カテゴリー「政治・社会」の155件の記事

2017-02-19

【日記】shrineとtempleの違いなど

最近、女性声優さんの記事以外の記事を書いていません。
今日は日曜日だし、久しぶりに他の記事も書いてみようかなと思ったんです。

ただ、あんまり書くことがなかったりして。
庭の梅が咲き始めたくらいかな。
写真を取ればよかったですね。

今日は、こんな記事を読みました。

Attacks on shrines in Pakistan since 2005
Al Jazeera News

英語の勉強の一環でね。
内容は2005年以来イスラミックステートに襲撃されたパキスタン国内のイスラム教施設と死傷者の数を示したものです。Twitterでフォローしているアルジャジーラから流れてきたもの。
ISILの被害はヨーロッパにとどまらず、イスラム教諸国でも甚大なものです。

もちろん内容も気になるところではありますが、自分がふと気になったのは

"shrine" と "temple"ってどう違うんだったかなっていうこと。
日本の場合だと "shrine" は神社、"temple"は寺院と訳されると思いますが、それらが "jinja""tera"と表記されずに"shrine""temple"と表記されるからには、西洋(キリスト教国)にも"jinja""tera"に相当するものがあるのだろうなあとおぼろげに考えたわけです。

それで、"shrine""temple"について簡単に調べてみたところ、
"shrine"は神が祀られている場所やご神体的なもののイメージらしい。この言葉のイメージに近いのは、日本でいえば神棚のようなもの。お地蔵さんも近いようです。中華街には「関帝廟」というのがありますが、それもカテゴリー的には"shrine"なのでしょう。

"temple"というのは、どうやら聖域のイメージのようです。外界とは明確に区切られた範囲で、人々が祈りをささげる場所を"temple"というらしい。

日本では"shrine"も祈りをささげる場所ですが、神社にやってくる人々の願いは様々です。対する"temple"は、人々が同じ目的をもって修行する場所のイメージ。西洋では修道院などが"temple"に相当するのでしょう。

記事に出てくるイスラム教の"shrine"がどのようなものかよくわかりませんが、言葉の定義に従えばイスラム教の聖人を祀った聖廟のようなものでしょうか。イスラム教原理主義は偶像崇拝禁止ですから、ISILに狙われる原因は、実はそのあたりにもあるのかもしれません。

話題は全く変わって。

【優しい世界】声優・花澤香菜さんと小野賢章さんの熱愛発覚に対する訓練された声オタ達の温かい反応まとめ 文春砲不発ざまぁwwwww
オレ的ゲーム速報@JIN 2017年02月19日20:00

空 m9(^Д^) 砲

花澤香菜さんは2月25日に28歳になる大人の女性です。
結婚するといってもなんの不思議もありません。
事務所公認だし(笑)
ちなみに、お相手の小野賢章さんも秋に28歳になります。

おめでとうございま~す \(^O^)/

むしろ、同じく今年の夏に28歳になる「おいらの娘(脳内)」こと竹達彩奈ちゃんとか、何もなくて逆に心配になるくらいだわ。熱愛発覚したらもちろん盛大にお祝いしてあげますよ。義父ならぬ「偽父」なので(笑)

文春とか新潮とか、あの手の昭和ゴシップ雑誌ってとことん下衆だから、次はもっと巧妙に仕込むかもしれんねー。大概にしておかないと、いつかはシャルリ・エブドみたいなことになるかもしれないよ。まぁ、文春あたりは記者のレベルが低すぎて社会風刺もろくにできないだろうし(読者のレベルに合わせているともいえるけれども)、日本人は大人しいからそんな心配はいらないのかもしれないけどね。

日本は平和で何よりだわ(笑)

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2016-12-24

【普通の日記】とりあえずAmazonは荷物をまとめて送ってください。

さっきまでNHKで「私たちのこれから」っていう番組を見てました。
今回は長時間労働の特集です。
相変わらずしょっぱいクリスマスである 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

番組で思い出したのはいつも使っている Amazon のこと。
なんでも迅速に届けてくれる、ネットショッピング業界の大手です。

うちみたいなど田舎でも、早い場合は夜中に注文したものがその日のうちに届いたりするんで便利ですね。
ただ、あのサービスには困ったところがあるんです。
複数のものを注文するとバラバラに送ってくるんです
(過剰梱包も問題だけど)

都会はどうか知らないけど、うちみたいなど田舎だと配達の人に何度も来てもらうのも申し訳ないですよ。
だから毎回「なるべくまとめて発送する」にチェックを入れるんだけど、どういうわけかまとめて届いたことがないんだよね。

「ご注文いただいた商品が、予定より早くお届けできることになりましたのでお知らせいたします。(゚∀゚)」

とか言って、用意できたものからバラバラに送ってくる。
あれってどうなんだろうなって、毎回思います。

どういうシステムになっているのかわからないけど、amazon にとってはバラで送ったほうが楽なんだろうね。
「お取り置き」をすると管理が面倒なんだろうな。
あの会社の仕事もかなり過酷だっていう噂は聞きますから、なるべく効率的にやるようにはしているのだろうけど。

