、大人が見てもそこそこ面白い漫画なりアニメというものが、まだまだ少なかったという事情もありましたけどね。おいら自身、高校に入った後は「高校生がアニメなど見るものではない」と思い込んでいたところがあったし、周囲も大体そのような考え方でした。まぁ、入った高校が旧制中学の流れをくむ硬派な気風のある学校だったというのも多少は関係していたかもしれません。なので、

『クリィミーマミ』をこっそり見た時には、言いようのない罪悪感に襲われたものでした・・・。決して人には知られちゃいけない。知られたら犯罪者扱いされてしまうみたいな(笑)

漫画やアニメが日本の文化であるという説に異論を唱えたくなる人の気持ちもわからなくはありません。しかしおいらは、こういったものが日本の文化であるかどうかは当の日本人が決めるものではないのではないかと思うんです。

例えば、「浮世絵」。現在では芸術品として認められていますが、かつては漫画のようなものでした。明治時代には多くの浮世絵が海外に流出しましたが、その当時の日本人は浮世絵を芸術だとは思っていませんでした。その頃はとにかく西洋のものがよくて、日本のものは遅れたよくないものだという風潮があったんです。伝統的な日本画家や進歩的な文化人の多くは、浮世絵をむしろ「日本の恥である」と思っていたかもしれません。

しかし日本から出て行った浮世絵は、多くの西洋画家に大きな影響を与えましたね。まぁ、印象派も最初は評価が低かったようですが、後には無視できない流れになりましたし(おいらは美術関係には詳しくないんですけど)、その印象派の画家たちに浮世絵は少なからぬ影響を与えたんです。そんなことがあったから、西洋の日本ブームに後押しされるような形で、20世紀になると日本でも浮世絵が日本文化の一つとして認められるようになったわけです。日本が第二次世界大戦に敗れて敗戦国になると再び浮世絵の流出が起こりますが、その時は幕末・明治の頃と違って日本人も外国人も浮世絵の芸術的な価値を認めていました。もはや浮世絵は日本の恥ではなかったんです。

文化というのは受け手側の評価によって作られていくことが多いと思うんですね。発信側がどう思おうと、文化として残るものは残るんです。漫画やアニメが浮世絵や歌舞伎のような日本の代表的な文化になり得るかというと、それはわかりません。しかし、国境を越えて今よりも多くの人たちに受け入れられるようになったとき、それらは少なくとも「日本の恥」ではなくなるのだと、おいらは思います。

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2009年10月24日 (土曜日)

【政治・社会】過去と未来のために

おいらは毎月、経済的な理由で就学が難しい日本人青少年のために寄付をしていますが、今日はそっちの話じゃありません。

気迫で実現したご遺骨の帰還:野口 健(アルピニスト)
2009年10月24日(土)13:00 Voice (gooニュース)


今日ネットを見ていたら、上の話題を見つけました。
第二次世界大戦では多くの日本人兵士が海外で戦病死されましたが、そのうちの十数万人の遺骨はいまだに回収されぬまま放置されています。まことに残念な表現ではありますが、「放置」です。アルピニストの野口さんはそのような日本人兵士の遺骨を収集する活動に参加しているということです。特定非営利活動法人 空援隊

おいらは、この団体に寄付をすることにしました。本当は現地に行って活動するというのが望ましいのでしょうが、残念ながら体力面で不安があります。上のリンクをご覧になればお分かりになると思いますが、現地にはかなりの困難が待ち構えています。とても生半可な覚悟では行くことができません。しかし、少額ではありますが金銭的な面から彼らを支えることはできます。

寄付というと「偽善的である」とか「自己満足」というとらえ方をする人もいるかと思います。おいらも育った環境がいま一つよろしくなかったので、そういう考え方の時期がありました。しかし、最近では心の奥から湧きあがる社会貢献への意識のようなものを感じるようになっています。その原因が何なのかよくわかりませんが、特に他人の迷惑にならない限り、おいらはその「魂の呼び声」のようなものに素直に従おうと思うようになりました。

おいらはここ数年、自分がこの世界に生まれてきた理由を考えることがあります。絶対にわからないと思いつつも考えてしまう。そんな無限ループに入り込んでしまった原因の一つには第二次世界大戦がありました。おいらは戦争を知っている世代ではありませんが、人ごととは思えない部分があるんです。

昭和20年(1945)3月10日、東京に焼夷弾の雨が降って一人の少女が亡くならなければ、おいらがこの世界に生まれてくることは絶対になかった。その日、多くの人たちの運命が変わりました。おいらと同じような人間は、おそらくたくさんいるでしょう。日本ばかりではなく、かつて敵国だったアメリカや、その他の国にもいるはずです。

第二次世界大戦がなければ、今とは違う21世紀があったはずです。おいらのいない世界があった。しかし、戦争はあったんです。そのおかげでおいらも今ここにいる。誰かの代わりにここにいる。その意味を考えてしまうんです。

海外で戦病死した人たちが何を思って亡くなっていったのかは知る由もありません。しかし、死ぬ間際にはきっと日本のことを思い出したでしょう。両親や兄弟や、奥さんや恋人や、子供たちや、大切に思っていた人たちのことを考えたと思います。そして彼らの最後の願いは、その大事な人たちが幸せに暮らせることだったのではないでしょうか。子供がいた人は、その子が健やかに育って祖国を立派に復興させることを願ったかもしれません。そんな彼らのために、本来この世界に生まれてくるはずではなかったおいらができることは何なのか、ずっと考えていました。そして、今回の寄付はその答えの一つなのだろうと思います。

右翼は「日本人は死んだら神になる」と言いながら数十万の英霊を放置しました。左翼は「平和教育」を唱えながら戦争を忘れようとした。偽善的といえば、彼らの方がよほど偽善的であると思います。おいら自身は直接的に行動するのが難しいけれども、行動する人たちを陰ながら支えていきます。

ブログネタ: 寄付をしたことありますか?参加数

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2009年9月18日 (金曜日)

【普通の日記】茨城独立計画(笑)

朝、昼食を買うためにコンビニに寄ったら、レジのところでおっさんがブリブリ怒ってるんです。おいらがいつも寄っているコンビニは交差点の角にあるんですが、駐車場が広いので車が近道をしていくんですね。交差点で信号待ちしたくないから。そのおっさんは駐車場でそういう車に轢かれそうになったらしいんです。それで、怒りがおさまらなかったので店員に絡んでいたという。

まぁ車のマナーが悪いわけだけど、それをコンビニのレジの兄ちゃんに当たってもしょうがないと思うんだわなあ。それで、おっさんの捨て台詞がまたしょうもなくてね。

「これだから茨城は!! (#゚Д゚) 」

みたいな(笑)

おいらもたまに茨城(特に南東部)のしょうもなさ加減を書いたりしてますけど、人に言われるとちょっとムカついたりするものなんですね。なんてワガママなw まぁ、確かにそういうこと言いたくなるのもわかります。しょうもないのも事実だし。しかしね、住めばなかなかいいところだったりするんですよ。鹿行はホントしょうもないけど(笑)


何年か前に、茨城県職員の人の講話を聞く機会があったんです。その人、「茨城は独立が可能である」なんていうことをのたまって・・・おっしゃって(笑)おりました。なんというナショナリストw おいらもその時は「大丈夫かこの人」と思ったわけなんですが、考えてみるとそれも不可能なことではないのかもしれないなあと思うんです。

茨城県の人口は300万人弱です。この程度の人口規模以下の国というのは世界中にありまして、たとえばクウェートなんていう国は人口300万人弱なんです。茨城県とほぼ同じ。クウェートは砂漠の国ですが、茨城県は豊富な水と大地があって食料自給率も高率を保てる可能性が非常に高いので、こちらの方が住みやすいんじゃないかと思いますね。

茨城県は意外とインフラが整っています。国際貿易が可能な港が北部と南部にひとつづつあります。小さいながら空港もありますね。軍民共用ですが。それと、南北を縦貫する高速道路と鉄道があります。重化学工業があります。学園都市もあるので、科学技術のレベルも高いですね。海底光ケーブルの陸揚げ局があるので、海外との通信回線も確保できます。衛星地球局もいくつかあります。

発電所は、工場用ですが大きな火力発電所もありますし、なにより東海村に原子力発電所があります。茨城共和国(笑)の300万人分の電力は十分賄えるでしょう。隣の国の首都に売電できるかもしれません。海岸は波風が強いので、波力・風力発電も可能です。というか、すでにやってます。田んぼだらけなので用水路を使ったマイクロ発電も可能。土地が広くて遮るものが何もないから、広範囲で太陽光発電も可能。そういえば、おいらが勤めている地域には石油備蓄基地もありましたっけ。

軍事力ですが、茨城県には海上自衛隊がないものの、陸自と空自が駐屯しています。仮にこれらを使えるとするなら、そこそこの力をもった軍隊を作れるかもしれません。東海村とつくば学園都市があるので核武装さえもできたりして・・・。もしも茨城県が独立したとしたら、日本だけではなくて極東地域の脅威になるかもしれませんねー。

産業はといえば、東南部の重化学工業と、広い土地を利用した農業や鹿島灘での漁業になるんでしょうね。その他には長い海岸線を利用したリゾート地開発計画など観光産業に力を入れるという話もあります。「鹿島灘を日本のコート・ダジュールにする」なんていう話が本当にあったくらいで。「大丈夫かオマエラ」って感じですが、本当の話です(笑)

今は地方分権が叫ばれている時代ですが、茨城県はほかの県に比べると自立度が高いかもしれないですね。

交通マナーは最悪だけどw (ノ∀`)




前にも載せた映像だけど、おいらが住んでる地域はこんな感じですね。このあたりは夕方がいい雰囲気です。なんというか、非日常的な風景になるので。SF映画のような、アニメのような・・・?

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2009年9月11日 (金曜日)

【政治・社会】見えない戦争

おいらはよく声優さんのブログを巡回しているのですが、今日はこんな記事を見つけました。

ダルフールを知っていますか? (『かもさんのらくがき帳』:声優・名塚佳織さんのブログ)

アフリカでは今も各地で紛争が続いています。日本ではあまり報道されないので普段はほとんど意識されませんが。

日本から遠く離れた国での出来事ですし、そういう事実を知ったからといって個人にできることはかなり限られています。まず普通に生活している人には関心が持ちにくいと思います。しかし、文明社会の人間として心のどこかに留めておかなければならないことだと思うんですね。

アフリカの中央部にコンゴ民主共和国という国があります。20世紀の終わりごろから現在まで内戦が続いていて、これまでに540万人が亡くなったといいます。このコンゴ共和国、実は資源大国でね。金や銅、各種の希少金属が産出されます。ウランなんかも産出されるようで、広島に落とされた原子爆弾はコンゴ(旧ザイール)で採取されたウランで製造されたということです。日本とも少なからぬ因縁のある国なんですね。現在では我々が使用している携帯電話に使われる材料(タンタル)を産出しているので、日本にとってはかなり重要な国です。

参考:<闇に差す光>略奪の大地で 紛争続くコンゴ民主共和国 避難200万人、希望の産声
2009年9月7日(月)13:00 毎日jp

しかし、わが国にとって重要なその国の中で何が起こっているかを知っている人は少ない。皆がみんな地域研究者ではないわけだからもっと勉強しろとはもちろん言えません。ただ、我々の生活というのは、もしかしたら誰かの大きな犠牲の上に成り立っているものなのかもしれないということだけは時々思い出した方がいいと思います。今日はちょうど9月11日ですが、そういう「誰か」の存在を忘れたままでいると後で大きなしっぺ返しを食らうことになるのかもしれません。

そういうことも、誰かが言い出さないと思い出さないことが多いんですよね。だから名塚さんが紹介してくれた映画も、また名塚さんの書いた記事自体も決して無駄なことではないんだと思います。



かなり前に他のブログでも書いたことだけれど、おいらはロシア(当時はソ連)の空港でレソト人の青年に助けてもらったことがありました。ソ連の通貨を持っていないのに料金後払いのビュッフェでこれでもかっていうくらい料理を取ってしまってね。支払いができずに困っていたところに彼がやってきて、食事代を立て替えてくれたんですね。

そのときに米ドルでお返しをしようとしたら、彼はこう言って断りました。

「お前は日本人だろう? 日本は豊かな国だと聞いている。お前が将来偉くなったら俺の国を助けてくれないか。」


その後おいらは、一度は国際協力に関係した仕事に就きました。もちろんレソトの青年との約束を果たすためだけではなく、他にいろいろと思うところがあったのでそういう仕事に挑戦したんです。

このブログを前から読んでいる人は知っていると思いますが、おいらにはどうしても普通の仕事についていけない部分があって、結局そのレソト人青年との約束を果たすことはできませんでした。その仕事を辞めてから今まで、おいらは偉くもなれなかったし、お金持ちにもなれませんでした。まったく無力です。しかし、こうやってブログを書くことだけはなんとかできる。というか、それしかできることがない。

うちのブログなんてあまり人も来ないし影響力があるとは思えませんが、この記事を読んでくれた人がダルフールやコンゴやレソト、そのほかの国についても気にしてくれるようになったらいいなと、おいらはそう思うんです。




Photo_2 おいらがかつて国際協力の仕事をしていたときに取得したザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)のビザ。

内乱直前で、もうすでに仕事どころではなかった。

工事はすべてストップしました。何をどれほど作ったとしても、この国の人の役に立つことができない。そんなむなしさを感じたものです。

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2009年8月30日 (日曜日)

【普通の日記】選挙なので

朝の早いうちに投票に行ってきました。

うちのあたりは投票が午後6時までなんですね。以前は午後8時くらいまでやってたような気がするけど。

茨城県の東の方っていうのは全国的に見て投票率が全国最低レベルなんですよ。投票時間が短縮されるっていうのはそういうことも関係してるんじゃないのかねー。「どうせお前ら選挙なんか行かないだろw」みたいな・・・。

とりあえず選挙には行った方がいいと思うんです。あとから不都合なことが起こっても文句が言えなくなっちゃうんでね。それに、どんな形であれ政治に参加しないと市民サービスが向上しないんですよ。おいらの職場がある市には警察署もないしね。舐められてるんだよなぁ、きっと。いや、政権が変わったって行政サービスが向上するかどうかはわからないんだけど、少しでも可能性があるなら行動しないとね。

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2009年8月27日 (木曜日)

【政治・社会】ベーシック・インカムその5

まとめるとかなんとか言いつつ、全然まとまる様子がありませんが(笑)

この前までは全国民に毎月4万円を一律支給すると言うお話でした。その際の財源は社会保障費の老齢年金部分全額と消費税15%の全額(といっても6割程度)を想定していました。この計算で問題なのは年金が丸ごとなくなるじゃないかということでしたね。今回はそのあたりのことを考えたいと思います。

ぶっちゃけ、社会保障給付を全面的に廃止します。

さて、平成18年度の社会保障給付費の収入総額はいくらだったかというと、104兆3713億円だったそうです。(国立社会保障・人口問題研究所統計より) これをすべてベーシック・インカムに突っ込もうと思います(笑) そしてせっかく上げた消費税15%。こちらも全額突っ込みます。

消費税15%の歳入総額は、平成20年度の歳入予算総額をベースに考えた場合、約30兆円くらいになるはずです。しかし消費税は景気に影響されやすい税なので、その全額が入ってくることは考えにくいです。財源としては心もとないんですね。政治家の皆さんは財源のことを聞かれるとすぐに「消費税を上げて・・・」なんていいますけど、そううまくはいかないんじゃないでしょうか。とにかく30兆円全額が入ってくることはまずありえないので、ここでは6割の18兆円を財源として使えるという想定で計算してみます。

そうすると、これまで社会保障給付費に当てられていた104兆円と消費税18兆円で、およそ122兆円がベーシック・インカム財源として確保できました。・・・多分(笑) 今度はそれをどのように分配するかです。社会保障給付費の財源のうち約31兆円は「公費負担」です。それはおそらく国の借金の一部なんだろうと思いますが、ここではそれもそのまま使う計算です。あしからず。)

ここで平成19年(2007年)の日本の総人口を見てみます。2年前、日本の総人口は約1億2777万人でした。平成21年の現時点ではこの数字より若干少なくなっているものと思われます。この人口を4つの年代に区分して、配分率を変えながらベーシック・インカムを振り分けます。

 0~19歳 月額 4万円 支給費:約11兆3155億円
20~59歳 月額 6万円 支給費:約49兆1486億円
60~64歳 月額10万円 支給費:約10兆1664億円
65歳以上  月額15万円 支給費:約49兆4370億円


総支給費:約120兆675億円

月20万円を国民全員に分配するというのはかなり無理がありますが、このくらいなら実現できそうな気がしないでもないです。65歳以上は仕事がなくても貯蓄とベーシック・インカムでなんとか暮らせそうです。また、65歳未満は給付額が少ないので基本的に仕事をしないと生活できませんから、ベーシック・インカムに頼りきりで仕事をしないという選択肢はとりにくいと思われます。

さて、実際の生活ですが、前の例で出した最低賃金で生活するギリギリ夫婦(笑)もこの試算なら所得が多少増えます。前回の例では一律4万円支給でしたからね。子供ができればさらに支給額は増えます。

今回は3世代家族の試算をやってみることにします。家族構成は65歳以上のおじいちゃん(仕事なし)1名、60歳前半のおばあちゃん(仕事なし)1名。(今は60歳でおじいちゃん、おばあちゃんというのも違和感がありますが、ここは子供目線ということでw) 30代の夫婦で、お父さんの月給が35万円、お母さんはパートで月10万円の収入があるとします。それに小学生の子供が2人いるとします。

この家族のベーシック・インカム収入は月45万円になります。そこにお父さんとお母さんの収入45万円をプラスして、月の家計収入は90万円。年間収入は1080万円になります。仮に20万円のボーナスがあったとしたら1100万円。これだけあれば多少の問題が起きてもなんとかなりそうな気がしますねー。

このように、お年寄りのいる家庭というのは収入面でかなり有利になります。また、子供がひとり増えるごとに収入は増えていきますから、大家族ほど有利です。家族が多いと家庭を維持する経費も抑えられると考えられます。年をとっても邪魔にされず、子供がいても生活が苦しくならない社会。民主党あたりが喜びそうな(笑) ただ、この制度が結婚・出産や大家族回帰のインセンティブになり得るかどうかは、まだ研究の余地がありそうです。人間は、経済効率だけで動く生き物ではありませんから。

さて、次はいつになるかわかりませんが、そのほかの問題について考えたいと思います。特に「こんな制度ができたら働かなくなる奴が出てくるじゃないか」なんていう話ですね。(月額20万円のベーシック・インカムの場合)

まぁ、ホントにいつ書くかは決めてないですけど。

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2009年8月15日 (土曜日)

【政治・社会】ベーシック・インカムその4

ここでの「ベーシック・インカム」は月額20万円を支給するといったような規模のものではなくて、月額4万円を全国民に支給するレベルです。月額20万円というのは、ちょっと無理なんじゃないかと・・・。

で、この前の続きです。うちの地域の吉●家(牛丼チェーン店)のバイト代は時給850円なんだそうですよ。例えばこの時給で1日8時間働き、年間200日働くとすると、年収136万円になります。月額にならすと約11万3000円ですね。これに「ベーシック・インカム」4万円(非課税)を加えると15万3000円。正直なところ都会で暮らすのはかなりきついですが、おいらが住んでる茨城県なら何とか生活できるレベルです。

仮にこの人が同じような収入の人と結婚するとすると、月の家計収入は単純計算で30万6000円。ただここで問題なのは、ベーシック・インカム制度がこういう人たちが結婚するためのインセンティブになり得るかということです。今だって夫婦共働きなら単純に家計収入は増えるわけですけど、結婚しない人は多いですよね。おいらもなんだけど(笑) いろいろと原因はあるんだと思いますけどね。

ただ、ベーシック・インカムがある社会では子供ができた段階で今とはだいぶ違ってくるんですね。ここでの話は全国民に支給されるという前提になっているので、子供が生まれた時点で4万円が支給されます。上の例だと月の家計収入が34万6000円、年間の収入は約415万円になりますね。家族3人、なんとか暮らせるレベルじゃないでしょうか。まぁ、夫婦のどちらかは正社員を目指した方がいいと思いますけど。

次はケース2・正社員の場合です。やはり夫婦共働きの場合を考えますが、正社員の平均月収がどのくらいかよくわからないので、仮に夫婦ともに25万円程度の月収があるとします。月の家計収入が50万円です。これに2人分のベーシック・インカムを加えて月収58万円。年収696万円。ボーナスがあればもう少し増えます。仮に夫婦ともにボーナス1カ月分があるとしますと+50万円で746万円になります。どうでしょう。これなら生活にかなり余裕ができますし、貯蓄も十分にできるかと思います。例えば、失業してもしばらく食いつなげるだけの貯蓄が可能ではないでしょうか。というわけで、雇用保険の支出も減額できる可能性が出てきましたね。もう、なんでも廃止しちゃう(笑)

さて、このちょっとだけ余裕のある夫婦に子供ができました。どうなるか。
子供が生まれて出生届が出された時点で、この子のベーシック・インカム月額4万円が支給されます。年額48万円。上の746万円にさらにプラス48万円で年収794万円になりました。3人家族の794万円って、かなり余裕があるんじゃないでしょうか? さらに2人目の子供が生まれると年の家計収入は844万円になります。これはもちろん、夫婦で働いている場合ですからかなり多めになっていると思いますけど、レア・ケースではないと思うんです。

ここで例として挙げているベーシック・インカムは全国民に月額4万円を支給するというものです。年額48万円になりますが、家族の構成員がひとり増えるごとに年間家計収入が48万円ずつ上がっていくんです。子供が2人生まれれば96万円です。これはかなり助かると思いますよ。また、家族ではなくても、何人か寄り集まって暮らす場合でも同じ効果が期待できます。(貧困ビジネスじゃないけど、また変なビジネスが出てきそうですが。食えない人間を一カ所に集めてピンハネするとか、ベーシック・インカムを担保に金を貸すとか・・・。)

たまにテレビで大家族の話が出ることがありますよね。おいらはあんまりテレビ見ないから、そういう家の家計がどんなもんかよくわかりませんけど。例えば両親2人と子供8人の場合を考えてみます。今回はお父さんだけが働いていて、月収は40万円とします。そうすると、この家の月間収入は40万円+家族全員のベーシック・インカム40万円で80万円になります。年間960万円。1か月分のボーナスがあるとして、ちょうど1000万円の年間収入があります。正直うらやましい(笑) ベーシック・インカムがある社会では子供が増えても貧しくならず、きっと教育も行き届くことでしょう。大学だって行かれます。まぁ、子供たちはさっさと結婚して社会に出る道を選ぶかもしれませんけどね。

次はまとめを書くつもりですけど、本当に書くかどうかはわかりません(笑)
つづく?

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2009年8月13日 (木曜日)

【政治・社会】ベーシック・インカムその3

昨日までのお話:
消費税を15%に上げて老齢年金を廃止し、62兆4000億円を確保する。これで月額4万円を全国民(話の都合上1億3000万人としました)に支給するという。

ベーシック・インカムっていうと、生活保護程度の額(14万円くらい?)を全国民に毎月支給するような話になってるんだと思いますけど、それはやっぱりちょっと無理そうな気がします。全国民にではなくて成人全員とした場合でも168兆円くらい必要なんです。多分(笑)

今回は勢いで老齢年金を廃止してしまいましたが、まったくなしというわけにはいかないと思うんですよね。そのことについてはまた後で考えますが、とりあえず先に進みたいと思います。月額4万円が全国民に支給されるとどういうことになるのか。

ケースその1。ある意味かなりギリギリな人たち。時給制で働くフリーターの皆さんを考えてみます。今、アルバイトの時給がどのくらいか相場がよくわかりませんが、たとえば最低賃金で計算してみることにします。おいらが住んでいる茨城県の場合、今現在の最低賃金は676円です。かなり安いですねぇ。吉○家の時給の方が高いんじゃないの? この間、隣の市で海外から来た研修生が過労死した話題がありましたが、あのくらいの労働条件は残念ながらざらにあります。あえて「あのくらい」の中身は書かないけど。さすが茨城クオリティ。なにしろ、ハロワの求人で税理士資格保持者を月給20万円で雇おうとする土地柄なので・・・。応募する人いるんだろうか(笑) もはや何を言っても無駄みたいな。

それはともかく、時給676円ということは、1日8時間働いたとして日給5400円くらいになりますよね。年間200日程度働くとして年収約108万円です。月額に直すと9万円くらいですね。ここに4万円をプラスして13万円ですか。税金やら何やら引かれてしまったらかなりつらいです。まず大都市では暮らせないレベル。茨城ならともかく(笑)

さて、この人が同じくフリーターの女性と結婚したとします。ある意味ギリギリな夫婦(笑) おいら計算が苦手なので、月収を単純に2倍します。ある意味ギリギリなおいらw 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
そうすると、この2人の月の収入は26万円になりますね。年収だと312万円。かなりきついけれども何とかならなくもないレベルなんじゃないでしょうか? まぁ、不安定なことには変わりがないので、夫婦のどちらかは正社員を目指した方がいいと思いますが。

さらに、このギリギリな夫婦に子供ができてしまいました。どうなるか。
今回考えているベーシック・インカム制度は全国民に月額4万円ですから、子供が生まれた時点で4万円がもらえます。年額48万円。この家族の年間収入は360万円になりました。どうでしょう。このくらいの家計で生活している人って、結構いると思うんですね。なんとかできなくもないんじゃないでしょうか。(奥さんが妊娠中の時期や子供が小さいうちは、夫婦のどちらかが十分に働けないと思うのでその時期はかなりつらいと思いますが。そこはまた別の社会保障制度を考える必要があると思います。)

ということはですよ、現在生活保護にかかっている費用を抑えることができる可能性が出てくるじゃないですか。最低賃金でもなんとか暮らしていける可能性があるのですから。しかも家族の構成員が増えれば増えるほど有利になるわけですから少子化対策にもなるんではないかと思われます。(おいらは日本の人口は減らさなきゃならない派ですけど) 物価の安い地方で昔のような大家族で暮らすならば、月額4万円でも大きな助けになると思うんです。地方の活性化にも役立つのでは?

