カテゴリー「映画・テレビ」の2件の記事

2008-08-24

【映画】最後の早慶戦

大学のほうのスクーリングもいよいよ大詰め。明日は試験があります。今日は休みなので準備をしないといけない。・・・・・・のですが、慶応も早稲田も夏休み期間中の日曜日は図書館が開いてないのでネットカフェで勉強することにします。

週末だし映画でも見るかってことで昨日の夜に見た作品。早稲田を卒業し、現在は慶応義塾の塾生であるおいらが見ないわけにはいかんだろうということで。例によって学割使って見てきました(笑) 

まぁ、史実に基づいてかなり忠実に描かれているので映画としては盛り上がりに欠ける部分もありますが、出演者の皆さんの熱演はすばらしいものがありました。特に飛田穂洲先生を演じた柄本明さんと、慶応義塾塾長・小泉信三先生を演じた石坂浩二さん。内容については敢えて書きません。

自分が早稲田大学に入学したとき、本部キャンパスの脇には映画で登場した球場がまだありました。名称は安部球場に変わっていましたが、戦争中には戸塚球場と呼ばれていたグランドです。今は中央図書館になっている場所にあったんです。今も本部キャンパスと図書館の間の坂道は「グランド坂」と呼ばれていますが、あの坂がなぜ「グランド坂」なのか知っている現役学生は少なくなっているかもしれませんね。自分たちは、あの球場の実物を見た最後の世代になってしまいました。

球場が閉鎖される直前に、確か本当に最後の早慶戦があったはずなんだけど、なぜか見に行っていません。見に行けばよかったなあ。なにしろそのころは”鬱”だったので、あらゆることに興味がわかなかったからしょうがないんだけど。

それにしても、何で彼らは死ななければならなかったのかと、映画を見てあらためて思います。戦地に赴き斃れた早慶両校の関係者は約7000名と言われています。早稲田側については正確な数字がわかりませんが、慶応義塾では2223名の学生が犠牲になったようです。なぜ「約」なのかというと、どこで死んだかわからないような人がたくさんいるからなんですね。映画でも戸田選手の兄が戦死して葬儀が行われるシーンがありましたが、遺骨も戻ってこないわけです。骨壷に、骨の代わりに石ころが入ってるんです。

映画の中の葬儀のシーンでもちょっと出てきた話ですが、大学教育を受けた学徒兵っていうのはいきなり士官になったりしたようです。自分より年上の兵をまとめて戦う。ちゃんとした教育もなく、即戦力として戦場に投入されます。なまじ知的レベルが高いばかりに、まともではない教育でも戦闘機を飛ばせるようになってしまったりするので、彼らのなかには特攻隊員として死んでいった人も多かったようです。戦争で死ななければ、その後どんな活躍をしたかわからない人たちです。そういう人財が無駄に死んだ。彼らをアメリカの戦艦に突っ込ませた連中こそ真の国賊、万死に値する。・・・・・・と、エキサイトしちゃいましたが、とにかく、兵隊をちゃんと訓練できなくなっている時点で戦争に負けてるんです。終わってるんです。これは今の日本にも言えることなんだろうけどね。

慶応義塾では日本政治史を専攻しようと思ってるので、今も少しずつ近代日本史の勉強も進めていますが、日本の近代史は勉強すればするほどイライラするんです。日露戦争後第二次世界大戦に至るまで、何度も戦争を避けるチャンスはあったんです。

何度も何度も何度も!! 