Amazon の場合はコンビニで受け取ることもできるわけだけど、うちみたいなど田舎だとコンビニもあまりないからね。
仕事の帰りに寄るにしても、遠回りになる場合があります。
運送屋さんに家まで届けてもらった方が効率がよさそうだし、コンビニ受け取りサービスってほとんど使ったことがありません。
だいたい、そのサービスを使うと、今度はコンビニ店員さんに負担がかかります。
今のコンビニって取り扱いサービスがやたら多くて、本当に大変そう。
自分も学生時代はコンビニバイトをやったことがありますけど、ずっとゆるかった。
今コンビニバイトやれって言われても、まったくできる気がしません。

Amazon は確かに便利だし、効率的なシステムを実現しているのかもしれないけれども、結局は後ろの工程(運送、コンビニなどの他業種)に負担を押し付けることになってしまう。
サービスに関わるすべての人がハッピーでなければ、その仕事は成功とは言えないと思うのだけど・・・・・・。
なかなかうまくいかないものですね。

まあ、そういうサービスを使わないに越したことはないのだろうけど、うちみたいなど田舎ではそうもいかないんだよなあ。
これから年を取ると買い物もままならなくなることも考えられるし、絶対に必要なサービスではあるんです。
だからこそ、もうちょっとなんとかならんものなのかなあと思うんですよ。

NHKといえば、昔はETV(教育テレビ)で『はたらくおじさん』っていう小学生向けの番組がありました。
あの番組、好きだったな。
どちらかというと農林水産業や製造業などのブルーカラー系職種の紹介が多かったような気がしますけど、自分たちが普段使っているものがどこからどのようにしてやって来るのかを知るきっかけにはなりました。
本当にね、はたらくおじさんたちの仕事ぶりはサンタさんもびっくりってことがありましたよ。

長時間労働のような社会問題が悪化してきたのは、ここ数十年の間に世の中の仕組みがブラックボックス化してしまったところにも原因があったんじゃないのかなと、番組を見ていてなんとなく思いました。

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2016-11-13

【アニメ】『この世界の片隅に』

今日は大学のレポートのことは一旦忘れて(笑)、映画を見てきました。
クラウドファンディングで支援した作品です。
エンドロールに支援者の名前が表示されたんだけど、映画のスクリーンで自分の名前を見るのはなんだか不思議な気分でした。

映画『この世界の片隅に』予告編

シネマトゥデイ

ファンミーティングや、その後のインタビュー記事などでも監督ご自身が語られていましたが、この作品では当時の情景が極めて忠実に再現されています。
場面によっては、当時その場所に住んでいた人たちすら描かれているほどです。
呉の港に戦艦大和が入港してくるシーンがありましたけど、監督はその正確な日時まで調査したとか。
この作品では主人公の「すずさん」(北條すず)の生活が日記風に綴られていきますが、おそらくその日の呉の天候まで調査されていると思われます。
すずさんはもちろん架空の人物なんですが、彼女を取り巻く環境はほぼ史実通りで、ドキュメンタリーに近い趣さえ感じます。

昨年のファンミーティングの時に見たデモ映像は音声なしでしたが、音にもかなりこだわったのでしょう。
街を行きかう人の声や、汽車、空襲警報、焼夷弾の落ちる音・・・・・・。
自分は戦後生まれなのでもちろん当時の音なんて知らないわけですが、それでも、あれはかなり実際の音に近かったのだろうなと思います。

自分は小さいころ、木造の長屋に住んでいました。
さすがにかまどはなかったけど、現代の生活よりもすずさんたちの生活にずっと近かったんです。
金盥で行水したりしてね(笑)
だから、すずさんが玄関の引き戸を開けるときの音を聞いて、妙な懐かしさを感じました。

それから、におい。
小学生の頃、学校の近くに放置された防空壕が残っていて、「探検」したことがあります。
(ちなみに、酸欠の危険があるので本当は立ち入り禁止の場所だった)
壕の中の湿った感じや土のにおい。
映像を見ていてそんなものが蘇りました。
確かに、あの頃の人たちと私たちの時代はつながっているんです。

すずさん自身はフィクションの存在ですが、どこか懐かしく、自分には身近な人のように感じられました。
しかし、だからこそ後半の展開は相当につらい。
これからこの作品を見に行く人、特に戦争体験者が身近にいる人や、実際に体験された方は覚悟した方がいいかもしれません。
自分は、父親にこの作品を見せられない。

自分の父は東京大空襲の生存者です。
妹と一緒にグラマン(F6Fヘルキャット。米海軍艦載機)に追い掛け回されたこともあるらしい。
工場に勤めていた頃は、正午を知らせるサイレンで反射的に体がすくむと言っていました。
空襲警報に似ているから。
やはり70数年経た今でもトラウマが残っているのか、『火垂るの墓』ですら「二度と見たくない」と言うくらいです。
『この世界の片隅に』のラストは『火垂るの墓』よりは希望がありますけど・・・・・・。

戦争は当事者が亡くなると忘れ去られ、「なぜ」と問うこともなくなり、当時の人たちの思いや築き上げられたものもすべて意味を失うという悲観的な意見もあります。
(参考:一ノ瀬俊也 『戦艦武蔵』 中公新書 2016年)
しかし、今回の『この世界の片隅に』のようなインパクトのある作品を、現代でも創ることができました。
少なくとも、多くの人が何かを考えるきっかけにはなったんじゃないかと思います。