消費税以外の税制についてもいろいろと見直す必要があろうかと思いますが、ベーシック・インカム制度は限定的な形ではあるけれども実現可能なんじゃないかと思うんですよね。

明日はケースその2・正社員の場合を考えてみたいと思います。
つづく。

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2009年8月12日 (水曜日)

【政治・社会】ベーシック・インカムその2

さて、昨日の記事を読んだ人の中には「あれ?」と思った人がいるかもしれません。
正解です(笑)
昨日の6兆5000億円というのは、全国民に一律5万円を毎年配る計算です。年間支給額5万円。こんなもの「ベーシック」でも何でもないというね(笑) 少なくとも「ベーシック・インカム」というからには月額5万円を全国民に一律支給くらいのレベルじゃないと。

小学校の算数レベルで申し訳ないんですけど(おいら計算苦手だからw)、単純に計算して6兆5000億円の12倍が必要になるでしょう。つまり78兆円です。とんでもない金額になってますが・・・。

現在、我が国の財政支出でかなり大きな部分を占めているのは社会保障費です。国立社会保障・人口問題研究所の資料によると、平成18年度の社会保障給付費の総額は約89兆円だったようです。(この時点で一般会計歳出総額を超えているのは気のせいか?w) とりあえず、ここから費用を捻出するとしましょう。この社会保障給付費の約5割を占めるのは老齢年金、わたしたちが一般的に「年金」と言っている部分です。平成18年度には44兆6618億円が支出されたようです。これに昨日の6兆5000億円を足して約51兆円。まだ27兆円足りませんねぇ・・・。

これはもう仕方がない。消費税を15%に引き上げます。現在の3倍です。消費税歳入予算30兆7000億円とします。しかしながら現在でも歳入欠陥がある状態ですし、消費税を3倍に上げたからといって30兆7000億円が丸々入ってくるわけがありません。よくて6割くらいでしょう。ここでは18兆4000億円としておきましょう。老齢年金44兆6000億円プラス消費税18兆4000億円で63兆円です。残念ながらまだ足りません。

やむを得ないので月の支給額を減額して4万円にします。その場合、計算は省きますが62兆4000億円の予算が必要になります。月4万円ならなんとかなりそうじゃないですか。毎月納めている社会保険料を「ベーシック・インカム税」とした上で老齢年金を廃止し、消費税を15%に上げる必要がありましたが、何とか実現できなくもないような気もします。もちろん月4万円で生活ができるわけはありませんから仕事はしないといけませんよね。しかし、反対派が主張するような「こんな制度があったら誰も働かなくなるじゃないか」という懸念は払拭できると思います。基本的に働き続けないと生活できませんから。

消費税15%というのは、EU諸国などに比べると実はかなり安い方です。ただし、EUの場合は食料品などの生活必需品にかかる税が安く設定されているんですけどね。だから実際に増税する場合は一般の消費税を高めに設定して、食料品の税を安く抑えるというやり方でもいいかもしれません。

さて、本当になんとかなったのかどうかはよくわかりませんが(笑)、とりあえずベーシック・インカム制度が可能だとして次のことを考えたいと思います。

が、長くなるので続く。

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2009年8月11日 (火曜日)

【政治・社会】ベーシック・インカムその1

世の中には「ベーシック・インカム」という発想があるようです。

参考:評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
      六本木で働いていた元社長のアメブロ

全国民に対して一律に、しかも恒久的に一定の収入を保障するという制度です。この考え方には賛否両論あるようですが、個人的にはそれもありなんじゃないかと思います。「そんなの無理!」であるとか、極端なものになると「反社会的な思想である!」といった意見もありますが、そこで話が終わってしまうというのも建設的な態度とは思えませんので、どうしたら実現可能であるのかを考えてみたいと思います。

まず、一番の問題になりそうなのは財源ですね。反対派の人たちの多くもこの部分を攻撃することが多いと思われます。ここでは仮に消費税を全額ベーシック・インカム予算に突っ込むことを考えてみましょう。

平成21年7月1日現在、日本国の総人口は1億2761万人(概算値、厚生労働省統計より)です。計算が面倒くさいので1億3000万人ということにしておきます。ごめんなさい。計算苦手なんですw 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
そして昨年度末、平成21年3月末の消費税歳入実績は5兆2800億円でした。(財務省統計より)

仮に全国民(ここでは話の都合上1億3000万人ですが)に10万円をもれなく支給すると、13兆円が必要な計算になります。全然足りませんね・・・。では、ちょっと値切って8万円ならどうでしょうか。これだと10兆4000億円が必要です。まだ足りませんなあ。じゃあ、一律5万円ならどうか。これだと6兆5000億円が必要な計算になります。これなら何とかなりそうじゃないですか。

実は、平成20年度の消費税歳入予算額は10兆2540億円でした。ところが年度末時点で5兆2800億円しか集まってません。歳入欠陥というやつです。これは主に景気の悪化が原因であると思われます。昨年後半からの急激な景気の悪化で他の税の歳入もそれはもうひどいことになっているわけですが、逆に考えれば、今回のような最悪の状態でも消費税で5兆円以上集まるわけですから、5万円を全国民に一律給付することは消費税を上げずにできる可能性があります。必要ならば数パーセント消費税を上げてベーシック・インカム予算に充当する対策もありえます。(納税できない事業所が多くて歳入欠陥になっちゃうかもしれませんが)

長くなりそうなので今日はこれまで。

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2009年7月19日 (日曜日)

【アニメ】フレッシュプリキュア!

毎週この作品の記事を書いているような気が(笑)
そして毎回かなり長文だったり。

フレッシュプリキュア! テレ朝
("Fresh Pretty Cure!", EX; Link to US Animation Database)


Yith_01 プリキュアになったものの、行き場を失ってしまったイース様(東せつな)。 この孤独な感じがたまらんのですよ。歪んでるなあ、おいら 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?

(ローリングストーンズ、"LIKE A ROLLING STONE"の一節)


東せつな(イース、CV:小松由佳さん
AZUMA Setsuna (Yith, CV: KOMATSU Yuka)


Wester 「ラビリンスで生きたものが、ラビリンスを捨ててどこかで生きていけるはずがない」というサウラー氏。なんだか極道の世界みたいですが (ノД`)

今回のプリキュアの悪者は管理国家ラビリンスです。細かい政治システムはよくわかりませんが、全体主義の国家のようです。ナチス・ドイツや北朝鮮のイメージですね。

サウラー(CV:鈴村健一さん
Sourer (CV: SUZUMURA Kenichi)


自由っていうのは本当はとても孤独でつらいことなんですね。選択肢があまりにも多いと逆に選べない。それから、選択の責任はすべて自分にある。有名な著作で『自由からの逃走』なんていうのがありますけど、人間は縛られていた方が楽なのかもしれません。ナチス・ドイツは確かに独裁国家でしたけど、あれはドイツ人が自分で選んだ体制だったんです。民主的な手続きに従って。

Yith_02 今回とても印象に残っているシーン。
イース(せつな)がラビリンスでの生活を回想するシーンなんですけど、ちょっと昔のSF映画みたいでね。小さいお友達向けの作品でこういう描き方をするんだって思っちゃいました。

イースは生まれ変わってキュア・パッションになったわけですけど、名前が他の3人とは違いますよね。他の3人はピーチだのパインだのと果物系の名前になってますが、イース様だけは「パッション」。これ、おそらく「パッション・フルーツ」のパッションではありません(笑) "Passion"という単語には情熱という意味のほかに、苦難とか試練のような意味があるんですね。宗教的な意味合いが強い言葉なんです。おいらはアニメ作品の公式ページってあまり見に行かないからよくわかりませんが、キュア・パッションの名前の設定はキリスト教がベースになっているはずです。

ちょうど今、ちょっとした事情があって(っていうか、大学関係なんだけど)、哲学史の本を読んでいます。しかも非常にタイムリーなことに、プリキュア見る直前に読んでいたのがキリスト教の章でした。ものすごい偶然。

キリスト教の神様は他者を求めて、自分の姿形に似せて人間を作ったという話です。だから人間は本質的に他者を求めてやまないのだそうです。それが愛なのだと。そして、その愛する相手というのは、問いかけに対して応えることができるものでなければならなくて、ロボットや、奴隷のような人間は愛の対象になり得ない。(まして、アニメキャラクターに対して「俺の嫁!!ヽ(゚∀。)ノ 」みたいなことを叫ぶのはありえないらしいw) 以前、手塚先生の『火の鳥』でもキリスト教の愛がベースになっていると思われるお話を読んだことがありました。未来編だったと思うけど。

キリスト教によれば、人間が絶対者である神に似せて作られているということは、人間もひとりひとりが唯一無二の絶対者であるということ。「愛とは、一人の絶対者が一人の絶対者に呼びかけること」なのだそうです。一方、とは何かといえば、他者の呼びかけに応えないこと、他者との対面を拒否すること、他者を避けること、他者を奴隷化すること、自己を絶対化すること-まぁ、おいらにとっても耳が痛い話ではありますが。とくに他者を避けるというあたり。

参考:ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) 岩田靖夫著 2003年

このアニメでは主人公の桃園ラブが周囲に対して積極的にコミットしていくキャラクターとして描かれていますが、その行動はキリスト教の愛の形に近いもののような気がします。積極的に他者に問いかけて、他者の問いかけにもきちんと応えようとする姿が。一方で奴隷的な生活を送ってきて(自分では気づいていないけれども)、周囲にもうまくコミットできないイースは、人間の罪を表現しているんだろうと思います。

この作品でどこまでの設定が考えられているのかわかりませんが、おそらくはきちんとした哲学的なベースがあるんじゃないかと思っています。内容は「小さい女の子のおともだち(笑)」向けですが、つくりはしっかりしていると思いますね。


Sourer ウェスターさん、イイ顔してんなぁw

ウェスター(CV:松本保典さん
Wester (CV: MATSUMOTO Yasunori)


このキャラクターの思考パターンも面白くてねぇ。普通、「裏切りやがったな」→「成敗してくれる!(#゚Д゚)」っていうのが一般的なパターンだと思うんです。でもこの人の場合は「裏切りやがったな」→「連れ戻さなくちゃ(´・ω・`)」なんですね(笑)
もしかして、イースがいないとさみしいのかもw 。・゚・(ノ∀`)・゚・。 なにしろ素直じゃないので。っていうかお前、

マザコンだろ?w m9(^Д^)


Cure_passion イース改め「キュア・パッション」。
変身シーンがかなり派手です。心の中にいろいろと溜まってる人はキレると怖いんですw  (ノ∀`)

そしてまた新商材が・・・。
小さい女の子がいる家の人は大変ですねぇ・・・。
あぁ、おいらもか(笑)
親戚の子は去年生まれたばかりなので、まだ大丈夫だと思うけどね。

キュア・パッション(CV:小松由佳さん)
Cure Passion (CV: KOMATSU Yuka)


悪の組織を裏切ったヒーローっていうと『仮面ライダー』とか『デビルマン』なんかがありますけど、おいら、そういうキャラクターが大好きでねーw だからイース様もかなりツボ。

歪んでるなあ、おいらww 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

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2009年7月12日 (日曜日)

【アニメ】懺・さよなら絶望先生

絶望したあああああ!! m9(^Д^)

いや、前作も前々作もちゃんと見てないですけど(笑)

懺・さよなら絶望先生 BS11
("Zan Sayonara Zetsubou Sensei", BS11; Link to US Animation Database)


Photo_5 この作品は、どちらかというと漫画の方が面白いんじゃないかなぁと思うんですけどね。なんだか今ひとつしっくりこないところがあるなぁ。

糸色望(CV:神谷浩史さん
ITOSHIKI Nozomu (CV: KAMIYA Hiroshi)


なんだかちょっと危ないネタが多いですよねw
ネオ日○組ワロタw
まぁ、たまにシャレにならなそうなのもあるけどね。

Photo_6 おいおいw

「頭ん中蝶々飛んでる売国議員」
とか言ってるし (ノ∀`)


あのねー、確かに「誰が選んだんだよこんなの」っていう人はいますけどね、議会に席があるってことはよ、支持してる連中がたくさんいるってことですよ。日本は一応曲がりなりにも民主主義国家なんでね。ダメな奴は選挙で落とさないと。というか、皆で選んでるならしょうがないよね。たとえ売国的な議員であったとしてもね。

まあね、選挙で選ぶっていってもね、おいらが住んでる茨城県もそうなんだけど、これはと思う議員ってなかなかいないのも現実なんですけどね。それでもやっぱり選挙には行かないといかんのですわ。選挙ってのはね、最高の人を選ぶんじゃなくてね、最低の奴を落としに行くんです。完璧なすばらしい議員なんて、どこにもいないんですから。そうやって常に落とされる緊張感があれば、政治家の行動だって少しは変わっていくんじゃないかって思うんですよ。そうやって鍛えられていくんです。選挙に行かないってことはね、政治家を育てることを放棄するってことなんです。民主主義社会の根幹にかかわる部分ですよ。それを放棄するっていうことはテロに近いことなんです。


画像:
木津千里(CV:井上麻里奈さん
KITSU Chiri (CV: INOUE Marina)


この作品ね、おいらが好きな声優さんたちが結構出演しているんですよねー。なんだかんだ言って今回は見てしまうかもしれないなあ(笑)

ところで、次回作は『屍・さよなら絶望先生』とかじゃないだろうな?w

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2009年7月11日 (土曜日)

【アニメ】東京マグニチュード8.0 他

またまた新作。

東京マグニチュード8.0 フジ
("Tokyo Magnitude 8.0", FNS; Link to US Animation Database)


80 お台場っていえば、今日は等身大ガンダムが一般公開になったようで(笑) それはそうと、あそこは埋立地ですからねー。地盤が緩いですよ。マグニチュード8.0の地震に直撃されたら沈むんじゃなかろうか。

毎回東京に行くとさ、「ここで地震が来たら死ぬだろうな」って思いますよ。地下なんか穴だらけだしね。新しくできた都営線の駅なんて、ものすごく深いじゃないですか。埋まったら地上にたどりつくのは絶対無理だろうな、なんて思っちゃいます。それから、高層ビルね。最近はあまり高い所に行く用事がないけど、高層階で働いていた時には窓から下を見てぞっとしたものでした。実際に巨大地震が起きたら、それはもう壮絶な景色が眼下に広がることでしょうね・・・。もう、東京には住めないなあ。

小野沢未来(CV:花村怜美さん
ONOSAWA Mirai (CV: HANAMURA Satomi)


東京直下型地震が発生した場合、数百万人規模の帰宅困難者が発生するという試算があります。

首都直下地震に係る避難者・帰宅困難者 対策 について
(中央防災会議 首都直下地震避難対策等専門調査会)

主人公・小野沢未来はお台場から世田谷まで帰らなければならないようですが、途中でかなりの困難が予想されます。まず新橋方面に行くための橋が落ちる可能性がありますね。そういう話もきっと出てくると思いますけど。ちなみに東京都心からおいらの家まではほぼ100kmです。その距離なら3日もあれば歩ききることは十分可能だと思いますが、橋が落ちてしまった場合は隅田川、荒川、江戸川を渡らなければならないので、埼玉方面から大きく迂回しなければならないことになるでしょう。しばらくは帰れませんね。まぁ、生きていればの話ですが。

荒廃した東京といえばもうひとつ。

シャングリ・ラ BS11
("Shangri-La", BS11)


Photo こちらも新作といえば新作です。おいらはUHFが見られないから、衛星デジタルで配信されているものを1か月遅れくらいで視聴しています。BS11では6月から放送開始でした。

作品に登場する世界はどうやら温暖化が進んでしまったらしく、池袋がジャングル化しております (ノ∀`) 東京の各所も水没しているらしくて、秋葉原なんか船を使わないと行かれなかったりして。
炭素排出には厳しい制約が課せられていて、「炭素警察」みたいなものがあったりする世界です。グラファイト(簡単に言うと炭素のカタマリ)が高値で取引されちゃったりします。政治経済がかなり混乱している様子。とても格差の激しい世界のようで、高層ビルに住んでいる者と下界の厳しい環境で生きる者がいて、時々衝突もあるようです。
世界観はまだよくわからないけど、わりと興味深い作品です。

まぁ、興味深いのは

ヘンタイさんがたくさん登場するからですがw ヽ(゚∀。)ノ


北条國子(CV:高橋美佳子さん
HOUJOU Kuniko (CV: TAKAHASHI Mikako)



アニメ作品とはいえ、こちらも地震と同じように現実化する可能性は高いですよ。実際に、今現在沈みかかっている島国もありますからね。(下のリンク参照)

人類が生活しやすい環境っていうのは水辺に集中しているんですが、その住みやすい環境が失われた時、アニメ作品じゃないですけど必ず戦争が起こります。そうならないようにいろいろと努力をしていかなければならないんですが、現在の社会システムが経済優先になってますからなかなか話が進まないですね。特にこれから発展しようとしている新興国にとっては、温室効果ガス削減目標なんて先進国の嫌がらせにしか映らないのかもしれません。そういう状況だから、とにかく先進国だけでも努力を続けなければならないはずなんですが、それもあまり期待できないようで。特に日本の場合は経団連が足かせになっています。

中期目標にガッカリ (サステナ・ラボ)

国土水没の危機に瀕するキリバス共和国(09/05/07)
日経エコノミー


温暖化は地震と違って、まだ多少は人間がなんとかできる余地があると思うんですけどね。

おいら、最近よく思うんです。そう遠くない将来に、この星は人間の住める環境ではなくなるんじゃないかってね。

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2009年7月 3日 (金曜日)

【アニメ・政治社会】大正野球娘。

久しぶりにアニメカテゴリの更新。もうそろそろ新番組が出てきてるんですよね。明後日の試験が終わったら本格的に見ます。

え?試験勉強はいいのかって?

今度の試験で受ける「日本外交史Ⅰ」で、ちょうどこの時期のあたりも勉強しててねー。なんかタイムリーだなぁと思ってね。あくまで勉強の一環としてですね(ウソw)
まぁ、たんなる息抜きなわけですが。
あらかじめ断っておきますが、今日は長い話になりそうです。(全然息抜きじゃないというね (^-^;A)

大正野球娘。 TBS
("Taishou Yakyuu Musume.", TBS; Link to US Animation Database)


_01 鈴川小梅(CV:伊藤かな恵さん
SUZUKAWA Koume (CV: ITOU Kanae)


友達に誘われて野球をやるハメになった少女。中の人は『しゅごキャラ!!どきっ』では日奈森あむを演じている伊藤かな恵さん。おいらにとっては比較的聞き取りやすい声の人です。

作品の冒頭に当時の流行歌(?)が流れてましたけど、あれ、実はおいらにとっても懐かしい曲なんです。おいらが小さかった頃、母親(昭和18年生まれ)が鼻歌で歌ってました。その母も、小さい頃に大人が歌っているのを聞いて覚えたらしい。考えてみれば、おいらの父方の伯父さんは昭和2年(1927AD、この作品の舞台の2年後)生まれだし、そんなに遠い昔の話でもないなあ。ちなみに、おいらの母方のばあさんは大正6年(1917AD)生まれ。ロシア革命っすよロシア革命w まだ生きてるし。

この作品の主人公・鈴川小梅ちゃんは14歳という設定らしいので、1911年生まれということになるんでしょうか。当時は数え年が主流だったかもしれないので1912年生まれかもしれません。日本の元号でいうと明治44年から大正元年の生まれの人のようです。

Photo 宗谷雪(CV:能登麻美子さん
SOUYA Yuki (CV: NOTO Mamiko)

まみちゃん登場!!

バンザ~イ!!w \(^O^)/

視聴継続w ヽ(゚∀。)ノ


最近は演技の幅も広くなってますけど、なんというか「いつものまみちゃん」ですね(笑)

この大正14年(1925AD)がどういう年だったかというと、東京六大学リーグが設立された年だったんですね。今回も作品の中で慶應、早稲田両校の名前が挙がっていました。ところで、雪さんの台詞で「慶應は今遠征中よ」というのがありましたが、これはどうやら歴史的事実ではないようです。この時期に慶應野球部がどこかへ遠征していたという記録は見つかりませんでした。慶應野球部は大正3年(1914AD)にアメリカ遠征を行っているので、そちらと間違えている可能性はあります。

参考:慶應義塾体育会野球部ホームページ


Photo_2 早稲田の戸塚球場(後の安部球場)で、早大野球部の練習を見てビビリまくる女学生たちw

小笠原晶子(右、CV:中原麻衣さん
OGASAWARA Akiko (Right, CV: NAKAHARA Mai)


最近は女の子でも野球をする人が増えましたけどね、やっぱりかなりハードなスポーツですよね。硬球なんか当たると痛いしなぁ・・・。

Photo_3 こちらはテレビ東京の日曜朝に放送中の『クロスゲーム』(関東地区)

月島青葉(CV:戸松遥さん
TSUKISHIMA Aoba (CV: TOMATSU Haruka)


平成野球娘。(笑)
この作品、ちょっと懐かしい感じがしておいらは好きです。
「おっさんホイホイ」ってやつ?w


ところで、小梅の台詞で「(学校から早稲田まで)3里くらいあるんじゃない?」なんていうのがありましたが、実際には2里(約8Km)くらいなんじゃないかと思います。おいらたちは早慶戦のときに早稲田から神宮球場まで何度か歩いたことがありましたけど、だいたい4kmくらいだったと思います。小梅の学校がどのあたりかわかりませんが、仮に麻布区にあった府立第三高等女学校(現在の東洋英和女学院の近く)が学校のモデルだとしても、淀橋区の早稲田まで3里はないと思いますが。

参考:(戦前)昭和東京散歩

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14 ここからはアニメとあまり関係のないお話になります。この作品の時代背景について。

戦前は暗い時代だと思われがちですが、大正末期は比較的明るい時代でした。ちょうど外交史を勉強している途中なのでそちらの面から書いてみると、この時期はワシントン条約体制の下で積極的に軍縮が行われていた時代です。日本の外交方針は対英米協調、対中国不干渉でした。政党政治も本格的に盛んになった時代で、昭和7年(1932AD)に犬養首相が暗殺されるまで政党内閣が続きました。政友党と民政党がほぼ交互に政権を担う、「憲政の常道」の時代です。(後にこの「憲政の常道」システムが政党政治の息の根を止めるきっかけになってしまいますが)

日本は軍事力に代わって経済力による大陸進出を目指していた時期で、実際に貿易額が増えています。東京、大阪など大都市圏の市民は経済成長の恩恵を相当受けていたものと思われます。国内政治の大きなトピックとしては、大正14年(1925AD)の5月に普通選挙法が公布されたことが挙げられます。このアニメ作品の第1話の、少し後のお話。

普通選挙法というのは何かというと、満25歳以上の男子全員に選挙権が与えられたんですね。ここでひとつ問題なのは、普選を実行すると反政府的な政党が支持を伸ばしてしまう恐れがあるということです。そこで普通選挙法を成立させるに当たって、治安維持法もセットで成立させたというわけです。上の画像の下の方をよく見てみると、「治安維持法が可決」とありますね。(ちなみに、成人女子も含めた完全な普通選挙が初めて行われたのは、昭和21年(1946AD)4月10日の第22回衆議院総選挙。この選挙は大日本帝国憲法の下で行われた最後の選挙となりました。)

比較的明るかった大正末期ですが、このアニメ作品の舞台の翌年、大正15年(1926AD)には雲行きが怪しくなってきます。この頃、大陸では中国統一を目指して蒋介石が北伐を開始します。北伐軍は諸外国が大陸に持っていた権益を実力で回収しにかかりました。この頃の国際的な条約で、中国の「領土保全」を謳った九ヵ国条約というのがあって、要するにひとつの国が中国大陸で抜け駆け的に権益を拡大するなよっていうことなんですが、逆に言えば中国が諸外国に蚕食されている現状を認めるという条約なんです。蒋介石の行動は明らかにこの条約に違反したものなんですが、この条約自体が中国人の犠牲の上に成り立っているものなわけで、彼らにとっては「知ったこっちゃねえ」ということになるわけです。

日本は中国大陸に経済進出していましたから、当然混乱に巻き込まれるわけですね。中国各地で日本人の安全が脅かされました。そして、そういう状況の中で南京にあった日本領事館が襲撃される事件が発生したんです。(第一次南京事件。昭和12年の南京事件と区別するために、「第一次」としました。)この当時の日本の外交政策は対中国不干渉でしたから日本政府は目立った対応をしなかったのですが、当然国内から批判が湧き上がります。実はこの時、イギリスなど諸外国から武力干渉を求められていたんですが、日本政府はこれを拒否しました。当時の日本外交のもうひとつの柱は国際協調主義でしたし、九ヵ国条約を理由に出兵することはできたはずです。しかし、日本政府は派兵しなかった。

もしもこの時、日本が英米とともに中国に派兵していたら、その後の歴史は多少違ってきたかもしれません。中国人にとっては極めて迷惑な話でしょうが、中国問題に対して日英米が軍事同盟を組むことができたかもしれません。あくまで仮の話ではありますが。

日本は昭和2年(1927AD)、外交政策を対中国強硬策に転換させた田中内閣のもとで山東出兵を行います。しかし中国側の激しい抵抗で、結局は期待した効果を挙げることができませんでした。そのうちに満州の権益まで危なくなると、関東軍は満州支配の強化を目論み張作霖爆殺事件を引き起こします。しかしこれも裏目に出て、蒋介石の北伐は完成してしまいました。そして日本(関東軍)は満州の権益を確保するためにさらなる謀略をめぐらせていく・・・。その結果は泥沼の日中戦争であり、日米戦争の悲惨な結末でした。

外交交渉というのは力(軍事力)が背景にないとうまくいかないものだし、その一方で筋の通らない軍事力の発動もうまくいかないものなんですね。これはきっと、現在の日本にも言えることなんだろうなと思います。

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2009年6月21日 (日曜日)

06月21日のココロ日記(BlogPet)

大戦は金なり……

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪


うちのブログは書いている内容が多岐にわたっているので(最近は一部のカテゴリに偏りがちですが)、ココロちゃんもいろんな言葉を覚えます(笑)

確かに戦争には金がかかりますわなあ。

「戦争のラチェット効果」という論があります。「戦争は財政・税収規模を拡大させ、しかも戦争終了後も元には戻らない」という。経済にしても科学技術にしても、人間社会は戦争によって発達してきたと言えなくもない。少なくとも第二次世界大戦までは。

「ラチェット効果」の例として日露戦争前後の歳出総額と軍事費を比較してみます。1903年(明治36年)の歳出総額は約2億5千万円。それが戦後の1907年(明治40年)になると約6億円に拡大しています。(1904~1906年は戦時特別会計なので単純な比較ができません) 約2.4倍です。軍事費についてもほぼ同じ伸びになっています。ちなみに軍事費の一般会計歳出に占める割合は32%~33%でした。

もちろん、急速に近代化が進んでいた時期なので、年ごとに財政規模が大きくなっていくのは当たり前の話ですが、4年で歳出が2.4倍というのは普通ではまずあり得ないんじゃないかと思います。

次の例は日華事変の頃のお話。
1936年(昭和11年)の歳出総額は約22億8千万円でした。それが1937年(昭和12年、日華事変勃発の年。)になると約52億4千万円に拡大しています。臨時軍事費が加算されているという事情はありますが、それでもかなり急激な変化です。(ちなみに昭和12年度予算は30億4千万円でした。それにしても前年度実績22億8千万円からこの額です。33%増。)

1940年(昭和15年)になると歳出総額は約112億円になりました。1937年から2.14倍です。しかしこれだけ財政を膨らませても、結局のところ中国との戦争を解決することはできませんでした。しかも1939年(昭和14年)からは本格的にアメリカの経済制裁が始まります。この当時、日本にとって最大の貿易相手国はアメリカ合衆国。輸入総額約34億5千万円のうち、12億4千万円がアメリカからの輸入です。率で言うと36%です。石油に限って言えば、約80%をアメリカからの輸入に頼っていたんです。そんな国と戦争して、勝てるわけがありません。

戦争ってのはとにかく金がかかります。それは今でも同じことでしょう。「トマホーク1発何億円」なんて言ってますしね。核兵器開発となるとさらに莫大なお金がかかります。最近は日本にも核武装論が出てきましたが、現在の日本に核兵器開発に耐えるだけの経済的な基盤が本当にあるのかどうか疑問です。(本気で核兵器開発ということになると「調停者としての日本」という、日本にとっては極めて重要な外交資産を失うことになるだろうし、世界各国の懸念と反発が予想されるので、できればしない方がいいでしょう。)独立国としては残念な話ではありますが、もうしばらくの間は日米安全保障条約を維持し、アメリカの軍事力に依存するしかないんじゃないかと思います。

大戦は金なり。

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2009年6月19日 (金曜日)

【普通の日記】安保

早朝のほうが勉強がはかどるので、ここ数日の間、おいらの勉強時間は午前2時半から午前4時くらいでした。なんだか風邪を引きかけているような気がするので、今日はもう寝ますけど。

今勉強しているのは日本外交史Ⅱです。範囲は終戦から現在まで。そして、昨日から今日にかけては、ちょうど日米安保条約改定のあたりの復習でした。

「ちょうど」っていうのはどういうことかというと、今から49年前の昭和35年(1960AD)6月19日午前0時に新安保条約が成立したんですね。このときの安保反対運動はかなり激しく、国会の周りを数十万人の反対派が取り囲んで、まるで革命前夜って感じになっていたようです。おいらはまだ生まれていない時代の話ですし、全然想像がつかないんですけど。

60年安保の場合は「日米安保の内容に反対」というよりもむしろ「岸政権に反対」という面が強かったようで、実際に条約が成立した後は急激に運動が沈静化したようです。現在でもたびたび問題になる日米安全保障条約ですが、軽武装・経済重視路線を定着させ戦後日本の発展に大きく貢献したのも事実ですし、外交史の面からもそれなりに評価ができるものだと思います。まぁ、「歴史的に見て」ですけど。

日米安全保障条約では日本が基地を提供する代わりにアメリカが日本を防衛することになっています。北朝鮮が開戦に踏み切る場合、最大のターゲットは日本になると思われますし、実際に日本に対して宣戦布告すると思いますが、その時、アメリカが日本を本当に救援するかどうかわからないところがあります。敢えてアメリカの核の傘に入ることを辞さない韓国と、あくまで核廃絶を求めていく日本とでは国防のスタンスも違うので、同じアメリカの同盟国でもアメリカの戦時対応は変わってくるでしょう。来年は新安保50周年になりますが、その内容をもう一度考え直す時期に来ているのかもしれません。

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2009年6月14日 (日曜日)

