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2009年6月14日 - 2009年6月20日に作成された記事

2009年6月20日 (土曜日)

【楽しい科学】日本のフシギジュツ(笑)

今日も勉強中。(今、休憩中)
日本外交史Ⅱ、やっとこさ60年代終了です・・・。沖縄返還直前。

で、今は風呂上りなんですけど、ネットを見てたらまた面白いのを見つけちゃいましたよ。



ツインテールのメイドロボットがコーヒーを淹れてくれちゃいます。
どうやらこれはリモートコントロールのようですけど、それにしてもすごい・・・。
まさに不思議(技)術!!w (゚∀゚)

http://www.youtube.com/watch?v=ejROvUC-gWU

↑こちらは同じ動画のYouTube版。海外の人の反応もよいみたいですね。
近いうちにNHKの朝のニュース番組で紹介されたりするかもなあ。
(NHKの朝のニュースには「ネットで見つけた面白い動画」みたいなコーナーがあります。)

それにしてもこの動画、公開されたのは一昨日の早朝だそうですけど、現時点ですでに再生回数が30万回を超えてます。それもすごい(笑)


そしてこちらはアメリカの謎技術w



ねーよ!!ww m9(^Д^)

暴走石ワロタw これはとてもステキな『ローゼンメイデン』
同じリモコンロボ子なのに、繊細さのカケラもありませんねぇ・・・。

ああ、やっぱりこんな国と戦争しちゃいかんなあ(笑)

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【仮想現実】かわいい妹とこわい妹(笑)

週末なので夜更かしをしてます。
おいら、最近は午後9時くらいに寝ちゃうので、午後11時だと相当深夜です(笑)

まずはかわいい方から。



延べ約50万人の偽兄・・・もとい(笑)義兄を生み出している『けいおん!』の平沢唯ちゃん。(CV:豊崎愛生さん) このアニメのお蔭で楽器に興味を持つ人も増えたようで、ちょっとした社会現象になっているようですねー。原作が4コマ漫画のアニメ作品のせいか、ストーリー的なものがなくてちょっとグタっとした感じですが、おいらはそういう感じが嫌いではなかったです。関東地域の地上波では今週が最終回で、来週は特別編が放送されます。

Kon 『けいおん!』 TBS
("K-ON!", TBS; Link to US Animation Database)

平沢唯(右、CV:豊崎愛生さん
HIRASAWA Yui (Right, CV: TOYOSAKI Aki)

中野梓(左、CV:竹達彩奈さん
NAKANO Azusa (Left, TAKETATU Ayana)



実際妹がいる人に話を聞いてみると、実はそんなにいいものではないようですね。かわいいのはバーチャルだから(笑) まぁ、人によるんだろうけどもね。

上の動画のもう一つの元ネタは、『初恋限定。』に登場する兄好きの妹、別所小宵ちゃんでした。自分の兄が「恋愛対象として」好きという、現実にはほぼありえないような設定ですが、アニメなので気にしないw (゚∀゚)

Photo 初恋限定。』 BS11
("Hatsukoi Limited", BS11)

別所小宵(CV:豊崎愛生さん)
BESSHO Koyoi (CV: TOYOSAKI Aki)




まぁ、こんな妹なら可愛いんじゃないかと思いますけどね。
程度問題ですけど。

それで、妹に愛されすぎてちょっと恐ろしいことになっちゃうのがこちら。「ヤンデレ」っていうんでしょうか・・・。



コワイヨー 。・゚・(ノД`)・゚・。 タスケテ~

寝られなくなっちゃうよ~

それにしても、よく作るよなあこういうの(笑)
CD作る方も作る方だし、混ぜちゃう方も混ぜちゃう方だw

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2009年6月19日 (金曜日)

【普通の日記】目標達成

正月に立てた目標のひとつとりあえず年収と同程度の貯蓄を確保する(1年間無給で暮らせるレベル)」を、

本日達成しました \(^o^)/

持ってた株を売却して利益を確定。

次の目標はもちろん

年収の倍程度の貯蓄を確保する(2年間無給で暮らせる)」

です(笑)

額が額だけに、年内の達成は難しいかなあ。株式市場が好調ならありえなくもないですが。

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【普通の日記】安保

早朝のほうが勉強がはかどるので、ここ数日の間、おいらの勉強時間は午前2時半から午前4時くらいでした。なんだか風邪を引きかけているような気がするので、今日はもう寝ますけど。

