【読書】不機嫌な職場
大学で産業社会学という科目があるんですけど、そのレポートに使えそうかなと思って読んだ本。今年読んだ本33冊目。
『不機嫌な職場』
高橋克徳+河合太介+永田稔+渡辺幹 共著
講談社現代新書 2008年
職場での人のつながりが薄れているっていうのはあると思いますね。自分は自社を離れて他社に派遣されているんだけれども、そこなんか極端です。その事業所にはその会社の正社員が一人もいません。複数の会社から人が寄り集まっていて、雇用形態もバラバラだったりします。勤務の形態も賃金も一様ではないからやりにくいことはありますね。指揮命令系統が混乱したりしてね。今いるところはそれほど忙しくもなくあまりストレスがたまらない職場ですが、これが周囲を顧みる余裕もないほど忙しい職場だったとしたら間違いなく人間関係が崩壊するでしょう。
かつて、心と体を蝕まれて再起不能寸前まで追い込まれた職場がそうでした。そこもやっぱりいろいろな会社から人間が寄り集まってできていて、お互いのことなどほとんど何も知らないような職場だった。だから隣の人がどんな人かあまりよくわからなくて。機密性が極めて高い情報を扱っていたのでなおさらでした。仕事も忙しかった。環境自体も非常に悪くてね。機密情報を扱う部署だから窓がなくて時間もよくわからない。昼なのか、夜なのか・・・・・・。職場にたどり着くにはいくつかの生体認証もくぐらなければななりませんでした(体重が変わると厳重に注意された)。自分は、人間ではありませんでした。機械ですらなかった。パーツだった。
程度の差はあるにしても、今はどこも職場に余裕がないようですね(自分は暇だけど。っていうか、もうあんまり働けない)。現代の日本のような状況だと労働者は孤立しがちになってしまうんでしょう。日本は先進国の中でも労働生産性がとても低いですが、労働者が分解された機械のパーツのようになってしまっているところに問題があるのかもしれませんね。今回読んだこの本の中では「協力」というキーワードが出てきますが、パーツを組み立てなおす努力を早急に行うことが求められているように思います。
組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
(201頁より引用。)
慶應義塾の通信制に入学する時に書いた論述の内容は「共通体験」に関わることでした。インターネットの発達した社会では多くの情報がありすぎて、ユーザーは自分の興味がある情報しか選択しなくなるという。情報が多ければ多いほど、人間の視野が狭くなるジレンマがあります。多くの人が同じ情報を共有しにくくなるんです。そういう状況を回避するには「共通体験」が必要であるという、アメリカの憲法学者の説があります。
誤解のないように書いておきますが、世の中をひとつの価値観で縛ってしまおうということではないんです。どう考えたって隣にいる人は自分とは違うんです。まず、そこをはっきりと認識しないといけない。その上で、その隣にいる人のことをもっとよく知って、その人の価値を認めないといけません。そして他人にも自分にも、その社会の中で与えられた重要な役割があるんだということも認めないといけない。機械のパーツからパズルのピースへ、ということです。
そういえば、自分がよく訪れるブログにも最近、多様性に関する記事がありました。
社会を強くするもの (サステナ・ラボ)
多様な価値を認めることがこの国の労働生産性を高め、持続可能な社会を構築することを可能にすると信じています。
| 固定リンク
「政治・社会」カテゴリの記事
- 【日記】shrineとtempleの違いなど(2017.02.19)
- 【普通の日記】とりあえずAmazonは荷物をまとめて送ってください。(2016.12.24)
- 【アニメ】『この世界の片隅に』(2016.11.13)
- 【日常】リカちゃんとんだとばっちり (ノ∀`)(2016.01.17)
- 【日記】『心が叫びたがってるんだ』/日本心理学会(2015.10.04)
「慶應義塾」カテゴリの記事
- 【大学】2016年度第Ⅳ回科目試験(2017.01.14)
- 【日記】2017年1月1日(2017.01.01)
- 【大学】復学(2016.09.14)
- Happy Birthday (2016年9月)(2016.08.30)
- 2016年1月1日(2016.01.01)
「読書」カテゴリの記事
- 【声優さん】声優アイドルの源流(アニメ=見世物小屋仮説)(2014.08.22)
- 【読書】女装と日本人(2010.04.21)
- 【大学・読書】2009年第二回科目試験結果と最近読んだ本(2009.08.24)
- 【大学】夏スクーリングまとめ(2009.08.09)
- 【普通の日記】日食と児童文学(2009.07.22)