【歴史】日本の戦争

ちょうど日本外交史について勉強しているところなんですが、自分のアンテナがそっちの方に向いているせいか、ネットを見ていてもそういう話題に引き寄せられてしまうようです。

今日は、こんな動画を見ました。



シリーズ化されている動画のようです。
同じシリーズでBC級戦犯の話などもありましたが、本当に戦争の理不尽さを感じざるを得ません。ただ、日本がアジア諸国の独立に貢献したという話については(上の動画とは別の回)、確かにそういう面もあるわけですが、やや日本を高く評価し過ぎだと感じます。(作者は意図的にそういう作り方をしているようで、考え方としては中道の人のようです)

日本の国際的な孤立化が決定的になったのは昭和13年(1938AD)11月3日の東亜新秩序声明の結果と考えられますが、その頃はまだ「アジアを欧米の植民地支配から解放する」という明確な政策はありませんでした。ドイツが日本に対して日独伊防共協定を拡大発展させようと打診してきた当初、海軍はこれに対して反対でした。米英との戦争に発展する恐れがあるからです。日米開戦3年前の段階で、日本は米英と本格的に戦うことは考えていませんでした。陸軍はドイツの提案に賛成の立場でしたが、それは米英との戦争を考えてのことではなく、むしろソ連の脅威に対抗するためです。つまり、日本は日米開戦3年前の時点で、米英その他を東南アジア地域から放逐し植民地を解放するなどということを本気で考えていなかったんです。そういう思想は民間レベルでは存在しましたが、国策ではありませんでした。

昭和15年(1940AD)になると、ナチス・ドイツがヨーロッパを制圧する勢いでした。ヨーロッパで英仏蘭がドイツに屈服することになると、それらの植民地に権力の空白ができます。そういう情勢から、日本はドイツと提携して英仏蘭の支配地域を抑えるべきであるという意見が出てきました。この頃にはすでにアメリカの対日経済制裁が始まっていましたし、東南アジア地域の資源をどうしても押さえる必要もあって「南進論」が優勢になっていくわけです。注意したいのは、日本が東南アジア地域に進出したのは植民地の解放という理念からではなく、極めて国内的な事情によるものだったということです。そして、この時点でもまだ、日本はアメリカと本気で戦争するつもりはありませんでした。昭和15年9月に結ばれた日独伊三国同盟も、翌年4月に結ばれた日ソ中立条約も、アメリカに圧力をかけて参戦を防止するという意図があって結ばれたものだったんですね。結局それは逆効果となりましたが、日本は本当にぎりぎりまでアメリカと戦争するつもりはなかったんです。

では、日本が「アジアの解放」を本格的に唱え始めたのはいつか。それは、日米開戦の後だったんですね。昭和16年12月10日に戦争の呼称を「大東亜戦争」とすることを閣議決定していますが、その際に戦争目的を「アジアから欧米勢力を排し、植民地を解放する」ということにしたわけです。日本は欧米諸国、特にアメリカの経済封鎖を受けて、ある意味自衛の戦争に突入せざるを得なかったわけですが、自衛といっても戦争に至った要因には日本外交の失敗も少なからず含まれていたわけですし(松岡洋右もそのあたりのことは認めている)、後ろめたい部分がないわけではない。日中戦争の泥沼化もあって兵士の士気を維持していくのも難しい。しかも今度の戦争の相手は国力が10倍も違う超大国です。日本には戦争を遂行するための大義名分がどうしても必要だったんです。国民を納得させ、狂気に向かわせるための。そしてそれは、大きければ大きいほど、美しければ美しいほどよい。

「日本は自衛のために戦った(戦わざるを得なかった)」とはよく言われることですが、中国での戦いはそもそも自衛の域をはるかに超えてしまっていましたし、アメリカとの戦争は外交政策の失敗によるところが大きかった。アメリカとはいずれ戦うことになったかもしれないけれども、自衛戦争というならばもっと早くから、せめて満州事変(1931AD-1933AD)の頃から対米戦争の準備はしておくべきでした。何しろアメリカは、日露戦争直後から対日戦争のプランを練っていましたからね。それから東南アジア地域ですが、これらの地域への進出は資源確保という点では確かに自衛のためということができるかもしれません。しかし、欧米植民地の解放となると、祖国の防衛という「本当の戦争目的」とは直接的に結びつきませんね。植民地を独立させて日本の友邦とし、大東亜共栄圏を構築することによって究極的に日本の安全を保障するという考え方をすれば東南アジアへの進出も「自衛のため」とすることもできるでしょうが、それもいささか無理がある話です。独立した国が日本寄りになってくれるという保証はありませんからね。共産化する可能性もあります。日本寄りの政権を「作る」というのであればそれはもはや独立とは言えませんし、仮に大東亜共栄圏が成立したとしても、それは旧ソ連のようなものになったでしょう。アジア諸国にとって本当の独立とは程遠いものになったはずです。

第二次世界大戦後、アジア諸国は独立を果たしましたし、それは日本が欧米列強を相手に戦った結果なのは間違いないことですが、その結果だけを見て日本人自身が「日本はよいことをした」というのは、いささか無邪気すぎやしないかと思います。アジアの人たちが植民地からの独立を日本のおかげと思い日本に好意を寄せてくれることについては、我が国にとって重要な「資産」として受け止めてもよいとは思いますけどね。

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2009年5月26日 (火曜日)

【読書】アニメ文化外交

土曜日に東京に行った帰り、高速バスの中で読みました。

櫻井孝昌 『アニメ文化外交』 ちくま新書 2009年

TAF(東京国際アニメフェア)の記事にもちょっとだけ書きましたけど、日本文化が世界に広まってくれると日本の安全保障に役立つんです。3月21日の記事参照

世界各国の若い人たちを中心に日本に対する関心がかつてないほどに高まっていますが、日本に好意を持ってくれる人たちが増えるということは、それだけ外交がやりやすくなるということなんです。日本人が安全に海外へ出ていくことができるようにもなるし、逆に多くの外国のゲストを日本に呼ぶこともできます。

それにしても、ビルマの女の子が「やおい」を知っているとは・・・。予想以上の状況になってます。こんな座談会が開かれちゃうわけだ(笑)

"ボーイズラブ"文化は国境を越えた! - 「日米腐女子座談会」が開催
2009/05/24 マイコミジャーナル


今回読んだ本にも書かれていたことですが、日本アニメの世界への浸透具合というのは日本ではまだあまり知られていません。世界各地でアニメフェスティバルのようなものも開かれていますが、そういうものはあまり日本では報道されませんからね。大きなものになると数万人規模のイベントになるようです。

実際に日本のアニメがどの程度浸透しているものなのか、下の動画を見ればよくわかるでしょう。(ニコニコ動画の視聴にはアカウントが必要です。が、同じ画像はYouTubeにもあります(笑)



アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のテーマ曲に合わせて踊る海外のアニメファンの様子ですね。元のアニメ映像でもメインキャラクターが踊っているんですが、非常に滑らかな動きで、おいらも初めてみた時には驚きました。きっと彼らも同じように感じたんでしょうね。
ちなみに中東・アフリカ地域の映像はありませんが、この作品はそれらの地域の人たちも知っているはずです。


海外のアニメファンは「アニメリテラシー」の高い人も多いようで、たとえばボローニャ大学の学生さんなんかは「日本のアニメは暴力的であるという論調に対してどう思うか」という質問に対してこんな意見を述べています。

「アニメは暴力的ではない。一場面を取り出せばそう見えるシーンもあるかもしれないが、全体として多くのアニメは平和を訴えている」
(67-68頁より引用)


日本では『獣の奏者エリン』(NHK教育)で放送された処刑シーンに対してNHKに抗議した人もいたようですが、そういう人たちは作品の意図、というよりもそれ以前に「ものごとの本質」がよくわかっていないのかもしれません。


ところで、本書の中でアニメだけではなく声優さんについても触れられていた箇所がありました。実は、海外のファンの皆さんは「吹き替え」よりも「字幕付き」を好むんだそうですよ。吹き替えだと作品が台無しになっちゃうことがあるんですね。おいらもロシア版『GUNSLINGER GIRL』を見たことがありましたが、それはもう残念なことになってまして・・・。・゚・(ノ∀`)・゚・。 その気持ちはよくわかる(笑) 以前は海外の人がなぜ日本の声優さんのことを知っているんだろうと不思議に思っていたこともありましたが、よく考えればそんなに不思議なことでもないんですね。しかし、子供にも日本アニメを見てもらうということになると、海外でもちゃんとした吹き替えができる体制を作る必要はあるんじゃないかなとは思います。

そうするためには「日本人声優さんに英語を勉強してもらうか」「外国の人に声優さんとしての技術力を磨いてもらうか」の選択になるわけですが、これはやっぱり後者の方がいいんだろうと、おいらもそう思います。沢城みゆきさんみたいにきれいな発音の英語を話せる人はいいんですが、そういう人ばかりではないですからね。ただ、声優さんというのは世界的に見ても特殊な職業なので、これを世界に広めるとなるとかなり大変だろうと思います。官民学が連携して支援する必要がありそうですね。

ちなみに下の映像は北米版『コードギアス 反逆のルルーシュR2』の予告編です。各キャラクターはアメリカ人声優さんが演じているわけですが、日本の声優さんの雰囲気にかなり近いものになっています。



とにかく、アニメ、特にインターネットと結びついたアニメというのは今や世界的に無視できない影響力を持っているコンテンツです。これをうまく生かせれば日本外交に有利に働くのは間違いないでしょう。せっかくアニメを通じて日本を好きだと言ってくれる人が増えてきているんですから、アニメなどのポップカルチャーを世界戦略の一つとして組み込むのもありなんじゃないかと思ってます。かつてベルリンの壁は、東西の経済と文化の交流によって破られました。もしかするとアニメとインターネットにもそういう力があるかもしれない。

・・・卒論、アニメ外交にしちゃおうかなあ(笑)


おまけ:

第5弾くらいまであるシリーズなんだけど、かなり笑える(笑)
どんだけ日本アニメに詳しいんだろうね、この人たちw

アニメ文化外交 (ちくま新書) Book アニメ文化外交 (ちくま新書)

著者:櫻井 孝昌
販売元:筑摩書房
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2009年5月18日 (月曜日)

【社会】おいら野生系w

『男の子牧場』っていうのが問題になっているらしいですね。

男の子牧場」炎上、「牧場メーカー」「女の子牧場」などパロディサイト乱立
「男の子牧場」に対して「男性差別だ」などと批判が殺到している。男の子牧場のパロディサイトも乱立。ネット上で騒ぎになっている。
2009年05月15日 19時30分 更新 ITmedia News

男の子牧場のお問い合わせに関して
2009-05-14 10:39:14 サイバーエージェントで働く広報担当のブログ


まぁ、正直どうでもいいっちゃどうでもいいんですが(笑)

ただ、ちょっとだけ昔のことを思い出しちゃいました。

おいら、大学を出てすぐの頃に、ちょっとだけモテたことがありました。
いや、マジでw

なぜかというと、ある小さな会社で(従業員600人だったからそれほど小さいってわけでもないけど、東証一部上場の大会社と比べて小さいってこと)、海外営業部という部署に配属されていたから。その当時は花形でした。大学を卒業してわずか1ヶ月の研修でその部署に配属されるのは異例だったし、わずか3ヶ月で海外出張に行ったのも異例でした。あまり期待かけられすぎてぶっ潰れちゃったけどね(笑)

会長と人事部長が大学の大先輩だったこともあって、何事もなければ出世は間違いないと思われていたらしい。そういう人間のところにはね、寄ってくるんですよ。
悪い虫がw

「飲みに行こうよ~(同期A:全然関係ない部署)」とかならまだかわいいんだけど、「お部屋の蛍光灯が切れちゃったから、今晩取替えに来てくださる?(同期B:社長秘書)」とかになると、もうだめ。
正直言ってホントに気持ち悪かった・・・。

おいらね、小さい頃は女の子に囲まれて育ったので女性に対する免疫はそれなりにあるんですけど、その代わり女の子の恐ろしい部分もよくわかるんです。小学生の頃までは色も白くて髪の毛さらさらで、そもそもおいら自身が女の子みたいでした。そういうかわいらしい男の子っていうのはですね、女の子から同性としていじめられちゃったりするんだよね(笑) 周りにいるどの子よりも色が白いので、嫉妬されてしまうという・・・。だから、女の子っていうのが本当はどれだけ怖くて気持ち悪いかよく知ってるんです。

おいらはある事情があって、普通のサラリーマン生活というのがどうしても無理でした。結局は海外営業の仕事も辞めることになったんだけど、その時に同期の女の子が言った言葉は今も忘れられません。

「のりくん好きだよ。早稲田出てるしぃ~ (゚∀゚)

その子はブランド物が大好きで、特にシャネルかなんかがお気に入りだったみたいですけど、おいらなんて所詮その程度のものだったんです。家畜以下。仮にこういう子と結婚したとしても、価値観が合わないのですぐに離婚することになったんじゃないかと思います。子供がいたとしたら、ちょっとかわいそうなことになったかもしれないな。

その後おいらは電話職人になって、年収も大幅に下がりました。あれ以来今日まで、おいらがモテたことは一度もありませんでした(笑) でも、おいらはそれでよかったんだろうと思ってます。っていうか、女の子なんて2.5次元までで十分だぜw


ところで、サイバーエージェントの広報担当者って11歳みたいだけど、ただ単に生年月日を間違えてるだけなんだろうか? 不思議。

それからね、こんな記事も読みました。

ケニアの小便小僧像、「小児性愛を誘発する」と男性団体が糾弾
2009年05月17日 16:44 発信地:ナイロビ/ケニア  AFP


世の中には男性の権利を守るために戦う組織もあるんですね。
日本にこういう組織があったら、今頃はもっと大変なことになってるだろうなあ。上の記事の会社、潰されちゃうかも。

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2009年5月 6日 (水曜日)

【政治・社会】持続可能企業その2

ひとつ前のエントリーにも関係するんですが、先月記事にしようと思ってそのままになっていたものです。先月、こんな記事を読みました。ちょっと長いのですが、おいらはこの記事を読んでとても感動しました。

社員の幸せを露骨に追求する会社
年功序列、終身雇用、低成長――伊那食品工業が問う「会社とは何か」

日経ビジネスオンライン 2009年4月13日(月)


この会社は持続的に低成長を続けているといいます。それも、意識的にそうしているんです。急激に事業を拡大すると、景気が悪化したときに必ず遊休設備や過剰人員の問題が発生するからです。そういうことを避けるために、あえて拡大路線をとらないんです。

ここの会長さんの考え方はこのようなものです。

「会社は何のために存在するのか。皆難しく考えるけど、オレにすれば難しいことなど何もない。人間すべての営みは人が幸せになるためにある。企業や組織、あらゆる団体は人間が幸せになるために作ったものじゃないのか」
(記事から引用)


高い給料を得るというのも個人にとっては充実感があるものなのかもしれませんが、そういう「スタープレーヤー」を抱えるのは多くの企業では難しいことだろうと思います。そういうスターひとりの給料分で10人を雇用するという考え方もあるのだろうし、実際にそうせざるを得ない企業も多いのでしょう。しかし、結果的にはそのほうが社会にとってよいのかもしれません。

この会社の社員の給料はおそらくあまり高くないのでしょうし、シリコンバレーのようなところで働く人たちにとってはきっと「負け組」に見えるでしょう。低成長の企業は活力がないように見えるかもしれません。しかし、給料が少なかろうが、刺激がなくて退屈であろうが(おいらは刺激がないとはぜんぜん思いませんけどね。記事をお読みいただければわかると思います。)、地域社会の安定に貢献しています。彼らは日本社会にとって貴重な成功者だと思います。資本主義社会における経済活動はゼロサムゲームと捉えられがちですが、そうではない可能性もあるように感じます。
ゼロサムゲーム:簡単に言うと、勝者があれば必ず敗者があるということ。)


おいらはうつ病で田舎に帰ってきてもう何年も暮らしていますけど、最近は東京が外国のように感じるようになってしまいました。おいらの暮らす地域は便利なところとはいえないし刺激も少ないですが、それなりに幸せなところなんじゃないかと最近は思い始めています。おいらも以前は海外に出たいと思っていましたが、今はもう、ずっと日本で暮らしたいと思っています。

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【政治・社会】日本はもうだめか?

連休中に、こんな記事を読みました。

「日本はもう立ち直れない」 だから「海外で働こう」に賛否両論
5月4日18時5分配信 J-CASTニュース
リンクはすぐに切れると思います。


アメリカ在住の日本人ブロガーの方が書いたエントリーの話題です。簡単に言うと、現在の日本には希望がないので、若い人は海外に出てそのまま海外で就職することを考えてほしいというような意見です。

この意見に対しては反発も多いようですね。
「留学はごく一部の人たちの特殊な解決策でしかなく、国民の大部分には解決になりません」(経済学者・池田信夫さん、記事から引用)
この記事にはユーザーのコメントがつけられるようになっていますが、「日本はまだだめではない」という意見も多いようです。

この記事の中でもっとも問題になりそうな部分を挙げるとすると、「成功体験とは何か」ということになるかと思います。ブロガーの方(渡辺さん)は「日本ではかつての高度成長期のような成功体験を味わうことができないから、伸びている外国へ向かうべきだ」と言う意見です。これに対しては「経済的な成功のみが(それもひとつの成功ではあるだろうけれども)成功ではない」「価値観が多様化している現代では視野の狭い意見ではないか」という反論が挙げられています。

おいらとしてはどちらかというと反対意見のほうに賛成です。確かに海外での経済的な成功は刺激的なんでしょうし、ひとつの価値観として認めてもいいと思います。海外に出た人が日本に戻ってくることによって日本社会に対する刺激になれば、よい効果があることもあるでしょう。しかし、それがすべてではないと思うんです。

しばらく前に「持続可能企業」というエントリーを書いたことがありましたが、その中で日本には老舗企業が多いよという話を紹介しました。現在創業200年を超える企業は国内に3146社存在します。(2008年、韓国銀行の調査報告による) 創業1000年を超える企業も6社あります。(参考:老舗企業設立年表 この地球上で、他に例を見ない数です。これらの企業は幾多の戦乱や経済的な混乱を乗り越えて現在まで存続している企業であり、紛れもなく真の成功者と言えると思います。

残念ながら我々が利用できる資源には限りがあります。常に右肩上がりで経済が成長することはありえません。(それを可能というのは詐欺に近い)現在の地球人口はすでに67億人を超えてしまいましたが、人口増加率から見ても世界経済の成長は限界に近いと思われます。我々の世界は産業革命以来様々な分野で急成長を遂げましたが、そろそろ調整が必要な段階に入っています。政治、経済、あらゆる分野で持続可能な方向に向かう必要があると思うんですね。若い人たちには、日本をあと2000年持続させられるような活動に(企業活動だけとは限りませんが)、できれば国内で参加してほしいと思います。まぁおいらたちおっさん世代もなんですけどね。

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2009年5月 5日 (火曜日)

【過去記事】人口減少社会

今日は、こんな記事を読みました。

28年連続で減少=子どもの数、1714万人-総務省
5月4日17時26分配信 時事通信
記事へのリンクはすぐに切れると思います。


おいらはココログに引っ越してくる前にLovelog (DION) の方でブログを書いていたんですが、引っ越してくるときにデータをうまく移行できませんでした。こっちに引っ越してきてすぐの頃は少しずつ記事を移動させようとしていたこともあったんですが、面倒くさくてやめてしまいました。今回は久しぶりの移植記事です。

少子化については引越し前のブログの【読書】カテゴリで何回か記事にしたことがあったのを思い出したので、少し長いですが加筆・修正しながら移植してみます。

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今日は平成19年12月26日、水曜日。

前に読んだ『人口減少社会の設計』と一緒に買った本です。

『論争・少子化日本』 川本敏 編 中公新書ラクレ 2001年

少子化に関する論文を集めたものです。肯定派・否定派両方の論文が掲載されています。ただ、ちょっとデーターが古いんですけどね。現在の日本の合計特殊出生率は1.32です。(2007年6月6日発表。ちなみに1999年の合計特殊出生率は1.34でした)これでも6年ぶりに上昇した数値ということですから、かなり急激に少子化が進行しています。
(2008年発表の合計特殊出生率は1.34を回復していたようです。これは団塊ジュニア世代の出産が一時的に影響していたようで、今後は再び低下に転ずると思われます。平成21年5月5日加筆。)

おいらは地球の人口は多すぎると思っているので、少子化の進行には反対ではありません。しかし短期的に見れば労働力の減少による経済活動の停滞などの問題が出てくるので、小人口安定社会を構築する前にこういった問題を何とかしなければならないとは思っています。

地球上の資源は有限ですから、世界経済が右肩上がりで発展していくことは残念ながらありません。最近ではアニメーション作品にも登場する話題ですが『機動戦士ガンダム00』、平成21年5月5日加筆)どこかの時点で必ず資源の奪い合いに発展します。そういう紛争を避けるために、世界人口は少なくしていく方向に誘導する必要があるだろうと思うんです。経済を最低限維持できる人口を確保しながら、ソフトランディングを目指すわけです。「適正な人口」というのがあるはずなんですね。

しかしながら、これまで人口減少に関する文章をいくつか読んでみて気がついたのですが、その多くは人口を増やす方向でのみ語られています。そして人口を増やすにしてもどの程度の人口まで増やせば適当なのかということについて語られていません。このあたりが不満に感じるところなんです。まぁ、おいらはむしろ減らさなきゃならないと思う派なんですけどね。では、日本の適正な人口っていうのは一体いくらくらいなのでしょうか。

今回読んだいくつかの論文の中で、食糧自給の観点からみて日本の適正人口はおよそ3000万人であるというものがありました。(「少子化ニッポンは「農園都市国家」をめざせ」高橋秀之日本大学教授)幕末の総人口がだいたいこのくらいですね。ただし、これは食料完全自給の場合ですから、実際にはもう少し多くても大丈夫なのではないかと思います。

この前読んだ『逆説の軍隊』の中で、「戦争のラチェット効果」という用語が出てきました。国家財政の規模は戦争のたびに大きくなり、戦争が終わっても元に戻らないという説です。そしてこの説は人口についてもあてはまるのではないかということでした。幕末に3000万ほどだった日本の人口は、日清・日露戦争を経て大正元年(1912年)には5000万を超えています。45年で7割増しです。かなり急激な変化ですね。

昭和20年(1945年)、日本の総人口は約7000万人でした。それが3年後の昭和23年(1948年)に8000万人、11年後の昭和31年(1956年)には9000万人を超えています。海外からの引揚者の流入という特殊事情を考慮したとしても異常な人口増加です。そして敗戦から22年目の昭和42年(1967年)、日本の人口は1億人を超えました。この年は大正元年から55年目にあたりますが、約半世紀で人口が倍になったわけです。ラチェット効果の発動かどうかはともかく、かなり不自然な増加のような気がします。これでは食料自給率の増加が人口増に追いつくわけがありません。

現在の日本の人口は近代化の過程で短期間に急増したものですから、急激に減少することもまたありえます。平均寿命を考えれば、ある時期に大量に生まれた人口は、ある時期に大量に減少することも予想されます。現代の日本は、戦争遂行と敗戦後の復興のために無理矢理かさ上げされた人口を、適正な人口に戻す時期に来ているのかもしれません。個人的な意見を言えば、5000万人~6000万人くらい(つまり大東亜戦争以前のレベル)の人口が適当なのではないかと思います。 食料自給率50%程度ですね。

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最後の「食料自給率50%」の部分には、実は根拠がありませんでした。幕末の時点での総人口3000万人を100として、6000万人ならば50であろうと単純に書いてしまいました。しかし、その数値にはその後の農業生産性の上昇というものが考慮されていないので、実際にはもう少し食糧自給率は高くなるはずです。

冒頭に出した時事通信の記事にはユーザーのコメントがつけられるようになっているんですが、まさにおいらと同じようなことを考えている人もいるようです。政府は人口を増やせというが、どれだけ増やせば適正なのか。政府はその数値を国民に示すべきだと考えます。少なくともわが国に国家戦略が存在するならば、日本政府が我々国民の問いに答えることは難しいことではないはずです。

ちなみにソースは忘れましたが、昭和13年(1938AD)に厚生省が設置された際、昭和30年(1955AD)の日本の総人口を1億人と計画していました。満州、朝鮮などの支配地域を含む日本の国土を防衛するために、最低限それくらいの人員が必要であろうという試算です。厚生省というのはもともと計画的に人口を増やすための機関だったんですね。それもひとつの国家戦略だったんです。現在の厚生労働省は旧厚生省の持っていた戦略の内容をすっかり忘れてしまっていながらも、形だけは守り続けているのではないかと危惧します。時代が変われば戦略も変わるんですから、これまでとは違う選択肢も考えてもらいたいと思うんですね。

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日本の近代 9 逆説の軍隊 日本の近代 9 逆説の軍隊

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2009年4月 5日 (日曜日)

【政治・社会】脅威

週末、風邪を引いたらしくて調子が悪かったです。
というか、今も調子が悪いです・・・。

今日は、昼間に北朝鮮のミサイルが日本を飛び越えて行きましたね。
本当はこんな記事も書きたくないんですけど。

まず、自衛隊の皆さんや休日出勤で対応した関係各所の皆様は本当にお疲れ様でした。今の日本で可能な限りの対応だったんじゃないかと思います。

ネットのニュース記事に付いてるコメントなんかを見ていると、「なぜ撃墜しない」というような意見もちらほら見受けられます。無理なんですけどね。残念ながらイージス艦から発射するミサイルも陸上配備の地対空ミサイルも射程が短いために、日本を大きく飛び越えていく弾道ミサイルを撃墜するのは不可能なんだそうですよ。基本的に日本本土に向かって落下してくるミサイルを至近距離でしか打ち落とせないわけです。

ということは、撃ち込まれたミサイルがABC(核・生物・化学)弾頭だった場合、迎撃するにしても人の住んでいる地域のごく近くで撃ち落とさなければならないことになるので、結局は被害を免れません。そう考えるとミサイル防衛というのは、今のところあまり有効な防衛手段ではないようです。

それでは弾道ミサイルを高高度で捕捉撃墜できるミサイルを開発・保持してはどうかという考えですが、これは仮に可能であっても今の日本には法的に難しいでしょう。長距離射程のミサイルですから、北朝鮮はおろか、韓国・中国本土・ロシア沿海州、あるいはアメリカの一部までが射程に入ることになるので、それ自体が迎撃の範囲を超えた、周辺諸国を直接攻撃し脅威を与える弾道ミサイルになってしまいます。そういうものを日本が保持することや、開発することすらアメリカは認めないでしょう。

核武装ですが、これは不可能ではありませんが、世の中の人が思っているほど簡単にはいきません。核弾頭を開発しミサイルに搭載する技術、ミサイルを正確に目標まで運ぶ技術、ミサイルの飛行実験と核実験。乗り越えなければならない壁がいくつも存在します。データ収集で絶対に必要な地下核実験は自国領土内でやることになりますが、どこでやるのか。それができたとしても、開発の間に北朝鮮よりもむしろ日本のほうが国際社会から孤立してしまいます。さらに、様々な障壁を乗り越えて核兵器を保有できたとしても、一発では抑止力にはなりません。核兵器を抑止力にするためには量産化が必要です。そこまで持っていくのに、最低でも10年はかかると思っておいたほうがいいでしょう。核開発は不可能ではありませんが、いろんな意味で非常にコストがかかるものなんです。国際社会から孤立し、軍事的、経済的な制裁のリスクを犯してまでやる意味があるのかどうか。一部の政治家が軽く言うほど核武装というのは簡単なことではないんです。

とはいっても、北朝鮮はなんとかしないといけませんねぇ・・・。非常に迷惑なのは間違いないです。まずは経済制裁を続けるしかないんでしょうかね。北朝鮮が孤立のリスクを背負ってまでミサイルを撃つのは、そうすることで得られる何かがあるからでしょう。であるならば、まずはこれ以上何も与えないことが重要でしょうね。日本国内に北朝鮮資産があるならば、それらは凍結しないといけないかもしれない。ただ、交渉の窓口だけは残しておかなければ戦前の日中関係のようにどうにもならないことになってしまうでしょうから、それだけは注意しないといけないでしょうね。日朝ともにギリギリの外交交渉になるでしょうが、日本の外務担当者に期待するしかありません。

戦争は最後の手段です。まぁ、日本から攻め込むのは法的、技術的にほぼ不可能なんですがね。ただ、日本は欧米に比べると宇宙開発は遅れているけれども何度も衛星を打ち上げた実績がある国であるということは、北朝鮮は忘れないようにするべきでしょう。核兵器はともかく、通常弾頭ミサイルを製造する能力は現在の日本にもあるということです。そのほか、その気になれば軍事転用できる技術が我が国には少なくないことも、決して忘れるべきではありません。

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2009年3月27日 (金曜日)

【普通の日記】キケンな職場

おいらが住んでいる地域には大きな工場群があって、たまに大掛かりな修理を行う時期があります。いつもは6月からお盆くらいまでの間に「定修」っていうのをやるんですが、年度末に小規模な修理をする工場も多いですね。おいらの職場もそうなんですけど。

おいらは最近、総務的な仕事が多いので現場作業はもうしないんですが、今日は工事の立会いということで久しぶりに高いところへ登りました。

今はもう足場の上に上るなんていうことがないもんだから、安全帯なんか持ってないんです。派遣元の自分の会社の事務所に置きっぱなし。仕方がないので派遣先の会社で借りることにしました。(ちなみに、高さ2m以上は高所作業になるので安全帯の使用は必須です

で、上司に聞いたら、

「そんなのいらないだろ? かえって邪魔になるよねぇ?」

って言うんです。
あのね、途中に踊り場があるとはいえ、数十メートルの高さを登るんですよ。

いらないわけないだろう!?