自分たちは戦後生まれといっても、戦争の影響を大きく受けて生きています。
それは平成生まれや21世紀生れの子供たちだってきっとそうです。
自分自身、東京大空襲の夜に一人の少女が瓦礫の下で焼け死ぬことによって、この世界の片隅に生まれることが確定した存在です。
「なぜ戦争が起こったか」を戦争体験者自身の視点で問うことはできなくても、「自分がなぜこの世界に生まれてきたのか」を問うことはできるし、これからも問うていくことが必要だと思っています。
そのようにして、間接的にではあっても、すずさんたちが生きた時代とつながることができるのだろうと思うんです。

そして忘れてならないのは、現在進行形で世界のどこかにすずさんたちのような人たちが今もなお存在していること。
そこを意識しているのといないのとでは、今後数十年の日本の将来が大きく変わってくるのではないかと感じています。
戦争体験者の父親には見せられないけれど、戦後世代の人たち、特に平成以降の生まれの人たちにはお勧めしたい作品です。

最後に、声優さんのこと。
(うちのブログは若手の女性声優さんのお誕生日記事に特化していたりするのでね)

すずを演じたのはのんさん
能年玲奈さんですね。「あまちゃん」の。
最初のトレーラー(予告編)を見た段階では不安がありましたが、まったく問題ありませんでした。
見事にすずさんのイメージにはまってました。

のんさんって、経緯はよくわからないけど仕事を干されているらしいじゃないですか。
(芸能スキャンダルみたいなのってまったく興味ないからよくわからんのですよ)
最初は、「なんでわざわざそんな人を・・・・・・」なんて思ったんです。
しかし、監督の判断は正しかった。
改めて片渕監督の感性に敬意を表します。
のんさんはそれほど器用な人ではないようだし、声優に挑戦するのも今回限りなのかもしれませんが、次回の声優アワードの主演女優賞に推薦したいくらいです。

それにしても、あれだけの才能をこのまま埋もれさせるのはあまりに惜しい。
もしかしたら舞台に向いているかも。
今は干され気味みたいだけど、地上波TVのなんだかわからないバラエティなんかに出なくて済むなら、むしろ本人のためには良かったのかもしれません。

それと、すずさんの夫役の細谷佳正さん
前にも何回か書いてるけど、自分は声優さんの声を思い出しながら本を読むことができるという特殊技能(笑)があるんですよ。
原作の漫画を読んでいるときに、すずの夫(北條周作)の声は、まさに細谷さんの声で脳内再生されていたんです。
なので、当然ながら違和感ゼロでした(笑)

うちのブログは若手の女性声優さんに特化しているので、中堅以上の人や男性声優さんのことはあまり書きませんが、細谷佳正さんは最も好きな男性声優さんのひとりなんです。

方言は難しかったかもしれませんが、そのほかの人たちも雰囲気が出ていて良かったと思います。
自分は関東人なのでよくわからないですが、広島市と呉市では方言が微妙に違うようですね。

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2016-01-17

【日常】リカちゃんとんだとばっちり (ノ∀`)

午後にネットを見ていたら、こんな記事がありました。

リカちゃんのTwitterが大荒れ、受験生応援のメッセージから空気一変。
2016/01/17 14:41 Written by Narinari.com編集部

なんでや!リカちゃんかわいいやろ!! ヽ(`Д´)ノ

と思って記事を読んだら、リカちゃんがセンター試験の国語の問題に登場していて、解けなかった学生が八つ当たりしていたようです(笑)
おいらは一応タカラトミーの株主なので、こういう記事にもすぐに反応してしまいます。

で、どれだけ難しいのかと思って、風呂入ってガンダム見る前に自分もその問題を解いてみたところ、普通に全問正解でした。現代文みたいなものは読書経験が豊富なほど有利だろうし、社会人ならわりと楽に解答できる問題でしょうね。

ちなみに、問題と解答はネットで検索すれば出てきます。自分は東進ハイスクールという受験予備校のサイトに載っているものでやってみました。

現代の社会は多様化が進んでいて、ある場面で正しいことも、他の場面では必ずしも正しいとされないような状況になっています。それ故に、現代人は自分を「キャラ化(単純化)」して他者に提示することで、比較的誤解が起こりにくいコミュニケーションを図ろうと試みるようになります。なので、状況に応じて全く別人のように振る舞うこともあり得るわけです。昭和時代だと不誠実とされたであろう態度ですが、時代は変化していくもの。現代では必ずしも不誠実な態度とは言えないのではないか・・・・・・みたいな内容でした。この論を展開するために、リカちゃんやミッフィーが引き合いに出されていたというわけです。

リカちゃんワールドには細かい設定があります。父親や母親の年齢や職業、友達の設定まで、とても丁寧に作り込んであります。リカちゃんちってかなりの金持ちで、昭和時代の女の子たちの憧れでした。問題文にもあるように、昔の子たちは既存の設定に沿って「ごっこ遊び」をしていたんですが、今はリカちゃん固有の属性(たとえば金持ちのお嬢様)みたいなものから「解放」されて自由に遊べるようになっています。それは公式設定が変化したわけではなくて、ユーザーの女の子たちの意識が変化したから。世相を反映しているんですね。そして、昭和時代にはこういう評論が大学入試問題に出てくることも無かったような気がします。