今勉強しているのは日本外交史Ⅱです。範囲は終戦から現在まで。そして、昨日から今日にかけては、ちょうど日米安保条約改定のあたりの復習でした。

「ちょうど」っていうのはどういうことかというと、今から49年前の昭和35年(1960AD)6月19日午前0時に新安保条約が成立したんですね。このときの安保反対運動はかなり激しく、国会の周りを数十万人の反対派が取り囲んで、まるで革命前夜って感じになっていたようです。おいらはまだ生まれていない時代の話ですし、全然想像がつかないんですけど。

60年安保の場合は「日米安保の内容に反対」というよりもむしろ「岸政権に反対」という面が強かったようで、実際に条約が成立した後は急激に運動が沈静化したようです。現在でもたびたび問題になる日米安全保障条約ですが、軽武装・経済重視路線を定着させ戦後日本の発展に大きく貢献したのも事実ですし、外交史の面からもそれなりに評価ができるものだと思います。まぁ、「歴史的に見て」ですけど。

日米安全保障条約では日本が基地を提供する代わりにアメリカが日本を防衛することになっています。北朝鮮が開戦に踏み切る場合、最大のターゲットは日本になると思われますし、実際に日本に対して宣戦布告すると思いますが、その時、アメリカが日本を本当に救援するかどうかわからないところがあります。敢えてアメリカの核の傘に入ることを辞さない韓国と、あくまで核廃絶を求めていく日本とでは国防のスタンスも違うので、同じアメリカの同盟国でもアメリカの戦時対応は変わってくるでしょう。来年は新安保50周年になりますが、その内容をもう一度考え直す時期に来ているのかもしれません。

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2009年6月17日 (水曜日)

【普通の日記】みどりのおじさんw

今月は試験勉強で忙しいので、あまりブログも更新できないんですが。

おいらの住んでいる地域は、全国的に見て交通マナーが最悪です。
そんなわけで、地域の小学生のために交通誘導をする係が、たまに回ってきたりします。おいらも黄色い旗もって横断歩道に立ってきました。

いやあ、最近の小学生って、みんなきちんと挨拶するのね。「オハヨウゴザイマース」なんてね。なんだかとても素直そうでした。ちょっと感動した(笑) おいらたちが子供の頃なんて、横断歩道に誘導のおっさんが立ってたりなんかしたら、下手すりゃ後ろから蹴るくらいの感じだったからなあw まぁ、おいらが育った環境が特別悪かったんだと思うんだけど。
なんかもう、あのくらいの年頃の子供って無条件にかわいいっすね。
嫁はいらんから子供だけ欲しいなあー。

ずっと昔、出張で山梨県の久那土っていうところに行ったことがあったけど、食料を求めて田舎道をテクテク歩いてたら(笑)、自転車に乗った地元のかわいらしい女子中学生が「コンニチワー」って挨拶していったのを思い出したなあ。おいらみたいな見ず知らずの怪しげなお兄さんに。(当時はまだ、かろうじて「お兄さん」って感じだったw) おかげで今でも山梨県はいいところだったっていうイメージが強いんですね。
田舎ってのどかでいいな。

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2009年6月14日 (日曜日)

【歴史】日本の戦争

ちょうど日本外交史について勉強しているところなんですが、自分のアンテナがそっちの方に向いているせいか、ネットを見ていてもそういう話題に引き寄せられてしまうようです。

今日は、こんな動画を見ました。



シリーズ化されている動画のようです。
同じシリーズでBC級戦犯の話などもありましたが、本当に戦争の理不尽さを感じざるを得ません。ただ、日本がアジア諸国の独立に貢献したという話については(上の動画とは別の回)、確かにそういう面もあるわけですが、やや日本を高く評価し過ぎだと感じます。(作者は意図的にそういう作り方をしているようで、考え方としては中道の人のようです)