さらにしつこく安全帯を要求すると、

「俺なんかそんなのしたことないなあ~」 (゚∀゚)

なんて抜かしやがるんです。ありえねえ・・・

お前がよくてもおいらがよくねえんだよ!! (#゚Д゚)

っていうか、死にたきゃ一人で死にやがれ。

事務所の奥深くに死蔵されていた安全帯を引っ張り出してきて使わせていただきました。まったく使われていなかったらしくて新品同様でした・・・
ガス検知器はイカレてて役に立たねえし、どういう職場なんだろうね一体?
(他の業者さんの検知器を使わせてもらったので入槽できた。あのね、酸欠って、ホントに怖いんですよ。酸欠状態の場所に入ったら一息でオダブツです。マジで。)

こんなことはあまり書きたくないんですけど、いわゆる団塊の世代の人たちって、なんだかいい加減な人が多いような気がするんですね。これまでの経験上、一部の例外を除いてまず大体はそうだった。おいらは世代論なんて好きじゃないし、その世代の人にもまともな人はいるだろうと思ってはいるんですが、おかしな人が目立ちます。考え方があからさまにおかしい。下手にあの連中の言うことを聞いてしまうとこちらの命が危ない。

だいたい、おいらたち非正規雇用ってのは、誰が守ってくれるわけでもないからね。「コイツの言ってることはおかしい」と感じたら、納得がいくまで確認するしかないです。場合によっては仕事自体を拒否するしかない。おいら、死にたくないからね(笑)
それにしても酸素欠乏危険作業主任者(二種)と足場組み立て作業主任者の資格、取っておいてよかったぜ。

どんな工事現場にも準拠法や作業標準っていうのはあるんだよね。そういうのをきっちり守らないと命が危ないんですよ。現場をナメてもらっちゃ困ります。日頃コンプライアンスがどうのこうの言ってるのにこの有様っていうのが泣ける・・・。だいたい、元請がそんなことでは業者さんたちに対して示しがつきません。

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2009年3月21日 (土曜日)

【アニメ・政治】TAF2009

朝、天気がよかったのでお台場の国際展示場に行って来ました。
ニフティが提供してくれるブログネタでタイムリーなのがあったので、ついでに参加(笑)

コネタマ参加中: アニメフェアへの熱い想いを大募集!



別にお目当てのものはなかったんですけど、雰囲気だけでも見ておこうと思ったんですね。普段、ブログでアニメ・声優さんカテゴリの記事を書いているから。
・・・いや、みさとんとハルカちゃん(翻訳:福圓美里さん戸松遥さんが来るっていうから、ちょっとだけでも見られたらいいかなあなんて思ったんですけどw (^-^;A)

Yoshika 『ストライク・ウィッチーズ』 宮藤芳佳
(CV:福圓美里さん)


"Strike Witches" Yoshika MIYAFUJI
Tokyo Animation Festival, 21 March 2009.

フィギュアで有名な「ねんどいろ」のブースがあったんですね。初めて実物見たなあ。よくできてるわー。

で、中の人(笑)ですけど、おいらはエイベックスで買い物をしていないので整理券が手に入りませんでした。遠くからちょっとだけ見えたんだけど、ほとんど点 (ノ∀`)
みさとん、あまり身長が高くないので見えたり見えなかったりw

ご自身のブログでも書いてましたけど、イベントは好きなんだけど、ちょっと苦手なんだそうです。今回は友達に笑顔を作る「特訓」を受けたとか。その成果が出たかどうかは・・・おいらは見えませんでしたけどね。声の感じからすると、ちょっと緊張してたような?

それにしてもおいら、すっかりみさとんの追っかけと化しているなあ・・・(笑)



Kannagi 『かんなぎ』 ナギ様(左)とざんげちゃん(右)
"Kannagi"
Nagi (Left, CV: Haruka TOMATSU)
Zange (Right, CV: Kana HANAZAWA)


で、みさとんと一緒に『To LOVEる』のイベントに出ていた戸松遥さん。遠かったのでやっぱり点 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
となりに立ってた矢作紗友里さんが眼鏡っ子だっていうのはかろうじてわかった(笑)
みんな声がかわいいですよ~ たまりませんなあ~w (゚∀゚)

それとね、ホントに偶然なんだけど、隣のブースでまみちゃん(能登麻美子さん)発見!! 生マミコっすよナママミコ。なんだか早口言葉みたいになってるけど(笑)
歩きながらだったからちょっとしか見えなかったけど、
まみちゃんの美しさは奇跡!! ヽ(゚∀。)ノ  
行ってよかった・・・ (*´∀`)

まぁ、人いっぱいでかなりつらかったし堪能したって感じではないんだけど、雰囲気はよくわかりました。新作も面白そうなのがあったし、来期も楽しみです。

会場は人いっぱいなんですけど、日本のアニメは海外でも人気があるので外国人のお客さんも多かったですね。お客さんだけじゃなくて会場スタッフにも外国の人がいたりしてかなり国際的。コスプレなんかも派手でね。なんだかみんな楽しそう(笑)





日本は第二次世界大戦後、「ミドルパワー」の国を目指しました。国際政治の中で覇権国を目指すのではなく、経済・文化を外交の中心に据えて発展してきたわけです。吉田茂首相の時代からそういう路線になっていったようです。(この辺、次のレポートの課題に関わってるんだけど) 最近は外務省も日本のポップカルチャー発信について随分と前向きですが、もともとそういう流れはあったんです。今の首相(吉田茂氏のお孫さん)が漫画好きだからというわけでもないんです。

「ポップカルチャーの文化外交における活用」に関する報告(外務省)

外務官僚も伊達や酔狂で勉強会を開いているわけではありません。極端な話、アニメを初めとするポップカルチャーが世界に向けて発信されることは、日本の安全保障にも関係してくることなんです。大概の戦争は、情報不足によって誤った判断が下されるところから始まります。そうならないようにするためには、よその国の情報を集めるとともに、自分の国をもっと知ってもらわなければなりません。現在日本政府が目指しているのは、アニメやその他のポップカルチャーを世界に広めるというよりも、それらをきっかけとしてもっと日本そのものを知ってもらおうということなんです。それがやがては戦争の抑止力として働き、日本の安全保障に資するという判断があるんです。

「また地域安定の基礎である経済発展と環境対策は、日本のソフトパワーが最も光る分野でしょう。技術的にも資金援助でも日本の独壇場となる。ここで日本がASEAN諸国と一体となってリーダーシップを発揮すれば中国も無視することはできない。無論、日本のアニメや音楽はアジアで最も人気があるでしょう。文化輸出なら誰も脅威などどは言いませんよ」
ジョセフ・ナイ(ハーバード大学教授)講演会 「東アジアの安定を模索する日本-ハードとソフトのバランス」 2007年3月7日
河内孝 『YouTube民主主義』 マイコミ新書 2008年 83頁より引用。


ジョセフ・ナイ氏はオバマ政権下で駐日大使に内定していると言われている人物です。今後、アメリカの対アジア政策に大きな発言力を持つ人で、もちろん日本にとっても最重要人物です。

60数年前、世界は二つの陣営に分かれ、お互いに殺し合いました。日本はアメリカと戦いましたが、一般の市民はアメリカが本当はどういう国か知らずに戦っていました。バーチャルな戦争をしていたんです。子供たちは「アメリカ人は鬼である」と教えられました。中世の話ではありません。昭和時代の話です。

日本のアニメが世界に広がっていくのは結構なことだとは思います。ほかの国の人がアニメを通じて日本を知ってくれることはとても嬉しい。ナイ教授も「アメリカの言うことには耳を貸さない国も、日本の言うことなら聞いてくれる可能性があるのではないか」なんていうことを言っています。もしかすると、本当にそんな日が来るかもしれません。しかし、世界が日本のことを知ってくれるのと同じように、日本人も他国のことについてもっと興味をもって知ることがなければ意味がないんです。現在は圧倒的に「輸出超過」になっているポップカルチャーですが、今後は海外のコンテンツがもっと日本に入ってくるといいなと思います。

世界は、こんなに近くなったんですから。



残念なのは、この中に北朝鮮が入っていないことです。それから政情不安なアフリカ地域も入っていません。

残念ながら国際政治というのはそんなに甘いものではないので、近いうちにアメリカが北朝鮮を攻撃する可能性も決して低くはありません。しかしそれでも、北朝鮮の子供たちも日本のアニメを楽しんでくれる日がくることを、心から願っています。


ちなみに上の画像の元ネタはアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディング映像です。

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2009年3月18日 (水曜日)

【時事】多数派の恐怖

ほんとはね、もっと楽しい記事を書きたいんです・・・。

無年金障害者10人の敗訴確定=一連訴訟が終結-最高裁
3月17日18時32分配信 時事通信
リンクはすぐに切れると思います。


記事には具体的に書かれていませんが、いわゆる「学生無年金障害者」の問題です。
現在では20歳以上の学生も年金強制加入になっていますが、おいらたちが大学生だった頃は任意加入だった時代があったんです。任意、つまり入らなくても構わなかったということ。

おいらは当時夜間部の学生で(早稲田大学社会科学部。今年から昼間部になるそうです)、20歳の頃には一時期フルタイムで勤めていたことがあった関係から厚生年金に加入していました。だから年金未加入の期間は20歳の誕生日から就職するまでのわずかな期間しかなかったはずです。仕事自体はすぐ辞めちゃったので国民年金に変更になりましたが、大学卒業後に就職して再び厚生年金に戻るまでの間、掛け金を払い続けていたような記憶があります。

そんな事情があったので、おいらにとって他の学生よりも年金は身近な話だったんですが、自分の周囲では敢えて年金に加入していた学生はいませんでした。彼らの意識が特別低かったわけでもなく、学生は加入しないのが当たり前みたいな雰囲気があったのは事実なんです。役所に行っても「入らなくてもいいよ」みたいなことを言われていたようですし。

なぜ生まれる無年金障害者
(「新潟学生無年金障害者の会」へリンクします)


最初に出した時事通信の記事にはユーザーのコメントが付いているんですが、どうも誤解が多いようです。年金制度にはもともと制度的な不備があって、彼らは決して単なる「クレーマー」などではありません。上のリンクを読んでいただければ、そのあたりはある程度理解することができるのではないかと思います。

百歩譲って「任意加入制度の下でも加入しなかった方が悪かった」とします。しかし、それでもなぜ政府は任意加入という曖昧な制度を許していたのかという問題が残ります。現在は制度が改められて全員強制加入ですから、学生であって年金保険料の支払いを免除してもらいたい場合には「学生特例」を申請することができます。ところが任意加入の時代にはそんな手続きは存在しませんでした。そもそも「入らなくても別に構いませんよ」ということを政府が公に認めていたんです。いいですか。手続き自体が存在しなかったんです。大事なので二度書きました。

被告(日本政府)の主張では「十分な周知を行った」といいますが、それではなぜその当時の学生の年金加入率が1%ないし2%だったんでしょうか。おいらはたまたま仕事をしていたから知っていたけれども、年金に加入しないことによる不利益について正確に認識していた大学生は少なかったんじゃないかと思うんです。だいたい、年金に関する情報が正しく周知されていれば、上の時事通信の記事に付いているわけがわからないコメントなんて、出てきようがないんです。ああいったコメントを残す人たちの存在自体が、すでに日本政府の広報不足を証明しているとは言えないでしょうか。

被告の主張の4番なんかは本音が出ているとしかいいようがないですね。ぶっちゃけ「金がない奴は死ね」ってことでしょう。今回の判決で思うのは、近年の年金保険料滞納で年金制度の存続が危ぶまれる中で、彼らはスケープゴートにされたんじゃないかということです。年金保険料を払わないとひどいことになっちゃうよと。確かに政府の言うとおり年金というのは掛け金をちゃんと払った人に支払われるのが筋です。しかし、無年金になっている人の中には、年金制度に加入する機会を失って無年金になっている人がいる。それも、原因は明らかに年金制度の不備によるものです。「ハメられた」といっても過言ではありません。

ところで、気になったので老齢年金のこともちょっとだけ調べてみました。その「任意加入」だった時期が年金支給に必要な加入期間に含まれずに年金が支払われないケースがあるんじゃないかと思ったんですね。

老齢給付裁定請求書届出様式-PDF(A4/6枚)

リンク先は社会保険庁なんですが、そこで上のPDFファイルを開くと、下の方に学生の時に年金に加入していなかった人が老齢給付裁定を受ける場合についての記述があります。結論から言えば、在学していた時の証明書があれば、未加入部分を年金支給に必要な加入期間に含めることができます。卒業証明書があればいいんです。

つまり、年金未加入の期間があるにも関わらず、年金の支給が認められるわけです。おかしいですね。なぜ老齢年金はよくて障害年金はダメなのか。なぜ老齢年金には救済措置があって障害年金にはないのか。こういうのを「ダブルスタンダード」と言うんじゃないんですか。おいら、法学部だけど政治学科なのでよくわかりませんなあ?

それにしても恐ろしいのは時事通信の記事のコメント欄で多数派を占める人たちの存在です。自分たちは常に正しいと信じて疑わない人たち。我が国は大東亜戦争当時とたいして変わっていないのかもしれません。「自己責任論」を振り回す人たちの意見の、なんと底が浅いことか・・・。最近の「国策捜査」の問題もそうですが、本当に気味の悪い時代になったと思います。

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2009年3月 7日 (土曜日)

【政治・社会・アニメ】著作権法の行方

しばらく前に読んだネットの記事でこんなのがありました。ブログで書こうと思っていて忘れていたんですけど。

角川だけじゃない、YouTube“違法”動画の収益化 個人ビデオ+BGMの公認も
YouTubeは、権利者に無断で投稿されたコンテンツを含む動画について、権利者の公認を得た上で収益化する仕組み作りを急いでいる。
2009年02月23日 17時01分 更新 ITmedia News


「YouTube」「ニコニコ動画」なんかを見たことがある人なら分かると思いますけど、「これ、ちょっと著作権的にヤバイんじゃないのw」と思われるような映像って結構ありますよね。もう、規制自体がかなり難しい状態になっています。

YouTubeでは一部の大手権利者がそういった「違法動画」にどのように対応するかというと、次の3パターンがあるようです。

1.ブロック・・・つまり視聴不能にしてしまうということ。
2.トラック・・・監視ですね。
3.マネタイズ・・・権利者が「問題なし」と判断した動画について公認した上、
           広告を付けて収益につなげるという対応。

「涼宮ハルヒのきしめんは300万回以上再生され、コメントとも1700以上付いている。コメントは、角川作品に好意的なものばかりだが、動画を削除したらすべて消えてしまう。動画を公認することで、ユーザーの思いを裏切らずに広告収益も得られる」
記事より引用。


近年の不況の影響もあって広告の手法を従来とは変えざるを得なくなったという企業側の背景もあるのか、著作権に対する考え方も少しずつ変わってきているように思います。

これまではユーザーに対して圧倒的に企業の方が強かったんですが、ネットの国民生活への浸透とともにそういう状況にも変化が見られるようになりました。著作権法というのは確かに権利者の利益を守るために存在する法律ではあるんですが、適正なルールに従ってユーザーが著作物をある程度自由に使うことができるという側面もあるわけです。それが、今日までユーザーが著作物を利用する自由についてはあまり語られてこなかった。

その原因のひとつと思われるのが、現行の著作権法は古過ぎるという点です。旧著作権法(明治32年制定)を全面改正した現行著作権法が制定されたのは昭和45年(1970AD)。その後何度か細かい改定はされていますが、基本となっている部分はそのままです。デジタルコンテンツをどう扱うかについてもはっきりと定められていないのが実情です。

例えば、おいらがたまにやっているアニメーション作品の場面キャプチャー。これは著作権法32条(引用)の規定に従って行っています。(実写の場合は著作権ではなく肖像権に抵触するので行いません) 著作権法1条に著作物とは何かの定義がされていて、アニメーション作品もこの中に含まれると一応推定されるためにできることです。

アニメーションの場面キャプチャーの場合は切り取られたものが静止画像なのでわかりやすいんですが、動画の場合だと現行の著作権法では解釈が難しくなります。どこからどこまでが引用なのか、また、その引用が法32条に謳われている「公正な慣行に合致するもの」という条件に合致するものなのかどうかユーザー側での判断が非常に難しい。このように法的不備が放置されている現状を考えると、権利者側がユーザー側に歩み寄りを見せ、投稿動画の収益化とユーザーの動画利用の促進が相互に図られることは社会にとっても有益なことであり、法の求める公共の利益の実現にかなうことなのではないかと思います。

ところで余談ですが、アニメーションのキャプチャーが違法ではないからといって無制限に利用できるわけではありません。法32条には但し書きがついていて、「これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。」という制限が設けられています。アニメーション作品を見ていると、番組の冒頭に著作権関連の警告文が流れる場合がありますね。(まぁ、あれも今ひとつ漠然とした文言の場合も多いので意味がないような気がしますが。なので、やろうと思えばやれる。しないけどw 
今期の場合、TBS『鉄のラインバレル』テレ朝『黒神』がそうなんですが、残念ながらこれらの作品からのキャプチャーはできません。最近は時間的にそれほど余裕があるわけではないし、そもそもこれらの作品があまり好きなジャンルではないっていうこともあるんだけどね(笑)

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2009年3月 4日 (水曜日)

【アニメ】『獣の奏者エリン』問題

ここしばらく、『獣の奏者エリン』について書いたエントリーへのアクセスが多くなってるんですね。『獣の奏者エリン』というのは、土曜日の夕方にNHK教育で放送されているアニメーション作品です。意外と人気がある作品なんだなあと思って調べてみたんですけど、どうもアクセスが増えている原因はそればかりではないようなんですね。

先々週の回(第7話「母の指笛」)で主人公エリンの母ソヨンが処刑されるシーンがあったんですが、そのシーンが「残酷である」ということでNHKに苦情のメールを送った人たちがいたらしい。ネット上の某掲示板でそういう人たちの意見を読みました。まぁ、確かに彼らの言いたいこともわかるんですが、おいらは正直なところそういう意見には違和感を感じるんです。

おいらは、ストーリーの展開上必要であれば、敢えて悲惨な場面(注:必ずしも凄惨ということではない)を挿入するのもありうることだと考えています。あの回は今後の展開(エリンの成長の物語)で絶対に欠かせない回だったと制作者側が判断したからこそあのような形で描かれたのだと思います。

処刑のシーンに注目が集まりがちですが、おいらはむしろその前のシーンに注目していました。ソヨンが掟を破って、絶対に使ってはならぬはずの禁術を用いてまで娘のエリンを逃がすシーンです。その直後、ソヨンは掟に従って命を落とします。エリンを逃がした術を使えば自分も逃げることは可能だったでしょう。しかし、あの母はそうはしなかった。絶対に使ってはならぬ術を使ったソヨンには必ず追っ手がかかる。そうなれば、エリンは一生追われる立場で暮らさなければならない。術の秘密を守り娘を守るために、ソヨンは死ななければならなかった。おいらはそう感じています。

おいらはそのシーンでひとつ思い出したことがありました。小さい頃に読んだ、戦争を描いた絵本の話。日米戦争末期の昭和20年3月10日に東京はアメリカ軍の猛爆撃を受けましたが、その時に子供をかばって亡くなった母親たちの話もその絵本の中には描かれていました。自らは焼夷弾に焼かれて黒焦げになりながらも子供を地獄の劫火から守ろうとした母親たちがいた。だから、そういう母たちに抱かれて発見された子供たちは比較的きれいな姿で亡くなっていたというお話です。おいらには子供もいないし、今後も作るつもりはないのでわからない部分もあるんですが、親というものは、いざという時には子供のために命を投げ出すことができるものなのだろうと思うんです。たとえ炎に体を焼き尽くされても子供を守ろうとするんです。おいらの祖父の最初の奥さんと子供たちは、実際にそうやって死んでいきました。

あのシーンが残酷というなら、例えば戦争に関する作品も作ることが難しくなってしまうと思います。なにしろ戦争では理不尽に人が死んでいきますからね。本当は子供にこそ見て欲しいと制作者が思ったとしても、「残酷な」シーンがあるために子供には見せることができない。しかし、それではメッセージを十分に伝えることができなくなってしまう。制作者が本当に伝えたいことが伝えられなくなってしまう恐れがあるんです。おいらが学生だった頃にも「ただ平和を唱えていれば平和がやってくる、戦争のことなど知る必要はない」なんていう、ある意味おめでたい人たちが少なからずいましたが、彼らが一体何を残せたというんでしょうか。

もうひとつ、この作品に批判的な意見で釈然としなかったのは、エリンたちが差別を受けている一族であるという設定がけしからんというものでした。彼らは、作品にそういう人物が登場するとイジメを助長するとでも言いたいんでしょうか。どうもそのあたりの感覚がよくわかりません。世の中は矛盾で溢れています。遅かれ早かれ子供たちはそういうことに気付いてしまう。もちろん気付く時期の問題はあるんでしょうが、そこは周りの大人がフォローするべきでしょう。ただ処刑シーンがいけない、被差別民がいけない、そういうものを見てはいけないというばかりではなく、残酷な場面の何がいけないのか、差別がどういけないのか、子供たちが何に心を動かされたのか、こういった作品を通じて子供たちと話しあうきっかけを作れないものかと思うんですね。汚いことから目をそらすことが正しいことだとは、おいらはどうしても思えないんです。

中学の卒業式の日、おいらはショックを受けたことがありました。その日までおいらたちが知らなかった二つの事実が明らかになったんです。ひとつは、不登校で一日も学校に来なかった女子生徒がいたということ。もうひとつは、幻のクラスの存在。おいらたちのクラスは5クラス編成でしたが、誰も知らなかった「6組」があった。障害児を集めたクラスで、普段は分校のようなところにあったらしいので、卒業する日までみんな知らなかったわけです。

小学生の頃にはそういう子たちも「普通」学級にいて、一緒に遊んだりしました。しかし、中学に入るとそういう子たちは養護学校に行ってしまうので、いわゆる普通の子たちとは縁が切れてしまいます。正直言って中学を卒業するその日まで、そういう子たちの存在を忘れていた。完全に、忘れていた。おいらは、その忘れていたという事実にショックを受けました。ああ、あの子達はこれからもずっと、その存在を世間に知られぬまま生きていくんだろうか。最初からいなかったことにされてしまうんだろうか。そう考えた時に恐怖を感じました。

おいらなんか、高校生になるまで暗算ができなかったし、中学の友達の中にはひらがなが満足に書けないやつなんかもいて、どちらかというと「いなかったことにされてしまった」子供たちに近かったと思うんです。彼らとおいらたちを分ける線は一体どこにあったのか、もしかしたらおいらたちだって、ある日突然いなかったことにされるんじゃないか。そんな漠然とした恐怖を、感じてしまったんです。

そういうことがあったせいか、おいらは「障害者がかわいそう」とか情緒的に言ってる連中は今でもあまり信用できなくてね。もしかしたらそういう連中が一番残酷だったりするのかもしれないと思ってしまうところがあるからです。もちろん障害者の自立に手を貸そうと一所懸命頑張っておられる人たちがいることはわかっていますし、皆がみんな無責任なことをいう人間だとは思ってませんけどね。

ちょっと前に読んだ、東京大学応援団を取材した本で印象に残っていることがあります。「本当に他人を応援できるのは、その人よりも頑張った人間だけである」という話。おいらもそう思います。だからこのブログでもあまり「頑張れ」なんてことは書きません。その言葉は無責任に口にしていいような性質のものではないと思っているからです。「頑張って欲しいなあ」とは書くけれどもね。そういう言葉を紡ぐ時、おいらはいつも悩みます。おいらは果たして、その言葉を言うのにふさわしい人間だろうかと。人に「頑張れ」ということができるのは、その人よりも頑張った人間か、その人に最後まで寄り添い、共に頑張る覚悟がある奴だけだと思っているから。


アニメーション作品の話から随分と脱線しましたが、おいらはこの作品を批判してNHKに抗議している人たちの意見にはどうしても納得できない部分があるんです。

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2009年2月23日 (月曜日)

【アニメ】ゲゲゲの鬼太郎

一昨日くらいから、なぜかアニメーションカテゴリへのアクセスが激増してるんですよね。一番アクセス数が多いのが『明日のよいち!』のエントリー。女の子の水着画像のせいだと思う。多分(笑)
次に多いのが『獣の奏者エリン』かなり衝撃的な内容だったからねぇ・・・。泣けるという点では『フランダースの犬』に匹敵するかも。おいら、最近は民放ってアニメ以外まったく見ないし、NHKがこのレベルのアニメーション作品を配信し続けてくれるって言うなら受信料払いつづけてあげます(笑)

ゲゲゲの鬼太郎 フジ
("GeGeGe no Kitaro", FNS; Link to US Animation Database)


小説や演劇に限らずアニメーション作品でも、その時々の世相や作り手側の強い思いが作品の中に織り込まれることがあります。『鬼太郎』の場合も、たまにそういう回があるような気がします。

Photoまゆみ(CV:西村ちなみさん
Mayumi (CV: Chinami NISHIMURA)


今回は「妖花」のお話。
妖花は誰かの強い思いを届ける花ということらしい。南の島で亡くなった父親の強い思いによって、まゆみの魂は南の島へ呼び寄せられる。


この回では、鬼太郎たちが到着した南の島のジャングルの中に、恐らく旧帝国陸軍の兵士たちと思われる骸が描かれていました。この作品を見ている「小さなおともだち」には、なぜあの場面で兵隊の死骸が描かれているのか、その理由はきっとわからなかったでしょう。

『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者、水木しげるさんには片腕がありません。今から60数年前、水木さんは南の島の戦場で戦いました。病に倒れ死線をさまよい、そしてアメリカ軍の爆撃を受けた際、ついに左腕を失くしたといいます。子供の頃にその話を聞いた時、おいらはなんともいえない気持ちになりました。右腕一本で漫画を描くのはどんなに大変なことだろう。そんなに大変な思いをして、この人は一体何を伝えたいんだろうか。そんなことを思ったんです。

Photo_2パプアニューギニアの東に浮かぶ三日月形の美しい島、ニューブリテン島。しかし、かつてその美しい島では気が遠くなるほど多くの兵士が命を奪われてゆきました。補給を断たれた日本軍では、アメリカ軍と戦って亡くなった兵士よりも、飢えや病で斃れた兵士の方がずっと多かったと聞いています。食料がなくて、死んだ人間の肉までも食べざるを得なかったというような話も聞いたことがありました。そこはまさに「死者の国」、地獄の入り口だったんです


Photo_3なすすべなく、ただ死んでゆかなければならなかった彼らの無念は一体どれほどのものだったでしょうか。遠い異国で死ななければならなかった彼らの思いはどんなだったでしょうか。そんな思いも空しく、南の島々には発見されずに朽ち果ててしまった兵士たちの骸が、21世紀の今もなお静に横たわっているはずです。


Photo_5あの戦争の是非はともかく、祖国を守るために必死で戦い、最後は暗く湿ったジャングルの中で白骨を晒さざるを得なかった兵士たち。そんな彼らの願いはただひとつ。子供たちが健康に育ち、祖国日本を立派に甦らせること。それに尽きると思うんです。彼らとの約束に、何とかして答えたい、答えなければならないと、おいらも、そう思うんです・・・。


