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2011-12-11

【演劇】令嬢ジュリー

土曜日に東京へ行って、久しぶりに演劇を観てきました。今年は大震災があっていろいろとごたついたので、結局2作品しか観られなかった。

今回観てきたのは、『令嬢ジュリー』という作品です。スウェーデンの劇作家・ストリンドベリの戯曲をアレンジしたもの。主演は、うちのブログでも声優さんとしてよく名前が出てくる福圓美里さん 。この人は舞台女優でもあるんです。

『令嬢ジュリー』(演劇集団 砂地 於SPACE雑遊)

ストリンドベリですが、大学受験のときに勉強した文学史でなんとなく名前を知っているくらいの人物です。この人が書いた作品も、名前を知っているのは『痴人の告白』くらいなもの。今回、あらすじくらいは頭に入れておこうと思って調べてみたんですが、この人の作品を読もうと思ったら図書館に行かなきゃ読めないんですよね。作品集は出てるんですが、かなり高価だったりする。ネットで仕入れた断片的な情報によると、今回の作品は階級社会に対する批判であるとか、男女の間の越えられない壁のようなものを表現しているとか、いろいろと深い作品のようでした。

ちょうどこれから通信制大学で政治哲学のレポートを書かなければならないんですが、そういうことが頭にあるものだから、今回の舞台もそういう観点で見てしまいました。政治哲学のなかでも重要なテーマに「自由」の問題があるんですが、今回の作品はまさに自由の問題なんじゃないのかなと思ったんです。今回の舞台を観た声優の名塚佳織さん も、ご本人のブログで「“自由”と言う言葉は、ある意味脅迫的な要素が混じっているような気がする」と書いていらっしゃいましたが、その通り。鋭い指摘です。

自由を語るときによく出てくる用語で「消極的自由」「積極的自由」というのがあります。アイザイア・バーリンが『自由論』のなかで唱え、エーリッヒ・フロムが批判を展開した自由に関する重要な二つの概念。ごく簡単に書いてしまうと、「消極的自由」というのは自分の行動や意思決定を妨げるものが何もない状態のこと。一方の「積極的自由」というのは、他者から強制されるのではなく、自分の意思で自発的に行動する自由をいいます。

現代社会では法が整備され、経済が発展し、多くの人に教育の機会が与えられ、人々にはより高い地位につくチャンスが与えられています(少なくとも外見的にはそう見える)。とくに日本では、かつての封建社会のような身分制もありませんし、消極的自由の獲得は達成されたといってよいかもしれません。しかし、いろいろな制約から解放されて、いざ自由にやってよいと言われると、人間は途方に暮れてしまうことがあるんです。自発的に何かを選択する「能力」が足りていないから、「積極的自由」を実現することができません。そうした場合、人間は何かに縛られたくなるんですね。マニュアルが欲しくなる。絶対的な権力者に従いたくなる。こういう状態をフロムは「自由からの逃走」と呼んだのでした。

「積極的自由」を達成するには、何かを選択する「能力」が要求されるんです。それはもう、非常に高度な能力が。いくら機会を与えられても、選択肢が十分にあったとしても、その選択能力がなければ本当の意味で自由にはなれません。育った家庭の環境、周囲の人間関係、自分の嗜好、性癖。あらゆるものが「能力」獲得の妨げになります。純粋な自分の意思のみで何かを選択できる人間がはたしてどれだけいるのか。本当の意味の自由なんてありえるのか。そんな疑問が浮かび上がってきます。

作品の最後のほうで令嬢(福圓さん)が語った台詞で「あたしは母親に育てられた。学校に、世間に育てられた。自分は自分を育ててない。それでも(この結果は)あたしのせいだっていうの」というようなものがありました。彼女は上流社会の人間ですから消極的自由は獲得しているんですが、本当の意味の自由(フロムの考える積極的自由)には達することができなかった。選択能力がなかったから。人間にはフィードバック能力(学習能力)がありますから、実は自分で自分自身を高い次元に引き上げることはできます。自分で自分を育てることができる。そういう意味ではどんな人も、その立場に関わらず本当の意味で自由でありえるんですが、それでもやっぱり周囲の環境や自分自身の思考パターンや性癖など多くの制約条件によって、自由になることができないんですね。

一方で、令嬢の「火遊び」の相手の男。こちらはそもそも消極的自由が十分に達成されていません。貧しくて、這い上がろうとしてもがくんだけれども、「樹の上の金の卵をつかむための、最初の手がかりの枝が見つからない」状態です。この男は大学まで出ていながらお嬢様の下僕に甘んじている(自分もあんまり人のことは言えないわけですが(^-^;A))。おそらく、地位の上昇を妨げる何らかの物理的な障害があったのでしょう。そういう人間から見て、お嬢様の思考はまったく理解できないものになるはずです。お嬢様が一体何と戦っているかがわからない。まずそこが一つ目の「越えられない壁」です。物語の途中でお嬢様と男の立場が逆転する場面が出てきますが、そこにはお嬢様が本当の意味で自由になれないもう一つの理由が存在していました。「女であること」。これが二つ目の「越えられない壁」。この作品に登場するお嬢様と下僕は、もちろん身分的にも肉体的にも差があるわけですが、そういう目で見てわかる部分だけではなく内的な部分でも相容れない存在だったのでした。

今回の作品はレポートの参考になりそうです。ありがたい。まぁ、実際に書くのはもうちょっと先になっちゃうかもしれないけど・・・・・・。

で、演技のほうですが、相変わらず福圓さんの迫力はものすごいですね。ただ、今回見ていて思ったんですけど「ああ、今回もまたこんな風にキレるんだな」と、ある程度予測できてしまうところがありました。そう考えると、以前見た作品(『きんとと』、乙女企画クロジ )の演技は、あれはあれでよかったなと思うんです(この作品では、前半は感情表現をかなり抑えていて不気味だった)。なかなか説明が難しいのだけど、もうちょっと「狂気」が欲しかったかなと思います。まぁ、おそらく今回はかなり原作に忠実な形で演じているんでしょうけどね。

思えば、今の日本にもあのお嬢様のような人は多いかもしれないな。選択肢は豊富にあったとしても、能力が足りていないために選択することができない。そのへんは、本来は学校教育でなんとかしないといけないところなんだろうけど、現状はそんな能力開発なんて行われていないようです。

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