日本の国際的な孤立化が決定的になったのは昭和13年(1938AD)11月3日の東亜新秩序声明の結果と考えられますが、その頃はまだ「アジアを欧米の植民地支配から解放する」という明確な政策はありませんでした。ドイツが日本に対して日独伊防共協定を拡大発展させようと打診してきた当初、海軍はこれに対して反対でした。米英との戦争に発展する恐れがあるからです。日米開戦3年前の段階で、日本は米英と本格的に戦うことは考えていませんでした。陸軍はドイツの提案に賛成の立場でしたが、それは米英との戦争を考えてのことではなく、むしろソ連の脅威に対抗するためです。つまり、日本は日米開戦3年前の時点で、米英その他を東南アジア地域から放逐し植民地を解放するなどということを本気で考えていなかったんです。そういう思想は民間レベルでは存在しましたが、国策ではありませんでした。

昭和15年(1940AD)になると、ナチス・ドイツがヨーロッパを制圧する勢いでした。ヨーロッパで英仏蘭がドイツに屈服することになると、それらの植民地に権力の空白ができます。そういう情勢から、日本はドイツと提携して英仏蘭の支配地域を抑えるべきであるという意見が出てきました。この頃にはすでにアメリカの対日経済制裁が始まっていましたし、東南アジア地域の資源をどうしても押さえる必要もあって「南進論」が優勢になっていくわけです。注意したいのは、日本が東南アジア地域に進出したのは植民地の解放という理念からではなく、極めて国内的な事情によるものだったということです。そして、この時点でもまだ、日本はアメリカと本気で戦争するつもりはありませんでした。昭和15年9月に結ばれた日独伊三国同盟も、翌年4月に結ばれた日ソ中立条約も、アメリカに圧力をかけて参戦を防止するという意図があって結ばれたものだったんですね。結局それは逆効果となりましたが、日本は本当にぎりぎりまでアメリカと戦争するつもりはなかったんです。

では、日本が「アジアの解放」を本格的に唱え始めたのはいつか。それは、日米開戦の後だったんですね。昭和16年12月10日に戦争の呼称を「大東亜戦争」とすることを閣議決定していますが、その際に戦争目的を「アジアから欧米勢力を排し、植民地を解放する」ということにしたわけです。日本は欧米諸国、特にアメリカの経済封鎖を受けて、ある意味自衛の戦争に突入せざるを得なかったわけですが、自衛といっても戦争に至った要因には日本外交の失敗も少なからず含まれていたわけですし(松岡洋右もそのあたりのことは認めている)、後ろめたい部分がないわけではない。日中戦争の泥沼化もあって兵士の士気を維持していくのも難しい。しかも今度の戦争の相手は国力が10倍も違う超大国です。日本には戦争を遂行するための大義名分がどうしても必要だったんです。国民を納得させ、狂気に向かわせるための。そしてそれは、大きければ大きいほど、美しければ美しいほどよい。

「日本は自衛のために戦った(戦わざるを得なかった)」とはよく言われることですが、中国での戦いはそもそも自衛の域をはるかに超えてしまっていましたし、アメリカとの戦争は外交政策の失敗によるところが大きかった。アメリカとはいずれ戦うことになったかもしれないけれども、自衛戦争というならばもっと早くから、せめて満州事変(1931AD-1933AD)の頃から対米戦争の準備はしておくべきでした。何しろアメリカは、日露戦争直後から対日戦争のプランを練っていましたからね。それから東南アジア地域ですが、これらの地域への進出は資源確保という点では確かに自衛のためということができるかもしれません。しかし、欧米植民地の解放となると、祖国の防衛という「本当の戦争目的」とは直接的に結びつきませんね。植民地を独立させて日本の友邦とし、大東亜共栄圏を構築することによって究極的に日本の安全を保障するという考え方をすれば東南アジアへの進出も「自衛のため」とすることもできるでしょうが、それもいささか無理がある話です。独立した国が日本寄りになってくれるという保証はありませんからね。共産化する可能性もあります。日本寄りの政権を「作る」というのであればそれはもはや独立とは言えませんし、仮に大東亜共栄圏が成立したとしても、それは旧ソ連のようなものになったでしょう。アジア諸国にとって本当の独立とは程遠いものになったはずです。

第二次世界大戦後、アジア諸国は独立を果たしましたし、それは日本が欧米列強を相手に戦った結果なのは間違いないことですが、その結果だけを見て日本人自身が「日本はよいことをした」というのは、いささか無邪気すぎやしないかと思います。アジアの人たちが植民地からの独立を日本のおかげと思い日本に好意を寄せてくれることについては、我が国にとって重要な「資産」として受け止めてもよいとは思いますけどね。

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