今日は、こんな記事を読みました。

ひめゆり隊の校章、64年歳月経て自決の浜辺で見つかる
2009年2月23日07時08分  読売新聞


おいらは神様なんて信じないけど、この世の中には説明のつかない不思議なことが起こることもあるということは思います。このひめゆりの花の校章も、もしかすると誰かの強い願いが形になったものなのかもしれません。

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2009年2月18日 (水曜日)

【社会】持続可能企業

日本は老舗大国なんだそうです。

参考:
日本に長寿企業が多いわけは?韓国銀行が分析 聯合ニュース 2008/05/14 
老舗企業設立年表


世界でもっとも設立が古い老舗企業は日本の金剛組。西暦589年(崇峻朝)創立で、創業1400年を超えているというから驚きです。さらに驚くべきことに、創業千年を超える企業が日本には他にも数社存在しています。

報告書によると、世界で創業200年以上の企業は5586社(合計41カ国)で、このうち半分以上の3146社が日本に集中しており、続いてドイツ837社、オランダ222社、フランス196社の順となる。韓国には創業200年を超える企業はなく、創業100年以上の企業も斗山(1896年)と東洋薬品工業(1897年)の2社にとどまる。
(聯合ニュースの記事から引用)


昨日読んだ某派遣会社の社長さんの記事でもっとも引っかかった部分は、実は「このグローバリゼーション下で日本企業は必死に戦っている」という部分でした。確かに必死なんだろうとは思います。しかし、おいらは「その戦いは本当に正しいのか」ということを思ってしまうんです。

国際競争の「競争相手」はアメリカや、最近成長している新興のBRIC's諸国ということになるんでしょうが、これらの新興諸国が20世紀型の経済成長を本気で目指すと、恐らく世界は22世紀までもちません。経済発展の過程では必ず人口の爆発的な増加が起こりますが、地球には人口の増加を吸収できるキャパシティはもうほとんど残されていないと思われます。早ければ2020年代には世界人口が100億人を超えると推定されますが、これはもう限界を遥かに超えた数値です。

戦いをすぐに止めるのは大きな混乱を引き起こしてしまうのでできませんが、少しずつでも(もう時間的な猶予はほとんどありませんが)社会を変えていく方向に動かないと我が国、いや、世界は滅亡してしまう。れはありえないことではないんです。

しかしアメリカが主導してきた「グローバリゼーション」は、当のアメリカには変えることができない。そして、効率的な経済成長を追い求める新興諸国も現在の経済システムを自分たちから変えることは難しいでしょう。そのシステムを変えることができるのは、彼らとは方向性の異なる思考をすることができ、まったく違う行動原理で動くことができる国だけです。そしてそういう行動を取れる可能性が最も高い国が日本であると、おいらはそう思っています。

創業千年を超えるような企業が複数日本に存在するという事実。1000年の間には現在のグローバリゼーションどころではない波乱がそれこそいくつもあったでしょう。それでもそれらの企業は現在まで営業を続けて来たんです。その理由が何であるかについての韓国銀行の分析は次のようなものでした。

▼本業重視▼信頼経営▼透徹した職人精神▼血縁を越えた後継者選び▼保守的な企業運用(前述の記事より引用)

成長よりも持続。おいらにはそう感じられます。

世界でもっとも創業が古い金剛組の心得は次のようなものです。

「お寺お宮の仕事を一生懸命やれ」
「大酒はつつしめ」
「身分にすぎたことをするな」
「人のためになることをせよ」

(HPから引用させていただきました)


これが本当の仕事というものではないでしょうか。どこかの大臣に聞かせてやりたい。(元大臣か・・・)

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2009年2月16日 (月曜日)

【時事】書きたくなかった記事

本当はこんな記事書きたくないんです。

派遣切り・「社会が悪い」は本末転倒(上)(下)
2009年2月16日(月)09:45 Voice


そこで契約更新にならない可能性が少しでもあるならば、契約社員を続けながら、不測の事態に備えておくべきではなかったか。たとえば、しっかり貯金をする。「お金が三○○円しかありません」という声を聞くたび、どうしてあのような状況が生まれるのか不思議に思う。毎月の給与からたとえ一万円ずつでも貯金していけば、三年間で三六万円。そのくらいの蓄えがあれば、最低でも次のアパートを探すくらいはできるはずではないか。
(記事から引用)


確かに、なぜあそこまでお金がなくなっちゃうのか、おいらも疑問に思う部分もあります。自分自身何度か仕事がない時期がありましたが、辞めた時点で雇用保険を受けずに半年から1年ぐらい生活できる余裕がありました。家族がいて、自分の生活ギリギリで仕送りをするとなると手元に何も残らないことは十分ありうると思いますが、すべての人が同じ状況ではないと思います。

しかし問題はそこではなく、「契約」の方です。本来契約というのは双務的なものですから、瑕疵があれば損害賠償を当然に請求されます。もっとも、雇用契約の場合には民法628条の規定によって「やむを得ない事由による雇用の解除」というものが規定されていますから、一方的な解雇もありえないことではありません。では、今回のような場合が本当にやむを得ない場合に当たるのかどうか。

中小の企業はともかく、大企業はかなりの内部留保を抱え込んでいるといいます。また、仮にその留保がなかったとしても、企業には依然として経営責任の問題が残ります。個人に対して「なぜもしもの時の備えをしておかなかったの」というのは簡単ですが、それはそのまま企業にも当てはまることではないでしょうか。「なぜ不測の事態を予測して経営をしてこなかったか」ということです。個人的な意見としては、これはやむを得ない事由と見なすことはできないと考えます。また、派遣社員の場合については派遣元の企業がケアをするべきである。よく労働者について「権利ばかり主張して義務を果たさない」ということが言われますが、それはそのまま企業にも当てはまることなんです。労働者の責に拠らず、企業側の一方的な理由で何らの保証もなく契約解除が行われるとしたら、それはもはや「契約」と呼べるものではなく奴隷取引になってしまう。

あるいは、契約社員ではなく正社員をめざしてスキルアップし、自らの付加価値を高める。いま企業が欲しがるもっとも大きな財産は「人」だ。私が経営する派遣会社「ザ・アール」で派遣社員として採用した人も、優秀であればあるほど他企業に引き抜かれてしまう。(記事から引用)

筆者は後段で派遣社員の増加は社会的な潮流と述べ、その存在の必要性について触れています。しかしながら、筆者は基本的には派遣や契約という働き方そのものに何らの価値も認めていないのではないかということが上の文章から推測できます。派遣あるいは契約という働き方は、本来高い専門性を武器に企業(契約相手)と対等に仕事をすることができるというものだったはずですし、そこを目指していかなければいけなかったはずです。ところが、そういう働き方を世に問い推進していかなければならなかったはずの派遣会社そのものが、未だに正社員至上主義思考から抜け出せていないわけです。そもそも、社員が他社に引き抜かれるというのは、もちろんその社員の能力が高いということもあるでしょうが、ほとんどの場合は引き抜かれる側の企業に魅力がないからでしょう。派遣会社は自らの抱える社員に派遣という働き方の価値を伝えられず、その点について深く反省もせず、結局は単なる「人出し」に終わってしまったんです。

驚くべきは年末年始に「派遣村」に集まった五○○人のうち、生活保護を希望していた二七二人全員に受給決定が出たことである。手取り一七万円を受け取って、保険もすべてタダという状況で、働く意欲が彼らに生まれるのだろうか。(記事から引用)

制度があるのならば、その制度を使うことについてどうこう言われる筋合いはないはずです。矜持がどうとかそういう問題ではありません。制度が悪いというならば、その制度を変える方向に議論を持っていくべきでしょう。現行法上何ら問題のない権利の行使についてまで批判することは出来ないと考えます。現政権で改革が難しいというのであれば、まずは自民党・公明党を倒さないといけません。そもそも税金をどう使うかは、行政の裁量に委ねられています。

「働く意欲が生まれるのだろうか」
とはおっしゃいますが、一時的にでもお金がなければ生きる意欲が涌きません。もちろん仕事を探す努力を怠るべきではありませんが、現状かなり厳しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。一人身であればなんとかなるかも知れませんが、家族を養うとなるとどんな仕事でもいいというわけには行かない場合もありうるだろうと思います。だいたい、派遣会社というのは(筆者は派遣会社の社長らしい)労働者に仕事を斡旋するのが仕事ではなかったですか。自らの社会的責任を放棄しておいて、すべての罪を労働者側に着せるのはフェアじゃないような気がします。

聞くところによれば、いま内定取り消しを行なった企業はわざわざ学生に違約金を払っているという。しかしかつてはバブル期に内定を五つも六つももらいながら、平気でそれを蹴った学生が数知れなかったのではなかったか。学生が内定を勝手に取り消すことには何のバッシングもしなかったのに、いま企業だけをバッシングするのはアンフェアである。(記事から引用)

おいらが就職活動をした頃はすでにバブルがはじけていましたが、まだ売り手市場の頃でした。企業は学生を確保するために囲い込みまでやった時代です。観光地に連れて行かれて、他社からの接近を遮断するために監禁されたりするんですね。誰でもいいからとにかく連れて来い。そんな雰囲気でした。内定も乱発されましたね。それはすべて企業の都合です。そもそも「内定を勝手に取り消す」なんていうことが学生側からできるはずもなく、それは「辞退した」というべきです。複数の企業から内定を得たとしても、最終的に入社できるのは1社のみ。他の企業は、残念ながら辞退するしかありません。もしも複数の企業から内定をもらうのが不誠実だというのならば、何も考えずに人集めに奔走していた企業は不誠実ではなかったのでしょうか。本当に「人」を採用しようとしていたのでしょうか。そういう企業に不信感をもった学生はいなかったのでしょうか。学生の側には「辞退」する正当な理由がありましたが、現在の企業の側には果たして内定を反故にできるだけの正当な理由が本当にあるでしょうか。

おいらが受けた、名古屋に本社がある某東証一部上場企業ですが、おいらは一次試験を免除されました。早稲田の学生だから。ただそれだけの理由でです。おいらは社会科学部出身で、その学部はその当時はまだ夜間部でした。学内的には「偏差値的な」評価があまり高くない学部でしたが、それでもそういうことがあったんです。明治大学の昼間部の学生は、一次試験が免除にはなりませんでした。おいらだけが別室で待たされて、一次試験の解答用紙には名前だけ書いておけばいいですからと言われました。おいらはそういうその企業の体質が疑問でならなかったし、入社してもやっていく自信がなかったから内定を辞退して他の会社に入社しました。「努力をすれば報われる」という言葉の、なんと空しく響くことか。このような適当な採用がその後の日本社会に対してどれほどの悪影響をもたらしたかわかりません。企業は、バブルの頃から人を見る眼を失ったんです。

このように、人とのコミュニケーションもまずく、恐らく発達障害であったであろうおいらのような人間ですら東証一部上場の企業から複数の内定が取れた時代が、本当にありました。しかしそれからわずか数年で、どれだけ優秀な学生であっても就職に苦戦する時代となりました。人生なんてある意味理不尽なものではありますが、それにしても落差が大きすぎるではないですか。この落差を個人の努力不足のみに帰するのは無理があるのではないでしょうか。6対4、いや、7対3くらいで政府にも大きな責任があると思います。

巨人トヨタが赤字に転落するなど、産業構造が大きく変わるなかで、いま政治が考えるべきは「新しい産業創出」であり、そのためのビジョンである。そこで必要となるのが規制緩和か、それとも強化か、もう一度、政治家は考えてみるべきだろう。
(記事から引用)


この意見については同意します。まさにおっしゃる通りだと思います。

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2009年2月15日 (日曜日)

【アニメ】フレッシュプリキュア!

去年の秋にねー、親戚のうちに女の子が生まれたですよ。
誕生日がおいらと3日しか違わないのね。まるで狙ったかのように(笑)
みーたん(仮)も、あと2年もするとアニメとか見始めると思うんだよね。
その頃までプリキュアやってるかどうかわかんないけど。

でね、この手のアニメーション作品って、ことあるごとに「新商材」が出回るじゃないですか。「ドリームコレット」とかさ~。この前のプリキュアだとメンバーが5人もいたじゃん。キュア・ローズも勘定に入れると6人ですよ。そのキャラクターそれぞれにグッズがあったりするんですよねぇ。

そういうの、きっと欲しがるよねぇ、みーたん(仮)・・・

(((;゚д゚))))) ガクガクブルブル

プリキュア・・・一体何人いるというのだ!(by イース様)

ホントだよね!!w 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

フレッシュプリキュア! テレ東
("Fresh Precure!", TV-Tokyo; Link to US Animation Database)


Photo今回のメインキャラクターの一人、桃園ラブ(キュア・ピーチ)でございます。

キュア・ピーチ(CV:沖佳苗さん
Cure Peach (Metamorphosed, CV: Kanae OKI)


沖さんというと、去年は『RD洗脳調査室』で主役の蒼井ミナモを演じてましたね。ピチピチ元気少女の役でしたけど、今回も似たような感じのキャラクターです。デビューしてからまだあまり時間がたっていないので演技には少し不安なところもあるんですけど、この1年間でかなり鍛えられるんじゃないかと思います。

Photo_2今回のメインキャラクターはこの3人。
よかったなあ~

人数少なめで!!w m9(^Д^)

桃園ラブ(中央、CV:沖佳苗さん)
Love MOMOZONO (Center, CV: Kanae OKI)


蒼乃美希(左、CV:喜多村英梨さん
Miki AONO (Left, CV: Eri KITAMURA)


山吹祈里(右、CV:中川亜紀子さん
Inori YAMABUKI (Right, CV: Akiko NAKAGAWA)


Photo_3そして、これが今回の悪役の一人。

イース(CV:小松由佳さん
Yith (CV: Yuka KOMATSU)


今回の敵は「管理国家・ラビリンス」だそうで。
人の悲しみや苦しみの負の力を集めて世界の支配を目論んでいる・・・らしい(笑)

プリキュアに登場する悪役や怪物の変遷にはちょっと興味深いところがあるんですね。
例えば2作前の『Yes!プリキュア5』に登場していた怪物は「コワイナー」(怖いな)。人々になにやら漠然とした恐怖感を与えます。悪の組織はなぜか会社組織になっていて、悪の手先がフリーター(非正規雇用)だったり、管理職に対して容赦ないリストラが行われていたりしました。先行きのわからない漠然とした不安や恐怖というのがコンセプトになっていたような感じです。

前作の『Yes!プリキュア5 GoGo!』に登場した怪物は「ホシイナー」(欲しいな)。漠然とした不安に代わって、欲望が前面に出てきます。不安を解消するために物欲に走るという。どこか20世紀後半の社会状況を髣髴とさせますね。この作品の悪の組織は博物館でした。前作でリストラされた元・悪の事業部長(笑)が平の職員(恐らく臨時雇用)で採用されていたりして、世間のキビシさを子供に教えていますw 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

そして、今回のプリキュアに登場する怪物は「ナケワメーケ」(泣け喚け)かなり荒んでまいりました・・・。まぁ、世相を反映しているといえばそれまでなんですが。しかしもうここまでくると、最近巷を騒がせている「アベンジャー型犯罪者」そのもの。自分の周囲の幸せを憎み、ただひたすら他人の不幸をだけを願うという。今回の組織は前回に比べて規模も大きくなっていて、国家レベルです。もはやイデオロギー対立なので妥協の余地もありません。子供に対しても容赦なし (ノД`) 前回のプリキュアでは元・悪の事業部長さんは最後の最後にプリキュアを助けるんですけど、今回はそういう展開は期待できそうにないですね。どうなっちゃうことやら・・・。


Photo_4ところで、今回のプリキュアのエンディング映像、やたら動きがいいですねー。モーションキャプチャーなんだろうけど、すごいと思います。明らかにコンピューター処理の絵で『涼宮ハルヒ』のエンディングや『かんなぎ』のオープニングとはちょっと違った感じの仕上がりですが、これは意図的にそうしているんでしょうねきっと。これはこれで好きです。

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2009年2月 9日 (月曜日)

【ブログの裏】人狼

ひとつ前の記事は学生運動の記事でした。週末に演劇を見てきたんですよね。おいらの好きな声優さんがメインキャストだったので。

おいらが大学生の頃は、活発ではなかったけれどもまだ学生運動みたいなものはありました。おいらは早稲田の卒業生なんですが、大隈先生(立像)の周りには立て看板がいっぱい立っていて、「YP体制打倒」なんていう文字が書いてあったりして。(「YP」っていうのはヤルタ・ポツダム体制のことらしい)張り紙なんかもそこらじゅうにベタベタ張られていてね、入学した時は「大学って、汚いところだなあ」と思ったものでした。

それが、ちょっと前に久しぶりにキャンパスに入ってみたら、ずいぶんとすっきりしていて驚きましたね。大隈先生の銅像の脇には高田早苗先生の坐像があったりするんですが、おいらたちが学生の頃は立て看板の陰になっていて見えないことが多かったんです。今はちゃんと見えますね。よかったよかった(笑) なんだか別の学校に来たみたいで、ちょっと寂しくもありますけどね。14号館はビルになっちまうしよ~。

おいらたちが卒業するちょっと前に「学費値上げ反対闘争」っていうのがあって、学校がロックアウトされたことがありました。最後の期末考査が全科目レポートになっちゃったんだよなあ、そういえば。あの時は参った。何しろ10科目すべてレポート郵送提出で、最後の最後は徹夜になったような気がする。教場試験だったら「優」だったかもしれない科目が、軒並み「良」になってしまった。あの時は本当に「あいつら、余計なことしやがって」と思ったね。他にもっとやることあるだろうがと思った。まぁその当時、おいらはどちらかというと右寄りだったから、余計に反感が強かったっていうのもあるかもしれない。

そんなおいらですが、実は子供の頃に左翼、というかテロリストに憧れていた時期がありました。(子どもの頃のおいらの認識では左翼=テロリストだった)

いつだったかはっきり覚えていないんだけど、小学校の近くを通る線路で貨物列車を爆破するという予告がありました。多分、成田に国際空港ができた頃だったんじゃないかな。貨物列車の積荷はジェット燃料でした。予告だけで、実際に事件は起こらなかったんだけど。

その時、避難ということで小学校の屋上に誘導されたことを覚えています。空には報道のヘリがブンブン飛び回っていてね。その異様な雰囲気の中でおいらは、不謹慎にも興奮してしまったんです。「列車のダイヤを狂わせて、ヘリまで飛ばさせてしまう犯人はどういう人たちなんだろう。すごい。カッコイイ!!って、思ってしまったんです。もちろん今はそんなこと思っていないし、むしろテロリストなんか冗談じゃないと思ってますけどね。

その当時、おいらはいじめられっ子でした。学校が、嫌だった。おいらをいじめる連中も嫌いだったけれど、やたら根性論を振り回す特攻帰りの古参教師も、自衛隊員の父親を持つ生徒を捕まえて「お前の親父は税金泥棒だ」なんて抜かす若手の教師も、みんな大嫌いだった。どいつもこいつもまとめて消えてしまえばいいと思っていた。そんな荒んだ気持ちのおいらを揺さぶったのが、テロリストだったんです。あの日、テロリストはおいらのヒーローになりました。

よくいじめを克服した子どもの話なんていうのを聞きますけど、みんながみんなそんな風に立ち直れるわけではありません。そんなに強い子どもばかりではないんです。みんな無責任に「頑張れ」なんていうけれども、頑張ろうにも力がでない場合もある。それで「助けて欲しい、何とかしてくれ」と言うと「甘えるな、もっと努力しろ。お前は努力が足りない」と返される。返り討ちにあう。ワイドショーの見すぎかドラマの見すぎか、なんなのかよくわからないけれども(別にマスコミが悪いなんていうつもりはありませんが)、とにかく頑張れば何とかなると短絡的に信じて疑わない人は多いです。それで自分たちが期待したような結果がでないと、容赦ない罵倒が待っています。おいらだって努力そのものは否定しないし、した方がいいとは思うけれども、一人で何とかするには限界があることもまた事実なんです。

この前『アベンジャー型犯罪』という本の記事を書いたときに、おいらにもそういう犯罪者と同じような資質があるということを書いた背景には、こういうことがあったんです。立ち直るのを諦めた子どもは、社会に復讐します。必ず。理不尽なことだとは思いますが、避けることはできないと思う。

話は戻りますが、貨物列車爆破予告事件の話。
先生たちは避難と称して子どもたちを屋上に誘導しました。しかし、それはかなり危険なことだったと思います。線路からおいらの小学校まで、直線距離で300m程度だったはずです。しかも、その頃の学校周辺は田んぼだったので遮るものが何もなかった。もしも本当に学校の近くで爆破が行われていたら、おいらたちはただではすまなかったはずなんです。何しろ積荷はジェット燃料ですから。おいら、あれは避難などではなくて、「見物」だったんだろうと今も思っています。どんな意図があったのか知らないが、子どもを危険に晒す教師など教師ではありません。絶対に許せない。

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2009年2月 4日 (水曜日)

【社会】デストラクション

今日はこんな記事を読みました。

今の資本主義はもう、やめてくれ
2009年2月4日 日経ビジネスオンライン

「環境考古学」を研究されている安田喜憲教授のお話です。

おいらは高校生の頃、歴史と地理が得意でしたが、地理という科目には違和感がありました。当時地理を教えていた先生の立場というのがまさに記事でも触れられているような「人間は必ず自然を克服できる」というもので、地理というのがそういう視点から教えられる科目だったからです。おいらは、そういう思想が傲慢なものに思えてなりませんでした。

大学に入ると経済学が必修でしたが、こちらもやはり違和感がありました。当時はちょうどバブル景気の頃で、経済は右肩上がりに成長していくと誰もが信じて疑わなかったような時期でした。しかし、資源には限りがありますよね。地球上の資源を使い果たして、どうして経済も人口も右肩上がりで成長することができるんだろうと、あまり優秀ではない学生だったおいらは常々思っていました。

ギリシャやローマの文明は、木を切りすぎて衰退・滅亡したんだそうです。そういえば、中国にも禿山になっている山が多いみたいですが、それは春秋戦国時代の環境破壊の痕跡なんだそうですね。2千数百年も前のお話です。しかし、一度破壊された環境は数千年の時間をもってしても回復することができないんです。そういう状況を作り出すことが果たして「自然の克服」といえるのかどうか。自分の首を絞めているだけなんじゃないのか。

お話の中にもある通り、市場原理主義というのは弱肉強食の世界です。必死に欲望を膨らませ、収奪しつくす社会。市場は常に拡大することを求められ、後退することは許されない。そして、そのような社会に疑念を持つ人間や、ついていけない人間は「負け犬」と呼ばれ、容赦なく叩かれる。家や仕事を失うのは「自業自得、自己責任」であって、そのような者を救う必要はないとさえいわれる世界。他の価値観はまったく認められる余地がありません。なにしろ「原理主義」だからね。

60年ほど前、日本は戦争をしていました。その戦争は「聖戦」と呼ばれた。そして、その「聖戦」に疑問を持つ者や拒否した者は「非国民」と呼ばれました。現代の日本で当時の戦争を「聖戦」だったと思っている人は右翼を除いてあまりいないと思いますが、そのような思想は形を変えて今日まで続いているような気もします。戦後の日本では大量に生産し大量に消費することが正義になりました。経済は右肩上がりで成長する。人口は増えて市場は拡大する。夜も寝ないで必死に働く。働いて大量に消費する。そのような社会のあり方に疑問を持ったり拒否する者は日本人ではない。非国民であると。そのような者に救いの手を差し伸べる必要はないと。大東亜戦争の頃と一体何が違うんでしょうかね。

歴史上、資源を浪費した文明は必ず崩壊してきました。お話の中でもイースター島の例が挙げられていますが、その末路は悲惨なものです。それは遠い昔の話ではない、決してひとごとではないことだと思います。日本は決定的に資源の乏しい国です。その点では自国の資源を浪費しようもないんですが、(他国の資源を浪費するので、それはそれでたちが悪いですが)そんな我が国に特徴的なことがひとつある。人材です。松下幸之助さんも「人は経営の基礎」と言いました。我が国がこれまで何とかやってこられたのは人的資源が充実していたからということが大きい。この人的資源を疲弊させ使い果たした時、我が国は滅亡します。


皆さんはこの記事のお話を、敗北主義と思うでしょうか。

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2009年2月 2日 (月曜日)

【社会】渋滞対策

今日読んだ記事。

かしこい生き方のススメ 工学博士 西成活裕さん (「渋滞学」)
gooビジネスEX


西成さんは数学者だそうです。40mの車間距離が保てれば渋滞は解消できるんだって。

うちの方も通勤時間帯は道路が混むんです。工業地帯だからね。
「定修」といって、夏に工場を止めて大々的に修理をする時期があるんですけど、その時なんか車が全然進まなくなります。ここは東京かっていうくらい(笑) もっとも、最近では春先や秋にも補修作業をやる事業所が増えているので結局一年中混みますけど。

おいらの地元、工業地帯だからというわけでもないんだろうけど、みんな運転が荒っぽいです。サーキットと間違えてるんじゃなかろうかって感じです。制限速度で走ってると煽られちゃうし、かえって危険なので制限速度はみんなデフォルトで守りません。何度も車線変更して、少しでも人より前に行こうと蛇行運転したりします。それを80キロ以上のスピードでやるからとても危険。ところが、いくらスピードを出していても結局は渋滞に捕まってしまうんですね。後から見ているとむしろ滑稽だったりします。お前は一体何がしたいのかと激しく問い詰めたい(笑)

そういえば、おいらはわりと車間距離を長めに取る方ですね。まず40mは取っていると思います。そしてあまりブレーキを踏まない。うちのほうの道路ってアメリカ(っていうよりアフリカに近いかも・・・)みたいに道幅が広くて、平坦で直線的な道路が多いから惰性で走れたりするんですね。一度70キロくらいまで加速してギヤをニュートラルにしてしまうと、そのまましばらく走り続けるという(笑) 停止する時はギヤをドライブに戻してオーバードライブを切ってしまえばエンジンブレーキが利くので、ブレーキペダルは最後の最後に踏むだけで済みます。

面倒臭そうに見える走法なんですが、結局その方が燃費もいいし、何より車間距離が取りやすいっていうのもあるんですね。オートマ車にはギヤレバーのところにオーバードライブスイッチが付いてますけど、あれでスピードコントロールができるんです。アクセル踏まないしブレーキも踏まないからガソリンの消費が抑えられます。さらにそれが渋滞解消の役に立つって言うんであれば一石二鳥なのかもしれませんね ( ´∀`)


「渋滞学」だけじゃなくて他の事にも言えることなんでしょうけど、何かが起こってから対応するよりも予防的な発想で行動するほうが、結局はコストが安くなるんですね。最近読んだ「失敗学」の本にもそんなことが書かれていましたけどね。これからの社会は「周囲のことも考える」というのと「予防的対策」というのがキーワードになっていくような気がします。

最近の派遣問題にも通じるところがあると思うんですよ。確かに経済競争力を維持するために迅速な雇用調整が必要っていう考え方もあるとは思うんです。しかし、それで社会が崩壊したら元も子もないんでね。「周囲(社会)のことを考えない」典型みたいなものです。結果が予測できたにもかかわらず有効な手段を講じなかった政府の責任も大きいと思います。まさに暴走トラック。お前ら一体何がしたいんだっていう(笑)

いや、笑い事ではないですね。追い詰められた人たちが「アベンジャー」にならないとも限りませんからね。今はそうならないことを願うばかりです。

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【社会】マインド・マップ

こんな記事もあまり書きたくはなかったんですが、まぁ前の記事のついでなんで書きます。

あまりにも高いハードルは越えることができない。そういう障害物を前にしたときに人間がとる行動というのは限られていて、ただそこに立ち尽くすか、逃げてしまうくらいしか選択肢はありません。ところが、越えられるハードルの高さは人によって違うため、楽に越えられる人が立ちすくんでいる人を見たときに「なんでこんな簡単なことができないのか」という感じ方になってしまうこともよくあるんです。

おいらは子供の頃、できないことがたくさんありました。中でも苦しめられたのが計算。ちゃんとできるようになったのは20代の後半でした。暗算は今でも苦手です。九九の表も半分くらいしか覚えなかった。7×8はわかるけど、8×7がわからないとか、そんな感じ。見かねた親父が「掛け算には交換法則が成り立つ」っていうのを教えてくれた。だから半分しか覚えなかったの。