問題文は評論の一部を切り取ったものなので、この後の話の展開がどうなっているのかわかりませんが、「キャラ化」については肯定的に捉えられているようです。しかし、状況に応じて別の人格を演じざるを得ないような状況は、あまり好ましいものとは言えない気もしますね。あまりにも度が過ぎるとアイデンティティークライシスを招きかねません。たとえば、一部のサービス業で要求される「感情労働」の問題。それから、日本のような同調圧力の高い社会で問題になる「らしさ」のこと。「男らしさ」とか「女らしさ」とか。見た目のわかりやすさは安心感につながるのだろうけども、演じる側には負荷が高いものです。多様化は悪いことではありませんが、新たに起こる問題についても常に考えておく必要があると思いますね。

おまけ(二次創作事例):
【悲報】 ピカチュウ、舞妓はんになる
2016年01月17日 ゴールデンタイムズ

ピカチュウってメスだったのかよ(笑)
可愛いけど。

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2015-10-04

【日記】『心が叫びたがってるんだ』/日本心理学会

今日は朝早くから東京に行ってきました。
朝は新宿で映画『心が叫びたがってるんだ。』 を鑑賞。
午後は下高井戸の日本大学で日本心理学会公開シンポジウム『アニメの心理学』に参加。

映画はですね、主な視聴理由が主演の水瀬いのりさんだったわけですが(笑)、なかなかよくできていたと思いますよ。絵もとてもきれい。まぁ、主人公・成瀬順の精神的な回復に関しては、臨床心理学的にはあり得ないなんていう話が午後のシンポジウムでありましたけど・・・・・・。学者先生によると青少年の精神に深刻な影響を与えかねない有害なプロットらしいですが、自分は良かったと思います。特にラストの方のミュージカル。"悲愴"(ベートーベン)と"Over the Rainbow"にオリジナルの歌詞を付けたマッシュアップは、ライブアクションのミュージカルに負けないくらいの完成度でした。あの場面だけでも見る価値がある作品です。いつか、水瀬いのりさんや雨宮天さん仁藤菜月役)がミュージカルの舞台に立つようなことがあれば、その時はきっと見に行きたい。

映画の後は新宿から下高井戸に移動。ものすごく懐かしい街です。『ここさけ』じゃないですけど、自分にとっての「青春の向う脛」。その話は前にも一度書いているけど、またいつか改めて書きましょう。

午後のシンポジウムの後半では臨床心理学的な立場から、「現代の日本アニメには統合失調症的な視点に近い表現がある」「最近のアニメはリアリティがなくなっている」という意見がありました。その話の流れで批評の対象になっていたのが、まさにさっき見てきた『心が叫びたがってるんだ。』だったわけです。

臨床心理学の先生は何か勘違いしていたようですが、この作品は「精神障害の少女を友人たちが善意で助ける」ようなお話ではありません。現在公開中の作品なので、あまりネタバレになるような内容については触れたくないんですけど、この作品のテーマは「言葉は傷つけるもの」というところと、「世の中にはいろんな人間がいるし、いてもいいんだ」といったところだと思います。成瀬順の「病状」については、実はそれほど重要ではないんです。

主人公・成瀬順 (CV:水瀬いのりさん)は、子供の頃のある出来事がきっかけで、言葉を発すると腹痛を起こすという女子高生です。心の中に架空のキャラクターを作り出し、強い自己暗示にかかったことによる症状で、それ自体一種の精神障害と言えなくもありません。そのあたりの描写については確かに専門家の監修が必要だったかもしれませんが、この作品を若い人たちに見せたとしても、それほど大きな影響があるとは思えない。

自分はファンタジー作品をリアルと思いこむような育ち方をしていないので、この作品を見た若い世代がどういう受け止め方をするかは今一つよくわかりませんが、登場人物の一人・田崎大樹 (CV:細谷佳正さん )が語ったように、自分の身の回りにいる人物の多様さに気が付いて「視野が狭かった」と思うのかもしれません。少なくとも、精神障害者を悪意を持って貶めていると捉えるような人はほとんどいないと思います。(仮にそういう人がいたとしたら、そいつはすでにアニメの影響以前に要治療だと思われます。それはアニメとは別の次元の問題になってきます)

自分も、順ほどではないにしても、言葉を発することができなかった時期があります。精神医学的には「緘黙(かんもく)」と言うそうです。ちょうど順と同じく高校生の頃でした。自分の例を出すまでもなく、むしろ当事者であればこそああいった精神的な問題が簡単に解決するわけではないことも理解できるでしょうし、一生背負い続ける痛みであることもよく理解していることでしょう(そして、カウンセリングが何の役にも立たないことも)。若者は、学者先生が思っているほど愚かではないと思います。

まぁこのセンセイ、この作品を見ていないようなのでどうしようもないんだけど、そもそも順は簡単になんて回復してませんよ。坂上拓実(CV:内山昴輝さん)が駆けつけなかったら、下手すりゃ死んでたと思うし。そういう描写そのものが良くないって言うのかもしれないですけどね、この作品の言葉を借りれば「言葉は傷つけるもの」、そして、表現というものはすべからく劇薬なんです。みんな、無菌室で暮らしてるわけじゃないからね。アニメの表現が心に刺さりすぎる人は一定数いるとは思いますけど、それはその人たちの感受性の問題であってアニメとは別の話なんじゃないかなあと思います。