ところが、そのチャンスをことごとくふいにするんです。

映画の出来については賛否が分かれるところだと思いますが、過去の悲惨な出来事を忘れないようにするためにも、こういう映画は定期的に作られていかなければならないんだろうなと、自分は思います。

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2008-03-29

【歴史】会津の誇り

今、近代日本政治史の勉強をしているので、歴史の問題には多少敏感になってます。
それでネットで見つけたこんな記事。

会津若松市、TBSに抗議 戊辰戦争「糞尿たまり開城」
2008年03月28日20時20分 asahi.com

そりゃあ、会津の人たちも怒るでしょうよ。市長さんが抗議文をTBSに送ったようです。

本市の放送見直しの申し入れにもかかわらず、このような歴史を歪曲し視聴者に誤解を与える放送がされたことは、最後まで非戦の道を探りながらも、朝敵として戦わざるを得ない状況に追い込まれ、最後には無念の降伏をせざるを得なかった会津藩を愚弄し、引いては本市の印象を不当に貶め、義を貫く会津武士道に生きた先人と若松城を郷土の誇りとしてきた全ての会津人の心情を踏みにじるものであり、到底受け入れることができるものではありません。
会津若松市長・菅家一郎さんのブログに掲載されている抗議文より引用。

会津の人たちは偉いと思います。自分は奥羽列藩同盟や会津戦争のことは小説などで読みかじった程度なので実態については詳しくありませんが、大変に悲惨な戦争だったということは聞いています。戦争に至った事情も降伏に至った事情も、それぞれいろいろな要因があったのでしょうし、一言で語ることができるようなものではないと思います。歴史はそれほど単純なものではありません。全般的に見て、現在のTV局にはそういう認識が欠けているような気がします。

それに、幕末から明治初期に起きた日本の内戦はそれほど遠い昔の話ではありません。当事者は既に亡くなっていますが、その人たちの記憶を継ぐ者が生きています。子供の頃から当時のことをいろいろと聞かされているでしょう。地域社会に対する思い入れが違うんです。それは地方が東京化された現代でもいまだに強く残っています。都会の人にはわかりにくいことだとは思いますが。

2015年7月18日追記:
今日現在、最後の将軍・徳川慶喜をじかに見たことがある女性がご存命だそうです(!)

会津戦争は自分にも無縁な事件ではありません。高曽祖父は安濃津藩郷士として官軍に従軍していました。官軍の先鋒として東山道を下った。三田の慶應義塾で福沢諭吉先生が経済学の講義を行っていたまさにちょうど同じ時間に、上野の山で彰義隊と戦っていました。祖父が生前語っていたことによると、そこまではほぼ間違いないようです。高曽祖父のその後の足取りははっきりしませんが、安濃津藩は会津から箱館までの戦闘にも参加しているので、高曽祖父は会津戦争で若松城攻略作戦にも関わったはずです。

安濃津藩は明治2年(1869年)の6月に東京へ凱旋しますが、高曽祖父はそのわずか1年後の明治3年(1870年)旧暦8月15日に亡くなりました。死因についてはよくわかりませんが、もしかすると会津以後の戦闘での負傷が原因だったかのもしれません。なにしろ、文字通り命を賭けて戦ったんですから。新政府軍と旧幕府軍の違いはあっても、それは会津の兵も同じこと。そういう先人たちに対して、例の番組のなんと尊敬の念に欠けることでしょうか。

マスコミ(特にTV局)というのは、もともと軽薄なものかもしれません。今朝読み終わった歴史の本にも、こんな一文がありました。

しかし世論は三国同盟を賛美した。『東京朝日新聞』は、「国際史上画期的の出来事として誠に欣快に堪えざるところである」(後略)
日本の近代 5 政党から軍部へ―1924〜1941 
北岡伸一著 中央公論新社 1999年
349ページより引用

世界情勢を読む力も権力に対抗する気概も、何もありませんでした。よくマスコミは「社会の木鐸」なんて言われますが、昔も今も風鈴の如きものと言わざるを得ません。もちろん、今回の件はバラエティ番組の話ですし報道とは関係ないとも言えるのですが、こういう娯楽番組っていうのはその会社のカラーが出たりしますからね。TBS自体が歴史問題にあまり配慮をしない組織なのかもしれません。

そういえば、先日も他のTV局で東京大空襲をネタにしたドラマが放映されていましたが、それを10分だけ見た親父(東京大空襲生存者)の感想は、

「ナメるな。戦争をおもちゃにするんじゃねぇ!!」

でした。

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