今は一応技術職だし、数学も理解できます。電気通信主任技術者や電気工事士(1種)の免許を取るには三角関数や対数関数を理解しないといけません。この間合格した某技術系の試験だって、アークサインとかアークコサインなんかを使いこなせないと問題が解けないんです。でも、やっぱり今も暗算は苦手。おかしいですよね。

数学がまったく出来ない一方で社会科だけは抜群に成績が良かったりしたので、教師には常に疑いの目で見られていました。「こいつは数学の勉強をサボっている」と思われたんでしょう。あからさまに「お前は努力が足りない」なんていわれたこともあります。でも、どうしても数学だけはダメだった。九九も怪しく、計算だって指を使わなければできないような高校生が、三角関数を理解することは無理だったんです。結局、三角関数の計算ができるようになるまで10年以上かかりました。

昨日読んだネットの記事でこんなのがありました。

友人の数や社交性は遺伝子で決まる?
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト1月28日(水) 12時36分配信
(Yahooニュース)


もちろん生まれてからの環境にもよるだろうと思いますが、もしも遺伝子レベルで社交性やその他の能力が決まってしまうとするならば、人に対して「努力が足りない」なんて言い放つのはかなり残酷なことなのではないかと思います。おいらは決して努力を否定するものではありません。しかし、その人の特性に合った努力でなければまったく意味がないどころか、その人の命さえ奪いかねないことになってしまうんです。

人は、それぞれ自分だけの地図をもって暮らしていると思うんです。あらかじめ多くの情報が書き込まれた地図を持っている人もいるでしょうし、おいらたちみたいに書き込まれた情報が少ないか、縮尺がまったく違っているような地図を持っている人もいるでしょう。人によってはほとんど白地図のような場合もあるかもしれない。

ある人が失敗を犯したとしても、おいらはそれを「自業自得、自己責任」と簡単に切り捨てることができません。他の人が花畑だと思っていた場所が、その人にとっては地雷原に見えていたかもしれない。結果的に地図を読み違えたのかもしれないけれども、修正の余地はあるんじゃないかと思っているからです。

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2009年1月29日 (木曜日)

【社会】棄民

20数年前、この人の本を読んだことがあったなあ。

この国のゆくえ なぜ私は変節したか? 人間を幸せにする資本主義の模索を
2009年1月27日(火)09:00 日経ビジネスオンライン

社会科学系、特に経済学を学んだことがある人なら、中谷巖さんの名前を知らない人はいないでしょう。『入門マクロ経済学』、おいらたちも勉強しました。おいら、数学が算数レベルでダメだったのでかなり大変でしたけど。ただ、暗算ができないおいらでしたが、なぜか微分積分だけは得意というか好きだったので、経済学を勉強する上でそれだけは助かりました。経済地理学の行列には泣きましたが。(おいら、基本的な計算がちゃんとできるようになったのは20代の後半でした)

アメリカ型の競争社会が日本には合わないんじゃないか、人間を幸せにしないんじゃないかという話は、実はおいらたちが学部学生の頃からありました。少子化問題も、地球温暖化問題も、少なくとも社会科学系の学部にいた人なら当時から知っていたはずのものです。ブータンが追求するGNHのような考え方も、すでに議論され始めていました。

インタビューの中で中谷先生が語っているように経済学っていうのは完全に論理の世界ですから、GNH(国民総幸福量)なんていう数値化が困難なものは、それこそ「ワケがわからない」ということで当時は一蹴されていました。まるでお話にならないという。「トンデモ」扱いなわけです。しかし、おいらは当時からそういう合理主義のようなものには強い違和感があったんです。人間なんて、非合理的な行動をとる場合の方が多いと思うんですね。機械じゃないんだから。経済学で人間の幸せを数値化するとしたら、最も簡単な方法は「どれだけお金をもっているか」ということになると思います。でも、本当にお金がすべてなのか。確かにある程度は必要なものだとは思います。だけれども、お金では買えない、「プライスレス」なものっていうのは必ずあると思うんです。

最近話題になっている派遣社員の雇用問題。世の中の人に言わせると、「そういう雇用形態を選んだ奴が悪い」んだそうです。しかし、本当にそれだけで片付けられる問題なのかどうか。19世紀から20世紀にかけて、子どもが炭鉱で働いていたり、日本でも女工哀史なんていうのがありました。蟹工船とかね。しかし、やっぱりさすがにそういうのはマズイだろうということで、労働者を守る法律が次々と作られていったわけです。ところが、21世紀に入ってそういう流れが後退してしまう。セーフティネットなしで派遣自由化を進めるとどういうことになるか、経済学者だってはっきりわかっていたはずなのに。

大東亜戦争以前、日本は大陸に進出しましたね。満州と呼ばれた地域に多くの人が入植しました。当時の日本の農村は疲弊していましたし、昭和初期の恐慌から経済状態も悪かったということで、大陸に活路を見つけるしか道のない人たちも多かったのでしょう。もちろん、未知の世界にロマンを感じて進んで入植した人もいたんだろうと思います。その後、日本帝国は戦いに敗れ、満州に住んでいた人はかなり悲惨なことになりましたね。ある者は命を落とし、ある者は孤児になり、生き残った人たちもまさに命からがらという状態で祖国にたどり着いたという感じです。現在、彼らについて「そういう道を選んだのだから自業自得、自己責任」という人は、まぁほとんどいないと思います。しかし、それが派遣社員となるとなぜああまで責められることになるのでしょうか。たとえ不本意な仕事であれ、消極的であれ、「国策」の下、経済競争に勝つために、派遣社員だって祖国のために働いたじゃないですか。

それで、今は失業状態の彼らを人手の足りない産業に投入しようという試みも進んでいますね。それ自体は悪いことでもない、むしろ結構なことだとは思うんですけどね。しかし、なかなか人が集まらない。失業者は溢れているのに。これもまた人間の非合理なところなのかもしれませんけどね。思うに、彼ら、もうかなり嫌になっちゃってるんじゃないかと思うんです。あるいは、抑うつ状態。これまで散々いいように使われてきて、仕事がなくなると今度はもっときつい仕事があてがわれると。(死なないためには、とにかくそういう仕事でもやらなきゃならんとはおいらも思いますが)それで、その仕事を拒否すると「甘えている」とか言われて罵倒されるわけです。消極的ながら、彼らはささやかな抵抗をしているのかもしれません。「命を賭けても拒否する」という覚悟なら、ささやかではないですけどね。

そういう彼らを救おうと補助金を出したり税金を投入したりすると、これもまた非難されますね。でもね、国民主権とはいえ、税金の使い方というのは行政の裁量に委ねられているんですよ。現在で言えば、政府、つまり自民党公明党に委ねられているわけです。そういう「バラマキ」がダメだというのなら、まず自民党と公明党を倒さないといけないんですが、これまではなぜかそういう方向には進んできませんでした。次の選挙はどうなるか知りませんがね。

大体ね、おいらは選挙権をもらってこのかた、自民・公明に投票したことなどかつて一度もありませんでした。そんなおいらが自民・公明支持者の尻拭いをさせられるのは正直勘弁して欲しいと思いますが、それでも税金は払います。使い方についても、文句は言いますけど議会で承認されたことならしかたがない。とりあえず従います。そこを否定してしまうと民主主義が壊れちゃいますから。下手をすると内戦になります。(まぁ今後も自民には投票しないと思いますよ。公明?冗談じゃありません。


それにしても、経済学の大家が20数年前に学部学生たちが気付いていた事に今更気付くとは・・・。まぁ、中谷先生は発言の影響力が大きい人だと思うので、何とか今後も活躍して欲しいと思います・・・。

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2009年1月27日 (火曜日)

【読書】アベンジャー型犯罪

去年は100冊読書の目標を達成できませんでしたが、本自体は今も読んでます。
記事にする時間はなかなかありませんが。

『アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する』 
岡田尊司著 文春新書 2009年

「アベンジャー」とは復讐者のことです。社会から阻害された者が、その孤独や怒りを社会に転嫁し、無差別的な犯罪に向かうということ。今年はなるべく暗い話を書くまいと思っていたんですが、どうやらそうもいかないようで。

こういう犯罪は、その犯罪を犯す本人の個人的な資質によるところも大きいんですが、本書で述べられている通り周囲の環境による影響も無視できないものだと思います。ゲーム等バーチャルな世界が特に若い世代に対してどのような影響を与えているかはまだよくわからないところも多いですし、さらに研究の余地はあろうかと思いますが、おいらも概ね著者と同じような意見です。「共感力の崩壊」という点については、おいらもブログで何回か記事にしたことがありました。

本書を読んで何よりショックだったことは、おいら自身がこういったアベンジャー型犯罪者と共通する要素を持ち合わせているということでした。人と通じ合うことが少なく孤独な少年。アベンジャー型の犯罪者に共通するいくつかの資質的な条件や環境的な条件が挙げられていましたが、おいらにも当てはまる部分がかなりあるんです。

しかし、おいらは人を殺さなかった。辛うじて自ら死ぬこともありませんでした。若干壊れてしまってはいるけれども。彼らとおいらの一体何が違うのか、はっきりとはわかりません。ネットやゲームのない世界に生まれて育ったというのも、ひとつの要因だったのかもしれない。おいらたちが子供だった頃、日本はまだ今ほど過酷な市場原理の働く社会ではなかったということもあるのかもしれない。

以前、このブログでも市場原理主義の社会を「持続不可能社会」と表現したことがありましたが、この本の著者も同じようなことを考えているようです。ただ、現在の日本の状況を変える方法として著者は国産品の積極的な購入を推奨されていますが、その点については実現がかなり難しいと考えます。例えばパソコンでも家電でも、ちょっと中身をのぞいてみればわかりますが、もう部品単位で外国製品が流れ込んでいるんですね。自分は国産品を買ったと思っていても中身は外国製品で構成されていたなんていうことは、今では当たり前のことになってしまっているんです。コンビニ弁当もそう。国産の食材なんてほとんど入っていないのが現実です。国産品を買いたくても、我々には選ぶことができないんです。国内製品を守るために海外製品に高い関税をかけることも、現状では非常に難しいと言わざるを得ません。そんなことをすればたちまち世界から孤立し、まさに鎖国状態になってしまいます。

それでも、アメリカで行われているような地域コミュニティ復活などの取り組みはやらなければならないという部分についてはおいらも賛同します。デストラクティヴ・イノベーションというやつです。些細なことでも何か始めなければ、我が国は本当に崩壊してしまう。

皆さん、タロットカードの「悪魔」のカードをご覧になったことはあるでしょうか。悪魔の姿とともに人間の男女が鎖でつながれている様を描いているのが、このカードの一般的な図案です。我々には、この悪魔の鎖から解き放たれる術は本当に残されていないのでしょうか。

Book アベンジャー型犯罪―秋葉原事件は警告する (文春新書)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
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2009年1月18日 (日曜日)

【大学】試験勉強継続中・・・

日本政治史Ⅱ(中世)の方は、なんとかひと通りまとめました。
歴史も奥が深いので、これでいいっていうことはないんだけども、まぁなんとか答案が書けるレベルには達しているんじゃないか・・・と、思う(笑)

休憩ってことで、ぼんやり風呂に入りながら考えましたけど、やはり歴史は繰り返すんじゃないかなと思いました。(ちなみにおいら、午後から夕方にかけての時間帯に風呂に入るのが大好きだったりします)

例えば「嘉吉の乱」(嘉吉元年、AD1441)。赤松満祐父子が将軍・足利義教を暗殺する事件ですが、クーデターにしては不審な点が多いようです。教科書では「構想なき革命」と評されていますが、将軍を倒した後のことがまったく考慮されていなかった。とにかく将軍さえ倒してしまえば、あとは何とかなるだろうという。同じような事例は日本史上何回か繰り返されていて、近代でも5・15事件(昭和7年、AD1932)なんていう事件がありましたね。(政治学的な分類では5・15事件はテロで、2・26事件がクーデターということになるんですが。)

現在の日本は100年に一度の不況に見舞われているといいます。しかし、20世紀からの状況を考えると、日本は今、応仁の乱以来500年に一度くらいの大変革の時代に入っているのかもしれません。応仁の乱の時代、それは中世的な価値観が根底から覆された時代でした。戦い方ひとつを取ってみても、それまでの常識がまったく通用しなくなったんです。レポートでも指摘されましたが、足軽の登場なんていうのも大きな変化のひとつでした。

室町時代は乱世で破壊の時代でしたが、それと同時に新しいものが生み出された時代でもありました。現在「日本文化」と呼ばれているものの源流を遡ると、この時代に行き着くものも多いです。茶の湯、生け花、懐石料理・・・。破壊と、創造の時代。今が室町以来500年ぶりの乱世の時代だとすると、おいらなんかは生き抜く自信が今ひとつありませんが(笑)、人によってはものすごいチャンスの時代なんだと思うんです。

昨日常識だったことが、明日にはもう通用しない。
Wheel is still spinning.
先の者は後になり、後の者は先になる。
予想を超えることや期待を裏切る出来事が、多く起こる時代なんです。



さて、今日はこれから夜中まで憲法の方のまとめです。

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2009年1月11日 (日曜日)

【大学】鎌倉時代その3(日本政治史)

今日は憲法の勉強はお休みして、日本政治史のほうのまとめです。

なんというか、財政破綻とか、700年経ってもあまり変わらないなあと思ったりして(笑)

鎌倉時代の後半になると、分割相続やら元寇の影響で、御家人の貧困化が進みます。そこで幕府は何をやったかというと、「徳政令」(永仁5年、1297年)というのを施行するわけですね。まぁ、今風にいうと「デフォルト」ってやつです。御家人は借りた金返さなくていいと。結局大混乱なわけですが・・・。

それから、政治の空洞化の問題。鎌倉時代末期になると、将軍、執権、連署、得宗家すべてが権威を失って、もともと得宗家(北条家の嫡流)の家人だった内管領に権力を握られてしまいます。教科書によると上部構造の権力空洞化と表現されていますが。

こういう、下級官僚が実権を握った政権なんて、洋の東西を問わず歴史上ろくなことにはならないんですね。例えば昭和時代、日本を戦争に導いたのは陸軍大学、海軍大学出身のエリート集団でした。しかも大佐や中佐といった中堅クラスが実権を握っていました。彼らは軍人であると同時に、陸海軍省、あるいは参謀本部・軍令部で働く官僚だったんです。官僚支配の弊害ということでは、隣の中国・朝鮮もひどかったようですね。官僚支配の状況になると、大体政治が腐敗してですね、国が滅びるわけです。現代の日本もかなり危ないかもしれませんね。

政治が空洞化した北条政権下で起こったのは、安易なリストラでした。鎌倉幕府の御家人は地頭として荘園に派遣されているわけですが、政権末期には政府に彼らを保護する気概がなく、荘園領主から御家人に関する苦情が上がってくると、彼ら御家人は詳細な審議もなく、いきなりリストラされています。なんだか最近の日本の状況に被るなあ・・・。

幕府の保護を受けられずに切られた元御家人がどうなったか。荘園領主・幕府に反抗するものが激増していきます。まぁ、当然の成り行きですね。日本史では彼らを称して「悪党」と呼びます。そして、その後の鎌倉幕府がどうなったかは、まぁ皆さんお分かりですよね。

歴史って、本当に繰り返すんですねぇ。

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2009年1月 9日 (金曜日)

【時事】アメリカの底力

おいら、最近はニュースをネタにした記事をあまり書きません。
意図的にそうしているんです。
時事ネタに触れれば、必ず暗い話題を書かざるを得ないから。
今年はなるべく暗い記事は書くまいと思ってるんです。
だから、書かない。

アメリカの金融危機が日本のように「失われた15年」になることはない
2009年1月8日(木)08:40 DIAMONDonline


おいら、アメリカっていう国が嫌いなんだけど、アメリカ人に対してはひとつ尊敬できるところがある。それは、どんな苦境に立たされても決して諦めないこと。まぁ、アメリカ人といってもいろんな人がいるだろうし、一概には言えないんだけど、総じてポジティブな人が多い印象です。

記事の中で興味を惹かれたのは、アメリカと日本の破産法の違いです。アメリカの破産法は日本に比べるとかなり「甘い」内容になっています。自己責任の国ですし、かなり激しい競争社会でもあるんですが、ちゃんと敗者復活のシステムが整っているんです。もしかすると、そういった施策が財政を圧迫するのだという指摘もあるのかもしれませんが、これはこれでアリだと思う。

日本では失業者を支援しようとすると、必ずといっていいほど自己責任論を持ち出して反発する意見が出ます。確かに批判を受けそうな生活態度の人もいると思うんですが、そういう人ばかりではない。本当に心ならずも底辺に落ちていってしまっている人も大勢います。そういう人をなんとか助けられないものだろうか。

今は派遣社員の雇用が切られていますが、今後は正社員だって危ない。産業界は労働者をコストと見なしているし、割安な労働力を求める流れは今後もしばらく変わらないと思うんです。非正規労働者の雇用を確保する代わりに、コストの高い正社員が切られます。それはもう過去に経験済みのことだけれども、これまでよりもさらに露骨に進むかもしれない。

今日派遣社員を指弾している人たちが、明日は石もて追われる立場になるかもしれないんです。そうなったときに、敗者復活のシステムが整備されているかどうかがその人たちにとって大きな問題になるでしょう。日本政府(別に自民党政権でなくてもよい)には場当たり的な対処ではなくて、恒久的な敗者復活システムの構築を是非お願いしたいものです。それは、今苦しんでいる人のためだけではなく、明日の自分のためでもあるんです。

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2009年1月 8日 (木曜日)

【大学】労働基本権(憲法)

これもわりと教場試験で出されやすいテーマのようです。
一般に公務員は争議行為をしてはならないという決まりになっています。罰則もある。しかし、「全農林警職法事件」のような、学説から批判される有名な判決があるのでよく出題されるんですね。ちなみにこの判決では、公務員の労働基本権に対する制約は合憲であるという判断でした。

さて、公務員の労働基本権を制約する場合の根拠には次のようなものがあります。

1.「地位の特殊性と職務の公共性」論
公務員は公共の利益のために働いており、争議行為は公務の支障となり、国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすという説です。「国民全体の共同利益」という概念が抽象的で無内容という批判があります。

2.「財政民主主義」論
公務員の勤務条件は国民の代表である国会で制定されるのであって、政府に対して争議を起こすのは筋違いである。また、民主的に行われる公務員の勤務条件の決定に対して異議を唱えることは議会制民主主義を脅かすという説。これに対して、法が求める公務員の勤務条件の決定というのはあくまで大枠でのことであって、議会制民主主義の下でも公務員の団体交渉を制度化することは可能であるという批判があります。

3.「市場抑制欠如」論
民間企業の場合、労働者の過大な要求は企業そのものの存立を危うくし、労働者の失業を招く。また、労働争議によって製品・役務の提供が滞れば、やはり企業・労働者双方に不利益があるので、民間での争議行動には市場の抑制が自然に働く。しかしながら、公務員にはそのような抑制が働かないので法による規制もやむを得ないという説。これに対しては「争議行動権の理解が不足している」というような批判があるようです。

4.「代償措置」論
公務員の労働基本権を制約する場合には代償措置をとらなければなりません。人事院の設置などもそういう措置のひとつです。しかし、その代償措置があまりにも形式的に過ぎるという批判があるようです。代償措置を設けさえすれば労働基本権を制約できるという考え方になっているという。その措置が十分であればまだいいんですが、不十分であるという批判もあがっています。


確かに公務員というのは公共の利益のために働くとされていますが、その「公共のために働く」というのはどういうことなんでしょうかね。一般の民間企業は営利団体であるといっても、その活動は絶え間なく社会に還元されています。およそ人間の組織する団体で、公共の利益に影響を与えないものはないような気がします。大きな企業になればなるほど公共性は高くなる。最近はCSRについてもよく取り上げられるようになりましたね。

また、大企業は社会に対する影響力の大きさから、その活動は国家の活動と同列にみなすような動きもあります。「ステート・アクションの法理」なんていうのがそう。本来は国家の権力から国民の権利を守るために制定された憲法を、大企業や、国家に準じる権力を有する団体から国民の権利を守るために適用できないかというところから発展してきた考え方です。

ともかく、現代では公共のために働いているのは何も公務員ばかりではないわけです。公共性の強弱はあろうかと思いますが。そう考えると、公務員に対してのみ労働基本権を制約するのはフェアじゃないような気もするんですね。まぁ、おいらみたいな考え方をする人というのは少数派なんでしょうけど、職種がなんであれ労働者に対して労働基本権を制約するのは違憲のような気がします。

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2009年1月 5日 (月曜日)

【大学】生存権(憲法)

今日の勉強テーマは生存権。(ちなみに日本政治史の方は鎌倉幕府の成立のあたりでした)

さて、最近は派遣社員が大量に解雇されていて、多くの人が生活保護を申請せざるを得ないような事態になっています。その生活保護ですが、本当に生活するのにギリギリの金額しか支払われません。まず預金がある場合は申請できませんしね。ネットなんか無理だし、車も駄目なのかな?(地方の人はどうするんだろう。仕事に行かれませんよね。都会に住めってこと?) かなり不自由な生活になってしまうと思われますが、そこで「金額が低すぎる」っていうことで訴えを起こすことができるかどうかというのが今日の問題です。

日本国憲法第25条は生存権について規定しています。日本国民は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という、かなり有名な規定です。この規定をどう考えるかですが、主に三つの考え方があるようです。

1.プログラム規定説
つまり「努力目標」っていうことで、国は法的な義務を負っていないという説です。これが現在の判例の立場のようです。

2.抽象的権利説
憲法25条は、国民が健康で文化的な生活を営む権利を保障していて、国はそれに対応する義務を負っているという説。ただし、この権利と義務の関係はあくまで抽象的なものなので、この条文を根拠にして直接的な請求は行えないという立場です。
しかしながら、生存権を実現するための法律(生活保護法のようなもの)がある場合は、その法律で実現される具体的な権利保障について、憲法25条を援用して裁判で争うことができるという考え方。多数説だそうです。

3.具体的権利説
憲法25条は国民に法的・具体的請求権を保障したものであるとする説。立法が不十分であればその違法性を問えるし、生存権を保障する立法が存在しない場合は立法不作為を問うことができるという立場です。

さて、憲法というのはそもそも公法です。国民に対して直接的に効力を及ぼすものではないとうのが一般的な考え方だと思います。憲法というのは、国民に対して国家が示す一種の約束事で、その約束事を実現するために民法や刑法などの私法を整備して対応するわけです。そう考えると判例がプログラム規定説を採るのもわかります。
しかし、「努力してます。違憲じゃないです。以上。」で切り捨てられてしまうと、生存権に関する問題について裁判での救済というのがほとんど期待できないことになってしまいます。それはやっぱりまずいんじゃないか。

判例ではこの生存権の理念の実現について、行政と立法に対して大きな裁量を認めています。よほどのことがない限り司法審査をしないんです。だとすれば、生存権の理念を実現するためにはほとんど政治の力に頼らざるを得ないということになります。

社会的弱者を救済できるのは法律ではなく、政治なんです。

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2009年1月 2日 (金曜日)

【2009年】抱負的なもの

さっきも書いたんだけど、初夢最悪でね~・・・。
これは何かの警告かもしれんなあと思ってしまいました。
おいら、そういうのあまり信じないんだけど。
『クリスマス・キャロル』っていう作品があるじゃないですか。ディケンズの。
因業ジジイのところに3人のクリスマスの精霊(?)が現れて警告するって話。
スクルージかおいらはw (ノ∀`)

最近は勉強サボってましたからね。もうちょっと気合入れてやらないといかんなあ。
去年取った大学の単位は8単位でした。今年度ということでいえば1月の試験の2科目が勘定に入るんですけど、それが仮に合格したとしても14単位です。去年は職場環境が激変していて、特に前半が忙しかったっていうのもあるんだけど、もうちょっとやれたような気もするんですね。

そういうわけで、今年は16単位取得(スクーリング含む)を目標にしてみようかと思います。英語が1科目残っているのでそれも取る。

仕事の方はほとんど変化がないと思うけど、現在の世界情勢を考えると何が起こるかわかりません。もしもの時の備えが必要です。少なくとも現在の年収額を超える程度の蓄えが欲しい。今のところ若干足りていないので、その分を頑張って貯金します。

目標:プラス100万円。

仕事は安定しているとはいえ、おいらも非正規雇用の一人です。いつどうなってしまうかわかりません。最悪の場合、自分で何か始める必要があります。そのための準備として、ひとつ資格を取っておこうと思います。

資格:行政書士

本当は社会保険労務士にしたかったんだけど、試験が大学のスクーリングの時期に重なっちゃうんでね。それに、今の自分の実力を考えた時に、どちらかというと行政書士のほうが合格できる可能性があるので。この資格、今はかなり難しくなってるらしいですね。

独立前提ということではなくて、今の仕事をずっと続けられればそれに越したことはありません。今は総務の仕事が多いし、取っておいても無駄にならないと思います。これから法務に関する仕事も増えそうですし。

景気が悪くなってきて失業者が増え始めると「それなら独立を考えたらいいじゃない」なんてことを言う人がいますけど、そんなに簡単なものではありません。士業っていうのはあまり元手がかからないので独立しやすいことはしやすいんですが、独立したからといってすぐに仕事が舞い込んでは来ませんよね。営業活動が必要なんです。他の業種にもいえることですが。そうすると仕事が軌道に乗るまではほぼ無給になることを覚悟しないといけません。融資を受けようにも、実績もないし審査に通りません。だいたい、金融機関も貸した金を必死に回収しようとしている状況なのに、どこの馬の骨かもわからんような人に新規に貸したりしないでしょう。だから、独立するには最低でも1年、できれば3年間無給でも生活できるだけの蓄えが必要なんです。

そもそも今日の生活にも困っているような人が、いきなり独立なんかできるわけがないんです。ところがそういう人たちに向かって「独立したらいいじゃない」なんていうことを言う人がいるんですね。「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」っていう話に近いです。

最低な状況に陥らないように事前に対策しておく必要があるっていうのはその通りなんですが、皆がみんなそのような行動がとれるかというと、これはかなり難しいんです。そもそも若いうちから貧困状態に入っちゃうと抜け出すのが極めて難しい。そういう人たちへの対策っていうのは本来政治がなんとかしなければならないんだけど、この国の政府はまるで当てにならないので民間でなんとかしないといけません。

そこで去年の暮れにも書きましたが、

日本人青少年の就学に対する支援活動に参加する。

これは目標でもなんでもないんですが、一応書いておきます。

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2008年12月 3日 (水曜日)

【読書】不機嫌な職場(33/100)

大学で産業社会学という科目があるんですけど、そのレポートに使えそうかなと思って読んだ本。今年読んだ本33冊目。

『不機嫌な職場』 高橋克徳+河合太介+永田稔+渡辺幹 共著
講談社現代新書 2008年


確かにね、職場での人のつながりが薄れているっていうのはあると思いますね。
実は今、おいらは自分の会社を離れて他の会社に派遣されているんだけれども、そこなんか極端でね。その事業所にはその会社の正社員が一人もいません。複数の会社から人が寄り集まっていて、雇用形態もバラバラだったりします。勤務の形態も賃金も一様ではないからやりにくいことはありますね。指揮命令系統が混乱したりしてね。今いるところはそれほど忙しくもなく、おいらにとってもあまりストレスがたまらない職場なんですが、これが周囲を顧みる余裕もないほど忙しい職場だったとしたら間違いなく人間関係が崩壊するでしょう。

かつておいらが心と体を蝕まれて再起不能寸前まで追い込まれた職場がそうでした。そこもやっぱりいろいろな会社から人間が寄り集まってできていて、お互いのことなどほとんど何も知らないような職場だった。だから隣の人がどんな人かあまりよくわからなくて。しかも機密性の高い情報を扱っていたのでなおさらでした。仕事も忙しかった。環境自体も非常に悪くてね。機密情報を扱う部署だから窓がなくて時間もよくわからない。昼なのか、夜なのか・・・。職場にたどり着くにはいくつかの生体認証もくぐらなければならなかった。(体重が変わると厳重に注意された)おいらは、人間ではありませんでした。機械ですらなかった。パーツだった。