こういう作品を若い人に見せちゃいけないというなら、フィールドワークによって影響度をきちんと科学的に測定しないといけません。人文科学や社会科学がイマイチ科学と認められないのは、詰めの甘さ(独りよがりな解釈)によるところも大きい。数理学的な証明が難しい分野では、とにかく多くの事例を集めなければならないんです。学者が印象でものを言うのはとても恥ずかしいことだと思うんですが、人文・社会系ではどういうわけかそういうことが許される傾向があるんですよね。残念ながら。むしろ、現場の片渕監督のほうがそのあたりのことはよく理解している印象でした。

ちなみに、今回のパネリストの一人は片渕須直監督。現在、劇場版アニメーション作品『この世界の片隅に』 を製作中です。今回のシンポジウムでは、この作品のオープニング部分となる「冬の記憶」の場面を題材に、「3コマ打ち」の技法についての解説がありました。記事が長くなるので、「3コマ打ち」っていうのが何なのかは別の記事で書くことにします。

参考画像:
『この世界の片隅に』より「冬の記憶」の一場面。
001_satsudashi
支援メンバーに定期的に届くメールに添付されていた画像です。自由に使ってよいそうなので使わせていただきました。

描かれているのは広島市中島本町。この町は、今はこの世界に存在しません。原爆で消えてしまいました。ここは爆心地付近なんです。現在は画像中央にある建物が残っているだけ。広島平和記念公園のレストハウスになっているそうです。

片渕監督はこの街を描くにあたり、詳細なフィールドワークを実施しました。写真資料や数少ない生存者の証言をもとに、極めて正確に再現されているようです。シンポジウムでカット割りの話を聞いて改めて思いましたけど、このクオリティで長編アニメーション作品を作るって、どんだけ大変なんだか・・・・・・。期待してます。

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2015-08-23

【アニメ】忘れた森のヒナタ

今日は、NHK教育で久しぶりに『おじゃる丸』を見ました。
今年は戦後70年ということで、今回のおじゃる丸は戦争特集だったんです。

29分という短い時間で、しかも子供向けの作品ですから表現に限りがあると思います。しかし、よくもまあ、あれだけの濃い内容を作り上げたなあと思いました。このアニメに関わった人たちの本気を感じました。

今は戦争を実際に体験した世代の人が少なくなっています。そんな中で戦争をどのように伝えていくか、大きな課題になってきました。現在の若い世代の中には、日本が敗戦した事実さえ知らない人もいるらしいです。

櫻井翔が「終戦の日」を知らない若者に「衝撃的な解答もあった」と驚く
Livedoor News 2015年8月5日 21時35分


戦後70年記念番組での街頭インタービューの結果がひどかったという話です。もちろん、こういういろんな意味でかわいそうな子供たちは例外的なんでしょうが、それでも少しずつ戦争は忘れられているようです。

子供たちに戦争を伝えていくにはTV番組などの映像メディアは訴求力が高いと思います。しかし、これまで民放で作られてきたドラマは舐めてんのかっていうレベルだったし、映画にしてもお涙頂戴的なものが多くていまいちでした。正直なところ、戦争体験者がいなくなった後は戦争を伝えていくのは無理だろうと思っていました。

しかし、『火垂るの墓』などもそうですが、アニメ作品には伝える力が残っているんじゃないか。今回の『おじゃる丸』を見て、自分はそう確信しました。もちろんファンタジー作品なので「情報の正確さ」というところでは実写ドキュメンタリーにかなわないところはあると思います。ですが、アニメには人に(特に若い世代に)訴えかけるものがあります。もっと自分から情報にアクセスしたいと思わせる力があると思うんです。

参考映像:
Hinata_ojyarusp_20150823
ヒナタ(CV:矢島晶子さん
Hinata (CV: YAJIMA, Akiko)
『おじゃる丸スペシャル わすれた森のヒナタ』 2015年 NHK教育
"Prince Mackaroo Special: Hinata of the Forgotten Forest"
(反斗小王子特別篇 被忘記的森林之日向), 2015, ETV
(23 Aug. 2015)
*This quotation is grounded on the article 32 of the Copyright Law of Japan.

おじゃる丸たちの前に現れたヒナタは、アメリカ軍の空爆で家族を失い、自身も亡くなっていた少女。戦争の記憶を忘れて森の中にいました。

同じように戦争を忘れて森の中にいた鳥、亀、火薬にはそれぞれ夢がありました。

鳥の夢は大空高く飛ぶことでした。空の上から街を眺めるのが好きだった。しかし、戦争が始まると彼は爆撃機になりました。視聴者の小さい子供たちにはわかるはずもありませんが、胸に描かれた"B"の文字は"Bomber"(爆撃機)の"B"。おそらく彼の名前はスーパーフォートレス。アメリカ軍戦略爆撃機で、B-29 と呼ばれていました。日米戦争末期には日本中の都市に無差別絨毯爆撃を行い、1945年3月10日には一晩で10万人の命を奪いました。

