【補完記事】広島旅行
先週、25万アクセス達成しました \(^o^)/
以前使っていたブログからこちらに移ってきて8年。
うちみたいな辺境ブログでも、続けていればそれなりに見に来る人もいるのだなあと思いました。
サーバーの容量は残り50%くらい。
あと4,5年は使えそうです。
25万アクセス記念で何かしようと思いましたけど、特別なことはしないことにしました。
ただ、去年は書けなかった記事を今書きます。
去年(2015年)10月の終わりから11月の初めにかけて、呉・広島に旅行したことがありました。本当は帰ってきてすぐに記事にするはずだったんですが、できなかったんです。
声優の松来未祐さん(呉市出身)がお亡くなりになったのがちょうどその頃だったので。
今、広島ではG7の外相会合が開催されていますね。
お蔵入りにしようと思ってましたけど、タイムリーなので記事にすることにします。
写真メインで、コメントは簡単にしちゃいますが。
羽田空港。
天気はあまりよくありませんでした。
背景にぼんやりスカイツリーが写ってるんだけど、晴れていたらいい景色なんでしょうね。
そういえば、こないだ株主総会に出席したついでにスカイツリー行ったけど、展望台の入場料クッソ高いのなー。結局上までは登らないで、7階のプラネタリウムに行きました(笑)
羽田空港には「プラネタリウムカフェ」があるらしいから今度行ってみよう。
羽田空港では自由が丘バーガーっていうのを食べましたよ。
うまかったなあ。
出発前日に竹達彩奈ちゃんのブログを見たら、ハンバーグ画像が載っていてねー。無性にハンバーグ食べたくなったんです。
あやなちゃんにはダイエット中にサンマの絵葉書送りつけて飯テロしたんだけど、見事にカタキを討たれましたわ~(笑)
竹原市。
この日はちょうど「憧憬の路」というお祭りでした。
竹筒の中にロウソクを灯して街角に並べているんです。柔らかい光が幻想的な雰囲気を醸し出します。
・・・・・・ただ、人が多すぎてつらい (;´Д`)
竹原は「安芸の小京都」と呼ばれるくらいで、とても美しい街です。今度行くときは混まない時期に行きたいですね。「ほり川」のお好み焼き食べたいし(祭りの時はとても無理)。
書いてるうちに食べたくなったので、また通販で買おう。
なぜそんなに混んでいたのかというと、アニメのイベントと重なっていたというのも原因のひとつでした。アニメ『たまゆら』の舞台がここなんです。
この日は主演の竹達彩奈ちゃん(沢渡楓役)も来ていたらしいですね。今回の旅の目的は『たまゆら』ではなかったので、自分はイベントには参加してませんけど。
宮島ですねえ。修学旅行以来です。
前に来たときは本殿が修理中だったけど、今回も一部工事中でした。そして、
人が多すぎてツライ 。・゚・(ノД`)・゚・。
竹原ではあまり外国人旅行客は見かけませんでしたけど、さすがに宮島は世界文化遺産です。外人さんだらけですわ・・・・・・。
東京の近くにあるネズミーランドかここはってくらいの混み具合なので、結局本殿には入りませんでした 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
あぁ・・・・・・こころがチュウチュウするんじゃあ・・・・・・。
てなわけで人が多くて疲れたので、水族館のすぐ近くにある国民宿舎の日帰り温泉に行ってきました。あまり知られていないのか、自分が行ったときには浴場に誰もいなくて貸し切り状態 (´∀`)
風呂上がりに名物のアナゴ飯とビールで癒される。
いくらかテンションが戻る(笑)
ちなみに、今回の宿泊地は呉でした。
竹原へはJR呉線で、宮島へは呉港からフェリーで行けます(広島で乗換え)。
フェリーは二日間フリーパスみたいなチケットがあるので、広島へも行けますね。今回は行かなかったけど、江田島へも行けます。わりと便利。
広島平和記念公園内にあるレストハウス。
実は、今回見に来たのはこれなんです。
今秋劇場公開予定のアニメ作品・『この世界の片隅に』の現場を見に来たんですよ。
この作品の舞台は戦前~終戦頃の呉・広島です(一応書いておくけど、第二次世界大戦のことね。若者の中には知らない人もいるっていうから)。
自分も微力ながら支援している作品なので、一度は作品の舞台に行ってみたいと思っていたんです。
こちらは『この世界の片隅に』の一場面。
昭和9年(1934年)の広島市中島本町です。
(自由に使ってよいそうなので使わせて頂いてます)
中央に見えるのが「大正屋呉服店」で、現在レストハウスとして使用されている建物です。相当に堅牢な建物だったのか、爆心地にもかかわらず基本構造は残りました。
広島記念公園に行ったことがある人なら知っていると思いますが、かなり広い敷地ですよね。終戦直前まで、あの中州の周辺には八つの街区がありました。
それぞれ中島本町、中島新町、元柳町、天神町、材木町、木挽町、細工町、猿楽町という名前です。街の名前からわかる通り、川を利用して上流から運んできた木材の集積地だったようです。
当時5000人を超える人口があったといいますが、この街は昭和20年(1945年)8月6日に地上から姿を消しました。
こちらは呉市海事歴史科学館(通称:大和ミュージアム)
戦艦大和の10分の1スケールモデルがあります。
想像以上によくできていて驚きます。
この博物館で興味深かったのは港湾施設や艦船の設計図面でした。
自分も仕事でCAD図面を書くことがありますけど、手書きでやれって言われるとかなりつらいです。もちろん、CADがあまり普及していなかった頃は手書きでやりましたけどね、今はちょっとやる気がしません。
「ごめんなさい仕事辞めていいっすか」ってなると思うわ(笑)
船渠(ドック)の図面は、日本が開国してすぐくらいに作成されたものにも関わらず見事な出来でした。当時の日本人は、本当にあっという間に知識を吸収して身に付けてしまったんですね。しかも、そういう資質を持っていた人物が一人や二人ではなかった。
日本人はとても素晴らしい資質を持っていると思いますが、しかし、その天賦の才が仇になることもあるのかなと思います。海外から見れば日本ほど恐ろしい国はありません。特に西洋人には相当に恐れられました。弱み・強みの双方を含めて、自国の実力を正しく評価できなかったというところにも日本が敗戦した原因があったのだろうと思います。
それは、今も変わらないのかもしれないな。
帰りは呉から広島までフェリーで。
瀬戸内海はのどかでいいですね。
広島で食べた生ガキ、おいしゅうございました。
また行きたい。
おまけ:
帰りの新幹線から撮影した姫路城。
高速走行中なので、これが限界でした。
帰りはグリーン車だったんだけどね、広島から姫路まで誰も乗ってこなくて一両丸ごと貸し切り状態だったんだよね~(笑)
人が多いのが苦手だから楽なんだけど、あれでちゃんと儲かってんのかねー。
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