程度の差はあるにしても、今はどこも職場に余裕がないようですね。(おいらは暇だけど。っていうか、もうあんまり働けない。)現代の日本のような状況だと労働者は孤立しがちになってしまうんでしょう。日本は先進国の中でも労働生産性が極めて低いですが、労働者が分解された機械のパーツのようになってしまっているところに問題があるんでしょうね。今回読んだこの本の中では「協力」というキーワードが出てきますが、パーツを組み立てなおす努力を早急に行うことが求められているように思います。

組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
(201頁より引用。)


おいらが慶應義塾の通信制に入学する時に書いた論述の内容は「共通体験」に関わることでした。インターネットの発達した社会では多くの情報がありすぎて、むしろユーザーは自分の興味がある情報しか選択しなくなるという。情報が多ければ多いほど、人間の視野が狭くなるジレンマがあるんですね。多くの人が同じ情報を共有しにくくなるんです。そういう状況を回避するには「共通体験」が必要であるという、アメリカの憲法学者の説があります。

誤解のないように書いておきますが、世の中をひとつの価値観で縛ってしまおうということではないんです。どう考えたって隣にいる人は自分とは違うんです。まず、そこをはっきりと認識しないといけない。その上で、その隣にいる人のことをもっとよく知って、その人の価値を認めないといけません。そして他人にも自分にも、その社会の中で与えられた重要な役割があるんだということも認めないといけない。機械のパーツからパズルのピースへ、ということです。

そういえば、おいらがよく訪れるブログにも最近、多様性に関する記事がありました。

社会を強くするもの (サステナ・ラボ)

多様な価値を認めることがこの国の労働生産性を高め、持続可能な社会を構築することを可能にすると、おいらは信じています。

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書) Book 不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)

著者:河合 太介,高橋 克徳,永田 稔
販売元:講談社
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2008年12月 1日 (月曜日)

【読書】負ける組織と日本人(32/100)

今年読んだ本32冊目。(大学の参考図書を除く)
まぁ、今年中に100冊はもうムリだなあ(笑)

『陸海軍戦史に学ぶ 負ける組織と日本人』 藤井非三四著 集英社新書 2008年

おいらは一応政治学科だし、しかも専攻を日本政治史にしようとしているから、この前の田母神論文の件から大東亜戦争のことが気になってるんですよね。一体、その当時どんなことが起こったのか。この本はそういう興味から手に取った本です。

まぁなんていうか、早い話が旧日本軍っていうのは戦争する体制になっていないんですよ。軍人を戦功で評価しないとかね。そういうところは現代の「日本風実力主義」にも非常に大きな影響を与えているような気もしますがね。

そもそも、陸海軍の連携が致命的にとれていませんでした。結局それが原因で緒戦に破れ、共倒れになってしまいました。それから陸海軍の中でも分裂していてですね、それもまた問題でした。陸軍は軍政を所管する陸軍省と軍令を所管する参謀本部に、海軍は海軍省と軍令部に分かれていてそれぞれ別組織であるというように、複雑なシステムになっています。東条英機は独裁者だと思っている人がいるかもしれませんが、彼でさえ最後まで海軍をコントロールすることができませんでした。なんというか、現場が勝手に戦争やってる感じです。
(東条英機ですら独裁者になれなかったんですから、一部の左翼が言うような「昭和天皇は独裁者だった」なんてことはまったくありえない話です。)

こういう戦前の教訓から、自衛隊では陸海空軍を一元的に運用する試みが始まっているようですが、統合幕僚監部が設置されたのは平成18年(2006年)のことでした。つまり、ほんの2年前ということです。驚くべき対応の遅さですね。この状態で戦争なんか勝てるわけがありません。そもそも勝つ気がないとしか思えない。日本には憲法9条があって正解だったと思います。今後も改正しないに越したことはないでしょう。

今回本書で興味を引かれたのは徴兵のシステムについてでした。日本の軍隊はあまり一般社会の階級というものが意識されず、ある意味「民主的」な組織だったということです。大地主の子供も小作人の子供も、軍隊に入れば同じ二等兵となって同じように古参の兵士に殴られるという。一方で海外、特にヨーロッパの場合は軍隊の中にも一般社会の階級が持ち込まれます。身分の高い人が戦争に行く時は大体士官クラスで行きます。しかも身分の高い人ほど率先して志願する。これは今でもそのようで、イギリスの王子様が志願してイラクの治安維持活動に行ったなんていうニュースもありましたね、確か。まぁ最前線に行ったかどうかは知りませんが、ともかくヨーロッパで身分の高い人たちは軍務に付くのは貴族として当然の義務だと思っているようです。人間にはそれぞれ与えられた役割があって、それを全うしなければならないという考え方。

おいらは身分制度にはどちらかというと否定的なんですが、それを共同体を作るうえで人々に与えられる正当な役割と捉えた場合は肯定できる部分もあるんじゃないかと思っています。まぁ、身分を根拠に公然と差別が行われるということになると非常に問題なんですが、だからといって階級をなくせば差別がなくなるかといえば、残念ながらそんなこともないと思いますよ。また新たな階級ができるだけ。それも、純粋に差別のための階級ができるだけだと思います。

ある意味「民主的」だったがゆえに暴力的になって破綻した旧日本軍ですが、そういう体質は現代まで継続しているような気がします。特に戦後の教育に形を変えて現れました。少なくともおいらたちの世代までは「みんな平等でなければならない」なんていう、極端な思想の下で育っている人が多いと思います。勉強のできる子の足を引っ張り、できない子は「努力が足りない」なんて罵倒する。最近ではやり口が以前よりもマイルドになっているらしく、小学校の徒競走ではみんなでおててつないでゴールするらしいじゃないですか。「みんな平等」っていうところは変わってないみたいですけど。

そういう教育が戦後の日本人にどういう影響を与えたんでしょうかね。個人的にはあまりよい影響は与えてこなかったように思います。日本は二度敗戦する。


余談。
おいらは共産党の主張にはわりと共感できるんですが、どうしても本格的に共産党を支持することができません。天皇制廃止を主張する政党は支持できない。そのあたりのことはまたいつか書きます。多分(笑)


陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人 (集英社新書 457D) (集英社新書) Book 陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人 (集英社新書 457D) (集英社新書)

著者:藤井 非三四
販売元:集英社
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2008年11月27日 (木曜日)

【読書】あの戦争は何だったのか(31/100)

今年読んだ本31冊目。
本当はもっと読んでるんだけど、大学のレポートに使う参考文献はあまりカウントしていないのでこの数字です。
(ココログへは2月の終わりに引っ越してきたので、それ以前に読んだ何冊かについては記事がありません。)

『あの戦争は何だったのか』 保阪正康著 新潮新書 2007年

この人の名前だけは知っていましたが、著作を読んだのは今回が初めてでした。
おいらの考え方にわりと近いと感じました。

あの戦争、大東亜戦争は一方的に日本が悪かったわけでも、一方的に日本が正義だったわけでもなかったと思います。しかし、戦前の日本は外交戦略で重大な失敗を犯したのは事実です。そして帝国を滅ぼし、300万の同胞を死に追いやった責任者が間違いなく存在する。戦後、我々日本人が本当にしなくてはならなかったのはただひたすら懺悔することでも自分勝手な正義を主張することでもなく、冷静に分析することだったはずなんです。

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書) Book あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)

著者:保阪 正康
販売元:新潮社

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2008年11月26日 (水曜日)

【(´・ω・`)】パンドラの箱

しばらく前に、元厚生労働省事務次官の方が殺害された事件がありましたね。
事件そのものについては敢えてコメントしません。

逮捕された男は、数十年前の出来事を殺害理由に挙げていました。
ペットの犬を殺されたとかで、その正確な日時まではっきり記憶しいるということです。
異常な記憶力のようにも思えるかもしれませんが、ありえないことではないと思います。

世の中には、はるか遠い過去のことをはっきりと覚えていて、しかもそれを忘れられない人がいます。そういう特性を持って生まれてきているということですね。
記憶力が良いということは、世間的に好評価なことも多いと思いますが、
それはとてもつらいことでもあるんです。

おいらも、ちょっとそういうところがあるんですね。
人の顔や名前なんか全然覚えられないしすぐ忘れてしまうくせに、妙なことを長く覚えていることがあります。

例えば、今も好きなミュージシャンで大滝詠一さんという人がいます。
この人の歌をはじめてちゃんと聞いたのは、中学2年の時。
1学期の終業式の日、7月25日の土曜日でした。
年齢がバレちゃうので年号は書かないけど(笑)

高校を退学せずに卒業しようと決めたのは、
高校2年の夏休み、8月11日の夕方(5時)でした。
北海道の、滝川市の近くを通りかかった時のことでした。
高校2年の冬休み、大学受験を最終的に決めたのは1月5日だった。

こんな風に、強く感情を揺さぶられるような何かがあったときのことは妙にはっきりと覚えているんです。その時の景色や、匂いまで覚えていたりします。
4歳のときの1月1日、東京に雪が降ったことも、その日の朝に母親が焼いていたタラコの匂いも、今でもはっきりと思い出せます。
祖父が亡くなった9歳の時の2月6日、朝は東京の下町から富士山が見えるほどきれいに晴れていたのに、夕方は土砂降りだったことも。

おいらは、忘れていたことでも突然思い出すことがよくあります。
フラッシュバックっていうんですかね。
そうかと思えばまったく思い出せないようなこともあったりして、かなり記憶がまだらです。
実はおいら、小学生の頃のことはあまり思い出せません。学校生活よりも、学校サボって家にいたことの方がよく覚えていたりします。これは多分、おいらがどちらかといえばいじめられっ子だったことと関係があるのかもしれません。

だから、ちょっと怖いんです。
その当時の嫌な記憶が突然甦ったらどうしようかってね。
今はうまく感情をコントロールできる自信はあるんだけど、やっぱりいい気分ではないだろうから・・・。

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2008年10月 1日 (水曜日)

【歴史】大東亜戦争

今日はこんな記事がありました。

麻生首相、「大東亜戦争」と表現 戦争観問われ
2008年10月1日2時21分 asahi.com
リンクはすぐに切れると思います。


日本がアジアで戦った昭和前期の戦争について、実は統一された表現がありません。

昭和16年(1941年)12月から昭和20年(1945年)8月までの戦争を「太平洋戦争」と表現していますが、これはアメリカ側からの視点で命名されているため、日本がアジア地域で遂行していた戦争の総称としては適当ではありません。日本が米英その他と戦っている一方で、大陸では中国とも戦争状態だったわけですから。

昭和12年(1937年)7月から昭和20年(1945年)8月にかけて、8年間にわたり中国大陸で展開された戦いを日本近代史では「日中戦争」(支那事変、なぜか変換できないと表現します。しかし、これも対中国限定の表現なので、「あの戦争」の名前としてはふさわしくありません。

昭和14年(1939年)9月から昭和20年(1945年)8月までの第2次世界大戦ですが、日本が連合国に宣戦布告したのは昭和16年だし、大体、昭和14年にはすでに中国と戦争状態だったので、当時日本が行った戦争の総称としてはふさわしくないといえます。

昭和6年(1931年)9月に勃発した満州事変から昭和20年の終戦までをひとつの区切りとして「15年戦争」と言うことがありました。おいらも小学生の頃にそういうタイトルの本を読んだような気がしますが、この表現も誤りです。満州事変は昭和8年(1933年)の塘沽(タンクー)協定で収束していて、その後4年間、日本は戦争状態ではなかったからです。

今現在「あの戦争」を表現する統一呼称はないわけですが、岩波書店が中心となって「アジア太平洋戦争」という表現を広めようとしているようです。まだあまり一般には浸透していないようですが。どうも、日本が主体となって遂行した戦争には思えないような気もしますけどね。個人的な意見としては。

さて、「大東亜戦争」ですが、戦争に負けてGHQから使用を禁じられるまで、これが例の戦争の正式名称でした。昭和16年12月12日に閣議決定されています。ただし、こちらの呼称も昭和16年12月8日以後の戦争を指していると解釈されるようなので、それ以前に展開されていた中国大陸での戦争は含んでいません。例の戦争(昭和12年~昭和20年)の総称としてはふさわしくない。

この前の慶應の夏スクーリングで日本政治史を受講してきたんですが、その講義でも少しだけこの問題に触れました。講師の先生曰く、「好きなように呼んでください」だったけどね(笑) とにかく、あの戦争の呼び方についてはとても曖昧です。しかも誰も触れたがらない。なぜこういうことになってしまったかというと、戦争の呼称について必要以上にこだわり、しかも「大東亜戦争」の呼称を忌み嫌っている人たちがいたから。まぁ、日教組なんかもそうなんだろうけどね。あの戦争のことを「大東亜戦争」と表現するだけで「反動だ」とか言われちゃうんですよ(笑) 中国・東南アジア・太平洋での戦争を統一的に表現しようとした場合、正式に閣議決定された「大東亜戦争」の呼称を日中戦争まで拡大して解釈するのが便利なんですが、そもそも議論にならないんです。自分が絶対的に正しいと信じて疑わない人たちとは科学的なお話ができません。

確かに「大東亜戦争」というのは「大東亜共栄圏」であるとか「東亜新秩序」などの思想の延長上にある呼称だし侵略戦争を正当化しているという意見もあるんだろうけど、逆にだからこそ残すべきなんじゃないかと思うんですけどね。どんな奇麗事を並べたところで、結局戦争には勝てなかった。そういう冷厳な事実を示すのにこれほど適当な呼称はないと、おいらなんかは思うんですけどね。ひとつの教訓としてね。

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2008年9月15日 (月曜日)

【独白】不器用な人間。

一つ前の記事で、ちょっと弱気とも取れるようなことを書きました。
多分、今からでも詰め込み式でガンガンやれば試験には受かると思います。
でも、どうしてもやる気が起きない。

二つ前の記事で『ストライク・ウィッチーズ』というアニメーション作品の記事を書くに当たって、『零戦の秘術』という本をちょっとだけ読み直しました。これは、おいらが電話工事の仕事を始めてすぐ、技能をあげるために必死になって練習を重ねていた頃に読んだ本だったんです。

その頃のことを、なんとなく思い出してしまったんです。

坂井三郎さんの書かれた本で『大空のサムライ』というのがあります。今は手元にありませんが、大学を卒業してすぐの頃にその本もちょっとだけ読んだことがありました。インドネシアに出張していたときに、駐在事務所に置いてあった本です。坂井さんの哲学というか思想に大きな感銘を受けました。

その当時、おいらは国際協力に関係する仕事に就いていました。海外営業部という、花形の部署にいました。以前、他のブログでその仕事を辞めた理由について面白おかしく書いたことがありましたが、ついに核心には触れませんでした。一般社会には守秘義務というものがあるからです。もちろん力量不足で仕事についていけなかったというのが主な理由でしたが、もうひとつ大きな理由がありました。

最近も発展途上国への開発援助で現地の役人に賄賂を贈った会社がありました。残念ながら、よくあることなんです。そうしないと仕事が取れないというのも事実です。おいらも、そういう現場に立ち会ったことがあるからわかる。

インドネシアに出張した時のこと。ある日、おいらは駐在事務所長に紙袋を手渡されました。現地の契約担当者に渡す「お土産」です。首都から90Kmほど離れたリゾート地に滞在している契約担当者にその「お土産」渡してくる仕事がおいらに回ってきたんです。

中身は50万ルピアの札束でした。賄賂としては少なめですが、それでも現地の人が半年くらい余裕で生活できる額だったと思います。その当時、ジャカルタの一般庶民の昼食代は300ルピアもあれば十分だった。残念ですが、海外での仕事はそれが当たり前なんです。

でも、おいらはどうしても納得がいかなかった。若かったっていうのもあるんだろうけど、みんなが当たり前と思うことを、おいらはどうしても当たり前のことだとは思えなかった。そんな時に、坂井さんの本に触れたんです。なんとなく、少し救われた気がしました。

それからしばらくして、おいらはその会社を辞めることになりました。辞めた当時はどうするか決めてなかったけれど、技能を磨いてできる仕事につきたいと、おぼろげながら考えていました。その後、その会社は海外事業から撤退したようです。ある国で行っていた贈賄がばれて、指名停止になったという記事を新聞で読みました。おいらの入社試験のときに面接で出てきた技師は、その事件で懲戒免職になったようです。

おいらはどちらかというと卑怯な人間の部類に入るんだろうと思います。
しかし、そんなおいらでも、心の中にどうしても譲れない部分っていうのが、あるんです。

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2008年9月 7日 (日曜日)

【読書】女になりたがる男たち(28/100)

この前、東京から帰ってくるときに高速バスで読んだ本。
わりとインパクトのある書名ですよね(笑)

『女になりたがる男たち』 エリック・ゼムール著 夏目幸子訳
新潮新書 2008年

おいらはフランスの政治にはまったく詳しくないんですが、現代はどこの国でも日本と同じような問題を抱えているんだなあということがおぼろげにわかります。

最近は女性の社会進出が進んでいますが、実は男の方が権力を放り出した結果だとしたら。そんな話も出てきます。物事を別の面から見るということではなかなか面白い本だと思います。流し読みしたから細かいところは覚えてないんだけど(笑)

本書の中で最後の方に著作者インタビューが載ってるんですが、なかなか面白いことが書いてありました。

これは私の説で、フェミニストが聞いたら怒ると思いますが、資本主義が女性を労働力として受け入れたのは、男性の給料を下げるためです。しかも資本主義は女性が働き、かつ消費することを要請する。働き、消費するには時間が必要です。どこからその時間を捻出したかというと、子供の教育を犠牲にしたのです。今日の学力低下の問題や若者による暴力の原因のひとつはここにあると思います。

172頁から引用。

これはフランスの話なんですが、80年代後半以降の日本にも当てはまる説だと思います。
男女平等社会の理念そのものは労働力強化という点でよいものだとは思いますが、どうも上手く歯車がかみ合っていないような気がしますね。小池百合子自民党総裁候補も何かの番組で言っていたと思いますが、女性は一度仕事を離れると元の仕事に戻るのが非常に難しい。その時点で平等社会とは程遠いわけですが、問題はそればかりではなく少子化の直接的な原因のひとつになっていることです。おいらはある程度人口が減るのには肯定的な意見ですが、急激に減るのはやはり問題があると思います。

とはいえ80年代以前のように男性が外で働き女性は専業主婦が当たり前のような時代にはもう戻れないと思いますし、労働力維持の観点からもそうあってはならないと思います。であれば、やはり男性も多少は女性の負担、例えば子供の教育なんかにもっと参加する必要があるのかなと思いますね。おいらの意見としては、男性の女性化、あるいは両性の中性化は避けられないものだと考えています。そういう状況を踏まえて社会を再構築する必要がある。現代はそういう時代なんだと思うんです。

つーか、おいらもマッチョ苦手だし(笑)

今度の自民党総裁選、もしも小池さんが総裁になったら、本当に「男が放りだした権力を女が拾う」ような構図になるなあ。

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2008年9月 5日 (金曜日)

【読書】日本の近代(26/100)

いや、大学の参考図書なんですけどね(笑)
放送大学の教科書だそうです。こういうのもカウントしないと年間100冊読むのは・・・
多分もう無理なんだけどね (^-^;A)

日本の近代―国民国家の形成・発展と挫折 (放送大学教材)
鳥海靖著 財団法人放送大学教育振興会 2005年

おいらはamazonで買ったけど、一般の書店では手に入りにくい本かもしれません。
内容はとてもわかりやすいです。日本の近代史に興味がある方にはお薦めです。

おいらの高校だけだったのかもしれないけど、おいら、日本史ってちゃんと勉強してないんです。高校3年のときの配当科目だったんだけど、結局カリキュラムが消化できませんでした。江戸時代の後半ぐらいで終わりだった。黒船、来なかったし(笑) だから、実は近代史ってあまりよく知らなかったんですね。

だからこれまで知らなかったことや意外な事実が結構出てきます。例えば、「無産政党は戦時体制に反対していた」なんていう話。ウソです。まぁ、共産党は非合法だったのでそれ以外の社会主義を目指していた政党なんですが、彼らは戦時体制に協力しました。1938年(昭和13年)に成立した「国家総動員法」を、社会大衆党は支持したんです。

なぜか。
戦時体制っていうのは統制経済の社会ですよね。社会主義に近いわけです。国民の自由が制限されることは、社会主義への道を開く。彼らはそう考えたわけです。そして、この「国家総動員法」を立案した企画院には、転向した元社会主義者が多く所属していました。この法律は、社会主義者が作ったんです。そして結局、彼らの「革命」の成果は、大日本帝国の崩壊という形で現れたわけです。

おいらたちが教科書で教えられた(っていうか、高校で日本近代史なんてやらなかったわけだけど)歴史というのは、実はあまり正確ではないということがよくわかります。

それにしても、現代でも何を考えてるのかよくわからない政党ってありますよね。与党にくっついてるあの党とか。まぁ、言ってることは正しいこともあるんだけど、どうもイマイチ信用ができません。

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2008年9月 2日 (火曜日)

【歴史】憲政の常道

福田さん、辞めちゃいましたね。
それで、前の安倍さんが辞めた時にも野党の議員の皆さんが「憲政の常道」なんていうことを言っていたような気がします。

憲政の常道。
戦前のごく短い間ではありましたが、日本は二大政党制のような感じになっていた時期がありました。立憲政友会立憲民政党が交互に政権をとる時代があったんです。ある政党が不祥事を起こして退陣すると、次は別の政党が政権を担当するという。この時代を「憲政の常道」時代というんですね。ちょっと見た感じではよさそうなシステムに見えるでしょう? 「常道」っていう言葉の響きもいい。おいらもしばらく前まで誤解していた部分があります。ところが、この「憲政の常道」がその後の戦争につながるきっかけのひとつだったと言ったら、皆さん信じますか?

現代日本の内閣総理大臣は衆議院で多数を占めた政党のリーダーが就任するのがお約束になっています。国会議員であって、国会で指名されれば別に誰でも構わないんですが、「国会で指名される」ということはつまり多数決になるわけです。仮に自民党が衆議院で多数を占めているとすると、当然内閣総理大臣は自民党の議員が多数決で指名されますよね。しかも自分たちのリーダーを総理に推すはずです。だから自民党の総裁になるってことは、首相になることとほぼ同じということになるんです。まぁ、自民党が衆議院の議席の多数を占めているという前提のもとでっていうことですけど。参議院で衆議院の指名した人物とは別の人物が指名されることもありますが、とりあえずその話は置いておきます。結局は衆議院の指名が優先するから。

ところが戦前の日本では、総理大臣は議会ではなく天皇に指名されていました。実際には天皇を補佐する元老に指名されるわけですが、議会は関係ありません。議会で劣勢な政党から総理大臣が指名されることもありましたし、そもそも政党とは関係ない人が総理大臣になることもありました。昭和初期は元老・西園寺公望が総理大臣を指名する権限を持っていて、この人が「憲政の常道」という考え方を持っていたわけです。誤解がないように書いておきますが、この西園寺という元老はわりとリベラルな考え方を持っていた人です。まぁそうでしょう。問題があった政党に連続して政権を与えず、次は必ず野党に政権をまわすように配慮したわけですから。

しかし、この「憲政の常道」には大きな落とし穴がありました。
二つの有力な政党があったときに、ある政党が不祥事で政権を失った場合、野党であるもう片方の政党が必ず政権をとることができるというシステムです。勘のいい人はもうわかったと思いますが、激しい足の引っ張り合いになるんです。政治なんかそっちのけで。とにかく与党を引きずり降ろしさえすれば、必ず自分たちが政権をとることができる。「憲政の常道」っていうのはそういうシステムなんです。

そういう状況で日本史上痛恨の一撃とも言えるある問題が起こります。1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約締結に対して、軍や右翼が「統帥権の干犯」を唱えた問題です。細かい説明は省きますが、このときの濱口雄幸内閣は軍縮で妥協しました。それを「弱腰である」と叩かれたんですね。「統帥権」っていうのは何かっていうと軍隊を動かす権限で、「天皇大権」とされていたものです。海軍を動かす「軍令」は天皇を補佐する海軍軍令部が握っているのであって、内閣であろうが口を出すことは許されないと主張したわけです。まぁ、屁理屈なんですが。軍縮条約は「軍政」に関わることなので統帥権は関係なかったんだけどね。むしろ内閣の所管です。ところが、その屁理屈が通ってしまう。その当時の内閣はとても権力が弱かったんです。なにしろ帝国憲法に内閣の規定がないくらいですから。

条約自体は締結されて批准もされたんですが、その後に大きな禍根を残すことになりました。「統帥権の干犯」なんていう屁理屈を認めてしまったら、国際条約、特に軍縮条約なんかまともに締結できなくなるじゃないですか。この問題が起こったときの与党は立憲民政党で、総理大臣は濱口雄幸でした。(外務大臣は幣原喜重郎) そしてこのとき、野党であった立憲政友会は軍と同調して濱口内閣をそれはもう激しく攻撃したんです。なにしろ、「憲政の常道」システムでは与党を潰しさえすれば必ず政権がまわってきますからね。ちなみにこの当時立憲政友会の党首だった人物は犬養毅です。そして与党を激しく攻撃した政友会議員の一人は鳩山一郎でした。犬養毅はその後、昭和7年(1932年)5月15日、政党政治に不満を持っていた青年将校らのテロに遭遇し、射殺されました。皮肉な運命です。

一見よさそうに見えるシステムでも、思わぬ落とし穴があるんですね。現在でも自民・民主の二大政党が交互に政権を取るのが望ましいと言われることがありますが、それが制度として固定化されたとき、再び戦前と同じようなことが起こるのかもしれません。実際のところ、今回の総理辞職だって衆参のねじれが原因のひとつにありますよね。野党が話し合いに応じなければ政治が少しも前に進まないわけです。参議院で多数をとりさえすれば内閣を潰すことができるという前例ができてしまうことが果たして正しいことなのか、もう一度考える必要があるかもしれません。場合によっては参議院を廃止して一院制にすることも考えた方がいいと思います。

それでもおいらは、自民党はしばらく野に下ったほうがいいと思ってるんだけどね。

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2008年8月31日 (日曜日)

【時事】4つの視点

先日、慶應義塾で国際政治についての講義を受講してきました。おいらは国際政治学についてはあまり詳しくないのですが、国際政治を見る場合、大きく分けて4つの見方があるようです。

1.「安全」に主眼を置いた現実主義
2.「平和」に主眼を置いた自由主義
3.「正義」に主眼を置いた国際社会論
4.「幸福」に主眼を置いた国際政治経済論


細かい説明は省きますが、「安全」「平和」「正義」「幸福」は現代の国家が国民に保障するべき4つの価値です。これらのどこに主眼を置くかで国の政策が変わってきます。4つの価値全てを保障しようとすると「大きな政府」になる。まぁ、いわゆる「バラマキ」になりがちで、公共投資の配分によっては大きな批判を受けるパターンですね。税金も上がります。「安全だけは保障するから後は勝手にやってくれ」ということになると、「小さな政府」になります。緊縮財政で公共投資もカットですから地方にはウケが悪いでしょう。状況が悪ければ昭和時代初期のようにテロを誘発します。

国際政治はこれら4つの視点から見ることができますが、それぞれ関連性がないので、違う視点で物事を見ている人とは話が通じないという状態になります。まぁ、そういうことがないように大学教育っていうものがあるんだと思いますけどね。人の意見に納得はできなくてもせめて理解はできるように、できるだけ多くの事例を学ぶわけです。文系学部の存在意義っていうのはそのあたりにもあるんだろうと思います。

おいらは大学(早稲田の方)を卒業後、ある通信関係の会社に入社してすぐ、国際協力に関係した仕事でザイールという国に行ったことがありました。ちょうど内戦直前で、日本人にとっても非常に危険な状態でした。「日本人は反政府運動の標的だから絶対に一人で出歩くな」と、大使館から厳重に注意されていました。当時のザイールの政治がどうなってたかよくわかりませんが、西側(資本主義陣営)からの援助を受けつつ共産圏とのつながりもあるような国だったようです。出張中に産業博覧会を見に行きましたけど、中国製品がいっぱい。というか、ほとんど中国製品。地下資源も豊富ですし、ソ連・アメリカが積極的に介入していたような地域でした。貧しい国にはありがちなことですが、反政府運動が共産主義とつながっていて、貧困=アメリカのせいみたいなところがあったんです。

そして日本ですが、これは「腐敗した政府を援助するけしからん輩」ということになります。しかもアメリカと同盟している。「人民の敵」なわけです。ザイールにも青年協力隊の隊員が来ていて立派な活動をされていましたが、日本政府から派遣されている以上、現地の反体制派にしてみれば敵以外の何者でもありません。