亀の夢は豪華客船になって、たくさんの人を乗せて海を行くことでした。彼は、潜水艦になりました。日米戦争も終わりの頃になると、日本は制海権を失い、海外の戦場に兵隊を送ることも、物資を送ることもできなくなりました。輸送船の多くは潜水艦に撃沈され、兵士は戦うことなく死んでいきました。潜水艦の標的は軍の輸送船だけではなく、一般市民を載せた船にまで及びました。1944年8月22日には沖縄から子供たちを疎開(避難)させるために航行していた対馬丸が撃沈されて、多くの子供が海で亡くなりました。

火薬の夢は綺麗な花火になって、たくさんの人を楽しませることでした。彼は爆弾になって、多くの街を焼きました。日米戦争では16万トンの爆弾が投下され、30万人の市民が命を失いました。原子爆弾は、二つの都市を一瞬で灰にしました。

鳥や亀や火薬は、戦争で運命を翻弄された人たちの暗喩として用いられているのでしょう。南方のジャングルで餓死した人も、シベリアで凍死した人も、特攻でアメリカの戦艦に突っ込んだ若者たちにも、死んだ人たちにはそれぞれ夢があったはずです。ひとたび戦争が起これば、聖戦だろうが侵略だろうが、たとえそれがどんなものであっても、必ず人間の運命を大きく変えてしまう。この作品は、そういう戦争の本質を鋭く突いていると思います。

そして、もう一つ忘れてはいけないことは、海外でも日本の市民と同じように苦しんだ人たちが大勢いたという事実。日本も無差別爆撃をやったし、捕虜を生体実験に使ったりしました。原爆は作れなかったけれども、化学兵器や生物兵器を作りました。他人の運命を変えてしまったということについては、日本も加害者だったということはよく認識しておく必要があります。戦争に関わった人間は、等しく閻魔大王に叱られなければなりません。

自分は、戦争を知らない世代ですが運命を変えられた一人です。70年前に日本が平和であったなら、自分はこの世界に生まれてこなかった。ひとつの家族が戦争で運命を変えられた結果、自分は生まれてきました。直接戦争体験はなくても、戦争のことは考えざるを得ない宿命を負っています。

話は変わりますが、来年(2016年)秋に公開予定の劇場版アニメで『この世界の片隅に』という作品があります。クラウドファンディングで3600万円を集めることに成功した作品で、自分もささやかながら支援しています。戦争に敗れた日本に生まれ落ちた意味を考えるとき、こういう活動にはなんらかの形で参加する義務があると思っているから。

先日、『この世界』のファンミーティングでパイロット版を見ましたが、かなりのクオリティでした。原爆で消えてしまった街の姿も映像で見事に再現されていました。やはり、アニメーション作品には戦争を伝えていく力があると思います。完成が楽しみです。

余談:
ちょっと前に、『この世界の片隅に』の主人公(すず)の声は竹達彩奈さんがいいなあなんて書いたことがありました(お誕生日記事参照)。しかし、今回のおじゃる丸を見て、少し考えが変わりました。

『この世界』は日常系アニメに近い雰囲気といっても、やはり戦時中が舞台になっている作品です。後半はすずも空襲で辛い目に遭います。故郷の広島は原子爆弾で廃墟になる。そういう作品だから、演技者にも相当な精神的負担が予想されます。

一般人の自分たちすらアニメで戦争の話を見せられたら鬱になるのに、表現者の彼女たちにかかる負担はどれほどのものか・・・・・・。あやなちゃんだってプロのはしくれだからきちんと演じることはできると思うけど、こんな重荷を彼女に背負わせていいものだろうか。そんなことを考えてしまいました。

竹達彩奈さんは広島が舞台の作品(『たまゆら』)で主役を演じていますし、戦艦大和を演じたこともあります(『艦これ』)。誕生日は6月23日で、実は日米戦争にも縁がある人です(この日が日米戦争でどんな意味を持つか、ある程度の年齢以上の人なら知っている人も少なくないと思います)。竹達さんはすずの雰囲気にも近いし、表現力も申し分ありません。しかし、この子に辛い思いはさせたくない。やはり、演技経験も豊富で、すずの雰囲気に近い折笠富美子さんの方が適しているのではないかと思います。

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2015-08-11

【政治社会】忘れられた戦争

さっき、NHKで沖縄戦の特集番組を見ました。少年兵として戦った人の証言をもとに、アニメーションを交えながら当時の状況を伝える内容です。ゲリラ兵として訓練された少年たちは、戦闘に参加していくうちに正気を失い、目の前で友人が死んでも何も感じなくなっていきます。

毎年この時期になると戦争の話題が出てきます。今年は戦後70年の節目の年でもあるし、例の安保法制の件で国会が揉めていることもあって、特に戦争関連の番組が多いような気がします。こういう番組を見ると戦争を追体験しているような気分になって、戦争を知らない自分でも鬱になってしまう。実際に体験した人たちはどんな精神状態だったんだろうかと思います。

今日は、こんな記事も読みました。

旧軍人ら精神療養、今も九州で6人 70年以上にわたって入院も
西日本新聞 8月11日(火)9時30分配信

自分くらいの年齢だと、戦争でおかしくなっちゃった人を実際に見ています(過去記事)。子供ながらにいろんなことを考えましたよ。どこか遠い外国の、地獄のような戦場で戦うというのはどういうことだろう。戦争になったら、自分は外国人を殺せるんだろうかってね。日本に帰ってきたものの、すっかりわけわかんなくなって町をさまよっているおじさん(おじいさんに近かったのかもしれない)を見て、本当に怖かった。あの姿を見たら、やっぱり戦争だけはいかんなあと思いましたよ。