日本はアメリカとの同盟で自国を防衛する「現実主義」を採っています。ただ、日本の場合は同盟といっても憲法上の規定によって武力の行使ができないので、経済的な協力を重視した「自由主義」の立場でもあります。経済的に発展して市場が大きくなれば皆が豊かになれるというという思想で、実際、ある時期までは日本もそれで上手くいっていました。しかし、実はそれだけでは不十分で、大きくなった富の分配という問題があります。「なぜあいつらだけ豊かになって俺たちは貧しいままなのか」という不満は、やがてテロや暴動につながっていきました。この問題を解決するためには伝統的な価値観だけでは足りなくて、第4の価値、国際政治経済論的視点が必要なんです。

この第4の視点を重視して活動しているのがNGOの皆さんです。しかし、日本政府はまったく別の価値観で外交を展開していますから、彼らがどれだけ中立を叫ぼうとも、日本人はやはりテロの標的になってしまう。今後も日本がアメリカとの共同作戦を続ける限り、日本人はテロリストの標的になるでしょう。日本は今、アメリカ、中国、ロシアの間で「現実主義」の政策を採り続けるのか、それとも第4の道を選ぶのか、大きな岐路に立たされています。日本国民の安全を守るためにどうすればいいのかという問題で、簡単に答えは出せないと思いますが、個人的には伝統的な価値観は通用しなくなりつつあるのではないかと思っています。

原油を大量に輸入している日本がインド洋に海上自衛隊を出すのは当然であるという話はわかります。国際協力もしなければならないというのもわかる。しかし、そうであるならばアメリカと関係なく日本独自でやることだってありうると思うんです。海賊退治が必要ならば、日本独自で護衛艦を出せばいい。今朝も何かの番組で高村外相が「海賊がアルカイダと関係している」と言ってましたが、そもそもそれは確かな情報なのか。(前法相の友達の友達もアルカイダらしいですが) アメリカを支援してアルカイダなんていう実体のよくわからないネットワークを相手にするよりも、自分たちで目の前にいる海賊を撃退する方が効果的だと思います。

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2008年8月24日 (日曜日)

【映画】最後の早慶戦

大学のほうのスクーリングもいよいよ大詰め。明日は試験があります。今日は休みなので準備をしないといけない。・・・のですが、慶応も早稲田も夏休み期間中の日曜日は図書館が開いてないのでネットカフェで勉強することにします。

週末だし映画でも見るかってことで昨日の夜に見た作品。早稲田を卒業し、現在は慶応義塾の塾生であるおいらが見ないわけにはいかんだろうということで。
例によって学割使って見てきました。(笑) まぁ、史実に基づいてかなり忠実に描かれているので映画としては盛り上がりに欠ける部分もありますが、出演者の皆さんの熱演はすばらしいものがありました。特に飛田穂洲先生を演じた柄本明さんと、慶応義塾塾長・小泉信三先生を演じた石坂浩二さん。内容については敢えて書きません。
食堂のお姉さんはかわいかった(笑)

おいらが早稲田大学に入学したとき、本部キャンパスの脇には映画で登場した球場がまだありました。名称は安部球場に変わっていましたが、戦争中には戸塚球場と呼ばれていた球場です。今は中央図書館になっている場所にあったんです。今も本部キャンパスと図書館の間の坂道は「グランド坂」と呼ばれていますが、あの坂がなぜ「グランド坂」なのか知っている現役学生は少なくなっているかもしれませんね。おいらたちは、あの球場の実物を見た最後の世代になってしまいました。確か球場が閉鎖される直前に、本当に最後の早慶戦があったはずなんだけど、なぜかおいらは見に行ってないんですね。見に行けばよかったなあ。なにしろそのころは”鬱”だったので、あらゆることに興味がわかなかったからしょうがないんだけど。

それにしても、何で彼らは死ななければならなかったのかと、映画を見てあらためて思います。戦地に赴き斃れた早慶両校の関係者は約7000名と言われています。早稲田側については数字がわかりませんが、慶応義塾では2223名の学生が犠牲になったようです。なぜ「約」なのかというと、どこで死んだかわからないような人がたくさんいるからなんですね。映画でも戸田選手の兄が戦死して葬儀が行われるシーンがありましたが、遺骨も戻ってこないわけです。骨壷に、骨の代わりに石ころが入ってるんです。

映画の中の葬儀のシーンでもちょっと出てきた話ですが、大学教育を受けた学徒兵っていうのはいきなり士官になったりしたようです。自分より年上の兵をまとめて戦う。ちゃんとした教育もなく、即戦力として戦場に投入されます。なまじ知的レベルが高いばかりに、まともではない教育でも戦闘機を飛ばせるようになってしまったりするので、彼らのなかには特攻隊員として死んでいった人も多かったようです。戦争で死ななければ、その後どんな活躍をしたかわからない人たちです。そういう人財が無駄に死んだ。彼らをアメリカの戦艦に突っ込ませた連中こそ真の国賊、万死に値する。・・・と、エキサイトしちゃいましたが、とにかく、兵隊をちゃんと訓練できなくなっている時点で戦争に負けてるんです。終わってるんです。これは今の日本にも言えることなんだろうけどね。

おいら、慶応義塾では日本政治史を専攻しようと思ってるので、今も少しずつ近代日本史の勉強も進めていますが、日本の近代史は勉強すればするほどイライラするんです。日露戦争後第二次世界大戦に至るまで、何度も戦争を避けるチャンスはあったんです。

何度も何度も何度も!! 

ところが、そのチャンスをことごとくふいにするんです。

映画の出来については賛否が分かれるところだと思いますが、過去の悲惨な出来事を忘れないようにするためにも、こういう映画は定期的に作られていかなければならないんだろうなと、おいらは思います。

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2008年7月27日 (日曜日)

【読書】蟹工船・党生活者(24/100)

(24/100)はダブルカウントなんですが、昨日読書カテゴリを見直してみたら同じ本の記事を二度書いてました(笑)

この間、大学のレポートに使えそうな本を書庫で漁っていたら見つけました。確か高校生の時に読んだんだと思います。この本、最近売れてるみたいですね。

『蟹工船・党生活者』 小林多喜二著 新潮文庫 昭和60年(六十八刷)

去年、勤めていた会社で「労働争議」が起きました。全然人が足りなくてね、給料は上がらないのに夜勤ばかりが増えていきました。1ヶ月の半分くらいが宿直だった。「通し」という、24時間勤務です。そんな状況に我慢ができなくなった人が、会社に対して交渉を持ちかけたんですね。その時、総務部長がその人を評してこういいました。

「共産党」

「共産党」というのは、21世紀の現代でも何か恐ろしく不気味なものの代名詞なんですね。会社に逆らって問題を起こす人は全て「共産党」(笑) 田舎では特にそうです。まったく時代遅れとしかいいようがありませんが。そういうおいらも、子供の頃はそういう感覚でした。共産党にはなにかとても胡散臭くて危険なイメージがありました。

おいらは子供の頃はいじめられっ子だったし、他の地域から流れ込んできたよそ者だったこともあって孤立していました。最近わかったことですが、おいらはどうやら発達障害児童であったのだろうと思われます。自分から友達を作ることも非常に難しかった。最近は若者による凶悪な犯罪が増えていて、その根底には漠然とした不安や孤独があるのではないかといわれています。人を殺すということについてはまったく理解できませんが、孤独でどうにもならないという部分については、おいらはなんとなくわかるんです。

小学生くらいの時はいくら学校をサボってもたいしたことにはならないんですが、高校くらいになるとそうは行きません。出席日数が足りないと退学になっちゃう。ある程度の日数は行かざるを得ない。(当時は大検なんて知らなかったし) おいらは周りの人が何を考えているのかよくわからない子供だったので、とてもつらかった。なんだかわけのわからない集団の中でストレスを溜めていったおいらは、

「みんな、ぶっ壊れてしまえ」

という暗い感情を抱えるに至ったのでした。

そこで共産主義ですよ。
危険思想の代名詞。今考えると本当に頭の悪い子供だと思いますが(笑)
この本を手に取った背景には、そういう気持ちがあったんですね。読んでいるうちにすっかり毒気を抜かれてしまいましたけどね。この本に描かれていた現実は、おいらの想像を遥かに超えていました。荒れ狂うオホーツク海で奴隷のように働かされる労働者。夢に出てきてうなされました。

「・・・彼奴等は、俺たちを殺せば自分たちの方で損するんだ。目的は―本当の目的は、俺たちをウンと働かせて、締木にかけて、ギイギイ絞り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺たちは毎日やられてるんだ。―どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」

『蟹工船』 92頁より引用。


当時はよくわからない漠然とした恐怖を覚えた作品でしたが、あらためて読んでみると現在の日本の状況と妙に重なり合って、恐怖というよりは怒りを覚えます。この作品が書かれたのは昭和4年(1929年)ですよ。79年も昔の話なんです。ところが、そんな昔の作品に自分の置かれた状況を重ね、共感を覚えるという若者たちが多いと聞きます。

この国の80年間は、一体何だったんでしょうか。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫) Book 蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

著者:小林 多喜二
販売元:新潮社
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2008年7月26日 (土曜日)

【読書】仕事に役立つマインドマップ(24/100)

ブログ開設以来200本目の記事です。 \(^O^)/

大学の参考図書以外の本も読みたいなあと思って読んだ本です。昨日は久しぶりに仕事もなかったし、ゆっくり休養ができました。この本の帯に書いてあるキャッチコピーは、「仕事ができる人は、「落書き」がうまい。」です。ほら、うちのブログのタイトルって「落書きノート」じゃないですか。それじゃぁ読まなきゃなー。「落書き」つながりってことで(笑)

ところで、学生時代にノートの取り方を学校で教えてもらった人ってどれくらいいるんでしょうか。残念ながらおいらは教えてもらった記憶がありません。まぁ、不登校気味の子供だったので、おいらがいない時にそういう授業もあったのかもしれませんが(笑)

『仕事に役立つマインドマップ 眠っている脳が目覚めるレッスン』
トニー・ブザン著 神田昌典監修 近田美季子訳 ダイヤモンド社 2008年

簡単に書いちゃうと、絵を描くんですね。絵というか、図。木の枝か根っこのような図で、関連のある単語をつなげていくんですね。直感的にわかるし、確かに問題を整理するのには役に立ちそうです。学校でも教えればいいのに(笑)

そういうノートの取り方っていうのは、実はそんなに珍しいものではありません。おいらが大学生の時に(早稲田のほう)、「先輩」が似たようなノートの取り方をしていました。同じ講義を受けていたときに、横からノートを覗いてみたんです。おいらは罫線からはみ出さないように字を書いていくタイプでしたが、そいつは罫線なんかお構いなしで絵やら記号なんかをノートいっぱいに書いてました。高校から同じクラスで(おいらは1年間遠回りしたので、大学では彼の方が先輩になってしまった)、実はあんまり好きな奴じゃなかったんだけど(笑)、そのノートの取り方は参考にさせてもらいました。
企業の品質管理で使われるフィッシュボーンチャートとか樹状図なんかも、わりと「マインドマップ」に近いですね。

これは結構使えそうです。卒論を書くときに使えそう。日々の予定から受験勉強、事業計画までおおよそあらゆることに応用できそうです。今は日本政治史Ⅱ(中世)の勉強に取り掛かってますが、早速お絵かきしてみたいと思います(笑)

頭の中を整理することの利点のひとつは、考え方がポジティブになることなんですよ。本書の中でもひとつの章を「いじめを克服する」というテーマに割いています。直接的な解決につながるかどうかはわかりませんが、心構えを作るという点で「マップ」が役に立つことがあるだろうと思います。

ほとんどの起業家は、最後にようやく成功する前に平均5回は失敗しているそうだ。
(第5章 チームを成功に導く 133頁より引用)

人生は逃げるためでなく、生きるためにある。
(第6章 いじめを克服する 167頁より引用)

今回は2時間弱で流し読みしちゃいましたが、今後も参考にしたいと思います。

ところで、こういう「マインドマップ」みたいなの、DSかなんかで発売したら面白いかも。
一般企業の人だけじゃなくて、学校の先生や学生さんにも使って欲しいですね。
政治家の皆さんなんかもね。

仕事に役立つマインドマップ―眠っている脳が目覚めるレッスン 仕事に役立つマインドマップ―眠っている脳が目覚めるレッスン

著者:トニー・ブザン
販売元:ダイヤモンド社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年7月 7日 (月曜日)

【ブログ】勉強する意味

昨日、アニメカテゴリとブログカテゴリで「勉強する意味」について書きました。
もとは『プリキュア』の記事から始まったんだけど。

アニメの主人公の娘(夢原のぞみ)は、小さい子達に「勉強する意味」について尋ねられて「自分の花を咲かせるため(自分の夢を叶えるため)」というような答え方をしていました。

おいらはその裏記事で、勉強するのは「自分の身を守るため」と書きました。
勉強する意味なんて人それぞれだし、それこそいくつも答えがあるんだろうから、どちらの答えも間違いではないと思います。
ところで、「勉強をする意味」にはもうひとつの側面があるんです。それは、

「自分の大事な人を守るため」

ということです。
知識や教養は、自分の大事な人を守るための大きな武器になる。
だからおいらは勉強を続けるんです。
まだまだ、全然勉強が足らないと思いますけどね。

おいらはとても弱い人間だけど、自分が大切に思う人たちをコケにされて黙っていられるほどおとなしい人間ではないんです。

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【時事】死神

最近は本当にどうしようもない奴が多いです。

水樹奈々ライブで訴え「自分を大切にして」
2008年7月6日 Daily Sports Online


最近増えている「殺人予告」。
こういうことする連中は無知なのか、あるいはほんとのバカなのかよくわかりませんが、ネットの書き込みっていうのは追跡可能です。どれだけプロキシを通そうとも、海外のサーバーを経由したとしても、プロバイダの協力があればユーザーの特定は絶対に不可能ではありません。ド素人がイタズラ半分で変な書き込みをした場合、捕まる確率は非常に高いものと覚悟した方がいいでしょう。

そういえば、子供の頃にもいましたね。学校で上履きを隠すとか、他人のノートに見るに耐えないような悪口を書き込む奴。顔を見せない犯罪者。まぁ、学校の場合だと誰がやったかなんてだいたい想像ついちゃうんだけどね。同じように、ネットの掲示板も便利で面白い反面、匿名性が高いことをいいことにやりたい放題する奴がいる。小学生のイジメと大して変わらない。まぁ、年齢が高くなったらなったで、日本の場合はさらにイジメの陰湿度が高くなるんだけど。

今日も、いつも巡回していたブログが更新停止になりました。難病と闘っている人でした。ここしばらく迷惑メールやきついコメントなんかに悩まされていたらしい。確かにちょっとアクが強くて人から非難を受けそうなことも書く人でしたが、おいらは毎日その人のブログを読むのが楽しみでした。コメントもトラックバックも、一度もしたことはなかったんですが。

世の中、気の合わない人間も多いと思います。自分と気の合う人間ばかりじゃない。それはもうどうしようもない。しかし、自分と意見が合わないからといってその人を全否定したり攻撃したりしていいもんじゃないよね。嫌いなら嫌いでしょうがないんだけどさ、だったら

黙ってろよ

と、思う。

今のこの国には、卑怯というよりも卑劣な犯罪が多いです。卑怯はまだ許せるところがある。生き残るためのテクニックのひとつだから。哲学がある。しかし、卑劣というのは救いようがない。これはもう、教育の失敗です。

おいらは幸いなことにこれまで一度も「殺人予告」のような不快な書き込みっていうのを見たことがないんだけど、今後そういうものを見かけたら必ず通報したいと思います。冗談だろうがなんだろうが容赦しません。今はもう、例の大掲示板を見ることも滅多にないので、そういう書き込みを見かける可能性も低いとは思いますが。

それとね、おいらは来年から始まる裁判員制度に期待しているんです。もちろん、自分が法学部の学生だからっていうのもある。仕事は忙しいし大変だとは思うけど、選ばれたら絶対に参加する。(逆に来るなって言われる可能性もあるけどね。考え方が偏っているところがあるから。)
もしもおいらが今回みたいな連中の裁判に参加することになったら、できる限り罪を重くしてやる方向に動こうと思う。絶対に妥協しない。2年でも3年でも刑務所にブチ込んでやる。執行猶予なんて絶対に認めねえ。

そして、この前の秋葉原事件のように、本当に事件を起こした人間の裁判に関わることになったとしたら、その時は被告に死刑を求めていきます。裁判長が何を言おうがゴリ押ししてやる。そういうことに何の躊躇もないだろうと思う。
おいらは、「死神」になります。

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2008年7月 6日 (日曜日)

【ブログ】プリキュア(裏)

さっき、アニメカテゴリで『プリキュア5』の記事を書いたんですね。この記事のひとつ前です。

今回のお話は主人公の夢原のぞみが子供の勉強を見てあげるというものでした。そこで、のぞみちゃん、子供に勉強する意味について尋ねられるんですね。

勉強する意味。
なかなか難しいですし、いろんな意見があるんでしょうが、まずひとついえるのは、

「人に騙されないようにすること」

これが勉強の目的のひとつだと思います。

おいらの親戚に詐欺師っぽい人(っていうか詐欺師なんだけどw)がいました。おいらは直接会ったことはないんだけど。その人は終戦直後の混乱期に、アメリカ人相手に商売をしていました。猫の茶碗かなんかを桐の箱に入れて、「これは秀吉が使った茶碗で・・・」なんて言って売りつけんのw そのおじさん曰く、

「アメ公ってのはホントバカだね~ m9(^Д^)」

ものを見る眼がないとそういうことになっちゃう。
日本人だってひとの国のことは言えなくてね、例えば中国あたりで贋物の陶磁器なんかをつかまされて帰ってくる人いるでしょう? 景徳鎮の歴史を知らずに景徳鎮の陶磁器を買おうとするからそういうことになっちゃうんですね。もしかすると、日本の教育が社会科などの教養科目に力を入れてこなかった結果なのかもしれません。

いくらお金を持っていても、セレブを気取ったとしても、教養がなければただの成金になってしまう。いいカモですよ。まぁ、今の日本人の中には「それでもいいや」って思う人もいるのかもしれないけど、それって、かなり寂しいことのような気がするんですよね。

残念ながら、世の中はいい人ばかりではありません。
知識を悪用する人も多いんです。もっともらしい意見を述べて、人をハメようとする人間や組織が溢れています。そういう連中に対抗するために、勉強するんです。できれば騙しのテクニックなんかも、ひとつでも多く知っておいた方がいい。

「自分の夢をかなえるために」っていうのはとても正しい。でも、勉強の目的はそれだけじゃないんですね。別の面では「自分の身を守るために」っていうこともあるんです。

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2008年7月 5日 (土曜日)

【時事】日本にスラム街

昨日はそんな記事がありました。

日本にもスラム街が生まれる
2008年07月04日10時00分 gendai.net
リンクはすぐに切れると思います。


おいら、田舎に帰ってくる前、東京で最後に住んでいた街がいわゆる「山谷」地区でした。近くの商店街はシャッターが閉まっているところが多かった。その前にホームレスの人たちがダンボールで暮らしていた。道路の端っこは汚物の匂いが立ち込めていて、その傍に生きているのか死んでいるのかわからない(まぁ生きてるんだろうけど)おっさんが転がっていました。それが、おいらの日常の光景でした。今もすでにそういう街が存在するんですが、そんな街がこれからもっと増えるということなのか。

ニートや非正規雇用の話題がでると、必ず「努力が足りない」っていう話になる。貧乏なのは努力が足りないせいだっていう話。確かにもっと努力をした方がいいんじゃないかなっていうような人もいると思うんだけど、皆がみんな怠け者だとはどうしても思えない。そもそも、就職しようにも採用自体が絞られていて、なかなか思うような仕事が見つからなかったような世代の人たちもいますよね。仕事に対するモチベーションがあがらないのもわかるような気がします。だいたい、「努力」っていうのは何なんでしょうね。みんな目標も違うし考え方も人それぞれです。仕事だって、いろんな職種の人がいます。努力の仕方も、方向性もまるで違うはずです。そういう人たちをひとくくりにして「努力」がどうとかって言い放つのは、なんだかとても短絡的な気がするんですよね。

例えば、アニメーターなんていう職業があります。残念なことに給料が安いことで有名だったりします。経済的には「負け組み」に分類されてしまうでしょう。「自分の好きなことを仕事にしているんだから文句を言うな」と言う人がいるかもしれません。確かにそういう世界に飛び込んだからには少々のことは覚悟しないといけないでしょう。仕事だって厳しいはずです。しかし、労働に対して正当な対価が支払われないっていうのは、日本のように自由民主主義を標榜する国では大問題なんじゃないんですか。

お金をもっと稼ぎたければ勉強していい大学に行き、大きな会社に入ればよかったではないかという人もいますね。つまり、彼らの言う「努力」というのはよい大学に入り、より大きな会社で出世しよい給料をもらうための「努力」を指しているわけです。それこそが唯一正しいことであって、それ以外は認めないという考え方。そういう生き方を選ばなかったのは「自己責任」であって、人生の敗北者であるという思想です。お金を稼げる一部の職種を目指すのが正しい生き方であって、それ以外は愚かな生き方であると。長時間働いて、それでも生きていけないような収入であっても、それは当たり前のことであると。なぜなら、稼げる仕事を選ばなかったから。
それって、一種の選民思想ですよね。こういうことを書くのはとても気が引けるんですけど、ナチと変わらないじゃないですか。

それで、アニメーターを目指していた青年が夢を諦めて「正しい」努力を始めたとしましょう。あまり興味はないけれども、安定していてお金が稼げる仕事を目指した。しかし、彼にとってその「努力」がものすごく苦痛なことだったとしたら?

人間には残念ながら「向き不向き」ということがあります。皆がみんなお金を稼げる職種で頑張れるとは限りません。むしろその方が自然だと思います。生活のためにはそれでも稼がなければ生きていけないだろうという意見もありますね。でも、そんな思いをするなら死んだ方がマシだと思ってしまう人がいたとしたら? 去年もこの国の自殺者は3万人を越えてしまいましたが、その中の何パーセントかはそうやって死んでいったのかもしれません。かつて、おいらの友達もそうやって死んでいきました。弱い奴は死んで当然ということをいう人もいます。日本はそういう社会だから仕方がないという人もいる。
しかし、もしもそうだとしたら(そうは思わないけど)、それは畜生の世界と変わらないんじゃないか。

世の中に格差があるのは当たり前で、1000年前から変わらないというようなことを言うひともいるようです。でもね、それはおかしい。1000年間何も変わらないっていうのはどういうことなんでしょうね。それこそ努力不足ってことじゃないんですかね。そりゃ、みんな絶望もするだろうよ。政治のことはお上に任せておけばいいっていう考え方なんですかね。余計なことは考えないで、それこそ奴隷のように働けってことなんですかね。そういう考え方で大日本帝国は滅びましたよね、そういえば。まぁ、日本なんていまだに戦争状態みたいなものなんだろうし、人のことなんて考えてられるかっていうのが正直なところなんでしょうけどね。そういう、余裕がない社会なんでしょう。だから「努力」とか「根性」とか、そういう実体がない空虚なものに頼ろうとしてしまうのかもしれません。戦時中の日本人みたいにね。

簡単に絶望してはいけないとは思うし、以前はそういう人たちにやや批判的だったこともあるんですけど、記事の中で社会に不信感を持つ若者の気持ちも、おいらはわからなくもないんです。

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2008年6月29日 (日曜日)

【時事】社会科

おいら、子供の頃は社会科が得意でした。
というか、社会科しかできませんでした (ノ∀`)

小学校5年生のときに社会科のテストで100点取ったんだけど、その時、センセイにとてもありがたいお言葉を頂きました。今も忘れねえ。

「算数ができなきゃ意味ないわよ」

確かに算数も大事だと思うけどね、おいらが社会人になってから一番役に立ったのは社会科でした。特に外国人と一緒に仕事をしたときに、地理や歴史の知識がおいらを助けてくれました。

で、最近の社会科をめぐる事情がどうなっているかと言うと

卑弥呼は正解99% 歴史の人物、業績は?小6など調査
2008年6月28日0時28分 asahi.com

<社会科テスト>小6の6割 福井と徳島の位置分からず--教育政策研調査
6月28日10時1分配信 毎日新聞

リンクはすぐに切れると思います。多分。


ああ、卑弥呼ねー。
おいら、今は日本政治史Ⅰ(古代)のレポートに取り掛かっているので、最近は歴史の本を読むことが多いです。昨日も大学図書館に行ってきました。(慶應のほう)
課題は5世紀以後の話なんだけど、その前の段階もいちおう知っておかなければならないので、卑弥呼の時代(3世紀)の話もちょっとだけ読んできました。

3世紀ですよ3世紀。
1700年以上も昔の話ですよ。
何で、そんな昔の人の名前を知っていて、近現代の人の名前を知らないのかってことですよ。(まぁ、ザビエルはわかる。インパクト強いからw)

7位  福沢諭吉

40位 大隈重信 (正答率ワースト3)   。・゚・(ノ∀`)・゚・。

大隈先生~!!(笑)


やっぱり、お札になる人は正答率高いですなあw
慶應 > 早稲田w m9(^Д^)

大隈先生、今の日本社会の成り立ちを説明するのに、絶対に欠かせない人物だと思うんだけどなあ・・・。対華21か条要求みたいな外交の失敗も含めて。

あのね、そもそもこれは歴史の教え方が間違っていると思うのね。
歴史教科は旧石器時代から始まって現代で終わるような、時間の流れに沿った教え方をするのが一般的だと思うんだけど、正直、卑弥呼なんて現代の日本人にはほとんど関係ありません。おいらみたいに大学でレポートを書くときにちょっとだけ登場するくらいの人ですよ。

現代の日本の形ができたのは明治維新以降の話じゃないですか。もっと極端に言えば第二次世界大戦よりも後の話ですよ。普通はその辺から教えないとダメなんじゃないかって思うんだけどねー。子供たちにとって身近な、両親や祖父母の生きてきた時代から教えるのが当たり前だと思うんだけど。

それから、地理。
確かに苦手な人、多いですよね。おいらの身近にもいました。っていうか、親父がダメだった(笑) *蘭印ってどこだよみたいなw (ノ∀`) 会社の先輩で、東京が日本列島のどこら辺にあるか正確な位置を知らない人もいた・・・。福井や徳島の位置を知ってるだけでインテリ扱いになっちゃうんですよ、この国はw 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
それはともかく、実生活ではあまり意味のない知識なのかもしれないけど自分の国のことぐらいは知らないとまずいと思うんだよね。

蘭印
オランダ領東インドのこと。今のインドネシア。親父が小学生の頃に使っていた社会科の地図帳にはそう書かれてました。仏領サハラとか(笑)

社会科というのは、単純に暗記すればいいような科目じゃありません。
与えられた資料を読んで、そこから情報を引き出してまとめる力を養うのが大きな目標です。資料そのものを自分で探す力も重要になってきます。よく史学科を出てもつぶしが利かないなんていう話を聞くことがありますが、そんなことはないです。史学科の学生には極めて高いデータ分析能力が要求されます。これは一般企業でも役に立つ能力ですよね。文系よりもむしろ理系に近いかもしれません。企業のほうでそのあたりのことをあまり理解していないようですが・・・。社会科ができない人が人事担当者だったりするのかもね。


人物年表を作ったり、白地図を使ったりして丁寧に教えられた子は正答率が上がる傾向にあった。
(記事から引用)


これは自分でやりました。
おいら、地図とか年表とか大好きだったんで(笑)、そういうのを自分で作ったりしたんです。

高校の世界史くらいになると、時代ごとに覚えないといけない国が多くなりますよね。ひとつの国でも時代によって支配領域の大きさが変わったりします。東ローマ帝国とかね。おいらは世紀ごとの世界地図をトレーシングペーパーに写し取って、それを重ねてみたりしました。受験勉強というよりも、ほとんど趣味の世界(笑) でも、それがおいらにとっては何よりも楽しい時間だったんだよなあ。そういう手間のかかる作業っていうのは学校ではほとんど無理だから、結局自分でやるしかないんだろうね。

なんでもかんでも学校で教えるっていうのは所詮無理な話なんだから、学校では勉強のやり方だけ教えとけばいいんじゃないの?