誤解のないように書いときますけど、日本が他国に侵略されるようなことがあったら戦わなきゃならんと自分は思っています。しかし、それは本当に最後の手段。ギリギリまで外交で解決する方法を探らないといけない。集団的自衛権も完全に否定はしませんが、同盟の相手がアメリカっていうのはどうなんでしょうね。建国以来、何度となく他国に攻め込んでいる、世界で最も危険な国ですよあの国は。

近頃、ロシアの北方領土開発が進んでいます。入植も積極的に行っているようです。現在の日米安保条約がこれまでの不完全な片務条約から双務条約に変わると、日本は完全にアメリカと軍事面で一体化します。そうなると、ロシアはもはや北方領土問題で日本に譲歩することはなくなるでしょう。北方領土でのロシアの動きは外交的な駆け引きというよりも軍事的牽制の段階に入っているのではないでしょうか。日本は北海道の防衛に関して相当の覚悟をもって臨まなければならなくなります。

祖国を守るための安保法制が、かえって自分の首を締めることになりはしないか。要らぬ戦争を招きはしないか。そういう危惧を抱かざるを得ないんです。

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2015-08-09

【政治社会】安保法案は憲法違反か(憲法前文について)

ここは女性声優さんのお誕生日をお祝いする目的のブログですが、かつては時事問題などについても書くことが多かったんです。今日は久しぶりに政治社会カテゴリーの記事です。

今日はネットでこんな記事を読みました。

日本国憲法の前文は、どんな人が読んでも感動すると思うよ
BLOGOS  投稿者:永江一石2015年07月23日 08:41更新

日本国憲法の前文は格調高い文章で書かれています。この記事の筆者は、特に

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

この部分(第3段落)に感動したようです。そして、こう書かれているからこそ日本は積極的に海外へ派兵し、専制と隷従に苦しむ諸国を救援するべきであると思っているようです。そうでなければ憲法違反であると。本当にそうなんでしょうか。

まず、日本国憲法の前文がどのようなものであるか全文を見てみましょう。中学校の公民の時間に暗記させられた人も多いと思いますが、おさらいです。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

参考:wikipedia

と、このような文章になっています。確かに第3段落だけ見れば日本の海外派兵は正義にも見えるし、この文章をもって「安保法制は憲法違反ではない」といえるのかもしれません。しかし、第1段落には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあります。矛盾ですね。

安保法制賛成派の人たちはよく「自分たちのことだけ考えていていいのか。日本も国際平和のために血を流さなければ」と言いますし、まさにこの憲法前文の第3段落を持ち出して国際貢献を語ります。確かに国際貢献は必要だとは自分も思いますが、それを海外派兵でということになると、これは拡大解釈と言わざるを得ません。

それに、この第3段落目、読んでいて何かおかしいとは思いませんか。改憲派(現行憲法はアメリカの押しつけだから変えたいよ派)の人たちがよく指摘することですが、文法的にややおかしいところがあります。非常に意味がとりにくい。これは元の原稿が英文なので、翻訳ミスなのではないかとも言われていますね。

まず、主語の問題。4段落のうち、1、2、4段落は主語が「日本国民は」で始まります。しかし、第3段落だけは「われらは」で始まります。この「われら」というのは一体誰なのか。文章の主語を考える前に、文章を見てみましょう。

元の英文を見ると、「政治道徳の法則は、普遍的なものであり (but that laws of political morality are universal)」と「この法則に従ふことは (and that obedience to such laws)」の間にセミコロン(;)があります。この前後の文章は等しい重みをもっており、日本語に訳す場合はふたつの文に分けるべきところなんです(実際、憲法草案の段階ではふたつの文章でした)。元の英文を挙げておきましょう。

"We hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples."
参考:wikipedia

これが第3段落の原文です。まずセミコロンの前の文章ですが、ここは「人民は自国のことのみに責任を負うものではない (no people is responsible to itself alone)」という文に「政治道徳の法則は万国不変である (but that laws of political morality are universal)」という文が対置されています。ここでいう政治道徳がどのようなものか不明ですが、憲法前文の流れから推測すると、第2段落に書かれている内容に相当するのではないかと思われます。そう考えると、この文章を安保法制の根拠にするのは難しいのではないかと思います。

セミコロン以下は「政治道徳の法則に従うことは各国の責務 (obedience to such laws is incumbent upon all peoples)」であると述べており、国際協調主義を表明した前半部分を強調する形になっています。

それで、このような思想を「確信(hold)」しているのが誰かなんですが、それは日本人ではありません。おそらくアメリカ、もっと狭く言えばGHQです。それはこの段落が「日本国民 (We, the Japanese People)」ではなく、たんなる「われら (We)」で始まっていることからも明らかです。

この第3段落はアメリカ人の思いを表現している部分と考えられます。憲法前文のこの部分は蛇足です。政治道徳の普遍性については前の段落で語られていますから、本来はわざわざ第3段落で繰り返す必要がないんです。

保守派はアメリカに押し付けられた憲法を改正して自主憲法をと言う人が多いですが、そういう人たちが安保法制の根拠に憲法前文のこの文言を持ち出すのは不思議です。やはり、安保法制を整備したいのであれば憲法改正は避けて通れないと思うんです。

憲法前文は第2段落もよく問題になりますが、その部分については別の記事で書きたいと思います。

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2015-07-05

『この世界の片隅に』ファンミーティング

昨日(2015年7月4日土曜日)、劇場版アニメーション『この世界の片隅に』 のファンミーティングで東京まで出かけてきました。クラウドファンディングで資金を募って、約3600万円が集まった作品。来年秋に公開予定です。ささやかながら、自分も出資しています。

すずという女性の、戦時中の日常を描いた作品です(舞台は広島県呉市)。原作も読みましたけど、戦争中とは言いながら、空襲が始まるまでの描写はどちらかというとのどかな雰囲気です。まさに「日常系」という感じです。

ファンミーティングで監督さんも語っていましたが、戦争中でもかなり後になるまで今とあまり変わらない日常生活があったようです。戦争が進むにしたがって生活は苦しくなっていくんですけど、例えば女性の服装なんて今とたいして変わらない。母の話によると、戦争中の祖母の写真でモンペ姿の写真なんて確かに一枚もなかったそうです。

監督の片渕須直さんはその当時の状況を実に緻密に調査されていて、あの資料の解説だけでも1冊本が書けるんじゃないかと思うくらいでした。というか、学術論文が書けるレベルです。原作のこうの史代さんの考証もすごいんですが、監督さんの検証作業にも驚きます。原作は「日常系」としてさらっと読んでしまったところがあるので、もう一度注意深く読みたいと思います。よい作品というのは繰り返し読むに堪えるものですが、映画のほうも繰り返し視聴するに堪える作品になることは間違いありません。今回は5分のパイロット版を2回見せていただきましたが、そのクオリティの高さに驚きました。

戦争を後の世代に伝えることについて、自分はつい最近まで悲観的だったんですよ。何年か前に複数のテレビ局で戦争関連のドラマが放送されたことがあったんですが(日テレとTBSなんだけど)、その出来が本当にひどかったからね。東京大空襲を経験したオヤジなんか激怒してましたもん。実写がそんな感じだから、もう映像作品で戦争をきちんと描くのは難しいのだろうなと思っていたんです。

しかし、今回このプロジェクトに参加してみて考えが変わりました。地道な調査、緻密な考証を積み上げることで、戦争を伝えることはできると。監督さんは「道をつなぐ」という表現をされていましたが、当時の人たちの生活を嘘偽りなくきちんと描くことで、現代に生きる我々とのつながりを確かに感じることができます。その時代に生きていたのは、自分たちとなんら変わらない日本人なんですから。

映画の中で、今は消滅してしまった街が見事に再現されています。その映像をみて、新しい映像表現の可能性を感じました。戦後70年が経過して戦争体験者は少なくなり、そう遠くない将来、第二次世界大戦はいよいよ歴史の本の中の出来事になります。そういう時代に戦争をどう伝えればよいのか。この作品は一つの答えを見せてくれるでしょう。完成が楽しみです。

ちなみに、声優さんは未定だそうです。この間の竹達彩奈さんのお誕生日記事 でも書きましたけど、パイロット版を見て、すずは竹達彩奈さんにやらせてあげたいなと改めて思いました。すずのキャラクターを考えると折笠富美子さん のほうが合いそうな気がしますが、敢えて。

呉市出身だと松来未祐さん がいるんだけど、残念ながらすずには合わないような気がします(ただ、義姉役には合うかもしれない。旦那さん役のほうは細谷佳正さん の声を想像して原作を読んでました)。まぁ、監督さんが決めることなので、何とも言えませんけどね。

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2015-05-17

Happy Birthday (2015年5月第4週)

毎週恒例、女性声優さんのお誕生日記事です。

その前に・・・・・・。

記事とは関係ないことなんだけど、今日からまた一部のアクセスに制限をかけました。韓国ドメイン(.kr)およびグーグル韓国からの検索に制限を設けています。もちろん、これですべてのアクセスをブロックすることは不可能なんですが、気分的にやらずにいられないというか・・・・・・。

いくらこちらが仲良くしたいと思っても、相手にその気がない場合はどうにもなりません。そのような相手に対してもこちらから積極的に攻撃を加えるようなことはするべきではありませんが、できるだけ関わらないようにすることは必要だと思います。制限の結果、アクセスが何割か減ったとしても構わない。

日本文化、特に皇室に対する侮辱は絶対に許さん。

では、本文に戻ります。

5月第4週にお誕生日を迎える女性声優さん:
ただし自分のデータベースに載ってる人のみ。あしからず

田辺留依さん 1997年5月23日生まれ *
誕生花:ドリアンドラ
花言葉:「正義」
最近視聴した作品:
『ジュエルペット マジカルチェンジ』 福王子ローラ

今週の更新は田辺さんのみです。
今年はお誕生日が土曜日の休日に当たっているし、現在出演している作品も丁度土曜日に放送されているので久しぶりに記事を書きます。多分。
(場合によっては書けないこともあるのであしからず)

田辺留依さん、お誕生日

おめでとうございま~す \(^O^)/

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